第73話 間宮が愛したオムライス
5月26日 間宮さんの誕生日前日。
私はO駅にいた。
(何だかこの駅で降りるのって久しぶりだ)
私は懐かしく感じる駅の構内を見渡しながら、いつも通っていたルートをなぞる。
(ここも久しぶり。相変わらずここは人通り少ないな)
いつも間宮さんとの待ち合わせに使っていたホームの端にあるベンチの背凭れ部分に、そっと触れてみる。
ここで色んな話をあの人とした。
このまま時間が止まればいいのにって、いつも思ってた。
そういえば、ここでK大の受験結果を報告したんだっけ。
つい最近の事のはずなのに随分昔の事のように感じるのは、あの人がもうここにはいない現実のせいなのかもしれない。
ベンチにそっと腰を下ろすと、このベンチの前であの人に抱きしめられた事を鮮明に思い出してしまった。
慌てて真っ赤になった顔を誰にも見られないように下を向いて、パタパタと手を団扇みたいに扇いで熱を冷ます。
落ち着いたところでO駅を出た私は、通い慣れた懐かしい通りを歩いて行くと、やがて三年間通い詰めたゼミの前に着いた。
ゼミが入っているビルを見上げていると「あれ? 瑞樹ちゃん?」と声をかけられた。
「松崎さん」
「こんな所でどうしたの?」
声をかけてきたのは、休日のはずなのにスーツ姿の松崎さんだった。
「松崎さんこそどうしたんですか? 今日ってお休みじゃないんですか?」
私がそう問うと、最近外回りの営業活動が忙しかったらしくて、書類の整理が追い付かなくなったから、こうして休日出勤してデスクワークをこなしていたと言う。
間宮さんもそうだったけど、やっぱり営業マンって大変なんだなと思う。
「んで、これから愛菜と待ち合わせなんだよ」
「ふふ、今頃ソワソワして待ってるんでしょうね」
「……元気そうで安心した」
「え?」
「いや、ほら……岸田君だっけ? 愛菜から聞いたんだけど、別れたんだってね」
岸田君との事で松崎さんにも迷惑かけてしまったのに、結局別れてしまって申し訳なく思う。
「……はい。心配かけてしまってすみません」
「いやいや、女子大生ともなれば色々あるだろ」
気にすんなと笑顔を見せてくれる松崎さんは、やっぱりどこか間宮さんに似てる気がする。勿論、性格は全然違うんだけど、何と言うか要所要所で感じる雰囲気が似てる気がするんだ。
「おっと、そろそろ行かないと遅刻しちまうわ!」
「あ、はい。愛菜によろしく伝えて下さい」
「おう! じゃ、またな」
言ってO駅に向かおうと背中を向けた時、「待って下さい!」と私は思わず呼び止めてしまった。
「ん? どうした?」
ずっと訊こうか迷っていた事がある。
でも、もし返ってきた答えが自分の望むものでなかった場合の事を考えると、怖くて今まで訊けなかった事。
「えっと、間宮さんから何か連絡ありましたか?」
「間宮? いや、まだ住所も連絡先も教えてもらえてないんだよ。瑞樹ちゃんもか?」
「――あ、はい」
少しホッとした。
私にだけ連絡がきてないんじゃないかって、ずっと気になってたから……。
でも、それはそれで違う心配が湧いてきてしまうわけで。
「松崎さんにも連絡がきてないなんて、もしかして間宮さんに何かあったんじゃないですか!? 容態が急変してしまったとか!」
私のそんな疑問に、松崎さんは「それはない」と言い切った。
根拠として、先日同僚が仕事で新潟にある開発所に電話した時に雑談したそうで、その話の中に先週末に間宮さんの歓迎会の話になったと聞いたらしいのだ。
「だから、仕事は元気に頑張ってるみたいだから安心して」
「そ、そうですか」
元気だと聞いてホッとしたけど、それなら何故という疑問が再び湧いてくる。
「アイツ程周りに気を使ってる人間ってそういないと思うんだ。だから、アイツが俺達を蔑ろにするなんて考えにくい」
「……はい」
松崎さんはまるで私が不安に思っている事が分かっているみたいに言って、優しく微笑んでくれる。
