第5話 運命の出会い ①
商店街を後にした僕は、寄り道もせず学校に向かっていた。
このままの速度で歩いていれば登校時間までには問題なく到着できるが、それではギリギリになってしまう。
そうなると、教室には既に多くのクラスメイトがいることだろうから、教室の扉を開けた瞬間にかなりの注目の目にさらされることになる。
もちろん、教室のドアは開けっ放しになっている可能性もあるので、その場合は静かに入室して自席に着席すれば良いことになるだろう。
しかし、僕はリスクを避けることを標榜する男である。不確実性は出来るだけ排除したい。要約すると、少なくとも10分前には着きたいのだ。
「となると、秘密の近道を使うしかないよね」
そう言う僕の目の前には細い道がある。ビルとビルの隙間に出来た裏道。人一人がやっと通り抜けられる横幅だが、幸いなことに僕はやせ型なので支障なく通り抜けることが出来る。
真っすぐ進んだ中間に少し広さをもった空き地がある。そこは夜な夜な荒くれ者のたまり場になっている。だから、夕方から夜間にかけては誰もここには近づかない。
よって、本来であれば、僕にとってこの裏道は避けるべきなんだけど、今は朝の明るい時間だし、加えて近くの大通りには多数の人が往来している、そして何より僕の目標タイムに学校に到着するにはこの道を通ることが絶対条件だ。
だから僕は悩むことなく、裏路地の道に足を踏み入れ、ずんずんと進んでいく。
ーーーーーそして、後悔した。僕の浅はかな選択を、決断を。
僕が裏道の中間にある空き地に近付いた、その時だった。
「やめてください!!」
若い女の子の悲痛な叫び声が聞こえてきた。
尋常ではない声、異常事態を知らせるその声が、僕の心に警戒心を呼び起こす。
思わず本能的に引き返しそうになりかけたが、見ず知らずの子とはいえ事件に巻き込まれていたら見捨てることなんか出来ないと思い踏み止まった。
そうと決まれば、まず状況を確認して、次に警察に通報する。そのためには現在の女の子の状況を把握する必要があるだろう。
僕は足音を立てないように歩き、ビルの壁に背中を付けて、こっそりと空き地の様子を盗み見た。
まず、人数は4人。男が三人に、先ほど叫び声を上げたと思われる女の子が一人だ。
構図としては男3人が円陣のように女の子を取り囲んでいる。
と、僕はそこであることに気付いた。
屈強な男達に囲まれ、退路を断たれ、ただただ身を震わすことしか出来ない様子の女の子。
その外見の特徴に、僕は聞き覚えがあった。
(……あの制服は僕と同じ高校の制服だ。それに、長髪の黒髪。も、もしかして、あの子は商店会長のおばさんが話していた噂の子!)
そう、件の同じ制服を身にまとう黒髪ロングの美少女がそこにいた。
僕は目の前にあるトラブルを忘れて思わず、彼女に見入ってしまう。
まさに女神だった。それほどまでに彼女の放つ存在感は格というレベルではなく次元が違った。
瑞希や楓も紛れもなく美少女だ。それは彼女たちが、妹はよく知らないけど、少なくとも楓の学校での友人の多さや所属するカースト、言い寄ってくる男の数を考えれば疑いの余地も、議論の余地はないだろう。
でも、おそらく、いや間違いなく彼女たちですらこの女の子の目では霞んでしまう。
それほどまでに、彼女は別格の異彩を放っていた。
これは商店会長のおばさんが興奮するのも頷けるなぁ、うん、うんーーーーって頷いてる場合か! 早く彼女を助け出さないと。
僕は正気に戻ると、制服の上ポケットからスマホを取り出し、電話画面で110と入力する。
発信ボタンを表示させた僕は、その前に一度、彼女の無事を確認しておこうと顔を上げる。
すると、----
「………!?」
----彼女の目とばっちり合ってしまった。
彼女の穢れのない純粋を宝石にしたような瞳に捉えられ、僕の心臓が激しく鼓動を刻む。
