第59話 探していた人 

「……希ちゃん」

「どうしたんですか? こんな所で。あれ? もう引っ越したんですよね?」


 ようやく彼女に近しい人間に会えて、折れかけていた心を奮い立たせる。


「希ちゃん! 瑞樹がどこに行ったか知らないか!?」

「え? お姉ちゃんですか? 私が家を出た時はいたはずですけど、いませんか? 今日は特に予定ないって言ってたはずなんだけどなぁ」


 希はそう言いながら、俺を少し怪訝な顔つきで見てくる。


「あ、あぁ、携帯だよな? 新潟に行ってから携帯持ってなくてさ。だから瑞樹と連絡とれなかったんだよ」

「えぇ!? スマホがない生活とか私的に考えられないんですけど! という事はずっとあちこちお姉ちゃんを探してたんですか!?」

「う、うん。まぁ……そうだね」

「分かりました。今からお姉ちゃんに電話しますから、ちょっと待っててくださいね!」

「ありがとう、本当に助かるよ」


 希は鞄からスマホを取り出して数回タップした後、やや緊張した様子で耳に当てた。

 だがコールが始まっても中々電話に出ないようでスマホを一旦耳から離して、液晶画面を少し苛立った様子で見つめている。

 何故、苛立っているのかは分からないけど、連絡をとってくれと頼んだ側としては、何だか居たたまれない気持ちになった。


 それからスマホからコール音が止んで、液晶画面が通話相手と繋がった事を示す表示に変わると、希は慌ててスマホを再び耳に当てた。


「あっ、お姉ちゃん!?」

「うん。どうしたの?」

「あ、あのね! 今ね――」

「――――」

「――あ、あれ? もしもし? もしもーし!?」


 何度か電話の向こうにいる瑞樹に呼びかけている希を見て、俺は嫌な予感がした。


「切れちゃった……。多分、お姉ちゃんのスマホの充電が切れたんだと思います」

「マ、マジか……」


 やっぱり嫌な予感ってのは当たるようにできているらしい。

 最後の希望の糸が見事に切れてしまったようだ。


 俺はあまりの落胆から手を腰に当てて溜息をつき、暗くなった空を見上げた。


「ウチで待ちます? もう時間も時間だから、すぐに帰ってくるかもしれないですし」

「……うん。希ちゃんの気持ちは嬉しいんだけど、もう切符を買ってある新幹線の時間が迫ってるから、そろそろ駅に向かわないと間に合わないんだよ」

「で、でも! わざわざ新潟から来たのは、お姉ちゃんに大切な用があったからなんですよね!?」

「……うん、まぁそうなんだけど……ね。やっぱり俺の出る幕はもうないって事なんだと思って諦めるよ」

「――え!?」

「いや、なんでもない。それじゃ、ありがとね! 希ちゃん」

「あっ! 間宮さん!」


 希の引き留める声は聞こえていたけど、俺は聞こえないふりをして希の前から姿を消した。


 希の姿が見えなくなった事を確認した俺は、意識してして上げていた顔を下げて俯いたままA駅に向かい、そのまま電車に乗り込んだ。

 今日一日で、何度電車に乗ったか分からない。


 車窓から疲れ切った目で景色をぼんやり眺める自分自身に、心の中で言い聞かせる。


 出来るだけの事はやったんだから、もう納得して諦めるんだ。我儘を言う時間は終わったんだからと……。


 そんな事を自分に言い聞かせていると、窓の外に凄く見慣れた物がある駅に到着した。

 まだ東京駅と繋がっている駅ではないんだけど、気がつけば引き寄せられるように途中下車していた。


 やがて乗っていた電車がホームから出て行ったのを見送った俺は、靴擦れの酷い脚を引きずるように人気のないベンチの前に立つ。

 このベンチはゼミ帰りの瑞樹とよく待ち合わせした、O駅一番の不人気ベンチだった。

 思わず苦笑いを浮かべて、いつもの自販機でいつもの缶珈琲を2本買ってベンチに腰を下ろす。

 そしてプルタブの乱暴に空けてまるでやけ酒を飲む様に、缶珈琲を一気に飲み干した。


『カンッ!』とベンチからスチール缶が鳴る音を響かせて、俺はいつも瑞樹が座っている場所に目を向けた。


(これでよかったんだ。もしあいつに会えていたら、絶対に瑞樹や岸田に迷惑をかけていたはずだ。俺の馬鹿な我儘のせいで、折角前に進みだした瑞樹達に水を差すような真似をせずに済んだんだから……)


