愉悦にぷるぷる震える美少女

「え、えっと……。

 ちょっと、待ってくれ!

 お、お仕置きって、なんの話なんだよ?」


 宵宮さんの様子がおかしい。


 というか俺、いまから告白されるんじゃなかったのか⁉︎


 だって男子が女子に呼び出されたんだぞ?


 放課後の体育館裏だぞ?


 こんなん絶対告られるシチュだろ!


 でもそんな雰囲気、カケラもないんですけどー⁉︎


「せ、説明してくれ!

 そもそも俺はなんで呼び出されたんだ?

 わかるように説明してくれよ、宵宮さ――」


「……小夜子さま、よ」


 パシッと言葉を遮られた。


 宵宮さんは整った眉をハの字に曲げ、呆れ顔で俺を眺めてくる。


「まったく何度言わせるのかしらね?

 ……ふぅ。

 覚えの悪い私の豚ピグレットですこと」


「――ふぁ?」


 で、ですこと?


 なんだよその口調⁉︎


 いつもの宵宮さんからは想像もつかない喋り方だ。


「……ふぅ、まぁいいわ。

 記憶喪失なのだし、ある程度は大目に見てあげます。

 私という寛大な飼い主に感謝しなさいな」


「か、飼い主……だと……⁉︎」


 なに言ってんだ、こいつ。


 どんどん訳がわからなくなる。


「それじゃあ教えてあげましょう。

 越ヶ谷くん。

 貴方は記憶をなくす前、ふたりきりのときは私のことを『小夜子さま』と呼んでいたわ」


「………ふぁ?」


 なんぞそれ?


 いやいや、そんな呼び方したことないって!


 マジマジ。


 だいたい今まで、宵宮さんとふたりきりなったことなんかねーし!


 あまりの展開に、俺はツッコミを声にすることも出来ず、金魚みたいに口をパクパクしながら固まった。


 ◇


「くすっ……」


 俺の滑稽な様子に気をよくしたのか、宵宮さんが軽く笑う。


「驚いた?

 私が飼い主で、越ヶ谷くんは私の可愛い愛玩動物。

 それが私たちの関係。

 少しも覚えてないかしら?

 いつもあんなに嬉しそうに、この私に可愛がられていたのに……」


 ぽかーんとしながら、宵宮さんを見つめる。


 ないないないない。


 マジでないから!


 俺の記憶喪失設定に乗じて、めちゃくちゃ言ってきやがる!


 ……ちょっと待てよ?


 こ、このひとって、もしかすると――


 嫌な予感が脳裏をかすめる。


「まずは呼び方から躾けなおしてあげましょう。

 さぁ、復唱してみなさい。

 はい、『小夜子さま』。

 さん、はい、『小夜子さま』」


 やっぱりだ。


 俺は確信した。


 ――この宵宮小夜子というクラスメートは、実は頭が逝っちゃってる女の子だったのだ……!


 確信すると同時に恐怖がわき上がってきた。


 え⁉︎


 ちょっといまのこの状況やばくね?


 キジルシ全開の女子と放課後の体育館裏でふたりきりとか、身の危険を感じるレベルなんですけどぉぉぉぉ!!!?


 いくら美人相手でもこれは無理……!


 冷や汗がダラダラと流れる。


「さぁ、どうしたの?

 はやく復唱なさいな。

 小夜子さま、よ。

 さぁ、さ、リピートアフターミー」


 ど、どうする?


 これもし断ったら、どんな目に合わせられるか分からんぞ。


 俺はガクガク震えた。


 背中を見せたら、最悪、刺されるかもしれん。


 と、とりあえずこの場は、従っておいたほうがいいか……?


「……さ。

 ……さ、よ……。

 ……小夜、子……さま」


 ぼそっと呟いた。


 宵宮さんの頬がひくひくと動く。


「も、もう一度よ。

 はぁぁぁ……♡

 こ、今度はもっとはっきり、大きな声で……!」


 逆らったらなにされるかわからん。


 俺は言われた通りにする。


「さ、小夜子さま!

 小夜子さま、小夜子さま、小夜子さま!

 さ、よ、こ、さまぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 宵宮さんがくわっと目を見開いた。


 かと思うと変な声を出して悶えながら、手のひらで目もとを覆った。


「っっっっっっっっ!!??

 〜〜んんんんんっ⁉︎

 あ、あ、あ、あ゛……♡」


 口もとをにやぁっと緩ませる。


 彼女の指の隙間からは、隠し切れていない愉悦の表情が垣間見えていた。


「あ、あ、あ、あぁ……⁉︎

 わ、私、いま、私のかわいいかわいい越ヶ谷くんに……。

 ずっと遠くから眺めるだけだった、私の可愛い豚ピグレットに、小夜子さまって呼ばれてるぅ。

 あ、あ、あ、あ゛……♡」


 やべー!!