吹き出す汗、抑えが利かなくなるほど震える手。僕の全身が悲鳴を上げた。
だからだろうか、いや、きっとこれは運命の女神の悪戯だったのだろう。
スルリと僕の手からスマホが滑り落ちてしまった。
「あぁ? 誰だ! 誰かいんのか、コラァー!?」
ゴンとスマホが落ちた音が甲高く響くと、悪漢の一人がこちらを振り返り、血走った目と青筋の走った顔で僕を睨みつけた。
鋭き眼光に僕は圧倒されてしまう。おそらく、その顔はこれ以上ないほど強張っていることだろう。怖い。
だらだらと額から汗が垂れ落ち、荒々しく不規則になっていく呼吸のリズムが僕の生命体としての危機を否応なく伝えてくる。
そんなこと本能じゃなく理性の僕が分かってるよ。
脳内で鳴り響く警告音に僕がそんな文句を零している間に、不良の一人がキレ顔で歩み寄ってきた。
「おい、てめぇ、何してんだよ、ぁぁ!?」
「ぼ、ぼくは、ただ、ここを通って、がっ、がっこうに……」
近距離で睨みつけられた僕は完全に冷静さを失い、口が思うように動かせず途切れ途切れの言葉を発することしか出来ない。
足もぶるぶると壊れたメトロノームのように揺れている。
ふと、そこまで僕の顔面に鋭い眼光を向けていた不良が、背を向けた状態で僕の足元に落ちていたスマホに気付いた。しゃがみ込み、右手で拾い上げて、ひっくり返して画面を見る。
すると、その表情がみるみるうちに歪んでいく。
僕はその光景をただ黙って見守るしかなく、表情が怒りに染まっていく過程に恐怖を覚えた。
「おい、てめぇ!! なに、サツに通報しようとしてんだよ」
「そ、それは……その……」
「とりま、てめぇ、こいよ。すこし痛い目にあってもらおうか」
不良の男は左手で、僕の右腕を強引に掴むと力任せに引っ張り、他の仲間がたむろっている空き地の中央に連れていく。
その際、右手で握っていた僕のスマホを一切の躊躇なく地面に叩きつけた。耳障りな破壊音を響きかせ、四方に飛散する僕のスマホの残骸群。
僕はそれを残念に思いつつ、しかしそれも一瞬で消え去り、代わりに沸き起こってきた恐怖心と絶望感が僕の心を支配した。
空き地の中心に連れてこられた僕は、生活ゴミのように乱暴に投げ捨てられた。
着地に失敗し、右腕を強打した。途端に、ズキンと鋭い痛みが体中を走りぬける。
痛みに顔を歪める僕に、隣に座る黒髪の美少女がか細い声で声をかけてきた。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん。大丈夫----と言いたいところだけど、大丈夫じゃないかも」
「ごめんなさい。私のトラブルに見ず知らずのあなたを巻き込んでしまって」
黒髪の女の子は落ち込んだ表情で言葉を零して、頭を下げた。
と同時に、僕の負傷した右腕を優しい手つきで触ると、まるで転んで怪我をした幼稚園児に母親がする痛いの痛いの飛んでけ!のようにさすってくれた。
その姿は慈愛に満ちた聖母のようで、僕の心と傷にいくらかの癒しをもたらした。
が、それは砂漠のオアシスのようにはかなく消えてしまう。
ここは天界ではなく現実世界だ。
ささやかな癒しの時間は光のように駆け抜け、僕を非情なる現実へと引き戻した。
「おい、お前、名前は」
威圧感のある声に呼ばれ、僕がおそるおそる視線を黒髪の美少女から声のした方に向けると、そこにはバットを肩に抱えてこちらを肉食獣のような目で睨みつける制服姿の男がいた。
その男を中心に他の男が横一列に並んでいる。その構図、そして何より放っている存在感の違いが、この男がグループのリーダーであることを伝えてきた。
「な、名前は勇気です。相葉勇気」
横にいる黒髪美少女の介抱のおかげで、いくらかの冷静さを取り戻した僕はそう名乗った。
名乗ってから気づいたが、別にフルネームを言う必要はなかったかもしれない。
まあ、後悔後に立たず、一難去ってまた一難とならないことを祈った。
