第81話 告白と告白

「上書き?」

「……そう、上書き」


 私は丁度1年前に起こしてしまった間宮さんの誕生日の夜の事を、話した。


「いや、それはもう」

「……うん。合宿の最終日の夜に許してくれたよね。嬉しかったし、感謝してる」


 だけど私は「でもね」と続ける。


 自分の中では解決していない。

 何より、自分で自分を許していない。

 だけどいくら後悔しても、あの日に戻れるわけがない。


「だから、許してくれたあの夜から決めてたんだ。間宮さんの30歳の誕生日を私に出来る事を全部して、お祝いしようって」

「なるほど……な。それで上書きか」

「そう。私が最悪な誕生日にしてしまった日を、今日の誕生日で上書きしてもらって、少しでもあの日の事を消して欲しくて」


 合宿の解散後、間宮さんをA駅で待ち伏せてから色々な事があった。そんな出来事を1つ1つ乗り越える度に、淡い気持ちから段々と強い想いを抱くようになっていった。

 もう男なんて信じないと心に決めた私にとって、その変化は困惑の連続だった。

 だけど、困惑しながらも自分の中で大きくなっていく間宮さんの存在が、嬉しかったのも事実なんだ。

 そして文化祭があった夜。間宮さんのマンションで過去のトラウマを打ち明けた時、もう自分じゃ止められないくらいに間宮さんへの気持ちが大きくなってしまった。


 ――そんな時、優香さんの存在を知った。


 間宮さんの年齢を考えれば、結婚を考える女性がいてもおかしい事じゃない。

 それは分かってる。

 分かってるけど、知り合った頃から感じていた一定の距離から近づけさせない壁みたいな存在の正体が、優香さんだったのは正直ショックだった。

 それは今でも優香さんの事を愛している証明になるから。


「そ、それで……ね。誕生日会の席で訊く事じゃないんだろうけど、この機会を逃したらもう訊けない気がするから……教えて欲しい事があるの」

「ん? なんだよ」

「優香さんって人の事なんだけど……」


 優香さんの存在を知った時から、ずっと訊きたかった。

 あの夢の中で、間宮さんと話していた女性の事を。


「……誰かに聞いたのか?」

「優希さんと、茜さんから……」

「……そっ……か」


 予想はしていた反応だった。

 やっぱり間宮さんの表情が曇ったけど、目を逸らされなかった事にホッとする。


「……分かった。なんでも訊いてくれていいよ」

「え!? い、いいの!? ホントに!?」

「なんだよ。瑞樹から訊いてきたくせに」

「そう……なんだけど」

「いいよ。関係ない人間に踏み込まれるのは拒絶するだろうけど、瑞樹は自分のトラウマを話してくれたからな」

「そ、それは間宮さんに訊かれたからじゃなくて、私が聞いて欲しかったからだし――」

「――同じだよ。俺も瑞樹には知ってもらいたいって思ったから」


 少し、ううん。かなり驚いた。

 正直、この空気が壊れる覚悟もしてた。

 なのに……私に知って貰いたいなんて……言ってくれるなんて思ってなかった――やっぱり今日の間宮さんはいつもと少し違う。


「あの……ね。私が訊きたいのは……ね。間宮さんが入院してる時の事なの」

「入院してる時の事? 瑞樹は優香の事を知りたいんだよな?」

「うん、そうだよ。実はね――」


 私は間宮さんが意識を取り戻した夜の出来事を話した。


 間宮さんの意識の中にいるみたいな、不思議な夢の話を。


 呼吸が出来る深い海中で、間宮さんと誰かが話をしていた事。

 声の主が誰なのか分からなくて、会話も断片的にしか聞こえなかった事。

 そして、間宮さんの口から優香という名前を聞いた事を。


「え? なんで知ってるんだ!? 確かにあの時、優香と会って話をした夢をみたけど」

「私にもなんでだか分からないんだけど……やっぱり私だけの夢じゃなかったんだね」


 分からないと答えたけれど、あの夢が間宮さんの意識の中かもしれないと考えた時、私は1つの仮説を立てていた。

 もしかしたら、優香さんが私をあの場所へ呼んでくれたんじゃないかって。


「あの夢の内容はあまり覚えてないんだ。ただ、確かに優香がそこにいて、選択を迫られた気がするんだけど……」

「……選択?」


 ◇◆


 そうだ! 思い出した! 俺は優香に選択を迫られたんだ。

 このまま優香と一緒に逝くか、皆の元へ……瑞樹の元に戻るかを。そして俺は優香ではなくて瑞樹の元に帰る事を選択したんだ。


(……あれ? 確かその時……俺は優香に……)


『――俺……は、瑞樹……志乃が……す……き……なん……だ』


「!!!」


 俺はとんでもない事を思い出して、カウンターの椅子を倒してしまう勢いで立ち上がった。


「ど、どうしたの?」


 いきなり立ち上がった俺に、ビクッと肩が跳ねて驚いた顔をした瑞樹が覗き込んでそう問う。


 もし、もしもの話だ。

 もし、瑞樹が話した夢の話が本当に俺の意識の中での話だとしたら、優香との会話をどこまで聞き取れたんだ!?


