第2話 俺だけがいない世界

俺の住む町から渓谷を越えて一番最初に現れる駅周辺は、10数年前から行われた大規模な宅地造成により、人口が爆発的に増加しており、乗降客も非常に多い。



渓谷の高い断崖を上り、線路伝いに10キロメートル程走ってその駅に着いた俺は、駅のホームに近寄り、ホームの片隅からホームに静かによじ登る。


ホームのいつも通りの混雑振りに、面食らう。


何も変わっていない。


駅員も、いつも一番前で立っているOLも。


おかしい。


全ては日常通りだ。


違うのは、大地震があったことと、俺が乗っていた快速電車が渓谷に滑落こと、そして、俺の身体能力が異常に上がっていることか。


やがてホームに電車が入って来た。


あれからかなりの時間が経っているにも関わらず、時計を見ると、俺が乗っていたはずの快速電車だ。


時間が巻き戻っている?


何事も無かったように電車はホームに止まり、乗降客を入れ替えて走って行く。


混雑に紛れて乗車待ちの行列に紛れ込んだ俺は、その電車に乗り込んだ。


満員電車の中、いつも俺が座っている場所を確認したが、そこには違う男性が座っている。


年格好は、俺と同じくらいか。


その横にはいつも通りの学生さんがいつも通り寝ていた。


窓から見る景色もいつもと同じだ。


相変わらず製紙会社の煙突は白い煙をモクモクと吐き出している。


遠くに見える高速道路にも異常はなさそうだ。


幾つかの駅で乗降客を入れ替えた電車は、やがて俺がいつも降りている終点に到着する。


いつも通りの到着時間だ。


自動改札に定期を入れて、改札を出ようとしたが、弾かれる。


3度試してみたが、やはりだめだ。


後ろで待つお客の冷めた視線を感じてその場を離れる。


仕方なく改札窓口でお金を払って、外に出た。




いつも通りの風景を見ながら会社までのいつもの通勤路を歩く。


何も変わらないことがこれ程おかしく思うのは、恐らく俺だけであろう。




俺が勤める会社は中堅建設会社で日本有数のこの大都市に自社ビルを持っている。


ビルの敷地に入ると、出社を急ぐ社員達が足早に横を過ぎていく。


いつもならこの辺りで同僚の吉沢に声を掛けられるのだが...


「おはよう、進。」


やはり、いつも通り吉沢に声をかけられる。


「おはよう、……」


吉沢に声を掛けようとした時、俺は彼が別の男を見ていることに気付く。


その男は、電車で俺のいつもの席に座っていた奴だ。


吉沢は声を発しかけた俺のことを不思議そうに見ながら、その男に近寄り、いつも通りふたりで会社に向かって行った。


俺も会社に向かうが、誰も俺に声をかけて来ない。


いや一人だけ警備員が声を掛けて来た。


「おはよう御座います。

どちらの部署にご来訪でしょうか?」


この警備員も、何度も話したことがある間柄だ。


俺は、警備員に道を聞く振りをして、その場を立ち去る。



おかしい。



何もかもが日常通りなのに俺の存在自体が無かったことになっている。


いや電車のいつもの俺の席に座っていたアイツが俺なのか。


ここは、何もかもが俺のいた世界なのに、俺だけが入れ替わっていて、俺は居ないことになっている世界なのか。



パラレルワールド



ふと頭によぎる。


俺は嫌な予感を抱えながら携帯電話で妻に電話した。


プ、プ、プ、……


繋がらない。


携帯の契約も無いことになっているのだろう。


俺は途方に暮れた。


この調子だと、妻も家族も俺のことを知らないに違いない。


もっとも、妻以外の家族は、既にこの世には居ないのだが。


俺は表通りの片側3車線道路に出た。


広いその道路はこの都市のメインストリートのひとつとして、第3日曜日は歩行者天国になる。


歩行者天国になると外国人の路上パフォーマーや駆け出し芸人の即席ステージ、ギターを持った自称シンガーソングライター達の熱気に包まれ、それを見ようとする観衆で大混雑するのだ。


俺も、まだ今の家に引っ越す前には妻とふたりで遊びに来たものだ。




歩行者信号が青の交差点には老婆ともうひとり30くらいの女性が歩いていた。


ふたりがちょうど俺から見て向こう側の車線の半ばほどの辺りにいる時、大型トラックが交差点にノーブレーキで侵入して来た。


運転手は居眠りしている。


既に先程の老婆と女性まで、10メートルくらいの場所までトラックが接近していた。


女性は老婆を気遣っており、トラックに気付いていない。


俺は無我夢中で交差点に入って行った。




俺のいた場所から老婆達まではおよそ20メートル以上あったが、今の俺の身体能力を持ってすれば間に合うだろう。


俺は躊躇せず20メートルの距離を跳び、ふたりを抱えて反対側の歩道までたどり着いた。


俺が助けた女性は、何があったのか一瞬分からないようだったが、すぐ後ろを猛スピードのトラックが走り抜けたのを見て、その場にへたり込んだ。


老婆も唖然として固まったままだ。


周りの視線が俺に突き刺さる。


今ここで目立って警察沙汰にでもなったら、どう説明する?


俺はそう考えると、目立つのを避けて、その場をすぐに立ち去った。




その日は、その近辺を歩き回り、今俺に起こっていることの手掛かりがないか、探してみたが、何も見つけることは出来なかった。


コンビニで新聞を購入したり、ネットカフェでインターネットやTVのニュースを見てみたが電車の事故のことはおろか、驚くほど平和な一日で会ったことが分かっただけだ。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る