十一 夜魔(2)

 その部屋には、なぜかこども用の小さなベッドや机が置かれ、窓には白いレースのカーテンがかかっている……あの日、俺達が庭から見上げた窓の部屋――ひなたの部屋である。


「あの時から、ずっとこのままにしてあるんだ。岡谷君にもここだけは手をつけないでくれとお願いしてね」


 唖然と入口で立ち尽くす俺に、彼女の父親がそう説明をする。


 外から見上げただけで来たことはないので、見憶えもないし懐かしさも感じないが、それでも、まさか自分の寝泊まりしていた部屋のすぐとなりに、あの頃のままのひなたの部屋が存在していたなんて……。


「どうだね? カワイイだろう? 今も生きていたなら、君らと同じで二十歳はたちになる。きっと雪のように白い肌の、美しい娘になっていただろうねえ」


 遠い日を懐かしむような眼差しでそう語りながら、父親は机の上にあった写真立てを手に取ってこちらへ差し出す。


「…………ひなた…」


 突っ立ったままだった俺がおそるおそる近づいて覗き込むと、そこには若い日の両親に左右を挟まれ、愛犬のハスキーを重そうに抱えながら、屈託のない笑顔を浮かべるひなたが写っていた。場所はおそらく、現在、食堂となっているあの一階の部屋だ。


「どうやら娘の顔を憶えていたみたいね……これも憶えてるかしら? ひなたがあの日に身につけていたものよ」


 また、母親の方はクローゼットの扉を開き、中から白いノースリーブのこども用ワンピースと、大人用のつば広な麦わら帽子を取り出して見せる。


 それは確かにあの日に見た……そして、ここのところ、毎日一回は必ず見ているものだ。


 彼女の顔も、一日と空かずに見かけているのだから、憶えているのも当然である。


 ……ん? 二人はひなたの霊を見たことがないのか?


 だが、彼女の口ぶりに俺は一つの疑問を感じた。


 今の台詞は、俺が10年前から一度もひなたの姿を見たことがないという前提でのものだった……。


 もしも、ひなたの霊を二人も見ていたとすれば、俺だってそうかもしれないと考えるのが普通じゃないのか? しかも、世間じゃ「シラコ――つまり、ひなたの霊を見た」としきりにウワサされているというのに……親なのに、二人の前には姿を現さないのか?


 だとすれば、両親がこの村へ戻って来たから現れたいう先生の説も……。


「あの子を思い出すんでずっと見れなかったんだがね。2年前にこのペンションをオープンすることになった際、足の遠のいていた私達も8年ぶりにここを訪れ、この部屋の扉を久々に開けてみたんだ。すると不思議なことに、村のこども達の間で〝真っ白い肌の少女〟の幽霊を見たというウワサが立ち始めたじゃないか」


 二人の態度に違和感を覚える俺だったが、その疑問には訊くよりも先に、父親の方から答えてくれた。


「私達はよろこんだよ。たとえ幽霊であっても、もう一度、娘に会えるんだってね……だが、もう2年にもなるが、一度もわたし達の前には姿を現してはくれない。なぜ、私達には会いに来てくれないんだ? 何か私達に怒っていることでもあるんじゃないか? 妻と二人、そのことをずっと考えながらこの村で夏を過ごしていたよ」


「そんな時に出会ったのよ。あの飯田真人という青年と」


 真人……!?


 父親の言葉を継ぎ、今度は母親の方が静かに口を挟む。


「あれは喫茶おもひでで食事をした後、なんとなくひなたの姿とかぶらせながら、となりの駄菓子屋に来ていたこども達を見ている時のことだったわ。偶然、彼がシラコのウワサをこども達と話しているのが聞えてきたの。もしかしたら何か新しいひなたの情報が聞けるかもしれないって、わたし達は耳をそばだてたわ。でも、そうしたら彼は意外なことを口にし始めたの……シラコはアルビノじゃない、〝日光アレルギーで死んだんだ〟って」


「私達は驚いたよ。もちろん間違っているんだが、ウワサじゃひなた――シラコはアルビノってことになっていたからね。なぜ、他人が知るはずもない本当のことを彼は知っているのか? もしかしたら、彼はひなたの死に何か関わりがあるんじゃないか? もともと、あの日のひなたの行動には得心のいかないところがあったからね。気がつくと、私達は彼に声をかけていたよ」


 再び父親が母親に替わり、その日の出来事の続きを語る。


「私達が素性を明かすと、彼は真っ青い顔になって驚いてたよ。やはり、彼は何かを知っている……そこで、その夜にここへ来るように言って問い詰めると、あっさりすべてを白状してくれた。そりゃあ、ショックだったよ。あの子はやっぱり、自分から昼日中に外へ出て行くような愚かなことをする子じゃなかった……他の子にそそのかされたんだってね」


