第50話 大失敗の初デート

「ん、こんな感じかな」


 瑞樹は自室の壁に掛けている全身鏡の前で、組み合わせた今日の服装をチェックしていた。


 K大の入学式を無事に終えて、これからの新しい生活に色々と物入りだからと、岸田から映画とショッピングに誘われていたのだ。


 岸田はスポーツ特待生として入学している為、一般の学生より一足早く大学生活をスタートさせている。

 とはいえ、学生としてのスタートは瑞樹達と同じなのだが、期待のアスリートとしては既に練習漬けの毎日だった。

 それでも中学からの想いが叶った岸田はオフの日を調整に成功し、今日が2人にとって初デートなのである。


「おりょ!? お姉ちゃん今日は随分と気合い入ってね? どしたん? もしかしてデートとか!? なぁんてねぇ」

「うん、そうだよ。じゃ、いってくるね」

「は!? ち、ちょ、ちょちょちょ! お姉ちゃんストップ!」


 行ってくると玄関のドアノブに手を掛けて時、後ろから猛チャージをかけてきた希に呼び止められた。


「ん? なによ」

「なによ、じゃないよ! 間宮さんってまだ入院してるんでしょ? まさかお姉ちゃんが我儘言って病院を抜け出させるとかじゃないよね!?」

「まさか。デートの相手は岸田君だよ。彼とお付き合いする事になったの。それじゃ、いってきます」

「は? はあ!? ちょ、岸田って、あ! お姉ちゃん!」


 困惑しながらももう一度瑞樹を呼び止めようとした希だったが、今度は立ち止まってもらえずに、静かに玄関のドアが閉まった。


(お姉ちゃんが岸田って人と付き合った!? 岸田って、確か前にお姉ちゃんにウチまで会いに来た人……だよね)


「た、大変だぁ! とにかく愛菜姉に知らせないと!」


 ◇◆


 早めに家を出て予定通り待ち合わせ時間の15分前に到着した瑞樹の視線の先に、すでに岸田の姿があった。


「おはよう、岸田君。待たせちゃった? 15分前に来たつもりだったんだけど……」

「おはよ、瑞樹さん! ううん、俺がわざと30分前に来ただけだから気にしないで」


 そう言われて何故と首を傾げる瑞樹に、やれやれと肩を竦める岸田が説明を始める。


「こんな目立つ場所に瑞樹さん1人で足を止めて待たせたりしたら、秒で声をかける奴らが湧いてくるだろうからね」

「そんな事――」

「――あるよ!」

「……かな?」

「残念ながらそんなのが湧いて出てきても、俺はあの人みたいに守ってあげられないかもだから、先手を打って湧かないようにしたんだよ」

「……気を遣わせてしまって、なんかごめんね」


 チョコンと小さな両手を合わせて謝る瑞樹に、岸田の顔が瞬間湯沸かし器の如く、真っ赤に茹で上がった。


「べ、別に謝る事じゃないよ。それだけ瑞樹さんが可愛いって事なんだからさ」

「……可愛い……か」

「え? なに?」

「ううん、なんでもない。さあ、まずは映画からだよね? いこ!」


 モール内にある映画館に着いて、まだ何を観るか決めていなかった2人は今話題になっている作品を観る事にした。チケットを購入して入場時間まで、待ち合いスペースにあるソファーで待っていると、ふと瑞樹が懐かしそうに口を開く。


「そういえば、2人で映画を観るなんて中学の時以来だね」

「……え? あぁ、そうだな」


 瑞樹はあの時の思い出話をするのだが、隣にいる岸田は辺りをキョロキョロと見渡してばかりで、まるで上の空のようだった。

 そわそわとしている岸田の視線を追った瑞樹だったが、周囲にとりわけ気になるような事はない。


「ねぇ、これから観る映画のCMって観た事ある? 私あんまりテレビとか観ないんだけど、この前愛菜がね――」

「――え? なに!?」

「……ううん。別になんでもないよ」


 その後は2人共何も話す事なく、上映時間を迎えて会場に入った。


 人気作だった為、すでに会場は混雑していたが、端の方に座っていた客達に会釈しながら、購入した指定シートに座った岸田はようやく落ち着いたのか、これから観る映画の話題を瑞樹に小声で話し始めた。

 さっき話そうとした事を岸田から聞かされた事で、やはり聞いてなかったんだと瑞樹は沈みながらも相槌を打つのだが、次々と2人の並びの席が埋まっていく度に、また岸田の様子がおかしくなっていく。


