一.くそったれで素晴らしいゲームの幕開け (五)

 ほどなくして、仁成の視界に色が戻ってくると、そこには見覚えのない景色が広がっていた。


 野球場観客席の出入り口のようなところから、ワーッと大きな歓声が聞こえてくる。


 少なくとも、ここはゲーミングポリスの中ではない。



(いったい、なにが起こった……?)



 視界を奪われた時間は数秒ほど。アルプレのコーナーから外へと移動するのは物理的に不可能なはずだった。


 いや、もしかすると視界を失ってから眠らされていたかもしれない。



「うふふ、驚きましたか?」



 ついさっきまで聞いていた声のするほうへ目を向けると、そこには例の、いたずらっぽく笑みを浮かべた銀髪美女が立っていた。


 小脇に抱えていたコントローラーは見当たらず、薄い銀の板のようなものを左手に持っている。



「あの……ここはいったいどこなんですか」



 当然のように抱いた疑問を仁成は投げかける。



「ここは……そうですね」



 銀髪美女は唇の下にそっと指を当てて考える素振りを見せる。動作がいちいち色っぽく、仁成は鼓動が一瞬高まるのを考えないようにしなければならなかった。



「ジンさん達の世界で例えるなら、異世界、といったところです」



 ピンッ、と人差し指を立てて、生徒に授業するかのように銀髪美女は答える。


 異世界、創作物ではもうとっくにお馴染みなワードだ。その異世界に、俺、神納仁成は来てしまったということか……


 ……なんて冷静に考えられるわけもなく、へ? と仁成は間抜けな声を発するのに精一杯だった。



「まあ普通そうなりますよね、ついてきてください。実際に見てもらったほうが早いと思いますから」



 仁成の思考ショートぶりを意にすることなく、銀髪美女は空いている右手で、仁成の左手を引っ張ろうとして……





「……ちょっと! さっきからどうして私をおいて話をしているのかしら!」



 甲高い怒声にぴくっと銀髪美女の動作が静止する。


 銀の板には銀髪美女の左手の他に、もう一本の腕が伸びていた。



「あら、いたんですか」


「ベタベタなとぼけかたするなっ! こんな近くにいて気付かないわけないでしょ!」


「はぁ……ぎゃあぎゃあと口うるさいですね……で、なぜあなたまでここにいるのでしょうか、くもかなさん」



 銀髪美女がくもかなことかなめを見もせず、冷えきった声音で疑問を口にする。



「私だってなにが起きてるのかまったく分からないわよ」



 銀の板から手を離しつつ、要も負けじと怪訝な顔で銀髪美女を睨んでいた。



「いえ、どうしてくもかなさんがここに転移したのかは分かっています。その卑しい手をジンさんにサインしていただいたコントローラーに伸ばして、それが私の転移術のタイミングと被ったのでしょう」


「ちょっと見せてもらおうと思っただけよ。って、私のこと知っているくせに随分な言い草をしてくれるじゃない」


「ええ、大変不本意なことですけれど、ジンさんのファンであなたのことを知らない人はいないでしょうね。もちろん悪い意味で」


「悪い意味? あー嫉妬ね嫉妬。やーねえ女の嫉妬は見苦しくて」


「最初に配信を見かけたときはファンの女の子同士仲良くできると思ったのですけれど、その後の配信も八割くらいはジンさんの話ばかり、しかもあんなことを話して楽しかったとかこんなことをしてもらって嬉しかったとか惚気が増えてきたときには殺意すら芽生えましたね」


「殺意だけならどうぞご自由に。同じように私がジン先輩と仲良くしていても私の自由でしょ? あなたには関係のない話よ」


「……っ! あなたはファンの正しい在り方というものを分かっていません! やはりフォロワー二桁のときに潰しておくべきでしたか……」


「そんなのあなたの思う正しさってだけじゃない! 勝手にファンの総意にしないでくれる?」


「……話になりませんね。とりあえず、くもかなさんは元の世界に帰ってもらいます!」



 銀髪美女が右手で銀の板に触れようとする。が、それより速く要がスカートの裾から黒い筒のようなものを取り出し、銀髪美女の目を眩い光が襲った。


 うっ、と顔を板で庇うのと同時に空いた懐へ要が黒い筒を素早く押しつける。



「あぐっ!」



 彼女が思わず膝をつくと、要はすぐに引き下がり仁成の背中にピタッと密着した。



「LEDライト付き防犯スタンガン。お味はいかがだったかしら? ──どうですかジン先輩! さっきの私の連撃と決め台詞は!?」


「耳元で叫ぶな。……確かにいろいろと凄かったけど大丈夫なのかなあの人。あとガーターベルトは割と好き」


「ふむふむ、ガーターベルト好き控えましたと。あと市販の物ですから大丈夫ですよ。少しひるませる程度のショックを与えるだけでほとんどダメージはないです。長時間押し付けたりしない限り後遺症も残りません」