 ……それが、こども達のウワサ話に真人がツッコミを入れ、その後、知らない大人達に話しかけられていたって時のことか……そこで、この二人は俺達のことを初めて知ったんだ……そして、真人は……。


「……だから、真人を殺したんですか?」


 おそらく、今回の一件の契機となったその出来事の話に、俺は物怖じせず、ストレートな物言いで尋ねてみる。


「いや、最初はただただショックで、どう受け止めればいいものか、感情が追いつかなかった。だから、許しを乞う彼に一つ頼みごとをしたんだ。その、ひなたと君達が遊んだ花畑に私達も行ってみたいとね」


 そうか……それで真人は夜にも関わらず、あんな所へ行ったのか……。


「まあ、昼と夜との違いはあるだろうが、確かに気持ちの良い、こどもにとってはいい遊び場だったよ。病気のことなど忘れて、さぞかしあの子も楽しく遊んだんだろうなと思った……だが、そう思うと、不意に怒りが込み上げてきた。これほど遊びに夢中になる場所へなんか連れて来なければ、あの子はもっと早く自分の体調の異変に気づき、けして死ぬようなことはなかったのに…と」


「だから、わたし達は彼に尋ねたの。あなた達の中で、ひなたを遊びに誘おうなんて言い出した張本人は誰かってね」


 ……!


 再び口を挟んだ母親の言葉に、俺は密かに強い衝撃を受ける。


 ……それは、俺だ……外へ遊びに連れ出したのも、山の上のお花畑に誘ったのも、鬼ごっこをしようなんて提案したのも……真人でも他の誰でもない……全部、俺が言い出しっぺなんだ……。


「厳しく問い質したが、友達を庇っているのか頑なに教えようとはしなかった。その態度に苛立ち、思わず私が手を出しそうになると、彼は不意に走って逃げだしたんだ。だが、足下もよく見えない暗い夜のこと。慌てた彼は崖から足を踏み外し、あのような最期を迎えたというわけだよ。我々も驚いて上から懐中電灯で照らしてみたが、落ちた際に頭をやられていて、素人目にも事切れてることは容易にわかった」


 ……それじゃ、真人は俺を庇って死んだってことなのか? ……あのバカ、俺のことなんかさっさと吐いていれば、こんな死ぬことなんてなかったのに……。


 父親の語ったその新事実に俺の罪状はさらに増し、その罪悪感の重みにますます責め苛まれる。


「だが、彼の場合は予期せぬアクシデントだったからね。そのまま山中に放置するのもかわいそうだと思い、ペンションの宣伝用の写真に花畑を撮ることを岡谷君に勧めて、第一発見者になってもらった」


 ……なにが、かわいそうだからだ……自分達が真人をそんな目に遭わせたってのに……。


「それじゃ、あいつの葬儀に行ったのも、その罪滅ぼしのためですか?」


 罪悪感とともに、身勝手な彼らへの怒りもふつふつと湧いてきて、俺は嫌味を込めて尋ねてみる。


「罪滅ぼし? いや、誤解をしてもらっては困るな。確かに彼の死は想定外の出来事だったが、別に君らを許したわけじゃない。葬儀の場に行ったのは、そうすれば君ら友人達の顔を直に見知ることができると思ったからだよ。飯田君からは誰が誘ったのか聞き出せなかったからね。わかるまでは一人一人当たっていくつもりだった」


 だが、俺の予想に反し、ひなたの父親は贖罪の念を示すどころか、さらに無慈悲で残忍なことを口にし始める。


「その目論見は計画通りうまくいったが、夕方、君がここへ現れた時にはびっくりしたよ。まさか、このペンションの宿泊客だったとはね」


「それなら……それなら、どうして俺を最初に狙わなかったんだ!? こんな近くにいたのに……俺じゃなくて、なんで、先にあずさを……」


 そのふざけた計画に従ったとしてもおかしく思えるその矛盾に、俺はさらにまた理不尽さを覚えて父親を問い質す。


「普通なら当然そうしただろう。だが、君はこの洋館を見ても、まるで記憶にないような素振りだった。いや、そもそも娘の死に関わっていたならば、その娘のいた別荘にわざわざ泊まろうだなんて考えないだろう? だから、君だけは関わりのない友人なのかと思ったんだ」


 ……そうか……俺はあの時まで、記憶を取り戻していなかったんだ……。


 不運とも、幸運ともいえるその偶然に、俺はなんだか運命というものを感じて不思議な気分になる。


「それに君が来るよりも先に、あの好奇心溢れる松本あずさ女史が、シラコのウワサを頼りにここまでたどり着いたんだ。ま、岡谷君達は約束通り知らないふりをしてくれたがね。二人が別荘を借りているだけと知った彼女は、本当の持ち主であり、ひなたの親でもある私達に接触を求めてきた。そこで、岡谷君からその話を聞いた私達は、書き残していった番号に電話し、今夜なら会えると呼び出して、あの森の遊歩道に誘ったんだ。飯田君と同じことを訊くためにね」


