三 途死伝説(3)

 そして、夕刻……。


「――おい、おまえが泊まるペンションって、まさか、ここなのか……」


 予約していた湖畔のペンションにも幸信に甘えて車で送ってもらったのであるが、その傾いたオレンジ色の日に染まるコロニアル建築の瀟洒で趣ある白い木造洋館を一目見た瞬間、幸信が驚いたように目を見開き、なぜか上ずった声でそう尋ねた。


「まさかも何も、地図からしてここで間違いないと思うけど……なんだ? 誰か知りあいがやってるのか?」


 その問いに、俺はそんな平凡で他愛のない理由で彼が驚いたのかと思い込み、気楽な調子で訊き返したのであったが……。


「おまえ、やっぱり……い、いや、どうしておまえ、ここを選んだんだ?」


 幸信は何か言いかけたが、首をフルフルと横に振ると、妙に真剣な表情で再び尋ねてくる。


「え? どうしてって……そう改めて訊かれると困るけど、旅行サイトでこの村の宿泊施設いくつか見た中で、この建物が一番気に入ったんだ。なんか、真っ白な洋館なんてステキだろ? ホームページ見たら、前は別荘として使われてたみたいなこと書いてあったけど……」


「それじゃ、偶然だって言うのか!? なんて偶然だ……いや、必然なのか……忘れていても無意識に残る記憶がそうさせたってことなのか……」


 別になんとなく決めただけだったので、特にこれと言ってあるわけでもない理由を無理矢理捻り出しながら答える俺だったが、幸信は唖然とした顔でペンションの建物を見つめたまま、ぶつくさ何かを言っている。


「おい、いったいなんだっていうんだよ? 俺がここに泊まると何か問題でもあるっていうのか?」


「……シュウ、落ち着いてよく聞けよ……ここはな、俺達がこどもの頃、し…」


 その明らかに動揺している態度に俺が詰め寄ると、大きく見開いた瞳を小刻みに震わせながら、信幸は意を決したかのように再び何かを言おうとしたのだったが……。


「あら!? 二人ともどうしてここにいるの!?」


 不意に聞き覚えのある女性の声が、幸信の言葉を遮った。


「…っ!? ……アズ、なんでここに……」


 声のしたペンションの方へ再び目を向けると、その入り口には驚いたことに、まったくの予想外にもあずさが立っていた。


 一旦家に帰って着替えたのだろう。先程の喪服姿ではなく、青い半袖ブラウスにインディゴブルーのロングスカートを履いている。


夕刻の柔らかな木漏れ日を浴びながら洋館の前に立つその姿は、凛として知的な彼女のイメージにぴったりだ。


「もちろん、わたしはシラコの調査でだけど、あなたたちこそどうしてここへ来たの? もしかして、あなた達も調べてみる気になった?」


 こちら同様、目をパチクリさせながら歩み寄って来たあずさは、交互に俺達を見つめながら改めて尋ねる。


 つまり、俺が幸信の家でお茶飲んでる間もシラコのことを調べて回っていた彼女は、その末にここへとたどり着いたということか……でも、それならどうしてここへ来る必要がある? ここも何かシラコと関係あるというのか?


「い、いや、今日泊まるペンション、ここだから……」


 話を聞いてもますます謎が深まるだけだったが、先に訊かれたので俺は首を横に振ると、単純明快なその理由を短く答える。


「…!? ………へぇ~そうだったんだあ……神さまの悪戯なのか、それとも、もっと違う何者・・かの仕業なのかしらね……」


 すると、一瞬、驚いた顔を覗かせた後、彼女は愉快そうに口元を歪めると、なんだか意味深な言葉をもったいぶった口調で呟く。


「どういう意味だ?」


「どうやら忘れてるようだけど、ここがどういう場所なのか教えてあげましょうか?」


「おい! やめろっ!」


 眉間を歪め、睨むようにして問い質す俺に、答えようとしたあずさを幸信が大声で嗜める。


「このペンションの裏手の山ってのが、例のマトンの転落死した現場なのよ」


 だが、あずさは口を閉ざすことなく、そんな衝撃的な事実を躊躇いもなくさらっと言い放った。


「ええっ!? あの山が……そうなのか!?」


「ええ。それに、ほんとに憶えてないようだけど、こどもの頃、わたし達がよく遊んでた場所でもあるわ」


 当然、思わず驚きの声を上げる俺に、彼女はやや呆れ気味な声でそんなことも付け加える。


 ……いや、それは忘れていない……真人の亡くなった山の頂にある花畑で、俺達はよく鬼ごっこなんかをして走り回っていたんだ……。


 そう言われてみれば、なんだかここの景色には見憶えがあるような気もする……そうか。すっかり忘れていたが、まだ別荘だった頃のこのペンションの建物も俺は何度となく目にしていたんだ。


 だから、このペンションの画像を旅行サイトで見た時に、俺は無意識の内にも心惹かれていたというわけか……。


「そうか。ここがマトンの死んだ山だったのか……山で遊んだことはなんとなく憶えてるよ。まさか、そこが宿泊先のすぐ近くだったとはな……」


「少しは思い出したみたいね……でも、こんなのはまだ序の口よ? もっと驚くようなことを明日報告できると思うわ」


 山というよりはと呼ぶ方がふさわしく感じられる建物裏の小山を見上げ、呆然と佇みながら譫言のように俺が答えると、あずさは不敵な笑みを浮かべながらそう告げて、俺達の横をすり抜けてゆく。


「それじゃあ、明日のお昼に〝おもひで〟でね……あ、そうそう! 驚くっていえばもう一つ。あなた達の他にも意外な・・・お客さんがここにいたわよ。お二人にもよろしくね」


「お二人?」


 そして、言い忘れていたかのようにそんな意味不明の台詞も言い残し、若干、涼しさの感じられるようになった空気にカナカナ…とヒグラシの声が静かに響く中、キラキラと湖畔に乱反射する金色の西日を横顔に浴びて、あずさは俺達のもとを去って行った。


「………………」


 そんな美しくもどこか淋しさの感じられる夏の日の暮れゆく湖畔の情景に、眩い夕陽に溶け込んでゆくあずさの後姿を見送りながら、なぜだか俺はもう二度と彼女に会うことができないような、そんな不安を掻き立てる悲劇の前触れのようなものをそこはかとなく感じていた。

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