第46話 謝罪と説教
やってしまった。
唖然と閉められた病室のドアを眺めて、俺はついさっきの言葉を失言だったと認めた。
さっきまで確かにあった瑞樹の香りが少しづつ消えていき、消毒液臭い病院独特の匂いが鼻を衝く。
瑞樹が隣にいた時は感じなかったのに、いなくなった途端に傷口に鈍い痛みを感じた。
頑丈に巻かれた包帯に下にあるガーゼで被されている患部にそっと触れると、あの時の事を思い出す。
怖い思いをさせてしまったうえに、余計な心配をかけてしまった。
あいつが責任を感じる事なんてないんだ。
いつもならどうって事のない状況だったはずなんだ。
あんな震えたナイフなんて、俺にとっては凶器にならない。
無傷で平田を潰す事なんて、造作もない事だったんだ。
誤算だったのは送別会で飲んだ酒だ。
飲み会の後に優香の実家に行ったりして多少は酔いは冷めたはずだったけど、駅から自転車を全速力で漕いでしまったせいでアルコールが酷く回ってしまったんだろう。その影響で体が思うように動かなくて、あんな怯えたナイフに刺されてみっともない姿を晒してしまった。
怖かっただろうな……あいつに悪い事してしまった。
(あれだけ怖い思いをしたってのに、泊まり込んでまで俺の傍にいてくれたのか……)
あんな言い方をするつもりなんてなかった。
ただ、意識が戻る前に夢の中で優香に瑞樹の事が好きだと口にした時、酷く後悔したんだ。
それは彼女の事を好きだと言った事じゃなく、新潟行きを決めてしまった事を……だ。
俺が目を覚ました時、彼女に自分の気持ちを伝えたら、自惚れの強い勘違いでなければ……瑞樹は俺の気持ちを受け入れてくれたんだと思う。
だけど、俺はあいつの傍にいてやれない。
瑞樹は普通の女の子じゃなくて、心に大きな傷をもっている。
そんな瑞樹の一番の心の拠り所になる恋人が離れた所にいるなんて、きっと瑞樹はその距離に苦しむ事になる。
何度か彼女を怒らせてしまった事はあるけど、あんな風に怒ったのは初めてだ。
多分だけど、あれは瑞樹の本音なんだろう。
あいつと知り合ってそれなりに経つけど、随分と色々な感情を見せてくれるようになった。
特に文化祭の後から、その変化が大きくなったように思う。
……いや、変わったんじゃなくて、構えを解いてきたという方が正しいか。
周囲に合わせて生きていると思われがちだけど、本当の瑞樹は芯が強くて頑固な性格で、こうだと決めた事は中々曲げようとしない。
俺と知り合う前まで合否判定がC判定で周囲に進路の変更を促されてきたけど、それを拒んで志望校であるK大に現役合格を勝ち取った事からも頷ける。
瑞樹が女子大生になるのか。
俺が開発部門への異動を断わっていたら、楽しくキャンパスライフを送っていく瑞樹の隣にいれたんだろうか。
「もう……手遅れなんだよ……な」
瑞樹が出て行った後もぼんやりと窓の外を眺めながらいなくなった瑞樹に想いを巡らせていると、ドタバタとした足音と共にオカンが病室に飛び込んできた。
「良介! アンタもう大丈夫なんか!?」
そうだよな。今回の事で瑞樹だけじゃなくて家族や同僚達にも迷惑をかけてしまったんだろうな。
「心配かけてもうたな……ごめん」
ずっと倒したままのベッドのリクライニングの角度と、それに凭れかかっている俺の姿を交互に見ていたかと思うと、オカンはボロボロと大粒に涙を流し始めた。
俺が眠っている間になにがあったかなんて分からない。
だけど、オカンの様子を見る限りあまりいい状態ではなかったんだろうと思った。
でなければ、どんな時でも凛とした姿を崩して笑顔のまま大粒の涙を流す事なんてないはずだから。
よろよろと近づいてきたオカンが、そのまま俺のベッドに上体を預けて嬉しそうに言葉を紡ぐ姿に、俺は心配をかけてしまった事を謝って小刻みに震えている肩にそっと手を乗せた。
やがて落ち着いてきたオカンと今後の話をしていると、一般の面会時間が過ぎてすぐに、俺がいる病室のドアがノックされた。
