第47話 悩む事は生きる事
オカンの余計な気遣いに苛立ちを覚えて投げ渡されたスマホを睨みつけていると、病室のドアからノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」と声をかけると静かに開かれたドアから入って来る人物を見て、俺は目を大きく見開いた。
「あ、東さん!?」
病室に現れたのは、小さな子供を抱いた東さんだった。
「よっ! 久しぶりだな」
「どうしてここに!?」
俺が驚くのも無理はないと思う。
東さんは昔俺が自ら命を絶って優香の後を追おうとした時、腐りきっていた俺を体を張って止めてくれた人物であり、その後は定期的に東さんの元を訪れてはいたが、今回の事を知っている人物とは接点がなかったはずなのだ。
「松崎の奴、本当にお前に話してなかったんだな」
「松崎!? 何でそこで松崎の名前が出てくるんだ!?」
そう問う俺に、東さんはここへ訪れるまでの経緯を話し始めた。
実は俺だけでなく、松崎も東さんと面識があったらしい。
2人が知り合った時期は、優香を亡くして腐っていた俺が仕事に復帰を果たして、少し経った頃だったという。
松崎が以前から売り込みをかけていた会社に、偶然にも東さんの会社の営業が出入りしていたらしくて、最終的にウチと東さんの会社を含めた複数社でプレゼンする事になったという。
そのプレゼン会場にエンジニアとして東さんも同席していたのだと聞かされた。
確かに松崎には東さんという人に助けられたと話した事がある。その人が俺達と同業だと言った事を覚えていて、プレゼンの席で名乗った東に仕事とは別に個人的に声をかけたそうなのだ。
その場で俺の名前を出して2人は当然のようにお互いの連絡先を交換して、その後は定期的に連絡を取り合う仲になったと言うのだ。といっても2人の接点は俺だけだから、連絡を取り合うと言っても俺の近況報告を話し合う関係だったらしいが……。
その話を聞いた俺は、まるで2人に観察日記をつけられている気分になった。
今回の事も松崎が俺の意識が戻ってから連絡したようで、東さんは慌ててここに来たのだという。
だから、東さん的には事後報告が大層不満だったようで、松崎に不満を漏らしていた。
そんな関係の東さんに松崎がすぐに連絡しなかったのは、あくまで俺の想像だけど、事件が発生した直後は身内が犯人だと知られると、自分がとる行動を先読みされて止められる事を恐れていたからかもしれない。
「……大変だったな」
「いや、俺が勝手にした事だしね」
東さんが降りたがる子供を降ろして俺に労いの言葉をかけると、「まーちゃっ!」と降ろされた東さんの子供が嬉しそうにヨタヨタ歩きで俺のベッドに歩み寄ってきた。
「おぉ、優香。もう歩けるようになったのか! 偉いなぁ」
「えっへへー!」
前に東さんの自宅にお邪魔した時は、立ち上がろうとして尻餅をついていたはずだ。それが何時の間にか覚束ない足取りだけど、こうして歩けるようになったんだから、子供の成長の早さに驚かされた。
「こらこら! まーちゃんはお怪我してるんだから、抱っこは無理だぞ」
東さんが抱っこを強請る優香を慌てて抱きかかえて、俺に張り付こうとするのを制止させた。
そんな微笑ましい親子が見れて、少しだけざわついていた心が穏やかになった気がした。
「ごめんな、優香。まーちゃんのお怪我が治ったら、また一緒に遊ぼうな」
そう優香を宥めると、東さんは声色を少し下げて口を開く。
「そんな事言っていいのか? 松崎から聞いたけど、お前新潟に引っ越すんだろ?」
「……あぁ、そうだったな。わるい」
その後、直接東さんに話していなかった新潟へ行く事になった、詳しい経緯を話して聞かせた。
「なるほど……な。それじゃあ昔からの希望が叶ったんだから、喜んでいいところだよな?」
「……そう、なんだと思う」
「それにしては、随分と歯切れが悪いな」
事情を知らない東さんにも分かる程、説明を終えた俺の表情は冴えなかったのだろう。
だけど、何故か東さんは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「迷ってるのか? いや、後悔してるってとこか?」
「…………」
「いいじゃん!」
「……は?」
「いい顔してるぜ!」
「……何言って――」
そう反論しようと睨んだ先に見えたのは、嬉しそうににっこりと笑みを浮かべて涙を流す東さんだった。
その涙を抱きかかえられている優香がキャッキャとはしゃいで、小さな手で東さんの頬に擦り付けるように拭き取っている。
東さんは何が言いたいのか、俺には全く理解できない。
「――嬉しいんだよ」
「え!?」
「やっとだ! やっとお前の生きてるって顔が見れたからな!」
どういう意味だ?
