一.くそったれで素晴らしいゲームの幕開け (三)

「──痛っ!」



 不意に衝撃を受けた鉄桜は床に尻もちをついた。


 鉄桜にぶつかった黒いパーカーを羽織った男は勢いを落とすことなく、コントローラーを抱えて出口へと走っていく。



「泥棒だっ!」


 要が状況を理解し叫ぶ。

 まさかこんな古典的なセリフを聞く機会に恵まれるとは。


 ではなくて。



「ジン! アイツきっとあれを売る気だぞ! 十万はくだらない!」


「なにっ!?」



 見るだけで不快でしかなかった銀塊ぎんかいが急に宝のように思えてきた。我ながら現金な性格だと思う。


 男に一歩どころか三〜四歩は遅れて仁成は走り出す。


 だが男の走るスピードは相当に速かった。男が自動ドアが開くのを待っている間でも距離を詰め切ることができない。



「逃げられる!」



 自動ドアが開き、男はドアを出て右に曲がった。


 すぐに仁成も後を追うが、捕まえられる距離ではないだろう。


 それでも盗人の特徴を少しでも覚えておこうと、男の逃げた方向に目を向けた時だった。



 走る男の前には、三百円均一ショップから出てきたばかりの、見慣れた制服を着た小柄な少女が立っていた。


 肩にかからない程度のショートヘアーに、整いつつも愛嬌のある顔立ち。


 150あるかないかといった身長の割に、胸は平均並みにあるトランジスタグラマー。


 明るく前向きな性格と小動物を思わせるルックスから、クラス内でも密かに狙っている男子がチラホラ。



「そこをどけ!」



 ……そして、高校二年生にして県大会優勝を果たした、空手部のエース。


 衆徒理子しゅうとりこ。 



「どけよ!」



 なおも男はドスの効いた声で威圧するが、理子はピクリとも動かない。


 動かないどころか、そのまま重心を低くして両手を構え男を迎え撃つような体勢をとる。


 理子の目はすでに落ち着き払っており、冷静に相手を捉えていた。



「ちっ!」



 苛立った男は理子を体当たりで吹き飛ばそうとした、かのように見えたのだが、直前で軸足を踏み込み方向変換し、理子を抜き去ろうとする。



「フェイント!?」



 足は速いと思っていたがあの男それだけじゃない。確実になにかスポーツをやっている動きだ。


 だが、そんな男の小細工など歯牙にもかけず、理子はするりと無駄のない動きで素早く回り込む。


 まるで男が方向を変えることを知っていたように、理子は男の進行ルート上で両手を構え、獲物が飛び込んでくるのを待ち構えていた。



「なっ!」



 追い抜けると油断しきっていた男は、あっけなく少女に懐を譲り渡すと、



「せいやあッ!」



 そこにズドン、と効果音が響きそうな右拳の突きが重く入る。



「……っ!」



 舗装されたコンクリート床の上で、男は声にならないあげ、苦悶くもんの表情を浮かべながら膝からくず折れた。


 その画を見て、仁成は思わず頭の中でK.O.の文字を視界の上に重ねる。



「いやカッコよ……」



 理子の突きが決まった瞬間、その画に仁成は息と目を奪われた。


 思わずメインキャラクターにしたい、なんて叶うはずもない願望が浮かぶ。


 そんな仁成を気にすることなく理子はスーッと息を吐いたあと、携帯を取り出して然るべきところに連絡を入れ始めた。





 ほどなくして理子が呼んだ警察が到着すると、理子と仁成、そして遅れてやってきた要と鉄桜が、それぞれ警察に簡単な状況説明をした。若そうな刑事が「やっと捕まりましたねデビルバットシーフ」と上司に声をかけ小突かれている。


 警察が到着するまで身動きひとつ取らなかった、いや取れなかった犯人の身柄を引き渡すと、後には何事もなかったかのような日常が戻ってきた。



「十万円を失わなくてよかったなジン」


「ん? ああ、うん」


「どうした、ボーッとして。……やっぱり決勝戦のことか、私も気になることが」


「だあああもうっ! そんなに準決勝で俺にボコボコにガン処理されたことが気に食わないんですか!?」


「そりゃ気に食わないけどそうじゃなくて」


「ふふっ」



 仁成と鉄桜のやり取りを見ていた理子が微笑んだ。


 ああなるほど、これはクラスの男共が放っておかないのも改めてよく分かる。



「ふーん、確かにジン先輩が好きそうな女ですね誰ですかこの人」


「絶対そういう感じで噛みつくと思ってたわー予想通りだわー」


「まあジン先輩ったら私のことは何でもお見通しなんですね! 嬉しい!」


「うるさいよ」



 というか理子の制服がどこのものなのか要も知らないはずがないわけで、なぜこうも強気にいけるのか。


 クラスの女子を見た限りでは、女子とは共存を求めて生活する生き物だと思っていた。まあ要だけが例外なのかもしれないけれど。



「あーやっぱり神納じんのうくんと南雲なくもさんってそういう関係なのかな」


「えっ! あなたどうして私の名前を!?」


「だって私は神納くんと同じクラスだし。私たちのクラスで南雲さんと神納くんの二人を知らない人はいないと思うよ。南雲さん、休憩時間は神納くんのところにいつも来てるから」