「きっとアイツなりに考えがあっての事だと思うから、俺達は連絡がくるのを待ってればいいんだよ」
「そう……ですよね」
いくら長い付き合いだといっても、流石に間宮さんが連絡してこない理由までは分からなかったみたいで、松崎さんは申し訳なさそうに苦笑いする。
待っていればいい。確かにそうかもしれないけど、私にはそんなにのんびりしてる時間はない。
それからすぐに「それじゃ」と松崎さんは急いでO駅に小走りで駆けて行った。
急いでいたのに、呼び止めてしまった事を申し訳なく思いながら松崎さんの背中を見送っていると、私も予定があった事を思い出した。
ここへ来た本来の目的を忘れていた私は、立ち止まっていた足を再び前に進める。
昨日の夜に藤崎先生から電話があった。何でも大切な話があるから、明日のランチを一緒にどうかという誘いで、その待ち合わせが今私が向かおうとしているsceneというカフェバーだ。
ここは藤崎先生だけではなくて、ゼミのスタッフや天谷社長も通っているお店らしくて、松崎さんや間宮さんも常連だという。
「こんな所にこんな大人っぽいお店があったんだ。何年も通ってたのに知らなかった」
大学生になりたての私は恐る恐るsceneのドアを開けて店内の様子を伺ってみると、カウンター席にお客が2人いるけど藤崎先生の姿はない。
開けてしまった以上入らないわけにはいかないと、おずおずと店に入ってみるとカウンターの中央に立っている女の人と目が合った。
「いらっしゃい」
その女の人は優しく微笑んで、私を迎えてくれた。
「あ、あの、待ち合わせなんですけど」
「もしかして、瑞樹さん?」
まさか初見のお店の人に名前を呼ばれるなんて思ってなかったから、私は驚いて思わず身構えてしまった。
「は、はい。瑞樹です……けど、えっと」
「あはは! そりゃ驚くよねぇ。藤崎先生に聞いてるよ」
そう言うこの店のママらしき人に、誰かが座っていた形跡がある隣の席を勧められた。
どうやら藤崎先生はお手洗いで席を外していると聞いて、私がホッとして勧められた席に着くと、温かいおしぼりを手渡された。
「私はここのママをやってる杏っていうの。よろしくね」
「あ、はい。瑞樹と言います。こちらこそ宜しくお願いします」
「――あ、俺は近藤って言うんだけど!」
「アンタの紹介なんていらないよ!」
私と3席離れた席に座っているお客さんにいきなり自己紹介されて驚いていると、杏さんがすかさず割り込もうとしてきたお客さんを一蹴した。
「そうですよ、近藤さん。この子は私の元教え子なんだから、ちょっかい出さないでよ」
「だって、先生が全然構ってくれないからさぁ」
「当たり前でしょ! 私はもっと有り得ないからね!」
杏さんがお手洗いから戻ってきた藤崎先生と近藤さんのやり取りに笑うと、連鎖するみたいに他のお客さん達も笑い出す。
どうやらこういった流れは日常茶飯事みたいで、店内は賑やかな笑い声に包まれた。お店に入る前は緊張したけれど、杏さんの雰囲気が私を安心させてくれた。
「久しぶり、瑞樹さん。急に呼び出してごめんね」
「いえ、お久しぶりです。藤崎先生」
私の隣の席に座った藤崎先生は相変わらずとても綺麗な顔立ちで、すごく大人のカッコいい女性って感じで同性の私でも見惚れてしまう程だった。
ううん、前に会った時より美しさに深みが増したように思う。
「紹介するね。こちらがsceneの名物ママの杏さんで、こっちが私の元恋敵の瑞樹さん」
「ちょ! こ、恋敵って藤崎先生!?」
「あはは! 噂は聞いてるよ。そうか、お嬢さんが藤崎先生を負かした瑞樹ちゃんね! 確かに先生が負けちゃうのも納得の美人さんじゃないか」
「い、いえ! そんな……。それに藤崎先生と勝負なんてしてません」
「そうなの? 間宮君狙いだったけど、ライバルが貴方だったから諦めたって藤崎先生から聞いたけど?」
私の知らないところで勝った負けたって言われても困る。