「あ、あのさ……。その夢の話なんだけど……さ」

「うん」

「えっと、殆ど聞き取れなかった……んだよな?」

「え? う、うん。まともに聞き取れたのは優香さんの名前……と」

「……と?」

「その……さ、最後の……ま、間宮さんの……その」


 瑞樹が耳まで真っ赤になった時点で察した。


(嫌な予感程当たるものだよな……。やっぱり聞かれてた……か)


 恥ずかしい! よりによって好きな女の子にうわ言で告白とか……。どんな羞恥プレイだよ……。


 俺は顔を引きつらせて悶えたくなるのを必死に堪えてると、意識が戻った時の事を鮮明に思い出した。


 あの日、瑞樹の事が好きなんだとハッキリと自覚した。

 自覚したからこそ、瑞樹が引き続き泊まり込んで看病すると言われた時は嬉しかったんだ。 

 だけど同時に、あまりに無警戒過ぎる彼女の行動に俺を男として見ていないと言われたみたいで気にくわなかった。


 今までだって思う所はあったけれど、あの時ほど苛立った事はなかった。

 だから瑞樹に迷惑だと言ったのは拗ねたガキの戯言みたいなもので、彼女が病室を飛び出した後に後悔した。


 でもあの時は俺の気持ちを聞かれたなんて知らなくて自分の感情を優先してしまったけど、うわ言でとはいえ好きだと言われた相手に迷惑だと突き放された瑞樹はどんな気持ちだったのだろうか。

 瑞樹が俺の事をどう思っていたのか関係なく、意味が解らなかったんじゃないだろうか……。

 その辺りの事を含めて考えれば、瑞樹が怒って病室を出て行ったのも納得だ。


 ようやくあの時の全貌を把握出来た俺は気恥しさなんて無くなっていて、只々申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「……あの時は、その……ごめんな」

「なんで間宮さんが謝るの?」

「だから……その」


 キョトンとした仕草で立ち上がった俺を見上げる瑞樹の姿が、余計に罪悪感を増幅させる。


「……その……なんだ。あの時最後に言った事が……な」

「……私の事好きだって言ってくれた……事?」

「う、うん。き、気持ち悪いよな……こんないい歳したおっさんがさ、その上瑞樹の気持ちを無下に迷惑だって追い出したりさ……。ホント意味分かんないよな」

「そうだ……ね。突き放された事は……ショックだった」


 告白された事には触れなかった瑞樹の反応が、この部屋の空気を重いものに変えていく。

 あの時言った瑞樹への気持ちは決して嘘なんかじゃないと、本心だったと言い切れる。

 だけど望まない形で伝わってしまった事実に、思考がまだ追い付いていない。


 カウンターの端に以前住んでいたマンションから使っていた小物入れにしている小さな陶器がある。そこに家の鍵や自転車の鍵を置いてるんだけど、その陶器から顔を覗かせているあのキーホルダーにジッと見られている気がした。


 記憶違いでなければ、今も俺達の事を見てるって事なんだろうか。


 陶器に手を伸ばして開けっ放しにしている陶器の蓋を閉じ覚悟を決めた俺は、彼女の目を見返した。


「瑞樹がどこまで知ってるか分からないんだけど、香坂優香は俺の元婚約者だった」

「……うん」

「優香を事故で失ってから、ずっと俺の中の時間が止まったままになってた……。でも、あの駐輪所で瑞樹と出会ってから何かが少しだけ動き出した気がしたんだ」

「…………」


 俺がそこまで話すと瑞樹は何も言わずに椅子から立ち上がって、カウンターの端から話す俺との距離を少しだけ詰める。


「合宿で再会してから色々な事があって、その1つ1つが俺にとって凄く大切な時間でさ。何か1つでも欠けていたら優香はまだ現在進行形で俺の中にいたと思う」

「…………うん」


 瑞樹は今までの事を思い出しているのか、少し視線を落とした顔が懐かしそうに微笑んでいた。


「瑞樹が少しずつ後ろ向きだった俺を前に向かせてくれた事は自覚してたんだけど、自分の気持ちをハッキリと気付かせてくれたのは――あの夢の中にいた優香だったんだ」


 選択を迫る形をとられたけど、きっと優香には俺がどう答えるかなんて始めから分かってたんだろうな。

 それを敢えて選択肢という方法を取ったのは、俺から優香に別れを告げさせる為だったと考えれば、全部がシックリくる。


(優香には一生敵う気がしない……な)


「優香に一緒逝くかと選択を迫られた時、少し前の俺だったら迷わずアイツの手を取ってたと思う。でも、あの時は瑞樹の元に帰る事しか考えられなかったんだ」

「…………う、ん」


 瑞樹の瞳が薄っすらと膜が張ったのが見えた。

 まぁ、俺の気持ちはうわ言で言ってしまってるんだから、これから何を言おうとしてるのか、分かってるだろうからな……。

 でも白々しくてもワザとらしくても、茶番と言われても……この気持ちを伝えなくていいって事にはならないはずだ。


(せめて、あの時のうわ言では言えなかった一言を加えて、俺の気持ちを伝えよう)