だが、天にまします神さまはどうも僕のささやかな願いを聞き届けてはくれないようだ。
「相葉勇気……。その名前、どっかで聞いたことがある気がすんなぁ」
顎に手を当てて、僕の名前を口の中で転がすリーダーの男。
すると、その右隣に立っていた金髪のチャラ男みたいな風貌の男が声を上げた。
「あ、俺もっす。なんか聞いたことある気がするっす」
「だよなぁ。どこで聞いたんだけど、思い出せねぇ。けど、なぜか無性に腹が立ってきた」
「でも、どっからどう見てもひ弱な雑魚にしか見えないですし、兄貴と接点があるようには見えねぇんすよね。あ、前世からの因縁とかっすかね!? それっぽくないすか?」
「前世からの因縁だぁ……? なにアホなこと抜かしてんだよ。殴んーーーー」
目の前で金髪の男と話し合っていたリーダー格の男はふと呟きかけていた口を止めた。
しばし、固まったのち、僕に目を向けてこう言った。
「そうか。相葉、てめぇ、修羅の知り合いか」
「……!?」
僕はその単語を聞いて言葉を詰まらせた。
修羅。この異称で呼ばれている人物で、僕の知り合い、思い当たる人物は一人しかいない。
脳裏に一人の男の姿が駆け巡った。
「やっぱりそうか。道理で無性に腹が立ってくるわけだ。てめぇが修羅ーーーー鬼神隆介の知り合いならむかっ腹にも理由がつく」
「た、確かに鬼神君とは知り合いだけど。でも、僕は鬼神くんとは顔見知りってだけで別に喧嘩の相棒でもないんだ」
「んなこと言われなくても分かってんだよ。冴島に軽く放り投げられたぐらいで負傷する貧弱野郎があの野郎の子分が務まるわけねぇだろうが。なめんな」
僕の負傷した右腕に見下した視線を向けつつ、強く吐き捨てるリーダー格の男。
その言葉にはなんとなくだけど、鬼神くんに対する尊敬の気持ちが乗っている気がした。
そういえば、風の噂で聞いたことがある。
鬼神くんはこういう不良に喧嘩を振られる一方で、その一騎当千の強さ、にじみ出る強者のオーラに深い崇敬の念を抱いている不良も多いのだとか。
おそらく目の前の男もそうなのだろう。
「しかし、そうなるとまいったなぁ。あいつの知り合いならこれ以上手を出すわけにはいかねぇ」
「そうっすよね……あいつ、自分の知り合いに手を出したやつ許さねぇっすからね」
「あぁ。特に相葉勇気、こいつに手を出すのはまずい。こいつはどういうことかは分からねぇが、あいつの一番のお気に入りだからな」
「どうしてこいつそんなに鬼神の野郎に気に入られてんっすかね? あいつの弱みでも握ってんすかね」
そんなもの、僕は知らないと心の中で呟いた。
それにたとえ知っていたとしても僕と彼の力の差は歴然なのであまり意味はないだろう。彼ならそれを力でねじ伏せるはずだ。
一応繰り返すけど、僕はそんなものは知らないけどね。
鬼神くんとは中学からの知り合いで、それ以下でもそれ以上でもない。
たぶん。
いや、一度だけ何かで関わった気がするけど、別に大したことじゃなかったし、それで気に入られる理由にはならないはすだ。
「知るかよ。とにかく、これ以上何か危害を加えるのはなしだ。半殺しにされるぞ、俺ら。あ、冴島、てめぇはこいつに怪我を負わせたしスマホぶっつ壊しちまったから覚悟決めとけよ。奴と拳を交える気があんなら別だがよ」
「そんな気概あるわけないじゃないですか。あの、鬼神っすよ? 俺が挑むなんて世界チャンピオンに無名のチンピラが勝負吹っ掛けるみたいなもんじゃないっすか。やべぇ、まじ、どうしよう」
それまで金髪男とリーダー格の男の話を後ろで手を組んで聞いていた冴島と呼ばれた男の顔は青ざめていた。
本気で怯えているのが傍目にも伝わってくる。それはまさしく、禁忌の領域におろかにも足を踏み入れてしまった旅人のようで。
それほどまでに、鬼神隆介という男は恐ろしいというのか。
僕が二人のやり取りを呆然と見つめていると、冴島は僕の方に顔を向ける。
