第44話 温度差

 心の底からのお礼の言葉を間宮さんに伝えた直後、呼び出した看護師が病室に入ってきた。私は気持ちを切り替えて間宮さんの意識が戻った事を伝えると、すぐさま連絡を受けた担当医が駆け込んで来た。

 担当医から意識が戻った間宮さんに一通り確認をとった後、もう少し落ち着いてから検査を行う事になった。

 そんなやり取りをソワソワしながら見ていた私は、検査の準備にかかるからと看護師さん達に一旦病室から出て欲しいと外に出されてしまった。

 まだ瞼も半開きで声だって途絶え途絶えだったから心配だったけど、素人が傍にいても邪魔になるだけだって諦めた私は、他に出来る事をやろうと携帯が使える休憩スペースに移動した。

 まずはもうすぐここにやって来る涼子さんに間宮さんの意識が戻った事を伝えた。これで間宮家の人間に伝わるだろう。

 次にまだ早朝で気が引けたけど、きっと本当は心配で堪らないはずの優希さんの番号をタップする。


 長いコール音が流れた後、優希さんが慌てた様子で電話にでた。

 やっぱり寝ていたようだったけど、何かあればすぐに連絡すると約束していた相手からの着信だったから、飛び起きて電話に出た感じだった。その際ベッドから落ちたようで「きゃっ」と声が聞こえて何だか可愛らしかった。

 こうして笑えるのは良い知らせを伝える事が出来るからだ。

 最悪の結果の連絡だった場合、私はきっと苛立っていたに違いない。


「お、おはよう、志乃! えっと、なにかあった!?」

「おはよう、優希さん。ついさっき、間宮さんの意識が戻ったよ!」

「ホ、ホントに!?」


 優希さんの驚きと喜びが入り交じった声が聞こえたかと思うと、ドサッと何かが崩れ落ちるような音が電話越しに聞こえた。


「どうしたんですか!?」

「あ、あははっ! 安心したら急に足の力が抜けちゃって」


 あの音は、どうやら優希さんが崩れるように座り込んだ音だったみたいだ。

 気持ちは凄く分かる。私が優希さんの立場だったら、きっと同じようになってたと思うから。


「……よ……よか……った。ホントに……よかった……良ちゃん」


 電話越しからの優希さんの声が掠れて、やがて嗚咽が聞こえてくると、さっきあれだけ流した涙がまた溢れ出してきた。

 長い長い不安で押しつぶされそうな暗闇の中から、眩しい光が差す場所に出た時の安堵感に似ているような気がした。


 本当に、本当によかった。


 私達はその後も涙を流しながら、間宮さんの生還を心から喜び合った。


 優希さんとの電話を切ったあと、愛菜達にこの事を伝えようと時間的に電話じゃ迷惑だと思って、各人に宛ててトークアプリでメッセージを送った。

 メッセージを送り終えてスマホを仕舞った時、丁度廊下に検査準備を行っていた看護師さんを見かけて声をかけると、どうやら準備が終わったようだ。私は早速間宮さんのいる病室に戻る事にした。