 ……あの野帳のメモは、そういう意味だったんだな……あずさのやつ、一人でそんなとこまでたどりついていたのか……さすがだよ、おまえ……それが逆に命取りになっちまったんだけどな……。


「でも、彼女も飯田真人と同じだったわ。ひなたを誘った張本人を明かさないばかりか、あれは不幸な事故だった、誰も悪くないなんてことまで言い出したの。だからわたし、思わず掴みかかりそうになっちゃったの。そうしたら、逃げようとした彼女はつまずいて転び、切り株に頭を打ってやっぱり彼と同じ運命に……それでね、気づいたの。これはひなたの望んでることなんだって。わたし達の前に現れてくれないのは、今まで復讐しなかったわたし達のことを怒っているからなんだって」


 今は亡きあずさの才気とそれゆえの不運に想いを馳せる俺だったが、ひなたの母親は焦点の合わない眼で遠くを見つめ、なんとも狂気じみたことを言い始める。


「そ、そんなバカな……それじゃ、幸信は初めから殺す気だったのか!? だから、首を吊るような残忍な目に……」


「いや、あれは尋問のためだ。前の二回では逃げられて失敗しているからね。それでも張本人を吐けば、許そうという気はまだあったんだよ。三人目が彼になったのも、あずさ女史と同じ理由だよ。ちょうど私達がいる時にここを尋ねて来たからね、今度は岡谷君に言って、私達が直接対応した。真相を話すと部屋でのお茶に誘い、常用してる睡眠薬を盛って彼を眠らせた。それから、岡谷君達には具合が悪くなったみたいだから送っていくと嘘の説明をして、車に乗せて小学校の倉庫に運んだんだ。ほら、君らと会ったあの時だよ」


「じゃ、じゃあ、あの時、あの車の中にはユキが……」


 ……なんてことだ……あの時気づいてさえいれば、幸信を救えたかもしれないというのに……。


「さすがに二人も死者の出たとこじゃ目立つからね。夏休みだし、事前にあそこなら人目につかないだろうと目星をつけておいたんだ。で、夜まで待って手足を縛り、少しでも逃げようとしたら踏み台のバランスを崩して首を吊るよう縄の輪をかけた。だが、彼も同じだった。誰も悪くない、あれは事故だの一点張り。しまいには殺せなどというから、お望み通りに首を吊ってやった」


「そんな……」


 ……幸信も、俺を庇って死んだっていうのか……俺が誘ったって答えてさえいれば、あんな惨い死に方しないですんだってのに……あの日は、俺と口喧嘩した後だったっていうのに……。


「次の中野美鈴は逃げようとしたからよ。まあ、いずれ順番は回って来たでしょうけど、逃げようとしたことがかえって寿命を縮めたわね」


 こちらが訊くよりも前に、狂気溢れる眼をした母親がまた残忍な言い方で美鈴の場合も説明する。


「……そうか。俺と一緒におもひでに行ったのも、その後、学校へ俺達を車で送ったのも、みんな、俺達の行動を監視するためだったんだな……」


 話を聞く内にピンときた俺は、譫言のようにしてその推理を確認する。


「その通り。君らが集まってくれたのは渡りに船だったよ。じつは小学校に送って行った後も、こっそり近くに車を停めて監視させてもらっていた。そうしたら、中野さんが村を出るようなことを大声で喚き散らしながら帰って行くじゃないか。そこで、尾行して彼女の家を見張っていると、案の定、大きなキャリーバッグを持った彼女が出て来てバス停のある広場の方へと歩いて行く。だから、橋まで追いかけて前の三人と同じように尋ねたんだよ。ま、彼女もやはり答えようとせず、許してくれるならなんでもするというので、しょうがない、下の川に落ちてもらったがね」


 ……美鈴まで……あいつは、死にたくないからって逃げようとしたのに……それなのに、あいつまで俺を庇ってくれたっていうのか……。


「……ホタルも、答えなかったから殺したのか?」


 俺は怒りと絶望を込めた瞳で死神のような二人を見つめ、最後の一人、ほたるについても尋ねる。


「それもあるが、彼女は私達の正体と、すべては私達の手によるものであることに気づいていた。あのまま帰しては君と一緒に取り逃がす可能性もあったのでね。人気のない湖畔で尋問した後、水の中に沈めさせてもらったよ……さて、そんなわけで残るは君だけだ」


 簡潔に説明した後、不意に父親は眼に殺気を宿すと、まるで裁判官のようにして俺にも皆と同じことを問う。


「君がひなたを外へ誘い出した張本人、あの子を死に追いやった犯人だね?」


「…………ああ、そうだよ……俺だよ……俺が誘ったんだ! 俺だけが殺されればよかったんだよ! それなのに……なんで……なんでみんなまで……」


 俺は、怒りや絶望、後悔や罪悪感など、様々な感情に責め苛まれながら、その質問に対して震える声で正直に答えた。

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