「俺はのおかげで、優香を過去にする事が出来た。志乃のおかげで自分の事が好きになれたんだ。志乃と離れて本当に辛かった……。だから――」

「……あ、あぁ……うっうぅ……」


 俯いていた瑞樹の目からポロポロと涙が零れ落ちた。それでも手を口元当てて顔を上げた彼女は、俺の言葉の続きを待っている。


 俺はここで一呼吸おいて――最後の言葉を綴る。


「志乃の事が好きだ。これからは俺の彼女として傍にいてくれないか?」


 これまで吐き出せなかった思いの丈を伝えると、静まり返った部屋にガタッとカウンターテーブルの椅子が傾く音が響く。

 瑞樹が膝から崩れそうになり、近くにあった椅子に凭れかかったからだ。


 慌てて手を貸そうとした俺に、瑞樹はとんでもない爆弾を落とす。


「…………ごめん……なさい」


 瑞樹の言葉が耳に届いた瞬間、心臓がキュッと締め付けられて目の前が真っ暗になり、息をするのも忘れて思考が凍り付いた。


「……ごめんなさい。自分の気持ちから逃げて……他の人と付き合ってしまって……ごめんなさい」


 瑞樹の返事の仕方は心臓に悪い。

 本当に心臓に悪い。

 もう少しで、今度は俺が膝から崩れ落ちるところだった。


「私……も、私もずっと前から……ま、間宮さんの事が……大好き……でした」


 カタカタと瑞樹がしがみ付いている椅子が音を立てている。



 瑞樹の性格を考えると、あの日からずっと俺を裏切ったと思い込んでいる事と、岸田を傷つけてしまった事に苦しんでいたんだろう。

 そして苦しみながらも、それでも気持ちを打ち明けた自分に今度は酷い罪悪感が押し寄せてきたのではないだろうかと、椅子の音を聞いてそう思えた。


 瑞樹が悪いんじゃない。

 本当に悪いのは俺なんだから……。


 俺が変な意地を張らずにもっと早く瑞樹への気持ちを自覚してさえいれば、こんな事にはならなかったのだから。


 だけど瑞樹にそう話しても、彼女は良しとしないだろう。

 その位の事が分かる程には付き合ってきた自覚はあるんだ。

 だから俺は彼女の言葉を、最後まで何も言わずに聞き遂げようと決めた。


「私が意気地なしのせいで、色んな人達に迷惑かけたけど……。それでも、私はもう自分の気持ちに嘘をつきたくないから……」


 椅子から手を離しカタカタと響いていた音が止んだかと思うと、両手をギュッと握りしめた瑞樹がゆっくりと近づいてくる。

 彼女の頬はまだ濡れたままだったけど、その瞳にはもう涙はなかった。


 目の前まで来た瑞樹は握っていた手を解いて俺の上着の袖をキュッと掴んで何かを言おうと口を何度も開けるのだが、押し寄せてきた罪悪感に苛まれたのか言葉がでてくる事はなかった。


 俺は苦しんでいるそんな彼女の後頭部に手を回して、瑞樹を自分の胸元に引き寄せた。

 彼女が感じている罪の意識を全て引き受けると心に決めて、腕の中に納まって動かない瑞樹に「大丈夫だから」と優しく囁くように伝える。


 言葉が伝わった瞬間、瑞樹の肩が小さく震えだす。

 俺はそんな小さな肩を優しく包み込むように抱きしめると、こんな華奢な体で今まで1人で色んな事に耐えて来たんだと、改めて実感した。

 色んな人間の汚い目に晒されて幾度となく裏切られて心をボロボロにされながらも、必死に生きてきたんだ。


 これからは、俺が少しでも傷を癒してあげたい。

 これからは、俺の腕の中で泣いている女の子を守って生きていきたい。


 瑞樹への気持ちが溢れて目頭が熱くなった時、彼女の肩の震えが止まったかと思うと、瑞樹が俺の胸元からもぞもぞと顔を出して見上げてきた。


「……まだ優香さんには勝てないけど、これから間宮さんの彼女として傍にいさせて下さい」


 目が真っ赤に腫れあがって、お世辞にも綺麗な顔ではない。

 だけど、こんな顔を見せるのは俺だけなんだと思うと、そんな瑞樹がどうしようもなく愛おしく感じた。


「あぁ、傍にいてくれ――志乃」

「うん……大好きだよ――


 俺達はお互いに誓いをたてるように、唇を重ねた。


 瑞樹の、いや――志乃のとんでもなく柔らかい唇の感触を感じていると、何時の間にか俺の背中に回した彼女の両手にギュッと引き寄せられて、恋人の体温がより一層感じられた。


 数秒後、唇を離した俺達は何も言わずに、また唇を重ねる。

 何度この行為を繰り返しただろう。

 気が付けばお互いの呼吸が少し乱れていた。

 どうやら呼吸をするのを忘れてしまっていたようだ。


「ふふ、」

「はは、」


 何だかそんな事が可笑しくなって笑い合って、俺達は最後にまた口づけを交わした。

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