第7話
ラスは自分の目を疑った。
幼さの残る少女が全力で突っ込んでくる騎士を避けたことにも驚いたが彼女は剣を手に自分に向かって突進してくる三角牛と対峙している。
その顔に恐怖など欠片もない。
三角牛はすぐ目の前まで迫っている。
ぶつかってしまえばユミルの小さな体は簡単に撥ね飛ばされてしまう。
「お嬢様!早く逃げてください!!」
そう叫んだ瞬間。
ガツッと固い物がぶつかる音がした。
誰もがユミルが撥ね飛ばされたと思い青ざめた。
しかし――
「肉の恨み!!」
ドガンッ
可愛らしい声と共に宙に舞い上がったのは大きな巨体。
三角牛の方だった。
まるで時間が止まったかのように宙に放り出された三角牛目掛けてユミルは剣を振り下ろす。
どしゃりっ
三角牛が地面に落ちた時には首と胴体は綺麗に切断されていた。
「ふ……またつまらぬものを切ってしまったわ」
どこぞの泥棒仲間を彷彿とさせる台詞を呟いたユミルは剣についた三角牛の血を慣れた手付きで振り払う。
そしてくるりと振り返りローツの元まで歩くと剣を両手で差し出した。
「勝手にお借りしてしまって申し訳ありません、けれどお陰で助かりましたわ」
「え…………あ、どう、いたしまして……」
ぎこちなく剣を受け取ったローツはユミルが剣を振るった衝撃から立ち直っていないようだ。
それは他の騎士達やライアンも同じで、三角牛に追いかけられていた事により息を切らして地面に倒れ込んでいたハドルも同じだった。
そんな周りに気付かずユミルは絶命したばかりの三角牛を見下ろし嬉しそうな笑顔で自分の執事を呼んだ。
「ねぇラス!これ、食べられるかしら?見た目は牛だもの、食べられるわよね!!きっと美味しいステーキになるわよ!」
嬉々として自分を手招きするユミルにラスは開いた口が塞がらなかった。
◇◇◇
結局、ユミルが三角牛を食べることは叶わなかった。
捌いて調理出来るような設備の用意などこの場には無いし、いくら牛に似ていると言っても食べられる保証などなかったからだ。
食べることが出来るとも聞くが相手は魔物、体内に毒素を持っている可能性もある。
三角牛をステーキにしたいと目を輝かせていたユミルだったが、ラスに反対され分かりやすく落ち込んでいた。
「うぅ……せっかく食べられそうな牛を見つけたのに……食べられないなんて……」
日除けの下にある椅子に腰掛けたユミルは哀愁を漂わせていた。
三角牛に立ち向かった勇ましい姿が嘘のようだ。
「諦めてください。毒があったり寄生虫がいる可能性だってあるんですよ。あの三角牛は騎士の皆さんが食べられるものかきちんと調べてくださるそうですから……そんなことよりお嬢様、いつの間に剣の扱いを学ばれたのですか?」
「い、いやだわ、ラスったら!私はか弱いご令嬢なのよ?剣なんて扱えるわけ無いじゃない!」
あはは、と笑って誤魔化そうとするユミルだがそんな子供だましが通じるラスではない。
「私だけでなく、この場に居る者はお嬢様が軽々と剣を扱い三角牛を倒したところをしっかりと目撃しております。惚けるのは無理がありますよ」
「うっ……」
ラスが視線を動かした先を見れば先程ユミルが倒した三角牛を囲み、なにやら話し合っている騎士達がいる。
彼らはなにやら期待に満ちた眼差しでちらちらとユミルの方を見ていた。
その様子に惚けるのは無理だと理解したユミルは深いため息をついた。
「……私、前世でちょこーっとだけやんちゃしてた時期があったのよ」
ポツリと呟かれたその言葉にラスは眉間にシワを寄せる。
「また寝言ですか」
「寝てないってば!本当なの!」
まるで自分の言葉を信じてくれない執事にユミルは頬を膨らませる。
「……信じてくれないならそれでいいけど……私は前世でちょっとだけ……ほんのちょっとだけど……不良……ヤンキー……何て言ったらうまく伝わるのかしら……そう、酷い反抗期だった時期があったのよ。その時、知り合いに武器の扱い方とか教え方が上手な人がいてね、扱いも戦い方もその人に教わったの。当時は『お前は筋がいいからうちの組で雇ってやる』って言われたくらいなんだから!」
少しずつ薄れていく記憶だが当時の事を思いだしながら話せばラスは眉間のシワをさらに深くしていた。
「つまり前世で学んだからあのように剣が扱えたと?」
「そうよ!」
(嘘……ではなさそうだが……そんな事をどうやって旦那様に報告すればいいんだ)
ラスにはユミルの行動に関して雇い主であるドードンに報告するという仕事がある。
だが、素直に「お嬢様は前世の記憶を持っているので剣の扱いに長けており、騎士よりも素早い動きで魔物を仕留めました」と報告しようものなら主人は間違いなくショックで倒れるだろう。最悪寝込んでしまうかもしれない。
どうすればいいのかと頭を悩ませていると二人の傍に一人の騎士が近付いてきた。
「ディーダ嬢!先程は助けていただきありがとうございました!」
「あら……さっきの。お怪我はありませんでしたか?」
声をかけてきたのはハドルだ。
ユミルは然り気無く令嬢としての猫を被るとハドルに微笑みかけた。
その瞬間、ハドルがぶわっと頬を染める。
「は、はいっ……お陰で無傷です!あの……ディーダ嬢、不躾とは分かっているのですが……!どうか私と結婚していただけないでしょうか!!婚約でも構いません、あなたの剣技に惚れました!私の妻になってください!」
「「は?」」
ハドルからの突然のプロポーズにラスだけでなくユミルも眉間にシワを寄せる。
令嬢の猫がすり落ちているようだ。
「私は今まで自分の力を驕り、過信してきました。しかしいざ一対一で魔物と対峙した時、恐れゆえに逃げ出したのです……なのにあなたは私より幼く女性の身でありながら魔物に立ち向かい、私を救ってくださった!戦いの女神のごとく気高いその心に私は感動したのです!どうか、どうか私の妻に!」
「え……えっと……」
ドン引きするくらいの勢いでぐいぐいと迫ってくるハドルにユミルが困っていると、二人の間にずいっとラスが身を割り込ませた。
「失礼、この場はどうぞお引きください。お嬢様に決定権はありませんので、正式な申し込みはディーダ公爵を通して下さいますようお願い申し上げます」
「む……それもそうか。ディーダ嬢の戦う姿があまりに美しくてつい……では改めて婚約の申し込みをさせていただきますので、どうかこのハドル・サンデスをその心にお留め置き下さい」
深々と頭を下げ去っていくハドルにユミルは無意識に力を入れ握り締めていた手を開いた。
(結果的にあの人を助ける事になったけど……お肉を駄目にされて腹が立ったから魔物に突っ込んでいっただけなのよね……それで結婚してくれとか言われても困る……それに、私は悪役令嬢だからそのうち破滅するし……)
ハドルに圧倒されてろくに返事も出来なかったユミルだが、婚約するつもりなど更々ない。
(もし本当に公爵家に申し入れがあってもお父様にお願いして断ってもらおう……それにしてもあのお肉、私も食べたかった……)
花より団子、結婚の申し込みよりお肉を重要視するユミルである。
ハドルの事を早々に頭から追い出して駄目になってしまった乾燥肉に思いを馳せるのだった。
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