第48話 岸田が手に入れたもの

 間宮が意識を取り戻して3日が過ぎた夕方の事。


「ホンマに1人で大丈夫なんか?」

「大丈夫やって。検査結果も異常無くて順調に回復してるって言ってたやろ? 後は徐々にリハビリするだけなんやから」


 精密検査の結果は上々なもので、後は暫くリハビリを続けて退院するだけとなった。

 明日から優希が全国ツアーの為に茜が東京を離れる事になっていた為、涼子が茜の部屋に1人で寝泊まりする事になるタイミングで、間宮が涼子に大阪に帰るように促したのだ。


「でもなぁ……」

「俺はもう心配ないって。それより家事が一切出来へん親父が家に1人でおる心配した方がええで」

「想像したら、余計に帰りたなくなったわ」


 明るい笑い声が病室に響く。

 こんなに笑い合える事が、間宮が順調に回復している証拠だろう。


「お母さん、迎えに来たで」


 そこにドアがノックされて、病室に茜と優希が入ってきた。


「なんや、えらい早かったなぁ。もう仕事終わったんか?」

「うん。と言っても明日からのツアーに向けて決起集会があるから、それまでには戻らんとなんやけどね」


 言って、茜は当然のように涼子の荷物を手に持った。

 涼子は1人で帰ると言っていたのだが、東京駅まで送らせてと茜が譲らなかったのだ。


「良兄! 今度会うのは何年後になるんやろな」

「どうやろな。まぁ、俺は優香の命日に東京に戻る事になったから、タイミングが合えば会おうや」

「せやなぁ!」


 という間宮達であったが、間宮は新潟に移り住み、茜はアメリカに移り住む。そんな2人がタイミングよく同日に東京にいる確率なんて、限りなくゼロに近い事は分かっていた。


「そういえば、お父さん達との関係修復出来たんだってね」


 間宮と茜の会話に、優希が先日の事。つまり間宮が刺される直前に優希の両親と和解した事を持ち込んで割り込んできた。


「あぁ、おかげ様でな。何か色々と言ってくれてたんだってな、ありがとう」

「んーん。私はおかしいと思った事を言っただけだしね」


 言って優希は嬉しそうに間宮にピースサインを送る。


「優希はまだ話す事あるでしょ? 私達は先に車で待ってるから」


 茜は気を利かせたのか、そう言って涼子と病室を出ようとする。


「え!? でも」

「いいよ。今度いつ会えるのか分からないんだよ? それじゃまたね、良兄」

「おう! 色々とありがとうな。またな、茜」


 そんな茜に続いて、涼子も軽く手を上げる。


「ほな、ウチも帰るわ。向こうで待ってるで」

「あぁ、気を付けてな。親父によろしく伝えといて」


 術後の検査結果を聞いた後、退院しても暫くは安静という指示が担当医から出ていた。

 しかし、間宮のマンションは既に引き払っていた為、退院したその足で新潟に向かうつもりだった間宮であったのだが、涼子がその傷で1人暮らしはまだ心配だからと、一旦大阪の実家に戻るようにと言う。

 間宮は断ろうとしたのだが、今回の事でかなり心配をかけてしまった負い目もあり、最終的に涼子の言う事に従う事にしたのだ。


 静かに締るドアの音と共に、病室には間宮と優希の二人だけになった。


「あ、あはは! なんだろ……今までこんなの何度もあったのに、今日は妙に照れるね」

「だな。本当ならもう会う事なかったはずだったからかもな」

「……かもね」


 2人の間に沈黙が流れるが、2人は全然嫌な感じは受けなかった。それは短い間ではあったが、付き合っている時からずっとあったもので、2人が最も気に入っていたところでもあった。


 今、照れ臭そうにモジモジしている優希は、明日からのツアーを終えたらアメリカに旅立って、向こうで優希の才能が更に開花すれば本物のスーパースターの仲間入りの果たす事になる。

 そんな大いなる可能性を秘めた女性が目の前に立っている事に、未だに不思議な感じがする間宮であった。


 優希に好きだと告げられた時、嬉しいと思ったし光栄とも思えた。結局その想いに応える事は出来なかった間宮であったが、やはり1人の人間として強い憧れを抱かずにはいられない。


 もう会う事がなかったとしてもずっと応援していたい。そして憧れ続けたいと心から思う間宮は、無言で右手を優希に差し出した。


 間宮の気持ちを察したのか、優希も右手を出して間宮と握手を交わすと、2人は穏やかな目で見つめ合った。


「元気でな。アメリカでの成功を祈ってる」

「ありがと。良ちゃんもこんな無茶はもうしないで、元気でね」

「はは、気を付けるよ」

「…………ところで……さ」

「うん?」

「……その……志乃とは……どうなったの?」


 やはり2人で会ったという話は本当のようだ。名前を呼び捨てているのが、何よりの証拠だ。

 優希と瑞樹の関係は、恐らく特殊な部類に属するものだろう。


 もし自分が同じような立場にあったら、優希達のようにお互いの事を名前で呼び合うようになれるだろうかと、2人の関係性に複雑な気持ちになる間宮。


「……どうって別に……な」

「そ……そっか――なら!」


 優希の声に僅かだが緊張が混じったように聞こえた間宮の繋がられていた手が、不意に強く引っ張られた。

 その引かれる力にデジャブを感じる間宮の頬に、チュッと鳴る音と共に柔らかくて温かい感触があった。


「なっ!?」

「まだなんだったら、お別れの挨拶にこれくらいいいよね! それにこれはお礼だよ」

「お礼?」

「私とお父さん達を繋げてくれた、ね!」


言われて、お礼の意味を理解した間宮。

あれから刺されたり瑞樹が去ったりと、色々な事があり過ぎて、すっかり忘れていた。


「あ、あれこそお礼のつもりだったんだ。だからお礼のお礼って……」

「相変わらず面倒臭い男だねぇ……」

「面倒臭いってお前な……」

「いいから! 私がお礼したいからしたんだよ! だから良ちゃんは素直に受け取っとけばいいの! わかった!?」

「……お、おう」


 悪戯が成功した子供のように笑う優希に呆れたように息を吐く間宮であったが、それは決して迷惑だとは思わなかった。


 優希はもう1つの未来だと感じた。

 彼女の手をとって共に生きていく未来だってあったはずで、優希の好意を受け入れられなかった事に色々な理由を述べたが、本当はそんな大した話じゃなかったと、今の間宮には分かっていた。


(優希より先に瑞樹が俺の中にいたから――ただ、それだけなんだ)


 間宮は意識がない夢の中で優香と会っていた事を話そうとしたが、口を開いただけで言葉を喉で止めた。

 何だかこの話を優希にするのは違う気がしたからだ。


「茜から聞いたかもしれないけど、いつかまた会おう」

「うん! 約束だからね!」


「じゃあね」と告げた優希が病室のドアを開けて、間宮に背を向けたまま口を開く。


「ねぇ、良ちゃん」

「ん?」

「志乃の事よろしくね。あの子強そうに見えて危なっかしいとこあるから」

「…………俺に出来る範囲でなら、分かった」


 間宮がそう返ると、背を向けたままの優希は小さく手を振ってドアを閉めた。


 優希のヒールの音だけが間宮の耳に響いて、やがてその音が聞こえなくなっていく。


 間宮はお守りのように側に置いてあったキーホルダーを握り締めて、優希のアメリカでの成功と無事を心から祈った。


 ◇◆


 涼子が大阪に帰ってから、一週間が過ぎた。


 間宮は痛みを訴える事なく精力的にリハビリをこなして、傷も順調な回復をみせていた。

 日に日に動ける距離が伸びていき今では病院の敷地内を歩いて、最後に間宮が入院している棟の一階から階段を登り屋上で風に当たって休憩をとった後、また階段を降りて自分の病室まで戻る距離を歩けるようになっていた。