「まさかとは思うけどそれ実体験の話じゃないよね?」



 要の話した通り、銀髪美女はすぐに立ち上がる。白磁のような顔色も特段異常はなさそうだった。



「驚きました……武術を習っているというのはお話に聞いていましたが、今のは完全にしてやられました」


「あなた私のこと嫌ってる割にけっこう配信見てくれてるのね……」


「敵のことを詳しく知っておくのはゲーマーとして当然のことでしょう……それよりジンさん、くもかなさんを引き剥がしてください。彼女を元の世界に戻せません」


「戻せないんじゃなくて、このまま戻すとジン先輩も一緒に戻っちゃうんでしょ? 私があなたと一緒にこっちに来たときのように」



 図星をさされたのか銀髪美女は要を睨めつけたままなにも答えない。



「ジン先輩、もし嫌だったらごめんなさい。でも今だけは絶対にジン先輩から離れられません、ここがどこかも分からないのにジン先輩を一人にするのが得策だとは思えないから」


「要……」



 仁成は後ろにいた要の手をそっと掴む。



「えっ! ジン先輩、ちょっと……えっ?」


「落ち着け……背中に張り付かれたままだと、歩きにくいだろ」



 それにそんなに照れられるとこっちもその……



「あっ、そ、そうですよね! だったら……仕方、ないですよね……」



 そのまま要の肌触りのいい指が一本一本、仁成の指と指の間に侵入し──


 ──銀板が縦にスピンしながらものすごいスピードで要の頭のすぐ横を通りすぎ、その後ろの壁に鋭く突き刺さった。



「ごめんなさい。ちょっと手が滑りまして」


「いやいやいま思いっきり振りかぶってましたよ!?」



 プロのピッチャーさながらの綺麗なフォームから放たれた銀板は、球速、いや板速百四十キロ後半は出てたに違いない。



「危ないじゃないの! ジン先輩にもし当たったらどうしてくれんの!?」


「いや狙いは明らかに要だったぞ」



 要だって当たっていたらタダじゃすまないというのにまるっきりビビっている様子が感じられないのを見ると、煽られてもなにも言い返せず、ぐっと堪えた涙目になるだけだった頃と比べて強くなったなと思う。



「あのねえ、私はあなたのいうファンの在り方を実践しているだけ! こんな危なっかしい女がいる世界に一人になんかさせないと動くファンと、何の説明もせずいきなり異世界に連れてきたファン。どちらがジン先輩に相応しいかアルプレBBSでアンケートでも取ってみる?」



 ついでに口も悪く……上手くなったなと思う。



「……いいでしょう、くもかなさんもご自由について来てください。もうわたしはあなたを追い出そうとはしませんから、そんなにジンさんにくっつかなくてもいいですよ」


「なんか引っかかる言い方ね……それにあなたのことは信用できない」


「分かりました、非常に気に食わないですがもう好きにしてください。ジンさんはわたしについてきてくださいね」



 呆れを隠しもせず物言いながら銀髪美女は明かりが差す方へと歩いていく。


 その後に少し遅れて、手は普通に繋ぐ形で仁成と要も揃って歩き出した。



「なあ要。その……」


「? ジン先輩、どうかしましたか?」



 銀髪美女には聞こえない声で仁成は続ける。



「これって有名な異世界転生だろ。怖くはないのか?」


「あの女は転移術って言ってましたから、たぶん私たちは生きていると思いますよ」


「そういうことじゃなくてだな……」


「きっと大丈夫です。ジン先輩には私が、私にはジン先輩が付いてるんですから」



 屈託のない笑みを浮かべ澄みきった瞳で見つめてくる要に、仁成は言葉を忘れて思わず息を飲む。



「あっ! いまのジン先輩グッときましたよね! きてる顔してました!」


「……ちくしょう、今のはやられたわ正直」



 頭をかきながら銀髪美女の歩いたほうへ目をやると、



「…………お二人とも随分と仲が良いご様子ですね時間がないのでさっさと歩いてはいただけないでしょうか」



 彼女の威圧感を全身に受けながら、一人は足取り重く、もう一人は軽やかに通路を後にした。

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