 そう自分に言い聞かせて気持ちを整理しようと、目を閉じて大きく深呼吸した。東京の空気は相変わらず不味かったけど、この場所の空気だけは美味く感じられた。


 やがてホームに次の電車が滑り込んできて、走行風で前髪が揺れたのと同時に、俺は目を開けてベンチから立ち上がる。

 ドアが開いて乗客達が降り切るのを見届けてから、俺の手に持っていたもう1本の缶珈琲をベンチに置いて小さく息を吐く。


「……じゃあな、瑞樹。お前と過ごした時間は本当に楽しかったよ。幸せになれよ……」


 ここで会う時、瑞樹にいつも買って渡す銘柄の缶に別れを告げて、俺はもう振り返る事なく電車に乗り込み、慣れ親しんだ第2の地元を後にした。


 寄り道したせいで東京駅に着くのが遅れてしまい、エスカレータを駆けあがって飛び込むように停車している新幹線に乗り込んだ。

 疲れ切った体をシートに預けた途端、ドアが閉まって新幹線が無機質な音と共にホームから離れて行く。

 俺は一日中歩き回った疲れから離れて行く東京の街並みを眺めようと車窓の外を見つめながら、新潟に着くまで何時の間にか眠っていた。

 新幹線を降りた俺は電車を乗り継いで、自宅がある最寄り駅まで戻ってきた。

 思えば突拍子もない行動をとったものである。

 今日は確か家具を買う為に家を出たはずなのに、気が付けば瑞樹に会いに東京まで行っていたのだから。


「……ホント、バカみてぇ」


 本当にバカだ。

 自分の気持ちに気付くのも、気付いてからの行動も、結局のところくだらない見栄からくるもので。本当は……俺が本当に求めていたのは……。


「まぁ、自業自得ってことなんだろうな」


 世の中には取り返すがつく事と、取り返しがつかない過ちというものがある。

 俺の取った行動は完全に後者で、もうやり直しが効かないのだ。


 俺は預けていた自転車を溜息交じりの押し出して、眠って少し回復した体力を振り絞るように跨った自転車のペダルを漕ぐ。

 午前中に走った時よりも少し肌寒く感じる風を切り裂くように、自宅のハイツに向けて自転車を走らせた。

 スピードが出過ぎているのだろう。冷たい風が目に当たって涙が滲んできた。

 そうだ。この涙は風のせいなんだ。


 ここから東京はどの方角にあるかは分からないけど、あの場所を振り払うように全力で漕いだ自転車は、あっという間にはハイツの前に着いていた。

 駐輪所に自転車を停めた時、初めて俺は激しく息を切らせている事に気が付いた。

 ゲホッゲホッと咳き込みながら自宅がある2階に続く階段を上っていく。

 階段を上がる足取りが重い。

 この重さが1日中歩き回った疲れが足に溜まっているのだけが原因ではない事を、俺は知っている。


 腕時計に視線を落とすと、後2時間程で誕生日が終わる時刻を指していた。我儘を言わせてもらうと決めた時間が終わってしまうのだ。


(もう時間をかけて、過去にしていくしかないな)


 自分にそう言い聞かせながら階段を上り切った俺は、通路を歩きながらポケットに手を突っ込んで部屋の鍵を取り出す。

 俯いていた視線を自分の部屋に近づくにつれて上げていった先に見えたものに、俺の足が止まった。


 俺の部屋の前にしゃがみ込んで両腕で両膝を抱きかかえて、その中に顔を埋めている人の姿があったからだ。


 少し肌寒いと感じる風が俺の後ろから自室に向けて吹き抜けていくと、ハイツの通路に設置されている柔らかい落ち着いたオレンジ色の灯りを灯す照明が、しゃがみ込んでいる人物の髪をサラサラと揺らした。


 ここからでは顔は全く見えない。だけど、俺にはその雰囲気だけで誰が部屋の前にいるのか分かった気がした。

 いや、分かったというより、これはきっと個人的な願望だったかもしれない。


 誰がいるのか確認もとらずに、人違いかもしれない可能性だってあったはずなのに、俺は描いた名前を口にする。


「みず……き?」

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