第51話 間宮がいなくなった後

 涼子が大阪な帰ってから数日が経った月曜日。懸命なリハビリを経て間宮は予定していた入院予定期間より早く退院する事になった。


 退院したその足で大阪の実家に移動する事になっていた為、退院する時間に合わせて松崎が商用車で病院に現れた。


「よう! 退院おめっとさん」

「あぁ、ありがとな」


 病院のロビーで待っていた松崎は間宮から手荷物を預かり、そのまま乗り付けた車に積み込んだ。

 まだ痛みが完全に癒えたわけではない間宮は、松崎に誘導されて車に乗り込んだ。

 松崎から東京駅まで送ると言われた時は、忙しいだろうからと断ったのだが、「完治もしてないのに、遠慮すんな!」と有無を言わさずこうして迎えに来てくれた事に、今は正直助かったと感謝した。

 痛みがある状態で重い荷物を抱えて人がごった返す東京の電車を使って、東京駅まで移動するのは無理だと判断したからだ。


 東京駅に着いてからは実家へのお土産を物色した後、新幹線の到着時刻になるまで体を休める為に駅内にあるカフェに入る事にした。


 席に着いた間宮は向かいに座っている松崎に瑞樹との事を話そうとしたが、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。


 間宮はあの日、瑞樹と付き合う事になったと岸田から聞かされた時、正直付き合う事になった事を驚いたというより、ショックを受けた自分に驚いた。


 間宮自身が岸田に瑞樹を頼むと言ったのだから、希望通りになって安心しないといけないというのにだ。


(……何を今更)


 発車時効が迫り、2人はホームに向かった。


「忙しいのに、送迎ありがとな。ホント助かった」

「気にすんな。外回りの営業特権ってやつだよ」


 松崎に預けていた荷物を受け取った間宮が右手を差し出す。


「長い間世話になったな。元気で、ありがとう」

「だーかーらー! 最後の別れみたいな言い方すんなって! 今度こっちに来た時は、絶対に朝まで飲むからな!」

「はは、おう! 楽しみにしてるよ。それじゃ――またな」


 送別会の時は拒否された握手を今度はガッチリと交わして、近い将来の約束と共に、間宮は新幹線に乗り込んだ。


 自分の指定席に座り窓の外を見ると、松崎が軽く手を上げてニッと笑みを向けていた。

 最後の別れとは間宮も思ってはいない。

 だが、お互い離れた場所で時間に追われる生活を送っていると、段々と疎遠になっていくなんて事は、決して珍しい事ではないのだ。


 松崎と知り合ってから色んな事があったなと、小さく手を振る松崎を見て思う。ずっと戦友であり続けたいと思っていた。


(いや、これからだって戦友でいられるはずだ)


 その時、間宮に新しい目標が出来た。


 いつか自分が作ったシステムを松崎が売って、その際のサポートも自分が引き受けて一緒に大きな仕事を成功させると、まだ見ぬ新天地に想いを寄せるのだった。


(暫しの別れだ、相棒)


 松崎の力強い目にコクリと頷き返すと、間宮を乗せた新幹線がホームから再び走り出した。


 大学から今日までずっと暮らしていた第二のホームとして慣れ親しんだ東京を、間宮は単身離れていったのだった。


 ◇◆


「――結局、最後まで隠れてたな」


 走り出した新幹線の最後部が見えなくなるまで見送った松崎は、すぐ側にあった自販機に向かって話しかけた。

 すると、誰のいないと思われた自販機の物陰からおずおずと瑞樹が姿を現したのだ。


「気が付いてたんですね」

「まあな。で? ここまで来ておいて、何であいつを見送ってやらなかったんだ?」

「……それは、その……。前に色々あって私の顔なんて見たくないかなって……それに――」

「――岸田だっけ? あいつと付き合う事にしたからか?」

「……知ってたんですね」

「知ってたっていうか、あいつの様子を見ててなんとなくそうかなって」

「……そうですか」


 瑞樹は手に持っていた鞄のハンドルをギュッと握りしめた。

 その表情は申し訳なさそうに見え、辛そうにも見えた。


「ところで、瑞樹ちゃんはこれからどうするの?」

「午後から講義があるので、どこかで時間を潰すつもりです」

「そっか。ならさ、これから昼飯でもどう? ゴチっちゃるぜ」

「で、でも……私は」

「言いたい事は分かるけど……さ。間宮と離れたからって、俺らって友達でしょ?」

「松崎さん……はい。ありがとうございます」


 駅前のコインパーキングに駐車してあった商用車に乗り込んだ2人は、お互い来たことがある神山の父が営むverdantに向かい事にした。


 移動中、車の窓から流れる景色をぼんやりと眺めている瑞樹の姿はでこか寂し気で、とても恋人が出来て間の無い女の子の雰囲気が微塵も感じられなかった。


「後悔してんの?」

「え? ……ううん、そんな事ないですよ」


 後悔という言葉しか投げかけていないはずなのに、それを岸田と付き合った事を訊かれたと思った時点で、悩んでいる事は明白だった。

 松崎はその事に気付いていたが、敢えて追及する事をしなかった。


「あれ? 志乃――と松崎さん!?」


 verdantに着いて重厚な扉を開けると、ホールから入ってきた客を出迎えようと近付いてきたのは、店の制服に身を包んだ神山だった。


「結衣!? その恰好どうしたの?」

「どうしたってここでバイトしてんの。つか、志乃と愛菜の親友としてこのツーショットは微妙なんですけど――まさかの浮気?」

「えぇ!? そ、そんなわけないでしょ!」


 神山が慌てる瑞樹を楽しそうに揶揄っていると、厨房から「仕事中だぞ」とこの店のオーナー兼シェフである神山の父親からお叱りのお言葉が飛んできて、あからさまに嫌そうな顔を向けた。


