第8話

多少のトラブルはあったものの無事に討伐訓練から家に戻ったユミルは馬車を降りながらため息をつく。


「はぁ……またお肉が私から遠ざかっていく……」

「騎士の方々が食べられるか調べて下さいますからそれまでの辛抱ですよ」

「うぅ……そうよね、食べられるものだって分かったら家に届けてくれるとも言ってたものね」


騎士達とのやり取りを思い出し今は我慢だと自分に言い聞かせるユミルを見てラスがポツリと呟いた。


「食べられれば、ですからね?人が食べられなければ森の奥に捨てられ、他の魔物の餌になります」


その呟きが聞こえたユミルは成長しきってない小さな手でポカポカとラスの胸板を叩く。


「なんでそう言う意地悪言うのよラスはー!」


八つ当たりとすら呼べないくらいの可愛らしい当たりにラスの頬はつい緩んでしまう。


「意地悪ではありませんよ、事実です」

「事実だとしてもそこは夢を見させてよー!」


ラスとユミルがそんなやり取りをしながら屋敷に入ると、屋敷の中はしんと静まり返っていた。出迎えの侍女が一人もいないだけでなく廊下を行き交う使用人の姿もない。

異様な静けさに二人が戸惑っていると不意に足音がして屋敷の奥から執事長がやって来た。


彼の名はロイ。

ラスの上司であり普段はユミルの父、ドードンに仕えている落ち着いた風貌の老執事だ。

ロイは帰宅したばかりのユミルとラスを慌ただしく出迎えた。


「お嬢様、出迎えが遅くなってしまい申し訳ありません」

「それは構わないのだけど……何かあったの?」

「それが……」


ロイが説明しようとした瞬間、屋敷の中に金切り声が響いた。


「裏切りよ!酷過ぎるわ!」


甲高いその声はユミルの母アネッサのものだ。

続いてガシャーンッと陶器が割れるような音。

慌ててユミル達が音のした方向に向かう。

音がしたのは来客時に使用される応接室からのようだ。なぜか扉の前には多くの使用人が心配そうな顔をしながら待機している。


「お母様!?」


ノックも忘れてユミルがドアを開けると同時に部屋の中からアネッサが飛び出して来た。

ユミルが居ることに気が付かないままアネッサは自分の部屋がある方に走っていってしまった。


「奥様お待ち下さい!!」


それを数人の侍女達が追っていく。


「な、何事……?」


状況が把握出来ないままユミルが部屋の中へ視線を向けると呆然と立ち尽くした父ドードンの他に、母と歳が変わらないくらいの女性が一人と二人の子供が居るのが目に入った。


(あら、この子達……)


ユミルは二人の子供に見覚えがあった。

ラスと街に出掛けた際に立ち寄った串焼きのお店にいた子供達だ。

あの時は変装していたし向こうはこちらが分からないだろう。だがユミルもラスも子供達のことは覚えていた。


(なぜこの子達が家に居るのかしら?)


不思議に思いながら呆然としたままのドードンに声をかける。


「お父様、一体何があったの?」

「あぁ……ユミルか……」


やっとドードンは愛娘の姿を認識したらしい。


「……彼女達をうちで養おうと、思ったんだ……家族として。そしたらアネッサが突然……」


彼女達というのはこの女性と子供達の事だろうか。


「家族として……え、お父様浮気してたの!?」


ドードンの言葉にユミルはまさかと父を睨む。

母を溺愛していたはずの父が家族として別の女性を迎えるなんて言い出したのだ、浮気と言わずしてなんという。


「違う違う!話を聞いてくれ!彼女達は私の兄の妻と子供達なんだ!」

「お父様の……お兄様?」


愛娘に冷たく睨まれ慌てたドードンは少し早口で説明を始めた。


ドードンには昔、貴族生活が苦手で公爵家を出ていった一人の兄がいた。

彼は街で平民として暮らし時々ドードンとだけ連絡を取り合っていたという。

しかしここ数日、ぱたりと連絡を寄越してこなくなった。

なんとなく胸騒ぎがして今日、ユミルが出掛けた後にドードンは一人で兄が住んでいるはずの家に行ってみた。

しかし家に兄はおらず、出迎えたてくれた兄の妻から二日前に兄が亡くなっていた事を聞かされた。

しかも兄は家族に内緒で借金を抱えていたらしくその返済の為、数日で家を出ていかなければならいと言う。

それを聞いたドードンは兄が愛した家族を自分が守りたいと思い、公爵家に連れてきたそうだ。

そして妻アネッサにその話をしようとしたところ『家族として迎えたい』という言葉にユミルと同じ勘違いをし、アネッサは部屋を出ていってしまった……というのが事の顛末らしい。


「それはお父様が悪い!いきなり『家族として迎える』って言われたら誤解するわよ」

「うっ……」


愛娘にきっぱりと言われドードンは分かりやすく落ち込む。


「それにいきなり連れてきて今日から家族ですって言われてもお母様だって戸惑うでしょ!ちゃんと相談しなかったお父様が悪いわ!」

「だってね、ユミル。本来なら兄が公爵家を継ぐはずだったんだ、私は所詮兄の後釜に収まっただけの人間で……本当ならこの子達だって家を追い出される事もなかったんだ……だから、私が何とかしなければと……」

「だとしても!一度家に戻ってお母様に相談することくらいできたわよね?」


ユミルにずいっと迫られドードンは唸りながら視線をさ迷わせる。

言葉を返せないのはユミルの言うことが正論であると分かっているからだ。

そこに控え目な声が割り込んできた。


「あの……どうか、公爵様を責めないでください。私達が深く考えずお邪魔してしまったのがいけないのです」


声のする方にユミルが顔を向けると申し訳無さそうに佇む女性と目があった。

ドードンの話からするに彼女がドードンの兄、ユミルにとっての叔父の奥さんなのだろう。と言うことは彼女に寄り添っている子供達は自分のいとこになる。

そして以前、街で優しくしてくれた屋台の男性が叔父だったのだ。


(どうりで雰囲気がお父様に似てたはずだわ)


また会いに行こうと思っていたのに亡くなってしまっていたという事に胸が痛む。出来ることなら姪として挨拶したかった。

だがそれはもう叶わない。

ならば、とユミルはドードンに詰め寄るのを止めてすっと三人の前に出るとふわりと淑女の礼を披露した。

自分が彼女達を歓迎することで天国の叔父も安心してくれるのではないかと考えて。


「ご挨拶が遅くなり申し訳ありません、叔母様。私はユミルといいます。家族が増えて嬉しいです、どうか仲良くしてくださいね」


てっきり反対すると思っていた愛娘の行動にドードンは驚いた。


「ユミル……いいのかい?」


思わず尋ねるとぷくっと頬を膨らませたユミルが振り返る。


「当たり前でしょ!お父様にとっても叔父様にとっても大事な家族なんだもの!そんなことよりお父様はさっさとお母様を追い掛けて誤解を解くのよ、急がないと離婚されちゃうかもしれないわ!」

「それは困る!!」


ユミルに脅されるような形でドードンがアネッサの部屋に向かい駆け出していく。

父の背をしっかりと見送ったユミルは叔母の方を見てにっこりと笑った。


「せっかく家族が増えたのだから叔母様たちのお話を聞かせてくださいね」


そういってユミルは侍女に頼んで人数分のお茶とお菓子の用意をさせるのだった。

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