第74話 藤崎の依頼

「え? 私が講師をですか!?」


 とても美味しいオムライスを堪能して食後の珈琲で一息ついてる時に、藤崎先生が私を呼んだ本題を持ち掛けてきた。


「そう! 去年参加した夏期勉強合宿あるでしょ? 今年の合宿に英語担当として瑞樹さんに臨時講師をお願いしたいのよ」

「でも、あの合宿の講師ってアルバイトは使わないって聞きましたよ?」

「ええ、通例ならそうなんだけど、瑞樹さんには特別枠として参加して欲しいって社長直々のご指名なのよ」


 確か以前間宮さんに聞いた話によると、あの合宿はアルバイトではなくて、正規雇用を希望して一次のテストをパスした人だけが参加を許されている、云わば採用最終試験の場だって聞いた。

 去年は間宮さんが臨時講師として参加したけど、その時も天谷さんから特別枠での参加を要請されて、得意先からのお願いだから断れなかったって言ってたっけ。

 そもそも間宮さんが臨時講師を要請されたのは、以前まだ学生のアルバイトを採用していた時に、当時大学生だった間宮さんが英語の講師を担当していた経験があるからだとも言ってた。

 であれば、何故講師経験なんて皆無の私が呼ばれたのかが全く解らないと怪訝な顔をしていると、藤崎先生がそんな私を察したようで指名された理由を説明してくれた。


 藤崎先生が言うには、今回私を指名したのは間宮さんの特殊講義であるstorymagicに一番影響を受けて、しかも一番効果を発揮したかららしい。


「それにウチの生徒で、難関大学のK大現役合格者ってのもポイント高いよね」


 言って藤崎先生は片目を閉じて、まるで自分事のようにドヤ顔を向けてくる。


「た、確かにあの講義には凄く助けられましたけど、だからって私が『あれ』を使えるわけじゃないんですよ!?」


 当然の主張だよね。

 だって、実際生徒として受講しただけで、実際に展開させて皆を導いたのは間宮さんなんだから。


 私がそう主張すると、藤崎先生は一瞬だけ複雑そうな顔をしたかと思うと、コホンと咳をしてとんでもない事を言い出した。


「瑞樹さんって、もう間宮さんと付き合ってるんだよね?」

「ふぇ!? い、いいいいえいえ! つ、付き合ってなんていません!」

「ええ!? 貴方達まだ付き合ってなかったの!?」


 優希さんや岸田君の1件を知らない藤崎先生は、自分がフラれて私と付き合ってると思ってたみたいだ。

 今回の話と私達が付き合ってる事がどう関係あるのかは分からないけど……。


「あれ? でも、社長は……」


 何やら藤崎先生が社長がどうとかブツブツ言い出したかと思うと、グイっと私に詰め寄ってきた。


「でも貴方が刺されそうになった時、自分の危険も顧みずに助けにはいったんだよね!?」

「え? あ、はい。でもそれは間宮さんが優しい人だったからで――」

「――それはない! 絶対にない! 優しい人間なら誰でも身を投げるような真似するなんて、本気で思ってんの!?」


 どうしてそう言い切れるんだろ。

 確かに間宮さんのとってくれた行動で少しは期待したのは認めるけど、でも意識が戻った途端突き放されたんだよ? なら、やっぱり優しい人だったからって思うしかないじゃない。


「あのね、瑞樹さん。間宮さんに近しい家族ならまだしも、赤の他人の貴方を助ける為に飛び込んだ理由が友達だからってものなら、それは優しいを通り越してただの馬鹿だよ?」

「そんな事は――」

「――あるよ! あの時襲われていたのが瑞樹さんだったから、あの人は文字通り体を張って貴方を守ったの」


 誰でも命がけで守るとか、そんなの映画やドラマの中だけで現実でそんな事あるわけないと、藤崎先生は付け足す。


「あ、あの……じ、実は……私」

「うん?」

「明日、自分の気持ちを伝える為に……間宮さんの所へ行こうと思ってるんです」

「間宮さんの所って、新潟まで会いに行くって事!?」

「……はい」


 誰にも告げずに行くつもりだったけど、藤崎先生や杏さんに話したのは土壇場で怖気づいて逃げてしまわないように……だ。


「間宮さんがどんな返事をくれるか分かりませんけど、どちらにせよこの事をハッキリとした形にしないと、私は前に進めないんだと思い知らされた事が最近あって……」


 そうなのだ。

 結局の所、逃げて誤魔化して何とかなるほど間宮さんへの気持ちが軽いものじゃなかったのを思い知らされたんだ。

 だから、もう誰にも迷惑をかけたくないから――私は自分の気持ちに決着をつけるんだ。


「どうして明日なの?」


 私達の話しを黙って聞いていた杏さんが、突然明日新潟に行くと言い出したのを疑問に思ったみたいだ。


「明日は間宮さんのお誕生日なんです。だから、どうしてもお祝いしたくて……」


 お祝いがしたいと言えば聞こえはいいだろう。

 だけど、私の場合は少し違う。

 私があの人の誕生日を祝いたいのは……。


「はっは! いいじゃないか。最近の若い連中って告白とか別れ話するのもトークアプリで済ませちゃうんでしょ? 面と向かって告白も出来ないのかって呆れてたんだけど、アンタはわざわざ新潟にまで乗り込むなんてカッコいいじゃない!」