それに藤崎先生は奥寺先生との交際が順調みたいなのに、私は結局岸田君の気持ちを蔑ろにしてしまったんだ。どっちが勝者といえば、どう考えても藤崎先生だろう。
私はまたあの時の岸田君の顔を思い出してしまって溜息が漏れた。
「そんな事より……お話って何ですか?」
「あー、話し逸らしたなぁ! まぁ、その話は杏さんのランチ食べた後にするよ。時間は大丈夫なんだよね?」
「まぁ、この後は特に予定はありませんけど。藤崎先生こそ時間大丈夫なんですか?」
「問題ないよ。だって、これも仕事の一貫だからね」
仕事の一貫?私とランチする事が?と首を傾げてると、折角の土曜日に予定がないなんて寂しいねと言われた。ほっといてよ。
「それじゃ、杏さん」
藤崎先生が杏さんの名前を呼ぶと何かの合図だったのか、杏さんは袖を捲って「了解! 2つでいいんだね?」と指を2本立てた。
「うん、よろしく!」
藤崎先生がサムズアップでそう返すと「あいよ」と杏さんは奥の厨房に入って行ったところで、私は肝心な事を忘れているのに気が付いた。
「あの、私って何も注文してないんですけど」
「あぁ、うん。瑞樹さんと会うのにここを指定したのは、杏さんの看板ランチを御馳走してあげたくてね。だから注文は食後の珈琲をどれにするかくらいかな」
看板ランチ。
メニューも見せずに私の注文を決めてしまうくらいなんだから、その看板メニューというのがどんな物なのか気になって藤崎先生に何を頼んだのかと訊くと、オムライスと言われて呆気にとられた。
正直もっとすごい特別なメニューを想像したから何処にでもあるオムライスと聞かされて、肩透かしを食らったのは仕方がないと思う。
ただ、藤崎先生は絶対に後悔させないからと、自信満々という感じで胸を張っていた。
言われてみれば、カウンターで食事をしている他のお客さんもオムライスを美味しそうに食べてる。
世間的はナポリタンと同じ位にポピュラーなメニューのオムライスだけど、ここsceneでは裏メニューらしくて杏さんが気に入った人にしか提供しない特別な物なんだという。
でも、今日は事前に藤崎先生が杏さんにお願いして、特別に作ってくれる事になっていたそうだ。
(そこまで言われると、期待しないわけにはいかない……よね)
「はい、おまちど! 一つずつしか作れないんだけど、どっちが先に食べる?」
杏さんがホカホカと湯気があがっている、とても綺麗な色をしたオムライスが乗ったお皿を持ってきた。
「ここはやっぱり初見の彼女でしょ」と藤崎先生が私に先に食べるように勧めてくれた。
カウンターテーブルに置かれたオムライスは確かに綺麗な仕上がりだったけど、ただそれだけで見た目には特別な感じはなくて、ごく普通のオムライスにしか見えない。
「温かいうちに」と藤崎先生が進めるから「それじゃ、お先です」と手を合わせてスプーンを手に取った。
綺麗に焼けた卵と一緒に中のケチャップライスをすくったスプーンを口に運ぶ。そして咀嚼しながらゆっくり降ろしていたスプーンを持つ手が止まった。
そんな私の反応が期待通りだったのか、隣に座っている藤崎先生がニヤリと笑みを浮かべてたけど、私はそれを無視してゆっくりと咀嚼を続けてよく味わってから飲み込んだ。
「どう?」
藤崎先生がわざとらしくオムライスの感想を訊いてくる。
「な……なんですか? これ」
「美味しいでしょ」
「美味しい……物凄く美味しいです! こんなに美味しいオムライス食べた事ないですよ!」
私は思わず力説するように杏さん特製のオムライスを絶賛した。
「あはは! 口に合ったみたいでよかったよ」
杏さんが藤崎先生の分のオムライスを手に持って厨房から出てきて、絶賛する私を見て嬉しそうに笑った。
「でしょ! このオムライスは間宮さんも大好物なんだよ?」
「間宮さんも……そうなんですね!」
何だかここで嬉しそうにこのオムライスを食べている間宮さんの姿が、容易に想像できちゃった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます