第13話 ゼルダ、古書店の前でキディと出会う。

 あら?

 ゼルダはふと手にしていた帳簿から顔を上げた。店の前に、見知った顔があった。

 入るのかしら? 彼女は思った。この古書店を目指してやってきたのは確かだろうから。

 だがその様子はない。入ろうとして、どうしようかと迷いながらうろうろしている。そんな感じに彼女には見えた。

 相手が本に用事がある訳ではないのは判る。今まで一度として、本に手を出したことはないのだから。彼女は立ち上がり、ショウウインドウの前で悩んでいる青年に声をかけた。


「こんにちはキディ君。どうしたの? 入らないの?」

「ゼルダさん」


 彼は不意に名前を呼ばれて、顔を赤らめる。どうも仕事場で出会う以外の女性というものに、キディは弱かった。

 やってきては過ぎてゆく職場の女性達は、皆たくましく、合理的で、あっさりしている。マスターがそういう女性を集めたのかどうか判らないが、彼の頭の中の「知識」にある「女性」のイメージからは遠いことが多かった。それがどれだけ、マスターの好みによって、綺麗だったり可愛かったりしても、だ。

 それだからこそ、彼も仕事仲間としては、気をつかうこともなく、やってこれたのだ。

 ところがこの目の前の彼女は違う。ゼルダは彼の「知識」の中の異性としての「女性」のタイプだった。

 華奢な体つき、柔らかな声、近づくとほのかにただよう、甘い香り。

 それにどきどきするのは慣れないからだ、と彼は思う。実際彼は、そういう「女性」にはずいぶんとご無沙汰していた。


「久しぶりね。ちょっと中入らない?」

「そうですね」


 この古書店の一角には、丸い白木のテーブルがあった。そう大きくはない店だが、店主が馴染みの客と話をするためのスペース程度は確保されていた。


「お茶でもいかが?」

「や、いいです。今日これから、ちょっと出かけるところがあるので」

「出かけるの? あらずいぶん急ね。でもいいの? あなたの相棒が居ないうちに」

「まあそれはいいんですよ」


 キディはそう言うと、軽く笑った。笑おうとした。

 そんな彼の顔を見て、ゼルダは首をかしげる。この子はもっと、明るい表情を浮かべていたはずなんだけど。

 もっともゼルダの知っているキディは、あくまでマーチ・ラビットと一緒に食事をしている時の彼である。彼女はキディ一人と会うことはまずなかった。あくまで彼女はマーティ・ラビイのガールフレンドであり、キディは彼女にとってはオプションに過ぎない。

 兄弟かな、と思うこともあるのだが、そうではないらしい。当のマーチ・ラビットが案外隙を見せないので、結局よく判らない。友人。親戚。色々考えなくもない。ただ、「それ以上の関係」というものは、彼女の中には存在しなかった。もともとこの星系にはそういう習慣は少ないのだ。


「ゼルダさん」

「はい?」

「ここって、本の注文ってききます?」

「注文?」


 おや珍しい、と彼女は思う。彼は本を読むタイプには見えなかったのだ。マーチ・ラビットも当初はそう見えなかったことは棚に上げているが。


「注文ね…… うーん…… できなくはないけど、でもここは古書店よ? 本の注文だったら、新本を取り扱う所の方が良いんじゃなくて?」

「いえ、古書なんです」

「古書?」

「バックナンバー。えーと……」


 ごそごそ、と彼は上着のポケットからメモを取り出す。


「これなんですけど」

「どれどれ」


 彼女は手を伸ばす。ふと、その視線が、彼の手で固まった。メモを取ろうとした手が、その前で止まる。


「どうしたんですか? ああ、これ?」


 キディは左の二の腕を押さえる。袖口から、昔の傷跡がのぞいていた。


「……ご、ごめんなさい……」

「いやいいんです。俺もなんでこんなとこケガしたのか判らないし……それより、それ、頼めます? どういう方法でもいいんですけど」

「うーん……」


 メモに書かれていたのは、「PHOTO/SPORTS」という雑誌と、その出版社の名だった。


「うーん…… この出版社自体は大きいんだけど」

「じゃあ頼めます?」

「でもキディ君、これもう、十年近く前よ? 紙媒体の場合、そうそう長くは残っていないわ」

「別に紙媒体でなくてもいいです。ちょっと見たいものがあって……」

「そうよね。でもそれだったら、キディ君、図書館の方がいいのじゃないかしら? 首府のとか、すごいし」

「うーん……」


 今度はキディが悩む番だった。今だったらそれなりのIDも手に入れているから、首府に入れない訳ではない。行こうと思えば、行ける。ただ、何となく行く気が起こらないのだ。


「ゼルダさん、首府の中央図書館じゃないと駄目かなあ」

「雑誌関係はね…… だいたいこのあたり程度の地方図書館じゃあ、バックナンバーって言っても、十年は置いておかないと思うわ。まあ全星域でも有名な出版社だから、数年分は置いてあるとは思うんだけど」

「どうしても、その号が欲しくて」

「どうしても、なの?」


 うん、とキディはうなづく。あの男は、そう言った。


「ま、ただ単に読みたいぶん、だったら、古書店仲間にあたってみましょうか? もしかしたら、個人的に持ってるひとだったら、売ってはくれないかもしれないけど」

「うん!」


 彼はひゅん、と顔を上げる。


「それでいいんだ。いいんです。俺はただ、ちょっと確かめたいことがあって」

「確かめたいこと?」

「あ、何でもないです」


 今度はちゃんと笑顔だ、とゼルダは思った。

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