第38話 無理矢理こじ開けた記憶の扉、D・D、そして

 目眩がしていた。

 キディは、ふらつく頭を必死で支える。


「おい大丈夫か?」


 イリジャがいつの間にか後ろで自分を支えていたことすら、気付かなかった。一体彼はいつの間に来たのだろう。

 だけど、何か、安心する。その大きな手。相棒とは違うのに。何故か、その手は、ひどく暖かくて。


「大丈夫…… でも…… きもちわる……」


 実際、吐き気も起こしかけていた。

 爆発と同時に緊張が解けたせいか、先ほど無理矢理こじ開けた記憶の扉から、次々と、映像が彼の中で浮かび上がり、切り替わり、めまぐるしく、襲いかかって来る。

 浮かび上がる。


 夜だった。

 夜の闇の中、あの建物が、燃え上がる。

 ほんのちょっと。

 全壊などとは考えてもいなかった。

 そう。確か、それは、地下室。

 地下の印刷室を、印刷室だけを、確実に破壊すれば、しばらくあの新聞社の動きは止まるはずだった。中等学校生の考えは、それ以上には及ばない。

 許せなかったのだ。

 新聞社が、政府や企業と手を組んで、真実を書く役割を放棄することが。ただもうそんな、単純で、直情的な動機が、その時の彼を揺り動かしていた。

 だから、その時その誘いに乗ったのだ。


 お前の親父の、企業も、そうなんだよな。


 誰かが、そう言った。


 仕方ないことだよな。


 そう言った。


 仕方ないことだよな!


 強調して繰り返した。


 この社会はそういうもんなんだよ。何が正しいかなんて、変わらないものなんて何も無い。何が強いか、で決まってしまうんだよ!


 それが彼に、火をつけた。

 父親は尊敬すべき人だった。会社の頂点に立ち、それにふさわしい行動をしている。そして自分に対し、真っ当な人間に、そして真っ当な跡継ぎになれ、と育ててきた。教え込んできた。疑問を持つ間も無い程に。


 だけど。


 立ち止まる。

 無論、それが最初ではなかった。

 疑問は、それ以前からあった。ただ、疑問を覆すだけのものは、彼にはなかった。言葉では、決して自分は勝てない。勝つなどと考えることもできない。

 単純な、反抗意識。

 少しでもいい。あの父親に。尊敬すべき父親に、唾を吐きかけてやりたかった。自分が犯人グループの一人だとしたら、どんな顔をするだろう? 

 真っ向から反抗するより、効果があると思った。

 起こしてしまえば、終わりだと、思ったのだ。その後のことなど、何も考えていなかった。

 仲間の一人が、持ち込んだのは、何処から手に入れたのか、小型の爆発物だった。

 一度ボタンを入れてしまえば、絶対に解体はできないんだ。ブラックボックスだよ、と。

 ボール状の大きさで、ボールくらいの重さで。


 ボール。


 決行の日は、なるべく街に人が少ない方がいい、と彼は主張した。

 何を言ってるんだ、と仲間に言われようと、それは彼が押し通した。

 無闇な犠牲者を出すものではない、と。あくまで目的は、新聞社であり、人間ではないのだ、と。

 彼らは日を選んだ。首府の人々が、一斉に、街から姿を消す日を。

 あるだろうか、とカレンダーを繰る彼の目に映ったのは。

 ベースボール・ゲームの日だった。

 

 全星域統合スポーツ連盟の命により派遣された、コモドドラゴンズを招待した、試合の日だった。


 ―――キディは口を塞ぐ。周囲のざわめきが、その時の音とオーバーラップする。


 爆発は、思った以上に大きなものだった。

 地下の印刷室に仕掛けたその爆発物から上がった炎は、建物全体に燃え広がった。

 火事の知らせが、ナイトゲームを楽しんでいた市民の元に届いたのは、すぐだった。

 そう、こんな風に。

 観客が、自分の背後の、出口に殺到しようとするのをキディは感じていた。

 そうこんな風に。

 まだ「総統のスタジアム」のできる前だったから、それは旧グラウンドだったはずだ。

 ノーザンタイムズと、球場は遠くはなかった。

 首府の中で、歩いて行き来できる距離だった。火の手が上がれば、すぐに判る。

 当時はそれに、あちこちでテロ騒動が起きていた。市民は今以上に敏感だった。

 球場に居た人々は、自分の家は大丈夫か、とゲームもそこそこに、飛び出してきた。

 閑散としていた通りが、あっという間に人にあふれた。ファイヤーマン達がやって来るのに、邪魔になるほどに。


 そうだ。


 キディはふと、めまぐるしく変わる光景の中で、ある人物を見つけた。

 見覚えは、あった。

 ただし、生ではない。グラビアの中だ。

 大好きな、ベースボールの、写真を主体とした雑誌の、その中で、毎月毎月、出会っている、その顔その姿。


 D・D? 


 彼はその時そうつぶやいた。でもそんな訳ない、と思った。だって今彼はプレイしているはず。そんな、ユニフォームでも無い姿でどうして。

 そう思った時、彼はその姿を追っていた。

 人混みの中、唐突に折れる、ビルの合間。必死で追って、その手を掴んで、どうして、と訊ねようとした。

 ずっと、ファンだった。会ってみたかった。話をしたかった。なのにどうして。今は試合じゃないの。

 その時。

 サーチライトが。

 不審人物を狩る、そのライトが、目を焼き付かせた。


 キディは思わず顔を覆う。


 知っていたんだ。

 俺は、知ってたんだ!


 ぎゅ、とネットを掴み、ふらつく頭を、それでも上げて、相棒の姿を、マウンド上に探した。

 だが彼の目が捕らえたものは。

 ネットを掴む手の力が強くなる。


 あの女性だ。

 少し前まで、自分の横で、和やかに話していた、あの女性だ。

 背中を押してくれた、あの。

 その女性が、どうして、マイクスタンドなんか、持ち出しているんだ。


 キディは混乱する。


 いや違う。あのひとは。


 ネットを掴む指が、白くなる。唇が震える。膝から力が抜ける。ずるずる、と自分がその場に崩れ落ちていくのが判る。

 おいキディ、と呼ぶ声が、遠くなりそうだった。

 イリジャはがちがちと歯を鳴らして震えるキディを、背中から支える。その耳に、うめくようにつぶやく声が、届いた。


「……母さん……」

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