『勇敢なる消防士』

 私の先輩は勇敢な消防士だった。先月の末に殉職されるまで、数多の火災現場で活躍し、多くの命を救ってきた。そんな先輩が、燃え盛るビルの中、崩落による経路遮断によって脱出が不可能となり、そのまま取り残されて亡くなってしまったことは、当時共に現場に赴いていた私の最たる無念である。


 生前、先輩からどうしてそこまで果敢に炎に立ち向かえるのかを、何度か伺ったことがある。というのも新人時代の私は、消防士という職業に憧れ、晴れてその夢を叶えることは出来たものの、炎に臆する面もまだまだある臆病者であった。そのため、その頃からよく面倒を見てもらっていた先輩に、強くなる秘訣を知りたくて訊いたのだ。


 当初、先輩は苦笑いしながら、決して応えようとはしてくれなかった。いくら聞いても「大したことじゃないから」「参考にはならん」「それよりも現場に出て慣れた方がいい」と、のらりくらりと躱されてきた。


 もう何十回訊いたか分からなくなったとき。先輩は殉職する一週間前。ついに話を訊くことができた。驚くことに、その時は私が訊ねたのではなく、先輩水から話しかけ、そして教えてくれたのだった。


「よう。お前最近頑張ってるじゃあねえか」

「はい! 現場に出て炎に慣れて……。屋内に取り残された人の為に命を懸けて立ち向かう。先輩のおかげで、自分なりの慣れ方を知ることが出来ました」

「そうか。そうか。なら、ならもう教えてもいいだろうな」

「何をです?」

「俺がさ、俺が炎に立ち迎える理由さ」


 急にそんなことを言うものだから、その時はとても驚いた。何度聞いても教えてくれなかった先輩の勇気の秘密を、先輩自ら話に来てくれたからだ。ただ、今となってはもはや、どこか死期を悟って、自分の思いを託したかったのではないかと思う。


 先輩は続けてこう話した。


「お前はさ、火は怖いか」

「そりゃあ」

「そうか、そりゃそうだよな」

「現場で助けられなかった命もありました。仕方のない日もあれば、身勝手に放たれた火もありました。火は……、慣れても恐れなければならないものだと思います」

「そうか、そうか。お前は立派だな」

「まさか! 先輩にはまだまだ及びませんよ」

「いやあ、俺はさ。正直、はっきり言おう。消防士には向いてねえのさ」

「……は?」

「あのさ、俺はな。火が大好きなんだ」


 その発言は、先輩らしからぬ……いや、そう思っていたのは私自身で、これが先輩の本音だったのだろう。


「俺の火が好きっていうのは、ただの火が好きじゃない。俺はな、火が好きだ。火が燃え盛っているのが好きだ。木を燃やし、黒煙を上げ、パチパチと水上機が爆発する音がする。俺はそういう光景に、一種の美しさを感じるのさ。いったいこの火災はどうやって生まれたのか。どうしてこのような形に燃えたのか。それが気になって気になって仕方のない人間なのさ。火っていうのは、全部が同じ形じゃない。十の現場があれば、十とも全く違う燃え方をしている。素人目にゃ分からないかもしれないが、様々な現場を訪れた俺だから言える。あれは、火災っていうのは芸術に近いんだ。あれを感じたのは小学生の頃。俺んちが燃えてさ。いや、全員助かったんだけど、俺だけ脱出が遅れて、消防士に助けてもらったんだ。母親は物凄く泣いてたけど、あの時俺が脱出しそびれたのはさ、火に見惚れていたからなんだ。美しくて綺麗で、暖かくて見ごたえのある、あんな豪華な芸術品は見たことがなかった。それに見惚れて脱出が遅れた中、普通ならだれも入ろうとしないあの燃える俺んちに突入してきた人たちがいた。それが消防士だ。心底羨ましかったねえ。消防士っていうのは、燃えている現場があればどこへでだって駆けつける。そんな、理想的な職業に、憧れないわけがないだろう。あの日から俺は消防士だけを夢見た。そして叶えた。楽しいよなあこの仕事。人の手では決して簡単に作ることのできない芸術作品の最前列に行くことができるんだぜ。去年のS市であった火災覚えてるか? 家の周りはほとんど燃えずに、家の中だけ綺麗に燃えて、割れた窓から火が噴き出す光景。まるで竜が家の中に巣食っているようでカッコよかったろう?」


 ものすごい勢いでそれを話す先輩に、私はたじろぐばかりだった。言いたいことを言い切ったのか、先輩は「悪かったな」と一言。思わずしどろもどろしてると、さらに先輩が続けて言った。


「俺はな、俺はこういう奴だ。お前は俺みたいになるなよ。俺みたいなやつは俺だけで十分だ。分かったな」


 そう言って後を去った。そして次に先輩と会ったのが、あの先月末の火災だった。



 私の憧れを奪い、命を奪っていくあの日を、美しいなんて思えません。私は一層火が怖くなりましたよ、先輩。

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