騒がしいオバケ

住原葉四

騒がしいオバケ



 ねえ、知ってる? 郡山ごおりやま小七不思議の一つ、『騒がしいオバケ』のその噂。毎日夕方の五時になると誰も居ない図書館で、何処かで本の動く音がするらしいの。誰か人が居るってお姉ちゃんは言っていたけれど、わたしは正真正銘、オバケの仕業だって思ってる。だってそうじゃない? 誰も居ないんだから、オバケしか有り得ないじゃない。でもって何でもかんでも否定するんじゃないわよ。居るかも知れないじゃない、オバケってやつ。そんなに信用していないなら今日確認してみればいいじゃない。え? わたしも? し、しかたがないわねえ。か、確認したらすぐにずらかるわよ。怖がってる? 誰が? え? わたし? そ、そ、そんなわけないじゃない!







 中休み。梓ちゃんが学校の七不思議の話をしているのを中心に、私たちは囲んで話を聞く。私の右が梓ちゃんで、左が莉良りらちゃん、正面に栞菜かんなちゃんが居て、皆口々に「こわーい」と怯えている。正直、私は全く怖くない。


「ね、もちろん皆行くよね?」

「もちろん! オバケなんてそうそう見れるものじゃないしね」

「さすが、莉良。栞菜は?」

「行くよ。私も見てみたいし、オバケ」

「で、あんたは?」


 皆が一斉にこちらを見る。ぎろりと向けられた目は、まるで獲物を狙う猛獣だ。


「い、行くよ。みんなが行くなら」

「何? あんた怖いの? もうすぐ五年生になるっていうのにお子ちゃまね」


 そりゃ、あんな目を向けられたらしどろもどろにもなるよ。


「でも四人だけじゃ物足りなくない?」と栞菜。

「確かに、もう一人は欲しいわね」


 そう言いながら梓ちゃんは辺りを見渡し、暫くして「あっ」と声を上げる。誰か標的を見つけたようだ。


「ねえ、あの維原いばらってやつ誘わない?」

「維原? ああ、あの陰湿なやつ?」と莉良。

「良いんじゃない? いっつも本読んでるからそう言うの詳しそうじゃん」とこの口悪いのが栞菜。

「言花。あんた行ってきなよ」


 突然梓ちゃんに言われ、少し戸惑う。


「え? 私?」

「同じ本仲間として誘ってきなよ。どうも私たち嫌われてるからさ、ね?」


 本好きは関係ないじゃない。


「いや、でも……」

「確認取るだけで良いんだって。何? 梓の言うこと聞けないの?」

「いやそんなんじゃないよ、莉良ちゃん……。ただ……」

「ただ?」


 栞菜がこちらを覗き込んでくる。


「ただ、何?」


 そのドスの効いた声と、私の心を見透かすような大きい目が、私はどうも苦手で断りはするがいつも言いなりになってしまう。私は「わかった、行くよ」と呟き、維原さんの席へ近付く。

 維原さんはずっと本を読んでいる。よく図書館のほうにも行っているようで、先生の話によると体調が悪いだとか家庭の事情だとかで、授業に来ない時もある。正直、維原さんがこの話に乗るとは思わない。身体が弱いのに、無理に連れ出すのは失礼で、……でも私はそれを梓ちゃんたちに伝えられないでいる。気が乗らないな。

 目の前に着いても、維原さんは本を読んだまま。私は肩を叩いて声をかける。


「ねぇ、維原さん。梓ちゃんがね、オバケを見に行くそうなんだけど、維原さんも来ない?」


 当たり障りのない、普通の文。怒りはしないし、乗り気にさせることも出来ない文。維原さんはこちらを見もせず、ただ黙って本を眺めている。長い睫毛に、綺麗な瞳。ハーフではないのにこの美しさは卑怯だと思う。

 返事は待っても来なかった。

 私はもう一度聞いてみる。


「ねえ、維原さん」


 返事はない。

 もう一度。


「ねえ、──」

「あなた、それで疲れないの?」


 私が言い終わる前に維原さんは被せてくる。綺麗な瞳、茶色の虹彩をした目が、静かにこちらを見ていた。けれども何だろう、この違和感は。居心地が良いと言うか、苦しくないと言うか。いや、それより維原さん、何て言った? 疲れない?


