第37話 ヒノデ夫人登場。

「……ったく」


 マーチ・ラビットは伏せていた地面の上から、ゆっくりと身体を起こした。

 一瞬にして燃え上がった、球をくるんでいた皮の破片が、目をかばいながら顔を上げて顔に当たる。


「ひょえ~」


 テディベァルはまだベースを抱いたまま、そんな声を上げる。


「立てるか、テディベァル」

「ちょ、ちょーっと、待ってよ……」


 さすがのひょうきん者も、腰が抜けたらしい。火薬の匂いが、まだ辺りには漂っている。


「大丈夫か、皆」


 彼はゆっくりと体勢を立て直し始めるメンバーに向かって声を投げる。

 いてて、とトマソンが、背中に手を回そうとして、なかなか回らないでいる。

 ようやく復活したテディベァルが駆け寄ると、細かい破片が、首筋をかすめていて、そこから幾筋かの血が流れている。

 何が何だか判らない、という顔で皆、ゆっくりとマーチ・ラビットの周囲に集まってくる。

 彼はまずメンバーを、次に腰を抜かしたまま立ち上がれない打者と主審を、そして最後に、スタンドの客席を見渡した。

 まずいな、と彼は思う。


「……あれは、一体何ですかっ……」


 ヒュ・ホイはそれでも律儀に、タイムを審判に掛けたらしい。

 捕手が冷静なのはいいことだ、と頭の半分で思いながら、マーチ・ラビットはこの場をどう説明したらいいか、困っていた。

 ちら、とスタンドに彼は視線を飛ばした。何が起こったのか、とざわつく観客の中に、相棒を捜す。

 あ、と彼はつぶやいた。

 相棒は、ネットに身体を押しつけたまま、しゃがみ込んでいた。その背後から、別の青年が、その身体を支えようとしていた。

 見覚えが無い訳ではない。あの店で、「マヌカン」で見た一人だ。

 知り合いとまではいかないし、名前も出て来ないが、味方である、と今の彼は思いたかった。

 もしその男が、何らかの形で自分たちと敵対しているものだったとしても、今の自分は相棒を助けることができないのだ。


 頼むから、味方であってくれよ。


 彼は内心つぶやく。その間にも、彼に今起こったことの説明を求める目が一斉に向いているのだ。


「何なのかは判らない。ただ、誰かが、この球場に爆発物を仕掛けたんだ」

「それが、……あの球だった、ということですか?」


 ミュリエルはまだ青ざめた顔のままだった。あのまま取ろうとしていたら。自分に起きたかもしれない未来に彼は身体を震わせる。常の平静もここでは役には立たない。


「ああ。何か、重さが違った」

「それで、おかしいと?」


 ヒュ・ホイも彼を見上げて問いかける。


「……危険でしたね」

「ああ。打ってくれなかったら、どうなるか判らなかった」

「だがそれは危険な賭けだったぞ?」


 ミュリエルを押し倒したラゴーンが、薄青の瞳で鋭く問いかける。


「じゃあ何処に持っていけ、と言う? いつ何処で爆発するから、判らないものだったんだぞ」

「わざわざ打たせることはなかったじゃないか。もし打者が打った瞬間に爆ぜたらどーすんだったよ!!」

「それは」


 彼には、ある程度の確信はあったのだ。

 だがそれは彼のここ数年の活動のなせるものであったので、一口には説明ができない。ひどくもどかしい、と彼は思った。

 それに、次第に背中が騒がしくなってきていた。

 火薬のにおいが、まだ立ちこめている。開放型のベースボール・グラウンドだというのに。

 スタンドが、ざわめいていた。

 「突然強烈な光と音を立てて、打球が爆発した。」

 レーゲンボーゲンの人間は、テロ行為に過敏になっている。つい最近に起こった政権交代劇が起こるまで、何度、この星系の人間達は、このにおいを嗅いできたことだろう。

 席を立とうとしている。皆が皆。そのまま、出口に突進しようとしている。混乱が起きかけていた。

 相棒の後ろの通路にも、人が突進し出していた。キディを支えている青年は、ネットに身体を寄せる様にして、その身体を守っているように―――見えた。


 どうする。


 マーチ・ラビットは思った。


 場内アナウンスを使って、引き止めることが、できるだろうか。いや、できない。


 彼は自分がそういう役割の人間ではないことは知っていた。あの脱走した時の集団においてもそうだった。自分はあくまで、実働隊の一員だったのだ。決して煽動者の役割ではない。そういうものは、それが似合う者が、居るのだ。

 どうしたものか。


「……あれ?」


 どんどん煮詰まっていく思考は、テディベァルの声で中断された。視線の向こうを追う。スタンドから降りてきた一人の帽子をかぶった女性が、アナウンス室へと近づいていく。


「ヒノデ夫人だ」


 マーチ・ラビットはつぶやく。聞きつけたトマソンは、痛てて、と顔をしかめつつも、反応する。


「って、確か、このサンライズのオーナーの」

「ああ」


 観戦していただろう、とは思った。だが、何故スタンドから。特別席ではない。あの方角は、内野の自由席だった。

 やがて、アナウンス室の窓から、ケーブルがずるずると引きずり出される。彼女は、そのケーブルをアナウンス・スタッフに持たせると、そのままつかつか、と彼らが集合しているマウンド近くまでと歩み寄った。


「感心なことだ。ヒールなんざ履いてねえぜ」


 ラゴーンはひゅっ、と口笛を吹く。

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