「ねえ聞いてジン先輩! 私たちもうクラス公認みたいですよ! でもあれ、さっき一瞬『私たちのクラス』って私だけ線引かれたような……」


「いろいろと忙しいな要は。あと衆徒しゅうとさん、別に俺たち付き合ってないんで」


「えっ? そうなの?」


「誠にものすごく大変不服だけどそう!」



 要の一方通行さ加減を知ったのか、あはは……と理子は苦笑した。 



「でも男の子一人に女の子二人って、神納くんやっぱり」


「お、女の子はちょっと恥ずかしいからやめてくれないだろうか……」



 鉄桜が少し顔を赤らめながら理子にお願いする。



「あ、すみません! えっと、高橋さんでしたよね」



 そういえば警察に事情説明したとき、名前を答えたのだった。


 鉄桜──本名、高橋さえ。


 見てくれはそこそこ美人だと思うのに、この夏場にゲーセンの冷房で手先が冷えるからと厚手のセーター、紺のジーンズとパッと見で芋っぽさを与えてくるmssbiむささびの旧友にして陰キャラ使い飛び道具の達人である。



「あー、ここではそっちじゃなくて、鉄桜てつざくらと呼んでもらえると助かる」


「鉄桜?」


「その、ツイッ◯ーの名前的なものなんだけど。あんまり本名バレしたくないから」


「あっ! 分かりました! この集まりは……オフパコってやつですよね!」


「ぶっ!」



 仁成は思わず吹き出した。



「ネットで知り合ってからの現実、つまりオフラインでパーティーコンボ! 略して──」


「「「略さなくていいから!!!」」」



 その場にいた理子以外の三人の声がこだまする。


 なんだよオフラインでパーティーコンボって。生まれて初めて聞いたよ。



「──見つけたわよ衆徒さん!」



 突如聞こえた凛とした声のするほうへ顔を向けると、またも見慣れた制服姿の女生徒が。



「げっ……」



 その姿をハッキリと視認すると、仁成の口からは正直な気持ちが漏れ出てしまった。


 肩下まである黒髪長髪。モデルのようにスラっとしつつも、引っ込むところは引っ込み出るところは出ているバランスの良い体型。


 文武両道才色兼備を地で行くがゆえなのか、自他ともに厳しく他者から壁をつくられがち。


 風紀委員でも学級委員でもないくせに、そもそも風紀委員は仁成たちの通う学校には存在しないけども、仁成がゲームを持ち込んだことを告げ口した先生の犬。


 滝本優薙たきもとゆうなぎ



「あのー……それじゃあ私はこれで……」


「待ちなさい!」



 そろりとその場から姿を消そうとした理子は、優薙から鋭い釘を刺されて動けなくなる。



「う……私になにか用かな、ゆうちゃん……」


「用も何も今日は部活が休みだから私と手合わせしてくれる約束をしたでしょう」



 そういえば理子と優薙は同じ部活に所属していたなと仁成は思い出した。


 仁成はあまり周りに関心があるほうではないのだが、毎度放課後にズカズカと他クラスからうちのクラスへと侵入してきて、隣の席の理子に突っかかっていればさすがに覚えてしまう。



「あのね、一方的に日付と時間を告げて返事も待たず『それじゃ』って良い声で帰るのは約束とは言わないと思うんだ」


「うぐっ」


「それに優ちゃん、私に勝つまで何度も挑んでくるんだもの。いいことだとは思うけどさすがに夜十一時はやりすぎ」


「がはっ」


「スポーツって何も考えず気持ちのまま馬鹿みたいにがむしゃらに動けばいいものじゃないんだよ?」


「もうやめてあげて!」



 優薙のことは全く好きじゃないが、可哀想すぎて思わず仁成は叫んでいた。


 仁成の画面視界には一切触れることなく優薙を屈服させ、本日二度目のパーフェクト勝利を収めた衆徒理子が後ろ手を組みつつ優薙を覗き込んでいる。



「そ、それらに関してはこちらが全面的に悪かったわ! けどこの人達はなに? 男一人に女三人でなにをしていたの?」


「あー、オフパコだよ」


「おいいいいいっ!」



 時すでに遅し。理子の爆弾発言に優薙は顔を真っ赤にしていた。



「といっても、私は途中から成り行きで混ざっただけなんだけどね」


「成り行きで……交ざる……」


「なんだか楽しそうだから、次は最初から参加してみたいなって」


「次は……最初から……?」



 優薙の赤くなった顔がリトマス試験紙のように青色へと変わっていく。



「ま、待って滝本さん、衆徒さんはなにか勘違いをしてて」


「黙りなさい! 私に話しかけないでこのケダモノ!」


「ちょっと、いきなり湧いて出てきてジン先輩にその言い草はひどいんじゃない?」



 我慢ならないといった様子で要が優薙をにらみつける。



「はぁ? あなた誰よ」



 優薙も優薙で要の態度が気に入らないのか、露骨に不機嫌な顔をあらわにした。



「あなたこそ誰よ。ロクに人の話も聞かないで勝手な妄想で当たり散らして」


「なに? あなたそこの変態の肩を持つつもりなの?」


「確かにジン先輩は変態だけどあなたみたいな初対面の人に暴言吐く汚い女よりはマシよ!」


「なんですって……!」



 二人の視線がぶつかりバチバチと火花を散らす。


 そもそも要も人の話をあまり聞かないとか、優薙とは初対面じゃないとか、庇ったようで誤解は全く解けてないとか色々と突っ込みどころはあったが、それらをいま割り込んで話しても良い未来が全く浮かばないので仁成は黙っておいた。


 代わりに事態を収束させるとっておきの一言を解き放つ。



「あれえっ! いつの間にか衆徒さんがあんなところに!」


「ちょっ!」



 優薙から二十メートルくらいは離れた遊歩道にいた理子は、なにも言わずとも「どうして言っちゃうの!?」と伝わってくる表情をしていた。


 すまん、でも理子にも聞こえる声で言ったから、これでちゃんと逃げれば捕まることはないだろう。



「こら待ちなさい!」



 仁成の予想どおり優薙は理子のほうへ一目散へと駆け出していき、彼女に捕まるまいと理子も全力で交差点の影へと行方をくらませた。

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