最終話 そして、未来へ
俺と志乃が同時に付き合った事を報告する内容のメッセージを書き込むと、既読の表示の脇に表示している数字が一気にここのアカウント数に達した。
『えぇ!? 志乃と間宮さん付き合ったの!? つか、同時に報告したって事は今一緒にいるって事だよね!?』
真っ先に特攻隊長よろしく加藤が今の俺達の状況を推理したメッセージを書き込んできた。
『え!? それって東京じゃなくて、志乃も新潟にいるって事!?』
すぐさま神山さんが加藤の書き込みに反応する。
『新潟って行った事ないけど、日帰りで行けるの? まさか間宮さんの部屋に泊まったとか!?』
続いて佐竹君も俺達の状況を言い当てた。
『おい、間宮! いくらJKじゃなくなったからって節操が無さ過ぎなんじゃないか!?』
松崎がとどめに志乃が部屋に泊まった体で、俺に説教する始末。
志乃は想像していた反応と違ったのか、加藤達からのメッセージが書き込まれる度に顔を真っ赤に染めて「あわあわ」と言葉にならない言葉を並べる始末。
俺は大体こうなるんじゃないかって予想していたから、やっぱりなと溜息をつきながら真っ赤な顔をした志乃を横目に、新たに書き込みをする始末。
『お前等の名推理で隣にいる志乃の顔が煙吹きそうな位に真っ赤になってるから、この辺で勘弁してやってくれない?』
志乃が俺の書き込みを見てクルッと向けてくる顔は本当に真っ赤で、羞恥からきているのか目がうるうると泣き出しそうになっていた。
「あっはっは! こうなると思ってなかったのか?」
ついさっきの俺の言う事を聞かなかった志乃のあまりの変貌ぶりに、俺は腹を抱えて大笑いした。
「お、思ってなかったよ! 私は心配かけた皆に報告したかっただけだもん! なのに、こんな……もう恥ずかしくて皆と顔合わせられないよー」
スマホを持つ志乃の手が震えていて、本当に恥ずかしいんだろうなと苦笑いを浮かべていると、トークルームに次の書き込みが表示された。
『虐めてごめんね、志乃ー。つか、おめでとう! 気持ちが伝わって良かったね!』
『幸せ絶頂で恥ずかしがる事なんてないじゃん! おめでとう、志乃! 詳しい話は後日じっくりと聞かせてもらうからねw』
『瑞樹さん、おめでとう。これから間宮さんと幸せな時間を過ごしてね。俺も負けずに頑張るからさ!』
『ごめんな、瑞樹ちゃん。揶揄ったわけじゃないんだけど……。おい、間宮! しっかりフォロー頼むぞ! まぁ、なんだ……2人共おめでとさん』
俺の書き込みに呼応するように、特に志乃に向けた祝福のコメントが多数書き込まれて、それから色々なスタンプが物凄い勢いで届いた。これが世に訊くスタ連というやつなのだろうか……。
ずっと停滞していたらしいトークルームが一気に活気づいて暫く鳴りやまなかった通知音に、俺と志乃は顔を見合わせて照れ臭さを誤魔化すように笑った。
トークルームの活気が戻り、俺達は暫く次々と送られてくる祝福メッセージを眺めながら、これまでの出来事を笑い話を絡めて色々と話し込んだ。
そんな賑やかで優しい時間が今までの2人を形作っている気がした俺は、隣で楽しそうに笑う大切な存在とここまで来れた事が誇らしく思えた。
やがて新幹線がこの駅に入ってくるというアナウンスがホームに流れた途端、志乃の表情が目に見えて曇っていく。
だけど、どうしたとは訊かない。
その理由は分かってるし、俺も同じ気持ちだったからだ。
アナウンスから数分後に東京に向かう新幹線がホームに滑り込んで来た時、志乃の口は何かを我慢するようにキュッと閉じられていて黙り込んでしまった。
俺は力なくベンチから立ち上がろうとする志乃の手を取り引き寄せて、何も言わずに唇を重ねた。
志乃は驚く顔を見せたが、抵抗する事無く静かに涙を流して俺の行動を受け入れる。
時間にすると10秒程のキスを交わして自分の唇を志乃の唇から離すと、俺の気持ちを察してくれたのか、志乃は何も言わずに優しく微笑んでくれた。
完全に停車した新幹線の扉が開き降りる乗客の流れが収まったタイミングで、俺達は一緒にベンチから立ち上がって扉の前で向かい合う。
見つめている志乃の表情が何かを言いたそうに見えた俺は、ポケットを漁って取り出した物を志乃に差し出した。
「これって……」
「あぁ、部屋の合鍵だ」
「……いいの?」
「これがあれば、もう部屋の前で足が痺れるまでしゃがみ込んで寝る事もないだろ?」
「もう! それは言わないでよ!」
プクッと頬を膨らませて恥ずかしそうに抗議する声に元気が戻ったのを確認した俺は、そんな志乃が可愛くて思わず彼女を抱きよせた。
志乃も抵抗する素振りも見せずに、自然と俺の腰に両手を回して力を込める。
「……また来てくれよ」
「うん、絶対に行く! 今度来る時は家具揃ってるかな」
「そうだな。それまでにしっかり掃除して綺麗にしておくよ」