オカンとの話し合いを中断して「どうぞ」と病室の外に声をかけると、静かにドアが開かれた先に松崎と加藤が立っていた。
2人仲良くデートのついでに寄ってくれたのかと茶化そうとした口が、すぐに閉ざされる事になる。
その原因は病室に入ってきた2人の後ろに続いて見慣れない年配の男性と女性の姿があったからだ。
その2人はどうやら夫婦のようだったが、顔をしっかり見ても俺の記憶にはない人物だった。
俺が先に入ってきた松崎に説明を求めようとした時、年配の夫婦は流れるような動きで床に膝をついたかと思うと、両手も床につけて額を床に擦り付けるような勢いで頭を下げたのだ。
「この度は、本当に申し訳ありませんでした!!」
突然土下座した夫婦の男性から謝罪の言葉が口を着いた。
「え? ち、ちょ――」
突然の出来事に困惑した俺は側に立っているオカンに目をやったが、オカンも目を見開いて唖然と固まっていた。どうやらオカンもこの2人に面識がないようだった。
オカンも駄目みたいだから、今度こそ松崎に説明を求めると「この2人は俺の両親なんだ」とだけ答えた。
松崎の両親!?
といっても、頭を下げている女性に見覚えがないと言う事は、再婚した松崎の義理の母という事になる。
言い方を変えれば、あの平田の生みの親という事か。
そこでようやく俺は2人が何に対して謝罪しているのか、理解した。
「愚息がとんでもない事をしまって、どうお詫びすればいいのか……本当に申し訳ありません!」
ようやく2人が誰なのか分かった時に、今度は母親が涙声で俺に謝罪の言葉を述べた。
状況は呑み込めたけど、それでも土下座なんてされるのは本意じゃないと、頭を上げるように促しながら助けを求めようと松崎の方を見ると……。土下座する2人に並んだ松崎と加藤までもが俺に向かって土下座したのだ。
「ハ、ハァ!? お、おい! 2人までなにやってんだ――ツッ!!」
松崎達の行動に思わず上体を激しく動かしてしまったせいで、患部から激痛が走り、言葉に詰まって顔が痛みで歪んだ。
「――皆さん、どうか顔を上げて下さい」
痛みで何も言えなくなった俺に代わって、オカンが松崎達に頭を上げるように促した。
「い、いえ! 情けない話ではありますが、愚息の荒れ具合に手を焼いて挙句の果てに放置してしまっていた私達の責任なんです! こんな事で許されるなんて思っていませんが、どうお詫びすればいいのか……分からないんです」
「それは私も同じです! 兄として厳しく躾けないといけない時に甘やかしてしまったのが原因で、今回の事件を引き起こしてしまいました! 本当……本当に申し訳ありません!」
父親の謝罪の後に、松崎も俺達に向かって謝罪の言葉を述べた。
同僚の、しかも同期で戦友として親しく付き合っていた男に土下座までされて謝罪されても、俺としてはむず痒いというか落ち着かない気分だ。
とはいえ、単純に頭を上げるように言っても上げる素振りすら見せない4人に対して、少し方法を変えようと少し考えた後に話しかけた。
「以前、息子さんと関わった時に、怒りで我を忘れて彼らを追い込み過ぎてしまった事があるんです」
俺は以前、文化祭で瑞樹達が襲われた時に、怒りで平田達を潰しにかかった事を話して聞かせた。両親は目を見開いて驚いている様子だったところを見ると、どうやらその事は把握していなかったようだが、それはいいとして話を続けた。
「そういう経緯も今回の事件の要因の1つになっているはずですから、私にも責任があると思うんです」
「……いや! しかし!――」
「――それにもう1人の被害者である友人から伝え聞いたんですが、彼は罪を償おうと自首したと伺いました。なので、今回の事はお互い様って事にしませんか?」
こうして俺の前で土下座までして謝罪する人間が4人もいるのだから、きっと平田はやり直せると確信した俺は、この件はこれで終わりにしよう松崎の両親に投げかけた。
「い、いえ! そんなわけにはいきません! その文化祭の事だって全部あいつが悪いんですから、貴方に落ち度なんて全くありません! 私達に出来る事なら何でも致します! ですから――」
