一.くそったれで素晴らしいゲームの幕開け (九)
男がしばらくシルヴィを操作していると、ナビスケが二回点滅した。
彼女がニッとこちらを見て親指を立てている様子からして、決済が完了したということだろう。
「神納くん……?」
声のするほうへ振り向くと理子と目が合った。
今の彼女にはどうやら外の様子が見えるらしい。足の力も取り戻したのか、すたすたと仁成に歩み寄ってくる。
歩み寄ってきたかと思うと、そのまま仁成の学生服の裾を手枷をされたままの両手で掴んできた。
「ごめん、ちょっとだけ、このままでいさせて」
裾をきゅっと掴んだままの彼女は、まだ小刻みに震えているように見える。
仁成自身も要がいなくなった時に強い不安を覚えた。理子が不安になるのも無理はない。
身動きを封じられるだけでも辛いのに、その状態でいきなり知らないところへ、たった一人で薄暗く不気味な部屋に隔離。周りには死体のようにも見えてしまう目隠しをされた様々な生物。光る動く床。その先の暗黒。
仁成は光る床が止まった時点で平静を取り戻していたが、理子は精神をこれでもかと張り詰め続けた中で、やっと見覚えのある人を見つけたばかりだ。
そんな理子には悪いと思いつつ、同じ立場の人を見つけて仁成は安心感を覚えていた。
「……大丈夫?」
「うん、あともう少し」
少し儚さを感じるような、吐息混じりの声が返ってくる。
理子は落ち着きを取り戻すためか体全体で深呼吸をしていた。
しばらくして荒かった呼吸が整ってくると、理子はゆっくりと仁成から身体を離す。
「ごめんね、迷惑かけちゃって」
少しだけ元気が戻った声で、理子は苦笑する。
「ああ、それは大丈夫」
「本当に大丈夫なんですか? やっぱりバグなんじゃ……」
いつの間にか眼鏡をかけていた大人しそうな男が、眼鏡の縁をいじりながらこちらに近づいてきた。
「いいんですよバグっていても。むしろその方がテンション爆上げなんですジンさんにとっては!」
ビシッ! と仁成を指すシルヴィに対し、男は「はぁ」と間抜けそうな声を返した。
「ねっ! ジンさん、爆上げですよね!」
「それより次の案内をしてください。もう大会まで時間がないんですよね」
シルヴィの無茶振りをスルーして、仁成は話を進めた。
理子の前であの芝居をするのは色々と無理がある。
「それもそうでした」
パンッと両手を閉じたシルヴィは、サッと手元まで呼んだナビスケの上で掌をスライドさせる──
──すぐに蒼光がシルヴィと理子と仁成の三人を包み、浮遊感を覚えたかと思うと転移が完了した。
先ほどの薄暗かった部屋と変わって、白いタイルが一面に広がっており、程良い明かりが辺りを照らしている。
ここはアルプレのトレーニングモードステージのような場所だろうか。
「えっ、なにが起こったの!?」
ほんの数秒でガラリと景色が変わったことに、理子は驚いた表情で辺りをきょろきょろと見回していた。
「さあ、お二人とも、さっそくRegame大会優勝を目指してトレーニングしましょう! 今日はこのフロアは貸し切りですよ!」
転移初体験の彼女の様子を全く気にせずシルヴィが理子の手枷にナビスケをかざすと、カシャン、と手枷は呆気なく外れた。
手枷は重力に沿って床に落ちると、複数回明滅し、粒子状になって塵も残さず消える。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、理子さんにはこれからたくさん頑張ってもらいますから」
「はい、って、え? どうして私の名前を?」
「ああそれはですね、ナビスケ!」
ナビスケを呼ぶと同時にシルヴィは指をパチンと鳴らす。
「シュウト・リコちゃん! 女性! 十七歳!」
「こういうことです」
「なんかおじさんみたいな声ですね」
「入浴時の始めに頭部を洗う確率八十三パーセント」
「あっ、なんかニュースを読み上げる女の人のアナウンサーみたいな声になった」
「突っ込むとこそこ?」
「スリーサイズは上から八十──」
「うわうわわうわうわうわうあああっ!」
「と、まあお約束はこの辺にしておきまして」
「なにがお約束なのか全然わかんないよぅ……!」
息をぜえぜえさせながら理子が続けた。
まだ精神だって回復しきっていないだろう、かわいそうに。
「……どうして私の個人情報がそのタブレットに?」
「オレはタブレットじゃねえ! ナビスケってキチンとした名前があるからよ! それでヨロシク!」
「そういうことじゃなくて!」
名前は大事ダロ! と言いかけたナビスケを、シルヴィがチョップで床に叩きつける。
ナビスケはピカピカと点滅しながら、すぐにフラフラと低空を漂い始めた。
「そうですね、理子さんにはまだなにも説明できていませんから、色々と気になるのは当たり前だと思います。ただ時間もあまりないので、ちょっとジンさんに寄ってもらってもいいですか?」
シルヴィは理子と仁成にそれぞれ細い指で立ち位置を指示する。
人一人の半分くらいの間隔を開けて、理子と仁成は指示通りに並んだ。
「そうそう、そんな感じでオッケーです。ではいきますよ!」
ツーショットを撮るカメラマンのようにシルヴィが声をかけ、低空飛行中のナビスケを掴む。
そのままナビスケを手裏剣のように投げる、と仁成と理子をぐるっと囲うように弧を描いた。描いた軌跡の内側が緑色の光に包まれ、あっという間に光は飛散する。
「え、なにこれ、どういうこと……」
仁成は特になにも感じていないが、理子のほうはなにか変化があったらしい。
「先ほどジンさんの持ってるこちらの世界の情報を、理子さんにも共有させていただきました」
なるほど、それなら同じ説明を二度しなくてもいい。
「神納くん、私を俺好みに調教するって言ったんだよね……」
「それについてはきちんと説明させてくださいお願いします」
冷ややかな目で後ずさる理子に、仁成は思わず敬語になる。ロクでもない情報が共有されていやがった──
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