第49話 途切れた想い

 目立つ事を嫌う彼女に、こんな場所で再度告白するのは間違っているかもしれない。

 だけど、今この時を逃したらチャンスがない。そう思ったんだ。

 さっきから周りの客達が俺達に視線を向けているのは分かっている。これで断られたら、公開処刑のようなものだという事も。


 俺の気持ちを嬉しいと言ってくれた後の、瑞樹さんの反応が前と違っていた。

 駅のホームで気持ちを伝えた時は申し訳なさそうではあったけど、迷う事なく断られたっけ。

 でも、今目の前にいる彼女は視線を落として、少し頬を赤らめてくれている気がする。気がすると言ったのは、俺がまともに瑞樹さんの顔を見れないでいるからだ。



 ……どのくらいの時間が経過しただろうか。

 5分くらいだろうか。その僅かな時間が俺には1時間くらいに思えるほど、長く長く感じた。


 やがて彼女が俯いたまま口を開いた。


「いい……のかな」

「え!?」


 よく気持ちは嬉しいと言った後で『でも』と続けられるのがフラれるフラグの1つだと聞いた事がある。

 だから、それ以外の言葉を期待はしていたけど、本当に違う言葉が返ってきて全身の血が沸騰したかのように熱くなった。


「こんな気持ちのままで……いいのかな……って」


『こんな気持ち』


 それが彼女の中に住み続ける間宮さんへの気持ちを指している事なんて、訊かなくても明白で、勿論そんな事は覚悟の上だ。


「それって間宮さんの事だよね。あの人への気持ちは知ってるつもりだよ」

「……でも」

「あの人の事は百も承知で俺が気持ちを伝えてるんだから、瑞樹さんが気にする必要なんてまったくない!」


 これはまさかの展開だ。

 確かに間宮さんに突き放されて、心が弱くなっている今しかないとは思っていた。

 卑怯だとか言われても、彼女の気持ちが完全にあの人に向いている以上、時間を置いてしまうとまた隙がなくなってしまうのだから、そんな事は知った事じゃない!


 ここは押して押して押しまくる時なんだ!


 今の俺の気持ちは全て伝えた。

 嘘は言っていない。

 あの人の事はすぐには無理だろうけど、これからゆっくりと時間をかけていけば、何時かは彼女の全てを手に入れられると思ってるから。


 それからまた沈黙が流れる。

 目の前にいる彼女から僅かに光が見えたり、消えたりを繰り返しているように見える。

 膝の上に乗せて握りしめた両手の手汗が凄い事になっていて、凄く息苦しさも感じた。


 中学の時、転校する前に彼女を映画に誘った時の比ではない緊張感が続いている。

 大学生になろうとしている男が情けないとは思うけど、ずっと好きで離れてしまってから何度も諦めないといけないと思えば思う程、瑞樹さんへの気持ちが大きくなっていったんだ。

