第21話 何かが自分の背中を押す。

 コモドドラゴンズは、その青年を二年使って磨き上げた、と言ってもいい。

 何せその青年にとってのベースボールと、彼らプロのチームのベースボールとは違いすぎていた。

 そもそも、ゲームに対する感覚が違っていた。かけひきのかの字も彼は知らなかった。ただもう、その時持っている力だけを、ひたすらつぎ込む。

 それはそれで悪くはない、と当時の監督、キダー・ビリシガージャは考えた。彼は良い監督なのだが、祝賀会での酒量が多いのが玉に瑕だった。

 だが、D・Dを連れてきたエンゲイ副社長はそうは考えなかった。エンゲイは彼を、あの惑星から開放したと同時に、自分の元に縛りつけたのだ。

 エンゲイはD・Dを手元に置き、なまりのある言葉を矯正することに始まり、故郷の惑星では充分ではなかった教育と、元々の素質を磨くための訓練を受けさせた。

 その二年間が、どの様にD・Dという人間の後々に影響したのかは、エンゲイと、当の本人にしか判らないだろう。

 ただ、その二年間のおかげで、D・Dは、ベースボール・プレイヤーとして磨かれていったのは事実である。



 キディは床に雑誌を広げたまま、ますます混乱していた。

 それが誰のことを言っているのか、どうにも理解できなかった。

 最初の混乱は、写真を見た時だった。それが相棒だ、ということは、一目で判る。と、同時に、今の相棒とは違う、ということも判る。

 若い、ということだけではない。その写真に写っている姿から感じる印象が、今の相棒とずいぶんと食い違うのである。

 どちらが好きか、と言えば、キディは迷いもなく、現在の相棒、と答える。この写真の中に居るヒーロー然、とした男など、彼は知らない。

 青を基調としたコモドドラゴンズのユニフォームは、写真の中のD・Dにはよく似合っている。だけどマーチ・ラビットにはどうだろうか。


「似合わないよ」


 キディは声に出してつぶやく。そしてそのつぶやきは、やがて怒鳴り声に変わっていた。


「似合わないよっ!! あんたはそんな場所で、にっこり笑ってるってのは!」


 だって。


 キディは今度は言葉には出さない。


 この写真の中の奴は、全然本当には笑ってないじゃないか。


 顔は、笑っている様に見える。そんな顔をしてみせている。だけどその笑いは、マーチ・ラビットがいつまで経っても探し物が見つからない自分に向かって馬鹿だなあ、と背中を叩く時のそれに、決してかなわない様な気がするのだ。

 それが自分に向けられたものだから、ということもあるだろう。自分に向けられた笑顔と、不特定多数の人々に向ける笑顔では、質が違うのかもしれない。

 それでも、その写真は、D・Dが821年の最優秀選手賞を取り、五回目のナンバー2リーグ優勝を決めたコモドドラゴンズが、リーグ昇格の決まった時のものなのだ。そんな時にする笑顔だったら、もっと晴れやかでもいいいはずなのに。

 なのに、D・Dの笑顔は、普段何気なく自分に向けられるマーチ・ラビットのそれには決してかなわないのだ。

 D・Dはこの惑星の騒乱に巻き込まれた、とジュラはキディに言った。

 正直言って、キディはその時期の騒乱を探ることに対しては抵抗があった。

 その時期は、自分の記憶が始まるのとそう変わらない。あの時期は、首府では有名な「水晶街の騒乱」をはじめ、あちこちが騒がしかった。一つ一つの事件は、独立している場合もあるし、絡みあっている場合もある。独立している様に見えて、深い底で絡みあっている場合もあるし、その逆も然りだった。

 D・Dが――― ひいては相棒が関わってしまった事件を探っていくと、何処かで自分の過去に突き当たってしまう可能性は大だった。


 だけど。


 キディは思う。


 いつまでもそのままでは、いられない。


 このままで居るのは楽しいし、心地よい。そのままで居られれば、どれだけ楽だろう。

 だけどそれはあり得ない。

 例えば相棒は、あの彼女とある日いきなり結婚するとか言い出すかもしれない。そうしたら自分はどうだろう。

 元々「相棒」でいなくてはいけない理由は、自分にもマーチ・ラビットにも無いのだ。肉親でも恋人でもない25歳と32歳の、いい大人の男が、何事もなく一緒に暮らしているという状況はこの惑星の文化では多くない。

 自分はそうしたい、と思ったところで、その感情の正体が、恋愛ではないことは知っている。それ以上を考えなかった訳ではない。自分は本意ではなかったにせよ、そういうことに慣れてしまっている。

 ただ、どうしても、それは無駄なことだ、とキディには判っているのだ。それは努力の通用する部分ではない。

 ゼルダとの関係はあくまで一つの例である。キディは、こんな日々が長く続くとは考えていなかった。長く続いて欲しい、と思ったところで、それは希望に過ぎない。

 そうしていたところで、自分は、何処にも行けないのだ。

 明確に「何処に」というものがある訳ではない。ただ、何かが自分の背中を押すのだ。前に進め、と。

 前に進んだところで、何があるのか判らない。

 もう一度自分はどん底まで沈んだのだ。それ以下は無い。保護が必要な子供でもない。

 ただ、まだ一歩踏み出すには、勇気が必要だった。

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