「おい、あの子ありえん位に可愛くね」

「ちょ、マジかよ! あれはヤベーだろ」


 席に着いた男性客達が瑞樹に気付き、ヒソヒソと瑞樹の美貌を絶賛する声が聞こえ始める。

 その声をしっかり聞き遂げた岸田は、上映時間になって会場の照明が落とされて暗くなった時、瑞樹の腕を軽く掴んで自分の真横に引き寄せた。


 何事かと強引に引っ張られた瑞樹が隣の席を見上げると、引き寄せた岸田は瑞樹の席の向こう側に座っている男を威嚇するような目で睨みつけていた。


「え? ちょ、なに? どうしたの?」

「いいから、黙ってこのまま俺に凭れててくれ」


 岸田はそう返すと、再び周囲に意識を張り巡らせた。


 映画の予告が終わり本編が始まってからも瑞樹は何度か岸田の様子を伺うと、相変わらず周りを気にしていて殆どスクリーンを見ていない事が暗闇の中でもハッキリと見て取れた。


 上映が終わった頃、丁度昼時だからと2人はレストラン街にある洋食店に入った。

 案内された席について注文を済ませてから、瑞樹は空気を変えようとさっき観た映画の話題をいくつか振ってみたのだが、岸田から返ってくるのは曖昧な返事ばかりで、まともに映画を観ていなかったのは明白だった。


 そんな岸田に話す事がなくなった瑞樹は何を話さなくなり、運ばれてきた注文したメニューをもくもくと食べる事しかしなくなってしまった。


「でよっか」


 食後に運ばれてきた紅茶を一口だけ飲んで、店を出ようと席を立った瑞樹に、岸田は変らず周囲に意識を向けながら無言で瑞樹の後に席を立つ。


 店を出て予定通りにショッピングを始めた2人だったが、店を出てから辺りを気にする岸田の仕草が更に酷いものに変わり、瑞樹は手に持っていた商品を棚に戻して深く溜息をついた。


 無言で店を2店舗程回った時、瑞樹の足がピタリと止まる。


「どうしたの? 瑞樹さん」

「……ねぇ……私といて楽しい?」

「勿論だ! 瑞樹さんみたいな可愛い彼女と一緒にいるんだよ? 楽しいに決まってるじゃん!」


(……また可愛いって言われた。でも全然嬉しくない)


「じゃあ、何で私を見てくれないで周りばかり気にしてるの?」

「え? それは勿論、瑞樹さんを守る為だよ!」

「……私、そんな事頼んでないよね?」

「こんな可愛い彼女をもった、彼氏の務めってやつでしょ!」


(また言われた……でも、ドキドキするどころか、イライラする!)


「……私って今まで自分の身は自分で守ってきたから、大丈夫なんだけど」

「そうかもしれないけどさ、これからは俺に守らせてくれよ! 彼氏なんだからさ!」


 得意気に言う岸田の顔を見て、瑞樹は小さな溜息を吐いた。


「ごめん……今日はもう帰るね」

「え? ちょっと、まだ何も買ってないじゃん! 待ってよ!」


 岸田は突然帰ると言い出した瑞樹の手を握って慌てて呼び止めたが、瑞樹は掴まれた手をもう片方の手でそっと押しのける。


「買い物はまた今度にしよ」

「じ、じゃあ! 家まで送るよ!」

「ううん。1人で帰りたいから……じゃあね」


 岸田に背を向けた瑞樹に納得がいかないと、歩き出した瑞樹の前に回り込んだ。


「なぁ! 何怒ってんだよ」

「……言わないと分からない?」


 黙って首を縦に振る岸田に、瑞樹はまた溜息をついた。


「今日のデート、私なりに楽しみにしてたんだよ? 岸田君と一緒に映画観て買い物して、色んな話をしようと思ってた」

「……そんなん、俺だって同じだよ」

「それなら、何で私を見てくれないの!? 何で私の話を聞いてくれないの!?」

「い、いや! それはだって……」

「私の事可愛いって言ってくれるけど、岸田君は私の見た目だけが気に入ったの? 好きになってくれたのって、それだけ!?」

「ち、ちがっ――」

「――違わないよ! 私は私の事を知ってもらいたかったの! 離れてしまってからの私を知って欲しかった! だから別に映画とか買い物とかじゃなくて、近所の公園のベンチでお話するだけでも楽しいと思ってたのに!」

「…………」

「彼氏だって言うのなら、隣でちゃんと私を見ててよ……私は岸田君にボディーガードしてもらいたいわけじゃない!」


 とうとう瑞樹を本気で怒らせてしまった。

 なのに、非難を受けている岸田には好きな女の子を守ろうとしたのに何故怒られている事になったのかと、納得いかない顔をしていた。


「……折角の初めてのデートだったのに、ごめんね……私やっぱり帰るね」


 最後にそう言い残して、瑞樹は再び岸田に背を向けてこの場を離れていく。

 その背中を見つめている岸田の口からは、もう何も言葉が出てこなくなり、ただ遠のく瑞樹の後ろ姿を見送る事しか出来なかった。


 その夜、帰宅してから希に根掘り葉掘りと質問攻めにあった瑞樹だったが、明確な返答をする事なく曖昧な返答で煙を巻いて自室のベッドに倒れ込むように横になった。

 別れてからこれまでに何度か岸田から電話がかかってきていたが、今は話す気になれずスマホの電源を落として、瑞樹は早々に眠りについたのだった。

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