 そんな未練たらしい俺の事を好きだっていってくれた女の子もいたけど、その子の気持ちを受け入れる事が出来なかった。

 気持ちを伝えてくれた彼女には申し訳ない気持ちはあるけど、後悔した事は1度もない。


「……私って面倒くさい女……だよ」


 長い沈黙を破ったのは、珈琲カップを口に運んだ瑞樹さんの方だった。


「そ、そんな事――」

「――あるよ。それに今はあの人の事もあって、もっと面倒くさくなってると思う」


 自分の事を面倒臭い女だと言う瑞樹さんの言葉を否定しようとしたけど、言い切る前に彼女が言葉を被せてきた。

 最後に言った『もっと面倒くさくなってる』というのは、俺的には絶対に違うと言い切れる。

 だって、もっと面倒くさくなっているのなら、俺の告白を前回同様にバッサリと切り捨ててるはずだから。


 それにこの初めての反応もそうだ。

 この後、結局フラれてしまうかもしれないけど、即答ではなくしっかりと考えてくれているのが分かるから。もしかしたら迷っているのかもしれない。

 もしそうであれば、フラれてしまっても公開処刑を甘んじて受けようと俺は腹を括った。


「……私なんかで、本当にいいの?」


 夢の中や妄想の中での彼女からなら何度も聞いた事がある台詞が、俺の鼓膜を震わせた。


 俯いて目を力いっぱい閉じていた俺は、口をポカンと開けた間抜けな顔のまま顔を上げて、少し上目使いになっている瑞樹さんと目を合わせた。

 俺はこの返答をある意味では期待していたが、本当に返ってきた瑞樹さんの返事に言葉を失い、向かい合っている彼女は申し訳なさそうな顔を向けていた。


 そんな2人のやり取りに、隣の席に座っている客の喉がゴクリと鳴った。そんな小さな音が聞こえる程に店内が静まり返っていたのだ。


「い、いい……いいに決まってるよ!」


 震える声を何とか絞りだして答える俺に対して、瑞樹が頬を赤らめて小さく頷いた。


「そ、それじゃ……こんな私で良かったら……その、宜しくお願い……します」


 最後の言葉を聞き終えた途端、俺は勢いよく席を立ちあがり両手で作った握りこぶしを天井高く突き上げ「ぃいよっしゃーーーーーー!!!」と歓喜の雄叫びをあげた。


 その大きな声にビクッと体が跳ねた瑞樹さんを余所に、一連の流れを固唾を呑んで見守っていた周囲の客達から喜びを爆発させている俺にに大きな拍手が送られた。


 その拍手に更に驚いた彼女は、どうしていいのか分からなくなったのか、慌ててテーブルに置かれている伝票を手に取り、もう片方の手で俺の手首を握って店を出ようと手を引く。

 おろおろとした彼女の意図を察して引かれるがまま席を立った俺は、拍手を送ってくれていた客達に会釈しながら先を行く瑞樹さんを追うのだった。


 会計を済ませる時に、女性のスタッフから「おめでとうございます」と声をかけられた瑞樹さんの顔が更に赤く染まったのを見た俺は、こんな可愛い女の子がこれから自分の彼女になってくれたんだと実感して、両目に薄い膜が張った。


 店から出ると、「もう! 恥ずかしいよ」と俺を叱る瑞樹さんはパタパタと手で自分の顔に風を送っていた。


 そんな可愛らしい仕草を見せる彼女の立ち位置が変わっている事に、俺が気付かないわけがない。

 再会を果たしてから今日この店に入る時まで、確かにあった物理的な距離が縮まっていて、俺はずっと存在していた壁のような物が取り払われたのだと実感した。


「ん? どうかしたの?」

「い、いや! その、ごめん――嬉し過ぎてはしゃぎ過ぎた」

「はぁ……もういいよ」


 まだ少し恥ずかしそうに微笑む目の前にいる女の子と付き合える事になった。まさに大逆転勝利の瞬間だった。


 このまま2人でどこか遊びに行きたいから午後からの練習はサボると言ったら、瑞樹さんは俺の胸元に白くて細い人差し指を当てて「私は岸田君の邪魔は絶対にしたくないから」とちゃんと練習に参加するようにと叱られた。


「それじゃあ荷物も重いだろうし、家まで送らせてよ」


「んー……別に気にしなくていいよ」と遠慮する瑞樹の言葉を無視してボストンバッグを奪い取るように肩にかけた俺は「いいから! いいから!」と内心では心臓がバクバクしているのを抑えつつ、瑞樹さんの綺麗な手を握ってグイグイと彼女を自宅に送り届けたのであった。


 瑞樹さんを送り届けた俺は、その時初めて間宮さんの見舞いに行くつもりだった事を思い出したのだが、すぐにでも大学に戻らないと間に合わない時間になっていた。それにもうライバルでもなんでもない間宮さんに無理に時間をかける必要は無いと真っ直ぐ大学に戻る事にした。


 この日の練習は、これまでにない程に張り切って、他の部員達を呆気にとらせたのは言うまでもないだろう。


(あの瑞樹志乃が俺の彼女……。どうしよう! 嬉し過ぎて本気で泣きそうだ!)


 ◇◆


「……君と瑞樹が?」

「はい。付き合う事になりました」

「…………」


 瑞樹はいつまでも傍にいてくれると、こんな事態になって初めて心のどこかでそう思っている自分に気付いた間宮は、嬉しそうにしている岸田の顔がまともに見れなくなった。


「だから見舞いに来るのが遅れたんですよ。水泳の練習だけでも忙しいのに、瑞……志乃とのデートもあったので」

「…………」

「あいつ、ああ見えて甘えたがりで、毎日会わないと嫌だって拗ねるんですよぉ。まぁ、そこが可愛いんですけどねぇ」

「…………へぇ」

「正直、告って玉砕した時は強がってリベンジするとか言ったんですけど、内心では殆ど諦めてたんですけどね」

「…………」

「でも……どこかの誰かさんが志乃を突き放してくれたおかげで、長年の想いが成就されたってわけです」

「…………」

「志乃が来たと期待してたんでしょうけど、あいつはもうここへは来ませんよ。俺が行くなって言ってあるんで!」

「…………」

「今更後悔したって遅いっすよ! もう誰であっても志乃は渡しませんから!」


 そう言い切った岸田は呆然とする間宮に会釈して、これからデートなんでと病室を出て行った。


 自分が望んだ結果なのだから、祝福するべきところなのは間宮にも分かっている。

 それでも――後悔という雑念が祝いたくないと、間宮の心を蝕むのだ。


「くそっ……俺は何がしたかったんだよ……」

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