「な、何が?」


 記憶に自信がなかったのでどうとでもとれる返しをする。


「疲れないのかって聞いてるの。あの低脳たちと居て、本当に楽しいの?」


 ズバズバ言うだなあ。それより、低脳? 誰が? もしかして梓ちゃんたち?


「ちょっと、それ私たちに言ってるの?」


 後ろの方でガタガタと椅子が鳴る音が聞こえる。梓ちゃんだ。


「そうよ。そうやって人の悪口しか言えないような頭の悪いお子様って言ったのよ」

「はぁ?」


 上靴の音が地面をどんどんと叩く。梓ちゃんが私の体を押し除け、維原さんの前へ立つ。私は喧嘩が始まるのではないか、と少し頭の中で思ってしまった。床から見る梓ちゃんは身体が大きい。こんなに大きく見えるのなら、維原さんからも大きく見えているはずだ。だが維原さんは何もなかったかのような顔で、しかも梓ちゃんさえ見えていなかった。綺麗な茶色の虹彩は、静かに本を捉えている。


「ねえ、こっち向きなさいよ」


 真ん中に立つ梓ちゃんが言う。


「何? 無視するの? わたしたちの声が聞こえない?」


 その左に立つ栞菜ちゃんが言う。


「ちょっと、何とか言いなさいよ」


 梓ちゃんの右に立つ莉良が言う。


 周りの空気が重たく、先程まで談笑が続いていた教室内の皆の視線は、この四人に集まっているのが私でもわかった。こんな空気、私だったら無理と考えながらも、維原さんの視線は、相も変わらず本にあった。


「ねえ、ちょっと聞いてるの?」


 と梓ちゃんが分かりやすく声を荒げた。


「ここで聞いてないって言ったら、あなたはどうする?」


 静かに発した声はあまりにも音がなく、一瞬誰の声かわからなかったが、すぐに維原さんのものと分かる声だった。


「どうって……それは」

「なぜあなたが答えられないの? どうして聞いてるの、と問いたあなたがしどろもどろになるの? 教えてあげましょうか? それはあなたが今まで声を荒げることで人が動くと確信しているからよ。声を大きく出せば、何でもかんでも上手く行くと教わったのでしょうね。きっと小さい頃はおもちゃ売り場で駄々を捏ねれば好きなおもちゃでも買ってくれた、そういう甘い家庭に育ったのでしょうね」


 維原さんの冷酷な言葉に、梓ちゃんは顔を歪める。


「よかったわね、そういう環境に生まれて、そういう生き方しかできないあなたが、私は可哀想で可哀想で仕方がないわ」

「あんたね──!」


 梓ちゃんは維原さんの本を弾き飛ばし、胸ぐらを掴む。黄色を基調とした服の襟元が捩れて、椅子や机が大きく音を上げ、周りから悲鳴まで聞こえる。教室を出ていくものもいるようで、ドアの開閉音が鳴り響く。


「黙って聞いてれば私の悪口? あなたも人のこと言えないじゃない」

「あら? 私はあなたの悪口なんか言ってないわ。あなたをそこまで低脳にさせた親に言ったのよ。そしてあなたを哀れんだわ。可哀想な人ね」

「ママは今関係ないでしょ⁉︎」

「関係あるわ。あなたがこのまま大人になれば、いずれ警察のお世話になるでしょうね。そうすれば牢屋に入れられて、数年は出てこれないわ。そしてきっとあなたはこう言うでしょう。『ママ! パパ! 助けて!』って泣き喚くんだわ。私はそうならないように、教えてあげたのよ。むしろ感謝してほしいわ。良い加減この掴んでいる手を離して頂戴」


 梓ちゃんの手が上がり、それはまるで維原さんを叩くかのような構えだった。維原さんの目線はその手にあり、何も言わずにただそれを見ている。私は止めようと動き出そうとしたが、足に力が入らず、気が付けば梓ちゃんの手は勢いを増していき──