「へいへい、どうもさーせんね!」と厨房に舌を出した神山はコホンと咳をしてスイッチを切り替えて、瑞樹達に向き直る。


「いらっしゃいませ、ようこそverdantへ。お二人様ですね、只今お席にご案内致します」


 完全お仕事モードに切り替えた神山がなんだか可笑しくて、クスクスと笑い合っている2人が案内された席はverdantオーナーの娘曰く、特等席だそうだ。


 ランチタイムのピークが過ぎていたからか、店内は少し余裕があるように見える。

 瑞樹も松崎もここへ来るのは2度目なのだが、お互いこの店の雰囲気は好みのようで、上品なBGMの流れる店内を見渡してホッと息をつく。


 瑞樹達を席に案内した神山はすぐに席を外さずに、チラっと厨房を覗き見たあと手を口元に当てて、小声で2人に話しかける。

 どうやら一瞬でお仕事モードを解除したようだ。


「で? このツーショットはどゆこと?」

「間宮が今日大阪の実家に帰る事になってたから、2人で見送りに行ってた帰りなんだよ」

「ええ!? 間宮さん今日帰っちゃったんですか!? 私、聞いてないんですけど!」


 思わず大きな声を出してしまって厨房からの鋭い視線に「ヒイッ!」と身震いする神山に、2人は苦笑いを浮かべた。


「間宮本人がそういうのを嫌がったから、俺だけ送迎を兼ねて行くつもりだっったんだけど、瑞樹ちゃんはあいつから聞いてたみたいでね」

「そっかぁ……間宮さんらしいね。ていうか、志乃! 私達の分もちゃんとお別れ言ってくれた?」

「え? えっと……」

「勿論だ。皆にも宜しくって言ってたよな?」

「……はい」


 松崎がお別れを言うどころか、姿を見せる事すら出来ななった瑞樹を庇うように、咄嗟に神山に嘘をついた。

 そんな松崎の配慮が、瑞樹の心に痛みを残す。


「まぁ2度と会えなくわけじゃないもんね。っていい加減仕事に戻らないと! それではご注文がお決まりになられましたら、お呼び下さい」


 神山は再びお仕事モードに切り替えて綺麗な姿勢でお辞儀をすると、そのまま2人の席を離れた。


「……どうしてあんな嘘をついたんですか?」

「ん? 余計なお世話だったか?」

「……いえ、そういうわけじゃ――」


 松崎に余計な気を遣わせてしまった事に、情けないと思わずため息が漏れた。


 一通り食事を終えて会計を済ませようとする松崎に、割り勘でいいと言い出した瑞樹と少し揉めたのだが、最終的に瑞樹が折れて店を出た。


「それじゃ、俺は仕事に戻るから」

「はい、御馳走様でした」


 挨拶を交わして、松崎はコインパーキングに、瑞樹は駅に向かおうとした時、瑞樹には聞き覚えのある声で呼ばれて足を止めた。


「……瑞樹さん」

「え? 岸田……くん?」

「どうしてこんな所にいるの? 今日は家で用事があるって言ってたよな――それに」


 言うと、岸田は瑞樹と一緒にいる松崎を睨みつける。


「彼女に何か用ですか?」

「ち、ちょっと待って! 前に危ない所を助けてくれた人じゃない! 覚えてるよね!?」

「それは覚えてる。でも、だからって俺に隠れてコソコソ会っていい理由にはならないだろ」


 2人のやりとりで、彼氏の岸田が彼女の瑞樹をどう扱っているか察した松崎は、2人の間に入って口を開く。


「岸田君……だよな。えっと、君も間宮は知ってるんだろ? 今日あいつ退院でさ。そのまま東京を離れる事になってたから――」

「――間宮さんが退院?」


 松崎が事の経緯を説明すると、岸田が途中で話を遮りながら瑞樹を見る。

「あっ」と声を漏らした瑞樹の表情が曇った。


「間宮さんが今日退院するなんて聞いてないけど……隠してたのか?」

「…………」


 押し黙った瑞樹を見る限り、今日間宮が退院する事を意図的に黙っていたようだ。

 因みにだが、瑞樹が間宮の退院日を知っていたのは、事前に退院日が決まったら教えて欲しいと涼子に頼んでいたのだ。


「何とか言ってくれよ、瑞樹さん。間宮さんの事は覚悟してるって言ったよな!? でも……隠されたりしたら疑いたくないのに、疑っちゃうだろ!?」

「…………ごめん」


 黙っていた事を追求する岸田から目を逸らして俯き、小さく肩を震わせて消え去りそうな声で黙っていた事を謝った。


「まあまあ! とにかく君が誤解するような事は全くないんだ。俺はこれから仕事に戻らないとだから、君が彼女を送ってやってくれ」


 予定していたアポの時間が迫ってきたようで腕時計に視線を落とした松崎は、2人の動向が気にはなったが仕事に戻る事にした。


「松崎さん。迷惑かけてしまって……ごめんなさい」

「気にしなくていい。そんな事より、彼と仲良く……な」


 瑞樹は松崎に頭を下げて謝った後、岸田の方を見ずに駅に向かって歩き出すと、岸田は何を言わずに会釈だけ済ませて瑞樹を追って松崎の前から立ち去った。


 そんな2人を苦笑いで見送った松崎は、急いで車に飛び乗って仕事に戻るのだった。

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