五 喪離(2)

「――こんな所でマトンは命を落としたのか……」


 森を後にした俺達が向かったのは、くだんのペンションの裏にある、真人が転落して命を落とした小山だった。


 もちろん、あずさ同様、彼の亡くなった場所にも花を手向けるためだ。


 当然、ペンションの脇の道を通ったので〝オーナー〟のことも気になったが、今はそれよりもまず、不幸にも命を落とした旧友の霊を弔うことにしよう。


「実際来てみると、やっぱりなんでこんなとこでって思うよな……」


 しかし、朧げに残るこどもの頃の記憶通り、その山と呼ぶよりはと呼ぶのがふさわしいくらいの丘陵地は、とても転落死する者が出るような場所には思えなかった。


 木漏れ日に照らされた、樹々の間に空いたトンネルのような小道を少し登ると、広く平らな頂上部分へと到る。


 そこには高くても腰ぐらいまでしかない草花が咲き乱れ、小山の上はまるで天然のお花畑のような様相を呈していた。


 そうだ……俺達はここで、よく鬼ごっこをして走り回ってたんだ……。


 昔と変わらぬその情景に、その景色の中を俺に追われて走り回る、こどもだった頃の真人やあずさ、幸信、美鈴、ほたるらみんなの姿を思い浮かべる。


「…………!?」


 だがその時、不意に俺の脳裏に奇妙なものが映り込んだ。


 鬼の俺から逃げるみんなの中に、あの、白いワンピースに麦わら帽子の少女の姿もあったのだ。


 激しく上下する俺の視界の前には、野花を掻き分けて走る彼女の白い背中が見える……。


 いや、そんなバカな! どうして俺の記憶の中にあの少女が――シラコがいるんだ!?


 そんなことはありえない! きっと、今朝のことで俺の記憶が混乱しているんだ! そうだ。そうとしか考えられない……。


 ……だが、なんだろう? このひどく懐かしく思える感覚は?


 ……そういえば、今朝の少女を追いかけている時もそうだった……どうして俺はあの少女に、こんなにも懐かしさを感じるんだ……。


「――ねえ! ねえってば! いったいどうしたの!?」


「……え?」


 またも奇妙な既視感デジャヴュを感じていた俺は、騒がしい美鈴の声で現実に引き戻された。


「なに、ぼうっと突っ立ってんの? あっ! もしかして、またシラコを見ちゃったとか!?」


「い、いや、なんでもない……ただ、懐かしいなと思ってただけだ……」


 小賢しくもそう勘繰ってくる美鈴に、俺はあながち嘘でもない言葉で答えを返す。


「さ、早くマトンに花を供えに行こう……」


 そして、それ以上突っ込まれる前にと止まっていた足を前に出し、訝しげに俺の顔を覗き込む彼女を押し退けて先行するほたるの後を追った。


「ここか……まあ、危ないといえば危ないな……」


 真人が落ちたという小山の奥側は、岩肌剥き出しなそれなりの急斜面になっており、その谷の底は落石した岩がゴロゴロした荒地の状況を呈している……山の表側ではまったくそんな印象受けなかったが、これならば真っ暗な夜に誤って転落死することだってあるかもしれない。


この状況で、何かに追われて必死に逃げようとしていたのならば……。


 何かに追われる……やはり、真人はシラコから逃れようとしていたのだろうか?


「マトンくん、納骨がすんだらまたお墓の方にもお参りにいくね……」


 その崖の底に今しがた積んだ野花の束を投げ込み、そう言ってほたるが今度も真っ先に手を合わす。


 俺と美鈴もそれに続いて合掌し、あずさともども彼の冥福を心より願った。


「――もう! まだユキのやつ電話出ないよ!」


 その後、山を下りながら再び幸信に電話する美鈴だったが、またも繋がらなかったらしくブーブー文句を垂れている。


「まあまあ、やっぱりシラコちゃんについて調べるのに忙しいんだよぉ。何かわかったら連絡するって言ってたし、その内、繋がるよぉ」


 それを今回も間延びした口調でほたるがなだめる内に、黄金色をした木漏れ日に輝く樹々のトンネルを潜り抜け、俺達はペンションの脇を通る小道に戻って来た。


 三叉路になっているこの小道をペンションと逆方向へ進めば、あずさを発見したあの森の遊歩道に繋がる……すっかり忘れてしまっていたが、どうやらこの湖畔一帯はこどもの頃によく遊び場としていた、俺達にとってはとても馴染みの深い場所であるらしい……。