「ちょっとあなたたち! 何やってるの⁉︎ やめなさい! 今すぐその手を離しさい‼︎」


 維原さんを殴ろうとした寸前、誰かが先生を読んだのだろう、野田先生が教室に入ってきて、維原さんは殴られずに済んだ。だが、梓ちゃんは大声を上げて泣き喚いた。先生が宥めようとするも一向に泣き止まない。


「何があったんです? どうしたの?」


 梓ちゃんは泣きながら、指を動かし、とあるところで止めた。その指先には維原さんが立っている。


「せんせえ、いばらさんが、いばらさんがあ」

「維原さん、付いてきてください」

「はい」と小さく呟いた維原さんは、静かに歩を進めた。待って、待って、先生! 維原さんは何も悪くない。そう言おうと思っても声が出なかった。維原さんは私の側を通り過ぎ、梓ちゃんを宥める先生とともに消えていった。



 私は何も出来なかった。何も言えなかった。一番近くで、一番状況が分かっているのに、何も言えなかった。そんな自分が憎たらしかった。そんな自分に腹が立った。そんな自分を叱って欲しかった。誰に? 誰にでも構わない。誰でも良いから怒って欲しい。けれどもこの感情の矛先をどこへ向ければ良いか、それすらも分からない。私は未熟で、子供だと言うことを、思い知らされる。

 維原さんと梓ちゃんは、昼休みになっても戻って来ず、掃除の時間すらも来なかった。莉良と栞菜に何か言われるかと身構えた私だったが、そんな心配は無用で、彼女たちは私に何も言って来ず、放課後になって急いで教室を出て行った。きっと梓ちゃんに会いに行って慰めに行くのだろう。「梓は悪くないよ。悪いのは維原さんだよ」って。おおよそこんな感じ。

 維原さんの言い草も、あながち間違いではなかった。でもそれは、きっと維原さんも同じことだと思う。維原さんはそれを分かっているから、梓ちゃんに言ったのだろう。私も、維原さんも、梓ちゃんも、皆そう。私たちは子供。それは拭えない事実だ。

 だから去り際であんなことを言ったのだ。維原さんが私だけに残したメッセージ。先生に連れられる直前、私と維原さんがすれ違ったとき、耳元で維原さんが囁いた言葉。


「あなたは私と一緒。放課後、図書室へ来て」







 図書室は音楽室よりずっと先に行ったところにあって、大きな窓からは運動場の様子がよく見える。維原さんがここを好むのも分かる気がする。教室のじめじめした感じとは違って、ここはまた違う空気を持っている。中を見渡しても維原さんは見当たらなかった。だが維原さんの匂いがする。絶対にここにいる。


「維原さーん?」


 無駄に歩き回るのは疲れるので、声に出して呼んでみる。すると奥の方から声が返ってきた。


「こっちよ。早かったわね」


 声の方へ歩きながら、答える。


「そうでもないよ。教室で残る理由もないし」


 本棚の隅の方で、維原さんがちょこんと座っている。私も隣に座る。


「あら? いつもはあのうるさい女王蜂さんと談笑してたじゃない」

「今日は主人が居なかったから。っていうか維原さん結構毒舌だね」

「あなたに言われたくないわ。今日初めて話したけども、あなたがここまで毒舌だとは思わなかったわ。その毒舌を、彼女たちにぶつければ良いのに」

「無理だよ、維原さんの前だけだもの。こうやって喋れるのは、維原さんだけだから」


 いつもは梓ちゃんたちの空気に負けて、思うように発言が出来ない。それに比べて、今は気が楽だ。空気が軽い。のびのびしていられる。


「奇遇ね。私もあそこまで言えるとは思わなかったわ」


 それには少し驚いた。


「維原さんが? あんなに勇敢だったのに?」

「それが私にも分からないの。何故自分があそこまで饒舌に言えたか。先生の前だと、頭で思っているだけで口には出せないし」


 私と一緒だ。


「私も、そう。思っているだけで口には言えない」


 維原さんが胸ぐらをつかまされ、挙句、罪を擦り付けられたことを再度思い出す。


「ごめんなさい、維原さん。私が一番状況が分かってるのに、私が口下手なせいで、うまく喋れなくて……」

「済んだことはいいわ」

「でも!」

「あなたもしつこいわね。どうして罪を償いたがるの? 罰は受けないほうが良いじゃない」

「それは、そうなんだけど……でも罪って、償える時に償わないと、後々後悔するから……。あとでこうすればよかったって嘆いても、意味がないから、償える時に償って、心残りがないようにしたいの」

