第22話 使う筋肉はスポーツと労働では違う。

「は~」


 如何にも気持ちよさげな声が、その部屋に響いた。


「そこそこそこ。う~」


 うつぶせになって、組んだ腕の上に額を置き、マーチ・ラビットは目を細める。


「……ずいぶんなまってるってことの証明だよ、あんたそりゃ」


と言いながら、エッグ・ビーダーはぐっ、と親指の腹で相手の肩胛骨から腰に至るラインを丁寧に揉んでいく。


「仕方ないだろ、こーんな運動、滅多にしたこたないんだから…… う~」

「でもやっぱりいい筋肉してるな」


 ぐい、とそう言いながらビーダーは背中を押す。


「変な言い方するな、お前」

「別に。正直な感想だよ」


 正直な感想ね、とマーチ・ラビットはやや口を歪める。

 試合まであと三日、と迫っていた。最初の練習の時の筋肉痛が、翌日に出て、その翌日の筋肉痛が今出ている。

 マーチ・ラビットはふとため息をつく。


「俺も歳とったってことだよなあ」

「何言ってんの。この身体なら、まだ二十代後半で通じるって」

「そういう意味じゃないんだよ」


 ふうん? とビーダーは手を止める。


「もう終わりか?」

「あーんまりシロートがやってもいいもんじゃないしね。後はゆっくり風呂にでも入って自分でやった方がいいと思うぜ」

「まあそうだな」


 ふう、とマーチ・ラビットは身体を起こす。するとほい、という声と共に、ビールの缶が飛んできた。大きな手で、それを軽く受け止める。濃い青の缶、「サンライズ」だった。

 ぷしゅ、と音を立てて缶のふたを開け、マーチ・ラビットはそれを口にする。よく冷えて、実に美味い。


「でもあんたさ、なまってるなまってるって言うわりには、よく動いてるじゃない。本当に何もしてなかったのかい?」


 ビーダーは問いかける。


「スポーツってものはしてなかったけどな」


 労働なら、ずっとしてきたのだ。

 冬の惑星の日々は、毎日毎日、鉱石を掘り出す作業だった。

 動いていないと凍えるような大地の上で、動きすぎてエネルギーを使いすぎると、今度は疲労が全身を襲う。

 そのあたりの兼ね合いが難しいところだった。食事は決して多くはなかった。エネルギーはそれなりにあったが、身体の大きい彼にとっては、足りないと思うこともしばしばあった。

 筋肉は、使っていたと彼も思う。ただ運動とは無縁の使い方だったから、付き方が違うはずだった。

 戻ってきてからも、何かと「動く」日々ではあった。あのクーデターまでの転々とする日々の中では、よく食べ、よく走った。危ない橋も渡った。一応成人男子であるキディを横抱きにして走って逃げたことすらある。


「まあそうだな。ちょっとスポーツって感じじゃないものな」

「あんたは、ずっとスポーツをしてきたんだろ? ビーダー」

「まあね。と言っても、五年ほど前に、一応、その道からは足洗ったんだ」

「へえ。じゃああんた、プロのベースボールプレイヤーだったのか?」

「一応ね。投手やってた」


 さらり、とビーダーは答えた。


「ん、でも、あんたまだ三十にはなってないだろ?」

「もうじき三十だけどね」

「それで五年前って。ずいぶん引退には早いじゃないか」

「そうでもないぜ。俺としては、ずいぶん居た方だと思うよ。―――ああそうだな、二十歳の時に、一度辞めようと思ったんだ。だけどその時には回りに辞めないでくれって泣きつかれてな」

「言うじゃない」

「いやまじまじ。ホント。そういうことがあったんだぜ?」


 ふうん、とマーチ・ラビットは肩をすくめた。


「でも正直言って、その時に辞めれば良かった、と何度も思ったよ。もうそのチーム、俺がそう思った時点までは結構ましなとこだったけど、それからって言うもの、もうどんどん転がり続けたからなあ」


 ビーダーはそう言って、くっ、とビールをあおる。ごくごく、と何度か喉が鳴って、やがて大きく息を吐き出した。


「俺が辞めた時は、そのチーム自体が一気に『体質改善』した時だった。もうその時には俺の居る意味は無くなったから、俺はそのチームを辞めた」

「居る意味」

「いい投手が、居たんだ。俺より少し前にチームに入った奴で」

「へえ」

「好きだったねえ。何せ迫力があった。俺もホント、すごい若かったから、何かもう、むきになって勝ちたい、とか思ったね」

「ふうん? それで、勝てたのかい?」


 おさまりの悪い髪をかきあげながら、マーチ・ラビットは訊ねた。ビーダーは首を横に振る。


「勝負つける前に、そのひとは、いなくなってしまったからね」

「へえ。それは残念だったな」

「全くだ」


 口の橋をひゅっと上げて、ビーダーは笑った。そして空になったビールの缶を、部屋の隅にあるダストボックスへとひょい、と投げる。

 コントロールはやはり正確だった。昼間の練習で見た時にも、マーチ・ラビットはビーダーの投球にはそう感じた。球が速くて、正確だ。


「あんたはいい投手だったんだろうな」

「かもね。でも、俺の好きだったその投手はさ、俺とは違うものを持ってたんだ」

「と言うと?」

「何って言うか、華」

「華ぁ?」


 何じゃそれは、という様に、マーチ・ラビットは口の端を下げた。

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