第1話

物語の始まりは彼らが魔物牛に挑む五年前に遡る。

一人の令嬢が前世の記憶を取り戻したのが切っ掛けだった。


「はぁ……もっと、こう……ガツンとしたものが食べたいわ……牛肉のステーキとか」


大きな食堂でたった一人椅子に座りながら切なげに呟くのはユミル・ディーダ。

十二歳になったばかりの金髪碧眼の美少女である。



ユミルは元々我が儘で傍若無人、欲しいものが手に入らなければ両親の権力を使い何がなんでも手にいれる。そんな子供だったのだが最近急に大人しくなった。

両親である公爵夫妻は体調が悪いのか新種の病気ではないかと心配し使用人はユミルに振り回される事がなくなり安堵する反面不気味に思っていた。

同時に何かとんでもないことを企んでいるのではと疑われているユミルだったが、彼女の頭の中は前世の記憶と後悔の念で埋め尽くされていた。


(流行りに乗っかって乙女ゲームに悪役として転生するより、前世と同じ世界に生まれ直してこれでもかってほどステーキ食べたかったなぁ……それよりもあの時、車が突っ込んでくるのがもう少し遅ければ……!!ジューシーなお肉が私の口の中に入っていたのに!!)


自分の死ぬ直前の出来事を思い出してユミルはぎりっと歯を食い縛る。

日本という恵まれた国に産まれた名前を思い出せない前世の自分は、パソコンを使って動画投稿するのが趣味だった。

乙女ゲームの実況をメインに時々顔出ししてバラエティー番組の様に企画をする事も多い。

その中のひとつで『二年間お肉を食べない』という縛り企画があった。


それが解禁され二年ぶりに訪れたステーキ専門のレストラン。

じゅわじゅわと油を跳ねさせながら運ばれてきた牛肉のステーキに胡椒と塩を適度に振り掛け、一口サイズに切り分ける。切り口から溢れ出る肉汁に目を輝かせ、いざ最初の一口を食べようとした所で轟音と共にトラックが突っ込んできたのだ。

ユミルは肉を切実に求めたまま三十年近い人生を終えた。


その記憶が戻ったのは先日、王族の招待を受けて上流貴族の晩餐会に参加した時だ。

出されたのは王族に仕えるシェフが腕を振るった品々で、どの貴族も美味しさに舌鼓を打っていた。そんな中ユミルだけが目を見開いて震えていたのだ。


「どういうことなの……お肉が……無い、なんて……っ」


出された料理の数々、その中に肉の入った料理はひとつもなかった。

これはたまたま晩餐会に採用されたメニューに肉料理が組み込まれていなかっただけなのだが、ユミルにとっては衝撃だった。

前世の記憶を思い出してしまうほどに。


ユミルにとって心待ちにしていた肉を食べる事が出来ないまま死んだという事実は、自分が実況していた乙女ゲームの悪役に転生したという事実より重要だった。

晩餐会を終えてすぐ、両親に肉料理が食べたいとねだったが出されたものは鶏や豚の料理ばかり。しかも前世に比べて調理法方が発達していないのかあまり美味しく感じない上にいくら食べても満たされない。

寧ろ食べれば食べるほど『これじゃない』という気持ちが強くなる。


(肉は肉でも鶏や豚では満足できない……肉の中の王、牛肉が食べたいわ!)


鶏や豚の肉料理を完食したユミルは両親にこう訴えた。


「お父様、お母様!私、豚や鶏のお肉じゃなくて牛のお肉……牛肉が食べたいの!」


それを聞いた両親は仲良く卒倒した。

それもそのはず。

ユミルが転生したこの世界では牛は神聖な生き物とされており、乳牛は飼育されているものの食用の牛など存在しなかったのだ。もし牛を食べようものなら縛り首になるという法律まであった。

知らなかったとは言え「牛肉が食べたい」と言ったユミルは正気を取り戻した両親にこっぴどく叱られた。


ユミルを溺愛しつつも優しい両親が彼女をそれほど叱ったのは後にも先にもこれきりであったが、ユミルは牛肉が食べられないという事実に大きなショックを受けた。


それ以来ユミルは食事の度にため息をつくことが多くなった。

両親が仕事で忙しく一人で食事を取る時は独り言まで口に出すほどにユミルは牛肉に飢えていた。


「お嬢様、いい加減に諦めてはいかがですか」


独り言を呟きながらも出された食事を完食したユミルにそう告げたのは彼女の執事を勤めるラスだ。

今年で十五歳になる彼は公爵であるユミルの父が孤児院から執事にするために連れてきた少年だ。

数週間前まで執事を教育する学校に通っていてユミルに仕え始めたのはごく最近、我が儘だったユミルを知らないがゆえに使用人の中で唯一彼女に反論できる人間だった。

彼はユミルを悪役令嬢とした乙女ゲームではヒロインの攻略対象だったりするのだが、牛肉を求めるユミルには乙女ゲームの内容など知ったことではない。

彼女にとっては自分の破滅フラグを回避するより牛肉を食べることの方が大事なのだ。


「ラスは牛肉の美味しさを知らないからそう言えるのよ。鶏や豚のお肉だってもちろん美味しいけどそれを超える旨味が牛肉にはあるの!私にとっては牛肉こそがナンバーワンなのよ!」


力説するユミルにラスは頬を引き吊らせる。

あれだけ公爵夫妻に叱られ牛肉を食べると縛り首になると聞いてもユミルは一向に諦めようとはしない。

それどころか牛肉に寄せる思いは強くなりつつあるようだ。


「……そもそもなぜお嬢様は牛の肉がそんなに美味しいと知ってるのですか。食べることは法律によって禁じられているのですよ?」


小さな子供が、しかも公爵令嬢が法的に禁じられている牛肉を密かに食べる手段など有りはしないのになぜその味を知っているのかとラスが尋ねればユミルはえっへんと胸を張ってこう口にした。


「食べるのが禁止されてない前世で食べたことがあるのよ!牛肉はご馳走なんだから!」


中身は三十路を越えたというのに言動が幼く見えるのは体の年齢の影響を受けているせいだろう。


「……寝言は寝てから仰ってください」

「本当だもん!」

「はいはい、とにかく旦那様と奥さまの前で『牛肉が食べたい』なんて言ってはいけません」

「うぅ……美味しいのに……」


ラスは呆れたようにため息をつくとぷっくりと頬を膨らませ拗ねはじめたユミルを宥めるのだった。

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