「……それが、お母さんとの約束?」


 維原さんの目がこちらをみていた。


「どうして……」

「言ったでしょう? あなたと私は同じって。おそらく優秀なお母様なのでしょうね。私もこっぴどく叱られる時もあったけれど、全部身のためになってる。あなたもそうなんじゃない?」


 私も、厳しい母ではあるが、それは全部正論だ。私を守るためにある。


「確かに。そう。全部私を守ってくれてる」


 でも、


「でも、何で分かるの? 私と維原さんが同じって、私は思わない」


 維原さんは手を顎に当てながら、「うーん」と唸る。数秒経った後、「あ」と

声を出して私を見た。


「あなた、私と一番最初に話した時、どう感じた?」


 どう? どう、とは。


「そのまんまの意味よ」


 一番最初に話したのは、四時間前ぐらいで、私が何度も維原さんを呼んでいる時に、「疲れないの?」と聞いてきた時、確かに、あの時は不思議な心持ちだった。


「い、」


 唾を呑む。


「居心地が、よかった」


 そう言うと、維原さんはにこっと笑った。


「ねえ、不思議じゃない? たった四時間前に初めて喋って、未だ名前すらも知らない関係なのに、居心地が良いだなんて面白くない?」


 本当だ、私、維原さんの名前、知らない。


「でもこうやって、名前を知らなくても喋れてる。こうして自分の価値観を話し合える。おかしいわよね。本来ならここまで話せる人間、家族以外居ないもの」


 維原さんの口調が、無邪気になっている。


「私、あなたと同じって言ったけど、ちょっと訂正させて。わたしとあなたは同じじゃない」

「じゃあ、何? 同じじゃなかったら、この心地よさの正体って何?」


 突然、維原さんが立ち上がる。数歩前へ歩き、くるっと回転する。綺麗な黒髪が、煌めいている。


「相性が良いんだよ。私とあなたは、とびきりのパートナー」


 相性が、良い。

 私と、維原さんは、パートナー。


「悪くないでしょ?」


 そうやって笑いかけてくるから、私も笑い返す。


「悪くない」


 全く、悪いなんてことはない。この居心地の良さは、相性が良いから。何でも言い合えるのは、相性が良いから。心地い良いのは、相性が良いから。なるほど、全て説明がつく。

 でも別に、この居場所に名前なんて、無くても良いなんてことも思いついてしまったけれども、それは言わないでおく。きっと相性の良い桂花けいかなら、察してくれるだろう。







「ねえ、言花ことか。一つ最後に仕掛けない?」


「仕掛け?」


「あの女王蜂梓ちゃんに仕返し。あの子、オカルト好きなの?」


「梓ちゃん、結構オカルト好きだよ。今日の中休みも、郡山小七不思議その一、赤色に光る音楽室の肖像の目とかで盛り上がっていたから」


「その七不思議に、一つ、不思議を加えようよ」


「どういうこと?」


「あの子たちが、一生図書館に入らないようにするの。そうすればこの場所は私と言花だけのもの」


「面白いけど先生に怒られない? 大丈夫?」


「原因は幽霊だよ? 何でもありなんだから」


「まあ、一理あるか……」


「そうでしょ?」


「で、具体的に何をやるの?」


「夕方になるとこの図書室から本の動く音がすると言う噂を流すの。そうね、何人かのグループを引き連れて、実際に見させれば良いわ。私が本を動かすから、言花はそのグループにいて大丈夫よ」


「流石にバレない?」


「安心して、私、案外背が低いの。言花だって、ここに入ってきた時、私を見つけられなかったでしょ? 大丈夫行ける行ける」


「そこまでいうなら……」


「決まりね。題して、『騒がしいオバケ』! ちょっと子供っぽくね」

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騒がしいオバケ 住原葉四 @Mksi_aoi

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