第36話 「あんたなら、できる」
何でこいつがここに居るんだ?
だが自分をその名前で呼ぶのは、相棒だけなのだ。マーチ・ラビットは両目を大きく広げた。そしてタイム、と審判に合図をして、自軍のネットそばに駆け寄った。
「何でお前、キディ、ここに居るんだよ!」
「それは俺が言いたいよ! 今回の仕事って、これかよ?」
そう言ってから、キディは首を横に振る。
「違う違う、今そんなことを言ってる場合じゃないんだ。あんた、そのボール、何か変だと思ってるだろ?」
「判るか?」
「一目でわかるよ! それに……」
キディは言おうとして、周囲の様子が変わっていることに気付く。
何だ何だ、と彼らが呼ぶ投手が、目の前の青年と何か真剣に話してることに、聞き耳を立てている。当然だろう。
ち、とキディは顔を渋く歪めると、こっちに来て、と相棒に手招きをする。マーチ・ラビットはベンチの上の屋根に手を掛けると、飛び乗った。
「マーティお前、何やってるんだよ!」
ストンウェルの声が下から響く。それを気に留めずに、マーチ・ラビットは、ネットごしの相棒に近づき、耳を寄せた。
「何だ?」
「爆発物が、仕掛けられてる。だけど、それが皆目検討つかなかった。小規模で、確実なもの、だ。狙いが、あんたである可能性が高い」
箇条書きの様に、キディは自分の得た情報を相棒に告げる。そんな口調で話すのは、クーデター以来だ。
「これか」
ボールを目の前にかざす相棒に、キディはうなづく。
「可能性が、高い」
「時限発火としたら」
「だとしても、衝撃で引火する可能性も高い」
ち、とマーチ・ラビットは舌打ちをする。軽い、ふわりと上がるファウルだったから良かったのか、と冷や汗が吹き出す。
「どうする」
「下手に何処かへ持ち出す方が危険だ」
「何か考えがあるの」
「……上手く行くか、どうか……」
マーチ・ラビットは唇をかむ。
「大丈夫だよ」
キディはつぶやく。
「あんたなら、できる」
何をしようとしていたか、キディは何となく気付いていた。だてに長い間相棒をしてきた訳ではない。
「あんたなら、できるはずだ。皆が、それを証明している」
「あの声か」
「あれは、あんたを呼ぶ声だ」
「本当に、俺なのか」
「証明はできない。俺には何も言えない。できるのはあんただけだ」
「……お前」
「その球が、イミテーションだって、気付いたのはあんただろ」
マーチ・ラビットはうなづく。
「あんたの身体が、あんたが誰だ、ってことを、知ってるんだ」
断言するキディの言葉に、マーチ・ラビットは何も言わなかった。目を伏せ、軽くうなづくだけだった。
「気を付けて」
「今更」
マーチ・ラビットは笑った。よ、と声を掛けながら彼は屋根から足に負担を掛けない程度に飛び降りる。なぁにやってるんだよ、とストンウェルは苛立たしげに声を投げた。
ふう、とキディはネットに手をかけたまま、足の力が抜けていく自分に気付いた。緊張状態が解ける。自分のすべきことは、した。後は相棒を信じるしかない。
一方のマーチ・ラビットは、どうしたものか、と考えていた。いずれにしても、いつ爆発するか判らないものなら、爆発させてしまったほうがいい。小規模なものなら、特に。
だったら、それなりの衝撃を与えなくてはならない。そして、飛ばさなくてはならない。
打たせなくては。できるだけ、高く。できるだけ、遠くに。
プレイ、と審判の手が上がった。ぐっ、と球を握る。ふりかぶり、第一球を、投げた。
あ、とヒュ・ホイがマスクの内側で焦る表情が見える。
打者が、いただき、と言いたげに笑う。
行け、と彼はその球を見据えて思う。
少しばかり手元が狂ったかの様に、半分力が抜けた、それでもある程度の速度のある球。
速度は無くてはいけない。できるだけ高く、遠く、打ち上げてもらうには。
打者は思いきり、バットを振る。
カーン、と木製バットが、乾いた音を立てて、打球が上がった。
そしてその時、マーチ・ラビットはこれでもか、とばかりに大声で叫んだ。
「取るな!! 皆、伏せろ! 伏せてくれ!!」
え、と思ったのは皆同じだったろう。
反射的にその言葉に従ったのは、まずテディベァルだった。
彼はベースの上に伏せる。何がどう起こったのか判らない。だがその声には、そうさせる何かがあった。
打球は高々と上がった。センターフライのコースだった。だからミュリエルはそれを待ち構えようとした。それが彼の仕事だ。なのに伏せろだと?
何を言われているのか、判らないから、そのまま構えていた。すると、斜め前から、俊足のラゴーンが彼に突進した。そのまま、力任せに押し倒す。
「な……」
そのまま、頭をくるむ様に、ラゴーンはミュリエルを地面に押しつけた。
その球が高く舞い上がり、弧を描く瞬間―――
―――――――――――――――
光と、音が、その場に拡散した。
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