「でしたら息子さんが戻ってきたら、今度こそ正面から話を聞いてやって下さい。彼はまだ若いんですからやり直しは幾らでも効きます。なので、彼に進む道を示してやって下さい」
当たり前の話ではあったが、これ以上被害者を出さない事を絶対条件として、お詫びとしましょうと告げると、松崎の両親はまた深く頭を下げて涙を流した。
「……はい。それは必ずお約束致します!」
両親は大粒の涙を流しながら、俺と約束をしてくれた。
これで一件落着かと思ってたんだけど、それだけでは申し訳が立たたないと俺の治療費を全額支払わせて欲しいと願い出てきた。
俺は遠慮したんだけど、これだけは絶対に譲れないと押し問答した挙句に、松崎に受け取ってやって欲しいと頭を下げられてしまって、俺は観念して2人の厚意を受け取る事にした。
4人が病室を出る時、俺達のやり取りに一切口を挟んでこなかった加藤が最後に「ありがと」と笑ったのが、何だか強く印象に残った。
「よう言うた! 流石は私の息子や!」
「親父みたいなこと言ってんなよ」
誇らし気にこっちを見るオカンに溜息が漏れる。
午後になって予定通り精密検査を受けた。まだ正確な結果が出たわけではないが、担当医の話によると特に大きな問題はなさそうという事だった。一先ず安堵の息をついた俺はオカンと笑い合った。
「そういえば瑞樹さんはどないしたん? 今朝連絡貰っただけでまだ姿が見えへんけど。何か用事があって一旦家に帰ったんか?」
検査を終えて病室に戻って来ると、今朝から気になってた事なんやけどと、オカンがあまり触れられたくない話題に触れた。
ずっと泊まり込んでいたのなら、一日の半分はオカンと過ごしていたのだから気になるのは当然だと思うけど。
「あ、あぁ……瑞樹なら意識も戻って心配ないからって、帰ってもらったんや」
「は!? アンタ! あの子をもう帰したんか!? あんなぁ! あの子はずっと泊まり込んでずっと看病してたんやで!?」
「知ってるわ。だからちょっとでも早く休んで貰いたかったんや」
瑞樹を帰した表面上の理由を説明すると、オカンの顔つきが少し怖いものに変わった。
「それはあの子が望んだ事なんか!?」
「……いや、俺がそうさせただけやけど」
「瑞樹さん……嫌がってなかったか!?」
俺はモジモジしながら、入学式の直前まで泊まり込ませて欲しいと願い出た瑞樹を思い出す。
「嫌がってたな……でも、親御さんの事を考えたらいつまでもここにおらすのはアカンやろ」
「あんなぁ! あの子はその親御さんに直談判までして、泊まり込ませて欲しいって頼み込んだんやで!」
「知ってるわ! だからやんけ! だから少しでも早く帰らせたかったんや!」
「親御さんの事だけ考えたらそうかもしれんけど、もっと瑞樹さんの事も考えたれや、このアホ息子!」
オカンは語尾を荒げて、俺の頭を叩いていい音をさせた。
「ったいのー! 褒めたり落としたり、忙し過ぎやろ……」
「誰のせいやねん! あほ!」
まったくこのアホはと溜息をつきながらソファーに置いてある鞄を手に持って、病室を出ようとドアの方に向かい出した。
「どこ行くねん」
「外にお昼食べにいってくるわ。あぁ、そうや! これ渡しとくわ」
言って、オカンは鞄からスマホを取り出して俺に投げ渡してきた。
「私がおらん間にちょっと頭冷やしてから、瑞樹さんに電話して謝っとき!」
「は!? そんなんいらんって!」
「何言うてんねん! ええか!? あの子の番号ならそれにも入ってるから、絶対に電話するんやで!」
オカンは俺の言葉を遮って一方的にそう言うと、スマホのロック番号を口頭で告げて勢いよくドアを閉めて出て行ってしまった。
「……なんやねん。俺にも言い分はあるねんぞ」
俺は投げ渡されたスマホを見つめながら、ブツブツと独り言ちるのだった。
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