退院後、はじめての学校

 宵宮さんと一緒に廊下を歩いていると、A組の教室が見えてきた。


「越ヶ谷くん、あそこが私たちのクラス。

 2年A組よ。

 越ヶ谷くんの席は、窓際の後ろからふたつめだから」


「そっか。

 ありがとうな、宵宮さん」


「お礼なんていいのよ。

 ……でもね。

 ちょっと耳を貸してちょうだい?」


 なんだろう?


 言われるがままに耳を差し出す。


 すると宵宮さんが、声を潜めて囁いてきた。


「……ぇっと……ね」


 吐息が耳にかかってこそばゆい。


「放課後、さっき教えた体育館裏にひとりで来てくれるかな?」


「えっ?

 それって、どういう――」


 俺が話し切るよりはやく、宵宮さんが離れた。


「ふふっ。

 誰にも言っちゃだめだよ?

 それじゃ、教室に入ろっか」


 えっと……。


 つまりどういうことなんだろうか。


 放課後に体育館裏で待ち合わせ?


 そ、それって、もしかして……。


「どうしたの越ヶ谷くん?」


「な、なんでもない!

 わ、わかった。

 ほ、ほほほ、放課後だな……!」


 俺は宵宮さんに先導されて、教室に向かった。


 ◇


 ガラガラっとドアを開き、宵宮さんに続いて賑わう朝の教室に足を踏み入れる。


「おはようございますー。

 田中くん、佐藤さん、鈴木さん、高橋くん。

 おはよう。

 今朝もいい天気だね!」


 彼女は目についたクラスメートひとりひとりに、男女分け隔てなく挨拶をして回っている。


 というかやっぱ宵宮さんすげえな。


 話しかけられたやつはみんな、顔を赤くして嬉しそうにしてやがる。


 はぁぁ……。


 これが学校一のリア充美少女のコミュ力かぁ。


 半分陰キャの領域に足を突っ込んでいる俺とは、根本からして違う。


「あっ、宵宮さん。

 おはよう」


「おはよう、小夜子ちゃん。

 ふふっ。

 今朝も元気で綺麗だねー」


「おう!

 おはよう宵宮!」


 彼女に挨拶されたみんなが笑顔になっていく。


 でも、待てよ?


 はたと考える。


 そういえば俺は、いままで宵宮さんに挨拶してもらったことなかったな。


 今朝、通学路で偶然にも・・・・鉢合わせて、挨拶されたのがはじめてだ。


 でもなんでだろ?


 宵宮さんに限って、陰キャ差別で俺だけ無視してたってことはないだろうし……。


「おっ、越ヶ谷!

 越ヶ谷じゃないか。

 今日から登校かー?」


 考えこんでいると、いつの間にか俺の周りにもクラスメートが集まっていた。


 だが爽やかな男女混合の宵宮さん周辺と違って、こっちはむさ苦しい野郎ばかりである。


「おっまえ、心配したんだぜー?

 記憶喪失らしいな!

 俺のこと覚えてるかぁ?」


「当たり前だろ田な、――じゃなくてッ!!

 ……ア、アハハ。

 アハハハハ。

 キミ、誰デシタッケー?」


「すっげ、マジか⁉︎

 マジ記憶喪失だ、こいつー!

 俺のこと覚えてないぞ!」


 いやはっきり覚えてるぞ、田辺。


 お前はおっぱい星人で口を開けば「おっぱい揉みてぇー!」しか言わない癖に、女子が相手だと急に無口になるむっつりスケベの田辺裕也たなべゆうやだ。


 お前には学食代の500円を貸しっぱなしだから、いつか必ず返してもらうからな?


「俺はイケメン紳士田辺だ!

 というか越ヶ谷。

 なんでお前、宵宮さんと一緒に登校してきたんだ?

 彼女が不可侵協定に守られた2年のアイドルだって知ってるよな」


 田辺がジロリと睨んでくる。


 そういやぁこいつ、宵宮さんのファンクラブに入ってたんだっけか。


「……って、ファンクラブの規約も忘れちまってんのか。

 面倒だな記憶喪失」


 いやそもそも俺はファンクラブ会員じゃないし。


 つか面倒とか言うな。


「……宵宮さんとは通学路でばったりあっただけだって。

 それで俺が記憶の件で困ってるのを見兼ねて、一緒に登校してくれたんだよ」


「そっか。

 まぁそんなこったろうとは思ったけどな!

 いやぁ、やっぱ宵宮さん優しいよなぁ。

 我が校に舞い降りた天使だぜー」


 田辺のやつが、笑いながらバンバンと肩を叩いてくる。


 まったく、調子のいいやつめ。


 俺はうざ絡みしてくる田辺を避けて、自分の席へと腰を下ろした。


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 放課後になった。


 どきどきしながら、体育館裏へと向かう。


 退院後初の学校は、記憶喪失の件もあってなかなかハードだった。


 なにせクラスのみんなが珍獣でも見物するかのように休憩時間ごとに席に集まってくるものだから、俺は記憶が戻っているのがバレないよう演技するので冷や汗ものだったのだ。


 けどそれも集まった生徒たちを宵宮さんが散らしてくれたり、今日はずっと彼女がなにかとフォローをしてくれて随分助かった。


 ……ふと思う。


 どうして彼女は俺にこんなに良くしてくれるのだろうか。


 最初は単なる親切かと思ったんだが、いまとなってはどうも別の意図を感じる。


 と、というかさ……。


 もしかして宵宮さんってば、俺のことが好きだったりして。


 いまから俺は、宵宮さんから告白されたりして……!


「……ごくり。

 と、とにかく急ごう」


 さっきまで担任の教師に捕まって職員室にいたのだ。


 先生は今日一日大丈夫だったかと俺を心配してくれての呼び出しだったわけだが、……とにかく話が長かった。


 おかげでもう随分と宵宮さんを待たせてしまっている。


 怒って帰っちゃったりしてなければいいけど……。


 ◇


 体育館裏に足を運ぶと、宵宮さんの姿が見えた。


 彼女は茜色に差し込む西日の真ん中に、ぽつんと立っている。


 俺はまだ待ってくれていたことにほっと安堵の息をはいてから、宵宮さんに駆け寄った。


「ごめーん!

 先生に呼ばれて遅れたんだ」


 彼女はこちらに背中を向けていた。


 俺はそのまま話しかける。


「かなり待っただろ」


「…………。

 …………ええ、本当に。

 ずいぶん待たされたわ」


 宵宮さんがゆっくりと振り返った。


 けれども逆光になっていて、その表情はうかがえない。


「ごめんな?

 そ、それで、宵宮さん。

 俺を呼び出した用件なんだけど、も、もも、もしかして、告白とかだったり――」


「……宵宮、さん?

 越ヶ谷くん。

 あなたいつから私のこと、そんな風に呼べるようになったの?」


「……は?

 え、えっと……?」


 どうにも宵宮さんの様子が普段とは異なる。


 俺はわけもわからず彼女の顔を凝視した。


「まったく。

 この私を待たせるなんて、調子に乗ったものね……」


「な、なに言って……。

 どうしたんだよ、宵宮さ――」


「……小夜子よ。

 小夜子さまと呼びなさい」


 逆光に目が慣れてきた。


 徐々に彼女の表情が明らかになっていく。


「くすくす……。

 呼び出しに遅れたことと言い、呼び方を間違えたことと言い、いくら私の可愛い豚ピグレットとは言え、これはお仕置きが必要ねぇ……」


 え?


 なんだこれ?


 というか、これ宵宮さんだよな?


 俺を見つめる彼女の表情は、いままで見たこともないような嗜虐的なものだった。

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