 私の考えとは裏腹に杏さんが嬉しそうに笑うのを見て何だか後ろめたい気持ちになったけど、確かに手軽に気持ちを伝える方法なんて考えた事もなかった。

 だって……私の気持ちはそんなツールなんかじゃ絶対に伝わらないから。


 改めて遠い新潟にいる間宮さんの顔を思い浮かべていると、突然杏さんがタッパを私に差し出してきた。


「……あの、これは?」

「ウチのオムライスでも使ってる特製のケチャップだよ。これ使って間宮君にオムライス食べさせてやって。きっと私のオムライスが恋しくなってる頃だろうからね」

「で、でも、これってラーメン屋さんでいう秘伝のスープみたいな物ですよね!?」

「あっはっは! そこまで大層な物じゃないよ。まぁ流石にレシピまでは教えてやれないけど、たまに藤崎先生にも渡す事だってあるしね」

「そうそう! でもこれ使っても杏さんの味を再現出来ないんだよねぇ」


 杏さんは得意気に藤崎先生に「そりゃそうだよ」と鼻息を荒くしてケチャップが味の決め手になってるのは間違いないけれど、他にもケチャップライスの炒め方や包み卵にも工夫してあるんだと言う。


「多めに入れてあるから余り時間はないだろうけど、少し練習してみるといいよ」

「は、はい! それじゃ遠慮なく! ありがとうございます、杏さん!」


 杏さんから手渡されたタッパを大事に鞄に仕舞うと、用件も済んだしと藤崎先生とのランチはお開きの流れになった。


「それじゃ臨時講師の件、考えておいてね」

「……でも、私やっぱり自信ないです」

「それじゃ、明日あの人と付き合う事になったら臨時講師の事を間宮さんに相談してみてくれない?」

「間宮さんに……ですか?」

「そ! それで話が進むはずだからさ」

「は、はぁ。付き合える事になったらで……いいんですよね?」

「うん、それでいい。それじゃ、またね」

「あ、はい! 御馳走様でした」


 少し仕事を残してるからと、そのままゼミが入っているビルに入って行った藤崎先生のさっき言った事に釈然としない気持ちもあったけれど、今はそんな事を考えている暇はないと家路についた。


 何だか新潟に行くと口に出して誰かに話してから、体が軽く感じる。口に出す事によって、心がもう間宮さんの元に向かっている気になっているからかもしれない。


(私って――やっぱりあの人の事となると単純なんだと思う)


 ◇◆


「ね、ねぇ……お姉ちゃん」

「んー?」

「確かに……さ。晩御飯がオムライスだって喜んだよ? でもさ……」

「でも、なによ」

「色んなパターンを試したいからって、こんなに大量のオムライス食べ切れるわけないじゃん!」


 眼下に広がるオムライスの大群にうんざりした様子で、そう瑞樹に訴える希。


「完食しなくていいから、どれが一番美味しいか教えて欲しいの。私は試食し過ぎで味覚がマヒしちゃって、どれが美味しいか判断出来なくなっちゃったのよ」


 瑞樹は帰宅してすぐに杏のケチャップを使って、オムライス作りに取り掛かった。

 だが、どれも杏の味に及ばなくてしつこく作っては試食を繰り返しているうちに味覚がマヒしてしまって、どれが一番杏の味に近いか分からなくなってしまったのだ。


「どれも美味しいじゃ駄目なん?」

「駄目! このケチャップ使ってるんだから美味しいのは当たり前なの! だから、この中でどれが一番杏さんの味を再現出来てるか知りたいの!」

「い、いや、杏さんの味って言われても……私食べた事ないし」

「それでもなんとかして!」

「無茶言わないでよー!」

「うーん、しょうがない。もうすぐお父さん達が帰ってくる頃だろうから、2人に決めてもらおうかな」

「う、うん! そ、それがいいよ!」


 希はまだ見ぬ両親に同情するも、そそくさと逃げるように自室へ戻っていった。


 その後、瑞樹の両親は帰宅してすぐにオムライス地獄にあい、早々に寝込んでしまったのは言うまでもない。

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