「相葉。いや、相葉さん」
「な、なに?」
先ほどとは違った、低姿勢の冴島の態度に驚きつつもそう言葉を返した。
その態度の急変が不気味に過ぎて、僕は形のない不安に襲われる。
しかし、次の瞬間、その不安を吹き飛ばしてしまうほどの行動が目の前で起きた。
「すいませんでした!! 負傷した手の治療代とスマホの本体代金弁償するんで許してください!」
土下座した。それは見事なまでの土下座だった。
突然の出来事に、僕は目を大きく見開いて固まってしまう。
それを隣で見ていた他の二人は、「それしかねぇだろうな」、「ですね。命乞いしかねぇっす」なんて言葉を交わしていた。
「……」
「いや、その、謝って済む問題ではないと思うんですが、今の俺に出来るのは自分の過ちを真正面から認めて謝ることぐらいかと思いまして」
恥も外聞もなく、目の前のうやうやしく慈悲を請う、この男は誰なんだろう。
僕は心の半分で、そんな漠然とした感想を抱いた。
人間誰しも失敗や間違いはあることだ。僕にだってたくさんある。
その度に叱られて、泣いて、反省して、行動してきた。僕はそうやって今日まで成長してきた。
その姿勢を見せることは素晴らしい事だ。僕は心からそう思う。
けど、その一方で僕の心のもう半分は激しく燃えていた。
あれだけのことをしておいて無罪放免になろうなんて考えが甘すぎるんだよ。
「……ふざけないでよ」
自分でも聞いていても悪寒が走るような恐ろしい声音が僕の口から漏れた。
異様な僕の雰囲気に、冴島の顔に焦りの色が差す。
「いえ、ふざけてなんか。俺は本気で謝ってーーーー」
「ふざけんなよ!! 無抵抗の人間に対してあれだけのことをしておいて謝って済むと思ってんの!?」
「「……!?」」
僕の豹変に、驚きの色に染まる冴島含めた三人衆。
と、隣に座っていた黒髪の美少女もビクッと肩を震わせた。
いきなり大きな怒声を上げて驚かせてしまったみたいだ。
ごめん、でも今はどうか許して欲しい。
「考えが甘すぎるんだよ、君たち。僕のスマホを破壊して、僕の右腕を負傷させて、恫喝してさ。それに、か弱い女の子を寄ってたかってイビっておいて謝って済むと思ってんの!? 普通に犯罪だから犯罪。だから、問答無用で警察に一緒に行ってもらう。いいね?」
「「「……」」」
「君たちは罰をきちんと受けるべきだ。その舐め腐った根性を叩き直すためにもね。それが嫌なら鬼神くんに絞られたらいいんじゃないかな? 鉄拳制裁による私刑か、法律による刑罰。君たちはどっちがいい?」
「「「……」」」
三人衆は呆気に取られたように固まっている。
この世ならざるものを見てしまったという表情だ。
僕はその表情を見て、苛烈に燃えていた情動が急激に冷めていくのを覚えた。
額に汗がにじみ出てきた。
「あ、いや、あのーーーー」
僕が少し言い過ぎたことで目の前のヤンキーが逆上することを恐れて、溜飲を下げる言葉を発しようとして口を開きかけた、その時。
「くっはっはっは!! いいじゃねーか、よく言ったな、相葉。お前のそういういざという時にはっきりと物を言える根性、俺は尊敬するぜ」
声のした方向にその場にいる僕を含めた全員が顔を向ける。
そこには、場違いな馬鹿笑いを響かせて、こちらに力強い足取りでやってくる着崩した制服姿の男。
鬼のような真っ赤な短髪に、睨み付けた相手を一瞬で精神的に制圧する鷹の如き鋭き目。全身には鎧のようなゴツゴツした筋肉が付いていて、その拳で殴られたら骨折するのは間違いない。
そんな風貌と体軀に加えて、彼の身体から発せられる目に見えない圧倒的な威圧感が強者であることを第六感に伝えてくる。
その人物の名はーーーー。
「鬼神くん!?」
僕の驚いた声が、空き地に響き渡った。
鬼神隆介、その人がそこにいた。
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