一.くそったれで素晴らしいゲームの幕開け (八)

 自分の通う高校の制服を着た少女は、肩にかかる程度のショートヘアーに、小動物を思わせる小柄な体型をしている。


 愛らしく目を閉じたままの少女──衆徒理子しゅうとりこは、ゆっくりと床に横たえられた。


 なぜか目隠しはされていない。代わりに白い手枷のようなものを両手に嵌められている。


 横になったのも束の間、理子はすぐに目を覚ました。


 自分に嵌められている手枷に気づき、何とか外そうともがいている。


 その間にも光る床は理子を暗黒へと徐々に誘っていく。


 理子の目線の先では、様々な生き物が次々と暗闇に飲まれ、キャラクターとしての産声をあげていた。



「──やばい」



 反射的に仁成は理子に向かって走り出した。



『キャラクターに命を吹き込んでいるんですよ』



 つい先ほどシルヴィから聞いた言葉を思い出し、じわりと嫌な汗が額を伝う。


 理子は、これまで見てきた生気のない生き物たちとは違い、確実に生きている。


 そんな彼女に、新たな命を吹き込んだら、彼女自身はどうなってしまうのか。

 理子が理子でいられなくなってしまうのではないだろうか。


 もしそうなってしまえば、それは衆徒理子という存在が消えることと同じだ。



「なにしようとしているんだろうな俺は……」



 仁成にとって、理子は特段よく話す間柄というわけではない。


 泥棒に決めた突きには確かに見惚れたが、印象的な出来事はそれだけと言えばそれだけ。


 プリントを渡すとかそういう事務的なやりとりをたまにするだけの、ゲームオタクと空手美少女の決して深く関わり合うことのない関係性。



 だけど──このまま放って置いたら彼女がどうにかなってしまう。


 そんな予感を無視できるほど人間できていないし、なにより彼女に伝えるべきことを伝えられていなかった。



「……隣の席の女の子を助けてコントローラーのお礼を言う。動く理由なんてそれだけで十分じゃねえか」



 未知の状況に怯んでる自分を蹴飛ばすように、彼女の元へと走り出した。



「聞こえるか! 衆徒さん!」



 仁成は理子に向かって、クラスではかけたことのない大きな声をかける。


 が、彼女は目の前の手枷に悪戦苦闘しているようで、仁成の声が聞こえている様子はない。


 集中していて聞き逃したというよりは、音そのものが届いていないように思える。



「あっ、ちょっと、困りますよ!」



 大人しそうな男がオドオドし始めた。



「一応、完全防音にはなっているはずなんですが、万が一問題が起きたら僕が怒られてしまいます」


「いや、あの子は俺の、知り合いです! 今すぐ解放してください!」


「そんなはずはありませんよ。見間違えてるんじゃないですか? でも、あれがバグかあ。初めて見ました」



 そうこうしているうちに理子はどんどん先へ進んでいく。


 話にならない男を無視して、仁成は理子の腕を引っ張ろうと近づいた。だがショーケースの外と中を区切るように、透明な壁に阻まれて理子に触れることは叶わない。


 壁は不思議な材質で出来ており、拳を打ち付けても打撃音すらしなかった。殴った手も痛みひとつ感じない。


 なおも理子は手枷を外すため両腕を振り回したり、手枷を床に叩きつけたりしていた。しかし手応えをまるで感じていないようで、暗黒に飲まれていく者達に目を向け、顔を青くしている。


 ここまで近づいてこちらに気づかないということは、理子がいる側からは外が見えないようになっているのだろう。

 抵抗することなく床に運ばれているのも、何らかの理由で立ち上がることができない可能性が高い。


 アルプレで鍛え上げた素早い状況分析能力を発揮しても、そこから打つ手が見出せない。仁成はただ歯痒い思いを抱えるだけだった。


 理子が暗黒に飲まれるまでもう時間がない。どうすれば──



「──ジンさん、あの女の子が気に入ったんですね」


「えっ」



 いつの間にか横にいたシルヴィから、場面にそぐわない台詞を聞かされ、仁成は戸惑った。



「照れなくていいんですよ。ちょっとそこの新人クン! 彼女を選ぶからストップさせて!」



 仁成の返事を待つことなくシルヴィが大人しそうな男に鋭い声をかけると、光る床はその光源をすぐに失った。


 床に運ばれていた理子はその場で止まり、なにが起こったのかよく分かっていないのか目をぱちくりさせている。


 とりあえず暗闇に理子が飲まれないことが分かると、仁成は心の底から安堵した。

 比べられるものでもないが、初めてアルプレの大規模な大会に出たときよりも緊張していた。


 新人クンと呼ばれた男が、とろそうな足どりでシルヴィに駆け寄ってくる。



「買われるのはいいんですが、その子はたぶんバグですよ。ちゃんとキャラ化しておいたほうが」


「あー、ジンさんは自分の手で俺色に染めるのが趣味なんですよ、だからここに来たんです。そうですよね?」


「は?」



 ね、とシルヴィからは有無を言わせない圧を感じた。


 男のほうは「うわあ」とかなり引き気味のようである。


 安心しきっていた心を切り替えるのと状況の理解に、仁成は少しだけ時間を要した。


 不本意だが、事を穏便に済ませるにはそのほうが早いらしい。



「…………ああ、テンプレートなキャラでは俺は好かん。やはりその時その時の自分に合わせて、俺好みに調教してやらんとなあ! ハーッハッハッハッ!」



 理子にあんなことやこんなことをする想像をしながら、両手を広げ、大仰な身振り手振りで語ってみせる。


 決して演技に自信があるわけではなかったが、本気でイメージしたかいあって仁成は確かな手応えを感じていた。


 その証拠に、シルヴィと男の視線からしっかりと突き刺さるような痛みを感じとれている。



「……わかりました。ただし、返品は受け付けませんよ! 忠告はしましたからね」


「それは大丈夫です。安心してください」



 シルヴィはナビスケを呼び、慣れた手つきで一通り操作したあと、男に向かって差し出した。

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