「じゃあ、私は昨日作れなかった御馳走作るから、楽しみにしててね」
「あぁ、楽しみにしてる――気を付けてな」
「うん。帰ったら電話するね」
俺達は「それじゃ」と告げ合ってまたキスを交わす。
これから何度この一連の流れをする事になるのだろう。
何度繰り返しても、お互いの気持ちが薄れる事はないと信じたい。
遠距離恋愛はお互いの気持ちの強さが大切だって事は、この離れていた期間を経験して知っているんだから。
志乃が新幹線に乗り込んで荷物を棚に上げて席に着くと、丁度ホーム側の席だった為、お互いの顔がよく見えた。
発車するベルがホームに鳴り響くが、分厚いガラスに阻まれてお互いの声は届かない。
だから俺が小さく手を振ると、志乃は口の形だけで言葉を伝えようとした。
『大好き』
たったこの一言が、俺の心を温かくする。
この気持ちさえあれば、どんな事だって乗り越えられると信じたい――信じていたい。
やがて志乃を乗せた新幹線がゆっくりとホームから走り始めると、俺は最後尾が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。
新幹線が完全に見えなくなって、ここに志乃がいた空気がなくなった事を確認した俺は、踵を返して帰宅しようとせずに自販機でまた飲み物を買ってさっき座っていたベンチに腰を下ろして、ふと銀銀傘の隙間から見える赤く染まった空を見上げた。
とうとう優香以外の女性と心を通わせる事に後悔なんてないし、迷いもまったくない。
だから2人で墓参りをした時には胸を張って俺の恋人だと紹介しよう。
そして俺達を引き合わせてくれた優香に、心からの感謝の気持ちを伝えよう。
なぁ、優香。俺、志乃と前に進むよ。
これまで情けない俺の為に心配かけて……ごめんな。
もう大丈夫だから、これからの俺を見ててくれよ――なぁ、優香。
ポケットに仕舞っている部屋の鍵に付けているあのキーホルダーの鈴の音が、ズボンの生地に押さえつけられて鳴らないはずの音色を1度だけチリンと俺の耳に届けた。
その音色を聴いた俺は、誰も座っていない隣に笑みを零してゆっくりと立ち上がりベンチに背を向ける。
――ベンチの上に生前、優香が好んで飲んでいたミルクティーの缶を残して……。
◇◆
世界一速くて快適な乗り物である日本が誇る新幹線が凄いスピードで東京へ向けて、すっかり日が落ちた暗闇を切り裂くように走る。
車窓から景色を見ようにも手前の景色は一瞬で流れ去って、殆ど何も確認出来ない。
だから、遠目に見える何の光か分からないけれど、ポツポツと見える灯りを眺めていたら、トンネルに入ってガラスに移り込む情けない私の顔が映り込んだ。
良介と向い合った時、合鍵を貰えて思い止まる事が出来たけど、もう少しで帰りたくないって言ってしまうとこだった。
もし言葉にしてしまっていたら、きっと我儘を言って良介を困らせてしまったと思う。
そんな事になったら同じ目線で隣にいたいからと、名前を呼び捨てで呼ぶ事にした意味がなくなってしまうところだった。
東京から新潟までの距離は考え方によっては、良かったのかもしれない。
すぐ近くに良介がいたら、甘えないという自信がないからだ。
良介の事は好きだけど、恋愛に溺れるつもりはない。
きっと彼もそんな事は望んでない。
私は良介の恋人として半人前で、パートナーとしてはそれ以下だって自覚してる。
だから大学に在籍中は可能な限り学べる事は学んで、少しでも早く自分の人生の方向を見つけたい。
そうすれば少しだけかもしれないけど、良介が言っている事が理解出来て、色んな話をしてくれるはずだから。
まだ聞いて貰ってばかりの私だけど、いつか話を聞く側になりたい。
遠い未来の事はまだまだ朧気だけど、身近な目標に向かって頑張っていれば、きっとビジョンが見えてくるはずだ。
だから、私は今できる事を全力で頑張っていこう。
1人の人間としても――1人の女としても……。
やがて東京駅が近付いてきた事を知らせるアナウンスがスピーカーから聞こえてきた。
この新幹線を降りたら、少しだけ大人になった私で歩いて行こうと思う。
その一歩一歩が、良介と一緒に歩む道と繋がってると思うから。
◇◆
良介と志乃が恋人になった日から数日後の朝。
天谷がいる社長室のドアがノックされる。
「どうぞ」
「失礼します。おはようございます、社長」
「おはよう藤崎先生。どうしたのかしら?」
「はい。昨晩、例の夏期講習の臨時講師の件を引き受けると、瑞樹さん本人から承諾の返事を頂きました」
藤崎からの報告に、天谷はPCのキーボードを叩く手を止めて、膝の上に置く。
「そう。それで? 他に何か言ってなかったかしら?」
「あ、はい。間宮さ、いえ、間宮氏から『負けました』という伝言を瑞樹さんから預かっています」
「そうですか。という事はあの2人はお付き合いを始めたのね?」
