第80話 Extend birthday 後編

 楽しい。


 こんな気持ちになった、何時以来だっけな。

 少なくとも、こっちに来てからはなかった。

 こうして2人で他愛のない会話をしているだけで、心が安らぐ。

 東京まで行って、彼女を探し回った疲れが癒されていくようだ。


「よし! それじゃ、間宮さんのお誕生日は延長って事で!」

「ああ、よろしく。でも、もう怪我しないでくれよ」

「うっ……わ、分かってるし!」


 瑞樹は中断していた料理を再開したんだけど、さっきまでの焦っか感じじゃなくて、今はご機嫌で鼻歌なんて歌ってる。


(ホント、瑞樹って面白いな)


「これで完成です!」


 満足気にカウンターテーブルに並べられた料理を眺めて腕を組む瑞樹に、思わず吹き出しそうになったのは内緒だ。

 作ってくれたのはサラダにコンソメスープ、そしてオムライスだった。


「オムライス?」

「あれ? 嫌いじゃなかったよね?」

「あぁ、好きだけど……なんというか」


 瑞樹は俺が言いたい事を察したのか、本当なら色々と御馳走を用意するつもりだったけど、こんな時間に食べるのは健康的に問題があるからと、メニューを簡素化したと言う。


「でも、御馳走並べても、オムライスも作ったんだけどね!」


「瑞樹ってそんなにオムライス好きだったっけ?」と首を傾げてると「とにかく、食べたら分かるから」って言うから手を合わせようとすると、瑞樹の手が上がった。


「あのさ、折角の誕生日なんだし……さ。2人でお酒飲まない?」

「おい、未成年!」

「いいじゃん! 1本だけ! 祝杯じゃん!」


 言い出したら引かない事を卒業旅行で思い知った俺は、仕方がないなと諦めて先週末の歓迎会で余った缶酎ハイがあったのを思い出して、冷蔵庫から缶ビールと酎ハイを取り出した。


「えー、それでは間宮さん! 三十路のお誕生日おめでとう!」

「祝いの言葉に棘を感じるんだけど……」

「気のせいだよ、カンパーイ!」

「うん、ありがとな」


 お互いの缶を突き合わせて、ビールと酎ハイで喉を潤した。


 あの卒業旅行以来、酒の味を占めてしまった瑞樹は美味そうに酎ハイを喉に流し込んでいる。

 まぁ、まだ未成年だけど、もう大学生なんだし……な。


「うー! 冷たいのに、後から喉とお腹が温かくなる! お酒って不思議だよね」

「本当にこの1本だけだからな」

「分かってるってば!」


 喉を潤したところで早速瑞樹が推してるオムライスを食べようとスプーンを手に持つと、瑞樹がマジマジとこっちを見てる。

 その表情は不安と期待が入り交じったような、複雑な顔をしていた。


「……あの、さ。そんなに見られてると食べにくいんだけど」

「お構いなく!」

「いや、意味分かんねえからな!?」


 自分の分を食べる素振りも見せない瑞樹に苦笑いを浮かべながら、一口大にスプーンで掬ったオムライスを口に運んだ。


「! あれ? このオムライスって」

「どう? どう?」


 隣に座っている瑞樹がオムライスを口に運んだ俺に詰め寄ってくる。


「……どうって、これ杏さんのオムライスだ。なんで?」

「杏さんのオムライスだって気付いてくれて、良かった!」


 驚く俺を見て、ホッと胸を撫で下ろす瑞樹が「実は昨日ね――」と話し始める。


『昨日』瑞樹がそう話し出した時、しっかりと27日の誕生日が続いてる流れになっているのが、何だか可笑しかった。


 瑞樹の話によれば、藤崎先生に呼び出された場所がsceneだったらしい。

 そこで本来なら一部の常連にしか提供しない裏メニューであるオムライスを、藤崎先生が根回しで御馳走してもらったそうだ。

 その時、俺に会いに行くと話した瑞樹に杏さんが特製ケチャップを待たせてくれて、そのケチャップを使って特訓したのだと話してくれた。


「そっか……杏さんが」

「うん。そろそろ私のオムライスが恋しくなってる頃だろうからって」

「……ん? でもこれって」


 俺は2口目を飲み込んだ時、僅かにだけど違和感を感じて首を傾げると、瑞樹が申し訳なさそうに口を開く。


「ごめんね。一生懸命特訓したんだけど、杏さんの味を完コピ出来なかったんだ」


 なるほど。たった一晩で完全に再現出来るわけがないよな。

 というか、逆に一晩でここまで似せる事が出来る瑞樹の料理スキルに脱帽するとこだろう。


(……それに)