 そして、なぜかあの少女――シラコとも…………。


「わあ! 久しぶりに見たけど綺麗だねえ、夕方の湖」


 今朝、湖畔に立っていた少女の姿や先程の既視感デジャヴュを思い浮かべていると、傾いた日にキラキラと輝く湖面の小波さざなみを眺めながら、ほたるが感嘆の声を上げた。


「ほんとだね。これだけは都会じゃ味わえない景色かも……」


 高山を屏風の如く背後に背負い、薄紫色の空の下で金色に輝く雄大な水たまり……その自然が作り出した絶景に、東京かぶれした美鈴も都会人ぶって感動の言葉を漏らしている。


 朝からあんなことがあったし、その後、事情聴取を受けたりなんやかんやしている内に、時刻はもう夕暮れの頃合いである。


 そういえば、今日は朝飯ばかりか昼も食べていなかった。不意にそれを思い出すとなんだか腹も空いてくる。


「せっかく近くまで来たことだし、おまえらも一緒にお茶でも飲んでくか? オーナーにも会ってみたいだろ?」


 別に自分の家じゃないんだが、俺は背後に建つ白い洋館を親指で指し示すと、二人にも寄っていくように誘った。


 あのペンションでは細々とではあるが、宿泊客向けに喫茶店業も営んでいる。トーストかケーキか、何か軽食でももらおうと思ったのだ。


 それに二人にしても、あずさの野帳にあった「オーナー」という文字が気になっていることだろう。


「う、うん。そうだね……それじゃあ、お言葉に甘えて……」


「ちょっと緊張するけどぉ……いろいろ廻って足疲れたし、そんじゃお茶してくか」


 突然にもくだんの〝オーナーに会う〟ということで抵抗を覚えたのか? 若干躊躇いを見せるほたると美鈴だったがすぐに首を縦に振り、俺達は踵を返すとペンションに足を向けた。


「……あれ? もうお帰りですかぁ~!?」


だが、途中その足を止め、俺は振り返ると大声を張り上げる。


 正面玄関を入ろうとした際、建物裏の駐車場から白い中型ハイブリッド車の発進するのに出くわしたのだ。運転席と助手席にはあの真人の知り合いだという初老の夫婦が乗っている。


「いや、もうしばらくこっちにいるよ。今からちょっと、外で夕食がてら夜のドライブにでも行こうと思ってね」


 知らぬ仲じゃなし、今日帰ってしまうのなら一言挨拶しないといけないなと思い呼び止めたのであるが、パワーウィンドウを下ろすと旦那さんの方が優しげな笑顔を湛えながらそう答える。


となりを見れば、やはり奥さんも相変わらずの上品そうな笑顔だ。


「ああ、そうだったんですね。それじゃ、お気をつけて」


 言葉を返す俺に手を挙げて窓を閉めると、ハイブリッド車は音もなく静かに湖畔沿いの道を走り去って行く。


「今のって、お葬式の時会った人達だよね?」


 遠ざかる車を見送る俺に、背後の美鈴が尋ねた。


「あのご夫婦もここに泊まってたんだぁ」


 ほたるも若干の驚きを込めた声で、意外だったというように呟いている。


「そうか。そういやおまえらは知らなかったな」


 今朝の絡みで俺がここに泊まっていることは当然伝えたが、それどころではなかったのであの夫婦の話まではしていなかった。俺ばかりか二人までここの宿泊客だったことは、確かに小さな驚きではあっただろう。


「なんか、やっぱりみんな、ここに集まってるね……」


 誰に言うとでもなく、ほたるがポツリとそう呟いた。


 みんな集まってる? ……そう言われてみれば、確かにそうだ。


 真人やあずさの亡くなった場所もこの付近だし、真人に関係のあった俺やあの夫婦の泊まっているのもここにあるこのペンションだ。


 それに、あずさの書き残した「オーナー」というのが、この宿の主人のことだったとしたら……過去の俺達だけじゃない。今回の一件に……〝シラコ〟に関わるものは、なぜかこの湖畔の一帯に集まっているのだ!


 なぜだ? なぜ、ここに集まってる? ……いや、そういえば今、ほたるは「やっぱり」と言ったな。どうして「やっぱり」なんだ?


「おい、なんでおまえ、そう思っ…」


「ううん! なんでもない! なんでもない! うちの思いすごしだから気にしないで! さ、それよりも早く行こう! どんなケーキがあるのかなあ~?」


 だが、俺がそれを問い質すよりも早く、ほたるは首をブルブル振ってはぐらかすと、わざとらしくテンションを上げて真っ先にペンションへ入って行ってしまう。


「さ、あたし達も行こ!」


「お、おい、押すなよ! 押すなよ!」


 むしろ逆効果にも大いに気にしてしまう俺の背を押して、美鈴も早く入るよう俺を促す。


 どうにも得心がいかず、ほたるの思わず呟いた一言に不可解な疑念は残ってはいたが、やむなくそのまま食堂兼喫茶店になっているフロアへ進むと、より重要な〝本題〟のために、そんなこともいつの間にか忘れていった――。

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