「はい。昨晩、瑞樹さんと食事をした席でそう伺いました」
「わかったわ。これから忙しくなるわね」
天谷はそう言うと内線で庶務課に電話をかけて、合宿に使う施設の部屋の追加、それと事前に準備していたポスターをゼミ内の掲示板に掲載すること。そしてO駅のホームに設置されている広告用のゼミが契約している電子掲示板の内容を、変更するように指示を出した。
「あ、あの、社長。1つだけ質問よろしいでしょうか」
「別に構わないけれど、改まってどうしたの?」
「社長は初めからこうなる事を想定して、事前に根回しをされていたのですか?」
「ふふ、やあねぇ――偶々の偶然よ」
白々しく藤崎の問いを天谷が否定した時、突然ドアが開き「それは嘘ですよ、藤崎先生」と言って天谷の秘書が入室してきた。
ノックも無しにと天谷は秘書に苦言を零したが、秘書はしれっと受け流し藤崎に話を続ける。
「社長は昔から張った網に獲物が食いつくのを眺めるのが好きなんです。もはや趣味と言っていいレベルですね」
「あ、はは……趣味、ですか」
「はい。その証拠に藤崎先生から報告を受けた時、悪い顔してませんでしたか?」
「言われてみれば……確かに?」
「ち、ちょっと!? 藤崎先生まで失礼な事言わないの!」
悪戯な笑みを浮かべる2人の視線を切る様にコホンと咳払いして場を仕切り直した天谷が、こうなった経緯を話し始めた。
「この件は間宮君と瑞樹さんの関係を強固なものにする為と、当社としては参加者を増やしてその結果入塾する生徒が増えるという、まさにwin-winな案件なのよ」
win-winな案件……。
随分と偏ったwin-winもあったものだと藤崎と秘書は思ったのだが、これ以上ツッコむと天谷がムキになって面倒臭そうだと飲み込むのだった。
◇◆
翌日ゼミの掲示板の前に人だかりができた。
「おい! これマジか! 今年はどうしようかと思ってたけど、これがマジなら絶対に参加するわ!」
「なぁ、これってそんなに凄い事なん?」
「はぁ!? あ、そっか! お前去年合宿に参加してなかったんだったな」
「うん。で? これってそんなに凄いのか?」
「凄いも凄い! 去年の参加者の間じゃ伝説になってるんだって! 俺だってあの合宿から英語が得意科目になったんだからな!」
「そういえば、去年の合宿から英語の偏差値右肩上がりだったもんな」
「おうよ! それにこの臨時講師って人は、去年合宿に生徒として参加してた瑞樹先輩なんだよ!」
「え!? 俺らの一個上の先輩!? 滅茶苦茶可愛いからどっかの芸能人の画像を引っ張ってきたんかと思ってたわ!」
「だろ!? 瑞樹先輩が講師として帰ってくるんだぜ? それだけでも参加する価値ありっしょ!」
「だ、だな! 合宿費用が高いからどうしようかって思ってたけど、帰ったら親に頼んでみるわ!」
掲示板の前に集まった生徒達からそんな会話が乱れ飛ぶ時点で、すでに天谷の狙い通りに進んでいる事を証明していた。
◇◆
翌日の夕方18時過ぎ、O駅のホームに加藤の姿があった。
電車を降りてO駅のホームに着くと、鞄から取り出したスマホを耳に当てる。
「もしもし、私だけど。今駅に着いたよ」
「――うんうん、わかった。いいよ、仕事なんだから気にしないで。それじゃ駅前のカフェで待ってるね」
松崎と待ち合わせをしていた加藤は仕事が長引いている松崎を待つ為に駅前のカフェに向かおうとしたが、反対線の壁に設置されている広告の電子掲示板を見て足を止めた。
「ふっふっふ! 元々美少女だけど、カメラマンの腕がいいから3割増しってとこかな」
加藤はそう独り言ちて得意気に胸を張って、掲示板を凝視する。
加藤が見ていた掲示板は天谷のゼミで実施される夏期合宿の参加者を募るもので、その掲示板にはこう表示されていた。
『伝説のstorymagic復活! この夏、英語が得意科目になる!』
『当ゼミ卒業生、臨時講師として凱旋!』
と、派手な謳い文句がデカデカと掲載されており、そしてその謳い文句に華を添えるように『それ』が表示されていたのだ。
あの合宿の最終日の前夜、夏祭りへ行く加藤達が用意した浴衣に身を包んだ瑞樹と間宮とのツーショット画像が使われていたのだ。
この画像は加藤達が懸命に撮影場所を確保して撮った画像で、浴衣姿の瑞樹が隣にいる間宮に綺麗な花火が咲き誇ったような笑顔を向けているものだった。
そのベストショットと自他共に認められた画像を天谷に提供していたのだ。
掲示板に表示された2人の笑顔が乗客達の足を次々と止めるさまを見た加藤は、両腕を組んで誇らしげに笑うのだった。
『29』~結び~
Fin
――あとがき
6月4日にアフターストーリー作品として 続『29』~縁~を公開しました。
よろしければ、こちらも読んでくれると嬉しいです。
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