「いや、これ以上杏さんの味を追いかけなくていいよ」

「え? どうして?」

「完全に杏さんのオムライスをコピーしてしまったら、もうそれは瑞樹の料理じゃなくなるだろ? それに、このオムライスも滅茶苦茶美味いんだしさ!」

「……あ、ありがと」


 嬉しそうにオムライスを頬張る俺を見て、瑞樹は頬を赤らめて幸せそうな顔を見せる。

 何もない殺風景な部屋なのに、この時はまるで落ち着きのある洒落た店で食事をしているような、そんな不思議な雰囲気を感じた。


 一通り食べ終えると、瑞樹はデザートがあると席を立つ。


「それが、あの箱の正体だったんだな」

「うん。こんな夜中に食べるのは抵抗あるんだけど、今夜は特別って事でいいよね」


 舌をペロっと出して笑う彼女の姿が、本当にキラキラと眩しく映った。


「はは、じゃあ、俺は珈琲を淹れるよ」

「え? 私が淹れるからいいよ」

「ウチのはサイフォンだけど、大丈夫か?」

「うぅ、そうだった……間宮さんのいじわる」


 拗ねたように頬を膨らませる瑞樹に吹き出すのを堪えながら、俺は慣れた手つきでいつもの珈琲を淹れ始めると、瑞樹は箱からケーキを取り出して皿とフォークを準備してまたカウンター席に着いた。


「綺麗なロールケーキだな。店に並んでても不思議じゃないレベルだよ」


 瑞樹が用意してくれたロールケーキを見て、あまりの完成度に唸りを上げた。

 ふわっとしてそうな綺麗な生クリームを、柔らかそうなスポンジが包み込んでいる。生地の上にもクリームやシュガーパウダーを視覚的にも楽しめるように施されていて、チョコチップ等でデコレーションされている。本当にショップで並んでいても違和感がない程の出来栄えだった。


「ありがと。間宮さんにそう言ってもらえたら、ホントに嬉しい」


 もじもじしながら、嬉しそうに微笑んだ瑞樹は、ロールケーキだと刺せないからと普通のローソクではなく、30の数字を型取ったキャンドルをケーキの前に置き、火を灯して部屋の照明を落とした。


「……な、なんか30って数字に悪意を感じるのは、俺だけか?」

「ふふ、だから気のせいだってば」


 手を口元に当てて楽しそうに笑う瑞樹の姿がロウソクの灯りに照らされて、まるで映画のワンシーンのように幻想的に浮かび上がり、俺はそんな瑞樹に思わず見惚れてしまった。


「ん、どうしたの?」

「え? あぁ、いや、なんでもない」

「ふふ、変な間宮さん」


 また可笑しそうに笑う瑞樹に、心臓の音が煩く感じる程に高鳴った。


「それじゃ、改めて! 間宮さんお誕生日おめでとう!」

「うん。ありがとう、瑞樹」


 言ってキャンドルの火にフッと息を吹きかけて消すと、瑞樹が温かい拍手が届く。

 今朝起きた時は、まさかこんな誕生日を迎える事が出来るとは想像もしてなくて、心が締め付けられ目頭が熱くなる。

 そんな顔を見られたくなくて、切り分けてくれたロールケーキを頬張ると、手に持っているフォークが止まった。


「あれ? この味って……」

「これも気付いちゃうんだね」


 これに気が付いたのは偶然だ。

 さっき子供の頃の誕生日の話をしたから、その時作ってくれたオカンのロールケーキを思い出したから気付けたんだ。


 俺がどうしてと言わんばかりの顔を彼女に向けると、瑞樹は頬を掻きながらこのロールケーキは涼子さんから教えて貰ったと言う。


「オカンから!?」

「うん。ここの住所を教えて貰った時にね。間宮さんの好きなケーキを訊いたらロールケーキだって教えてくれたの」


 瑞樹はオカンと連絡をとった時に、俺の好物がロールケーキだと聞いた。ロールケーキは作った事がない瑞樹はレシピを教えて貰って、そのレシピを頼りに作ったらしいのだ。

 その割にはオカンが作った物にかなり近くて、瑞樹の料理スキルのポテンシャルの高さに舌を巻く。


「やっぱり有名パティシエって凄いよね! レシピだけ見てもネットで調べたのと随分違ってたもん」

「そうなんだ。俺は昔からオカンの作ったスイーツばかり食ってて、市販の物は殆ど食べた事がなかったからなぁ」

「でも、1年前にコンビニスイーツ買ってたじゃん」


 1年前のコンビニスイーツと言われて、俺は29歳の誕生日の事だとすぐに気付いた。


「なんだ、あの時の袋の中身知ってたのか」

「鍵を渡された時にチラっと袋の中が見えたんだよ。あの時は誕生日だって知らなくて、男が夜中にコンビニスイーツとかキツイなって思ってたんだけどね」

「お、おい!」

「あっはは! 冗談だってば」


 それから新天地での生活の事や、瑞樹の大学生活の事など色々な話が一区切りついて珈琲を淹れ直した時、俺はどうしても訊きたい事があると話した。


「訊きたい事? なに?」

「今回の俺の誕生日は岸田とトラブルになったとしても、絶対に祝うつもりだったって言ってただろ?」

「……うん」

「何で、そこまでしてくれるのかって思ってな」


 そう問うと、瑞樹は少し迷う様子を見せた。

 何か言い辛い事を訊いてしまったのかと心配になったけど、やがて無言だった瑞樹が意を決したような顔付きで俺を見て、静かに口を開く。


「……それは……ね。どうしても、上書きしたかったからなんだ」

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