 マジでやべー!!!!


 宵宮さんはもう異常な雰囲気を隠そうともせず、ぷるぷると身体を震わせている。


 正直言ってドン引きだ。


 俺は小刻みに震える彼女に及び腰になりながら、バレないようにジリジリと後退をはじめた。


 ◇


「そ、それじゃあ、俺はこれで……!」


 シュタッと手をあげ、俺は体育館裏からの即時離脱を試みる。


 だが、その場で素早く反転して歩き始めた俺の背中を、宵宮さんが呼び止めた。


「……待ちなさい」


「な、ななななんですかぁ?

 お、俺、夕飯の準備があるから、はやく帰らなくちゃ――」


「お待ちなさい。

 もし私の許可なく帰ったりしたら、『あのこと』をバラすわよ……」


「ふぁ⁉︎」


 ビクンとして背筋が伸びる。


 あ、あのことってなんだ⁉︎


「うふふ……。

 やっぱり『あのこと』が気になるようね?

 いいわ、ヒントをあげましょう。

 とても恥ずかしいことよ?

 もし『あのこと』をバラされたら、きっと越ヶ谷くん酷いことになるわ。

 ふふふ。

 もう真っ当な学生生活は、望めなくなるかも……」


 な、なんだ?


 なんの話なんだよ⁉︎


 さっぱり見当がつかん!


 宵宮さんはオロオロする俺を眺めながら、くすくすと笑っている。


 その愉快げな顔をみてピコーンと気付いた。


 ……ブラフだ。


 たぶん『あのこと』って、ブラフだ!


 これは俺が記憶喪失なのをいいことに、適当なことを言って困らせようとしている顔に違いない。


 俺は驚愕した。


 た、たち悪りぃー!!


 こ、この女子、普段は優しげで慈愛に満ち溢れた学校アイドルのふりして、なんて性悪な美少女だったんだ……⁉︎


「さぁ。

 後悔したくなければ、こっちに戻っていらっしゃいな。

 私の可愛い越ヶ谷くん」


 宵宮さんが仰向けにした手のひらを伸ばして俺を誘う。


 …………。


 ……どうする?


 気持ち的には今すぐ走って逃げ出したい。


 でもそれをすると、絶対に後が怖い!


「ぅ、ぅぅぅ……」


 進退極まった俺は、うめきながらその場で右往左往した。


 宵宮さんはそんな俺の困った様子を観察しながら、目を細めてくすくすと笑っている。


「どうしたの?

 飼い主の言うことは聞くものよ?

 さぁこっちへ――」


 ◇


 そのとき、遠くのほうに人影が見えた。


 宵宮さんも俺と同時にそれを見つけたらしく、「……チッ」と舌打ちをする。


 俺たちに気付いた人影が、こちらに近づいてきた。


「おーい、お前ら。

 こんな場所でなにしてんだ?

 正門もう閉めるぞー」


 やってきたのは見回りにきた担任教師だった。


「なんだ、宵宮と越ヶ谷か。

 お前ら、こんなところでなにしてたんだ?」


 オロオロする俺に代わって、宵宮さんが応える。


「あ、先生見回りお疲れさまです!

 それはですね。

 彼に校内を案内してたら遅くなっちゃって。

 そうだよね、越ヶ谷くん」


 同意を求めてきた宵宮さんは、表面上はもうすっかりいつもの優しげな彼女に戻っていた。


 だが目が笑っていない。


 というか光彩が消えたやばそうな目で、ガンガン脅してくる。


 俺は屈服した。


「ソ、ソソソ、ソウナンデスヨー。

 あはははは」


 冷や汗を流しながら同意する。


「おー、そうだったか。

 ちゃんと越ヶ谷の面倒を見てあげていたんだな。

 えらいぞ宵宮」


「そんなことないです。

 困っている同級生がいたら、力になりたいですから」


「ははは。

 謙遜するな、それはそうともう下校の時間だ。

 ほら。

 門まで送ってやるから、お前たちはもう帰りなさい」


「はぁい」


 とりあえず助かったようだ。


 ほっと胸を撫で下ろす。


 このチャンスを逃してはいけない!


「お、俺は先に帰ってるから。

 それじゃあ先生、宵宮さんっ。

 さ、さようなら……!」


「おーう。

 気を付けて帰れよー」


「あっ、越ヶ谷くん!

 …………チッ」


 俺は挨拶を言い残して、ダッシュでその場を走り去った。

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