 今日もリハビリ士が立てたメニューとは別に立てたメニューを消化して、病室のベッドに腰を下ろして一息つく。

 意識が戻ってからそれなりの時間が経過したからか、この病室が妙に落ち着く場所になった。とはいえ、新天地での再スタートが大幅に遅れてしまって迷惑をかけてしまっている関係者の事を思うと、申し訳ない気持ちになり溜息を漏らす日々だった。


 そんな気分でベッドに横になっていると、病室のドアがノックされた。

 あの日、親子で土下座して謝罪してから松崎が顔を出すようになったが、いつもの時間にはまだ早すぎると首を傾げる間宮。

 ――もしかしてと、胸の奥が少しざわつくのを感じた。

 意識が戻った日、迷惑だと言い放って無理矢理病室から追い出してから、1度も顔を見せていない瑞樹の姿が頭の中に浮かんだのだ。


「ど、どうぞ」


 声に緊張の色が混じっているのは間宮自身も自覚していたが、その色を隠そうともせずに病室のドアを凝視しながら、ノックに応えると病室に現れたのは……。


「こんにちは、間宮さん!」

「……あ、あぁ、岸田君……か。こんにちは」


 ドアが開いた先にいたのは期待した人ではなく、ガッシリとした体格の岸田だった。


「待ち人じゃなくて、すみませんね」

「え? あ、いや……そんな事は……」


 期待した人ではなかった事に動揺を隠そうとした間宮であったが、やはり隠せなかったんだと苦笑いを浮かべた。


「お見舞い遅くなってすみません。食事制限とかあったりします?」

「あ、あぁ、もう殆どないかな。まぁ酒はまだ当分控えるように言われてるけどね」


 間宮がそう答えると、「よかった」と岸田がスイーツの人気店で売られているゼリーの詰め合わせを手渡した。


「気を使わなくてよかったのに、わざわざありがとう」

「いえ! ていうか個室の病室っていいですねぇ。ソファーとかもあるし、殆ど自宅みたいじゃないですか」

「はは、そうなんだよ。最近ここが家みたいに感じてるよ」


 そんな当たり障りのない会話をしていた2人であったが、やがて自然と話題はあの事件の事に移り変わっていく。


「そういえば、間宮さんが神楽優希と知り合いだったなんてビックリしましたよ! そのうえ、妹さんがマネージャーとか凄すぎません!?」

「あ、あぁ、その事なんだけど……さ」


 少し困った表情で口を開く間宮に、岸田は間宮と神楽優希との繋がりを周囲に話した事がなく、これからも他言する気はないと述べた。


「そうか、ありがとう。それとお礼が遅くなってしまったけど、あの時駆けつけてくれてありがとう。本当に助かったよ」

「いえいえ、俺は本当に駆け付けただけで、何も出来ませんでしたから」

「そんな事はない。君が来てくれなかったら、犯人を潰す前に気を失っていただろうからね」


 これは世辞でもなんでもなく、間宮の本心だ。

 もしあの時、岸田が間宮の言った通りに帰っていたら、瑞樹を守り切れたかかなり怪しい状況だったからだ。

 それに平田が逃げた後も瑞樹がパニックに陥ってしまった為、岸田が冷静に行動したおかげで、間宮自身も助けられたんだと聞かされていた。


 だから礼を言うのは当然だとする間宮が聞いた岸田の次の言葉に、思考が完全に停止する事になる。


「全然ですよ。それに――自分の彼女を守るのは当然の事ですからね!」

「はは、そうだ……な――え?」


 岸田の自分の彼女を守るのは当然だと言った台詞に、間宮の思考が完全に固まってしまう。

 あの時、あの現場にいたのは間宮と平田と岸田……そして瑞樹だ。

 岸田の台詞とあの時の状況を考えると、岸田のいう彼女が誰の事を指しているのはなんて、誰にでも分かる事だった。


「実はお見舞いが遅くなってしまったのも、それが原因なんですよ」

「…………そう」

「ええ。まあ改めてになりますけど、間宮さん」

「…………ん?」

「俺、瑞樹――いえ、志乃と付き合う事になったんです!」

「――――――」

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