俺はこいつに助けられてからは、一生懸命に生きてきたつもりだ。だからどこを見て、何を感じて、こいつはそんな事を涙を流しながら言ってるんだ?と首を傾げる俺に、東さんはクックックと笑みを零した。
「俺や優香と同じ仕事が出来る事になったってのに、手放しで喜べないのは――好きな女がいるからじゃないのか?」
「――あ!」
心臓が跳ねるのを感じた。
優希や仲間達に別れる事を告げて、意識は確かに新天地に向かっていたはずだ。
瑞樹にだって旅行先で東京を離れる事を告げて、お互い元気でと言葉を交わしたんだ。
少なくとも多少は思う所はあったにせよ、刺されて入院して意識が戻るまでは迷いはなかった。
(……でも、今は迷ってる――苦しんでる)
「ようやく出会えたんだな」
東さんの言葉で、俺が生きていると言った事の意味をようやく理解できた気がした。
俺は死ぬのをやめてから、投げやりに生きてきたつもりはない。
だけど、それは目の前にある壁を黙々と乗り越えてきただけだ。
無意識に悩んだり、苦しんだりするのを避けてきただけ。
つまり東さんの言う『生きる』というのは優香の事を忘れるのではなく、過去に出来る程の恋をしているかどうかって事を指しているのだろう。
「――あぁ、そうだな」
自覚してしまったから肯定するしかない。
俺は彼女の事が好きなんだ。
これまで生きてきて、もっとも醜い自分を曝け出した相手だからこそ、自分でも驚く程素直に気持ちを吐き出せたんだと肩の力を抜いた時、「あら? お客さん?」と昼食と摂りに外に出ていたオカンが病室に戻ってきた。
「はじめまして、東と申します。良介君にはいつもお世話になっています」
「これはご丁寧に、母親の涼子です。あらっ! 可愛らしい娘さんですねぇ」
オカンは東さんが抱きかかえている優香に目じりを下げた。
オカンが嬉しそうに優香を抱かせて貰っていると、「私の初孫はいつになるんやろうねぇ」と聞こえよがしに呟くオカンに、東さんが吹き出した。
「そう遠い話じゃないかもしれませんよ」
「お、おい!」
優香をオカンから引き受けながら東さんがニヤリとそう言うと、俺はみっともなくアタフタと慌てた。
「それではあまり長居して傷に触るといけないので、この辺で失礼します」
「そうですか? 何もお構いできませんで」
「いえ! 今日はここに来られて本当に良かったです」
東さんはオカンに挨拶を済ませると、俺の方に振り返ってニヤリと笑みを浮かべた。
「じゃあ、またな! でいいんだよな」
「あぁ、どっちにしても年一には必ず会いに行くよ」
「おう! その時はいい報告をお前に口から聞きたいもんだ」
「うっせ!」
そう話す東さんは「ははっ」と笑って、小さな手を振る優香と共に病室を出て行った。
(悩んだり、苦しむ事が生きる事……か)
俺は東さんが残してくれた言葉を心の中で復唱して、再びベッドに体を預けた。
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