 病室に戻ると、間宮さんは上体をベッドのリクライニングで少し起こして、窓から外の景色を眺めていた。

 髪はボサボサで髭も相当生えている間宮さんは、いつもからだと別人に見える程だったけど、その表情は穏やかでとても死線を彷徨った人には見えなかった。


 時間的に検査は午後からになったと聞いて、私はいそいそとパイプ椅子を間宮さんの顔がよく見える位置に移動させて腰を下ろした。


「瑞樹を襲った犯人の事なんだけど、何か訊いてるか?」

「うん……じつはね」


 私は間宮さんを刺した犯人は平田だった事、そして平田に対して松崎さんが起こした行動の事、そして最後に平田が自首する為に出頭した事を話して聞かせた。


「そうか……松崎がな。あの馬鹿が」

「私は松崎さんの気持ちも分かるけど、愛菜が止めてくれて本当によかったって思う」

「そうだな」

「……うん」


 ◇◆


「ねえ! 何かしたい事ってない?」


 久しぶりに間宮さんの声が聞けて会話を途切れさせたくなかった私は、唐突だとは思ったけど、そんな質問を投げかけてみた。


「したい事? そうだなぁ……とりあえず早く風呂に入りたいかな」


 10日間も意識がなかったんだ。絶対気持ち悪いよね。

 でも、真っ先にお風呂とか、間宮さんらしいと言うか何と言うか。

 もっと近くで話がしたいと思って近づこうとしたんだけど、慌てた様子で「それ以上近づかないでくれ」と言うので、私は反射的に足を止めた。


「え? どうして?」


 ズバッと拒否されて泣きそうなんだけど……。


「ほら……ずっと風呂入ってなかったから匂うだろ?」

「なんだ、そんな事か。それなら全然気にならないよ! だって――」

「だって?」

「間宮さんがここに入院してから、私も泊まり込んでずっと傍にいたんだもん」


 私がずっと泊まり込んでいたと伝えると、「は?」と声を漏らして焦った様子で辺りをキョロキョロと見渡した。


「どうしたの?」

「今って何月何日だ? 俺が入院してからどのくらい経った?」

「10日だよ」

「10日!? 10日もここに泊まり込んでたのか!?」

「え? う、うん。迷惑だった?」

「迷惑って話じゃなくて、もう大学始まってるんじゃないのか!?」

「あっはは、そこは大丈夫! まだ大学が始まるまで3日あるよ。まぁ間宮さんの意識が戻るまでずっと泊まり込むつもりだったけどね」


 私の考えを伝えても「それならよかった」と安堵した様子を見せるだけだった。

 彼の性格からすれば手放しで喜んでくれないとは思ってたけど、そこまで露骨な態度をとられると、何だか微妙な気分になる。


「ならこの通り意識が戻ったし、久しぶりに自分のベッドで眠れるな」

「……それなんだけどね」

「ん?」

「間宮さんも意識が戻ったばかりでまだ心配だから、入学式の前日までこのままここにいていいかな」


 我ながら大胆な事を言っている自覚はある。

 今朝までと違って、ちゃんと意識が戻っている間宮さんと2人きりの病室に泊まり込むと言っているんだから。

 大怪我をさせたのは自分に責任があるからという事を差し引いても、少し軽率な提案だったかもしれない。

 間宮さんの意識が戻った事はこれ以上なく嬉しい事だけど、それは同時に止まっていた時間が動き出した事を意味している。また別れる事を考えないといけないのなら、少しでも同じ時間の中にいて、少しでも私の気持ちを知ってもらえるのなら、少しくらい軽蔑されても構わない。


「何言ってんだよ。そんな事親御さん達が許す訳ないだろ」

「それは大丈夫だよ。何と言っても間宮さんは私の命の恩人なんだからね」

「…………恩人……ね」

「間宮さん?」

「そんな恩着せがましい事はしたくない」


 間宮さんはそう言ったけど、私には他に別の理由がある気がしてならなかった。


「……私がいるのは迷惑?」


 それでも諦めきれない私は、ズルい聞き方だと自覚している言葉を間宮さんに投げかけた。

 間宮さんの性格を考えると、こう言えば必ず否定してくれるのを知っていたから。


「ああ、悪いけど迷惑だ」


(――――え?)


 あまりにも想定外な返答に、私の思考が緊急停止した。


 間宮さんは私と目を合わせる事なく、あっさりと私の問いを肯定したのだ。

 それが私には天地がひっくり返る程の衝撃で、次の言葉が全く出てこなかった。


「俺にずっとついてたのなら、大学の準備とか全然進んでないんじゃないか? 俺の事はもういいから帰ったほうがいい」


 以前より距離を感じた。

 何故?私が傍にいるのがそんなに苦痛なの? 

 それとも、私にせいで生死に関わる程の大怪我をしたから怒ってるの?


 ……どちらにしても、これ以上無理を言ったら余計に離れてしまう気がする。


「……そ、そっか。うん……そう……だね。それじゃ荷物纏めて帰る……よ。変な事言って……ごめんね」


 言葉に出来ない気持ちを必死に抑え込みながら、私は黙々と荷物を纏め始めた。その間にもしかして引き留めてくれるかもと期待してたんだけど、間宮さんは私を引き留めるどころか一言も話しかけてくる事すらなかった。


 泊まり込んでいる最中、こまめに整理してあったから荷物を纏めるのにたいして時間はかからなかった。


「えっと……涼子さんと優希さんには、私から意識が戻った事を伝えてあるから……」

「……そうか」

「そ、それじゃ、帰る……ね。お大事に」

「ああ、迷惑かけて悪かったな」


 話したい事が沢山あったんだ。

 伝えたい事も沢山あった。

 だけど……帰れって言われたから――我慢してたのに。


「……迷惑って……なに?」

「え?」

「迷惑ってなによ! 迷惑かけたのは私じゃない!」

「み、瑞樹?」

「私の事が迷惑なら優しくしないでよ! 助けたりしないでよ! そんな事されたら……されたら――期待しちゃうじゃない! バカ!」


 1度口から零れてしまえば、もう止める事が出来なかった。

 間宮さんがどんな気持ちで帰れって言ったのか分からない。

 だけど、私にだって言い分はあるのに……。


「――なのに、迷惑なんて……酷いよ」


 私はやたらと重さを感じるボストンバッグをあまり力が入らない肩にかけて、間宮さんに背を向けて病室を出てドアを閉めた。

 少しの間、病室の前で立ち止まった室内に意識を向けていたけど、中からは何も聞こえてこない。


(そろそろ涼子さんが来る時間……か。鉢合わせしないウチに病院から出ないと)


 ここに来る時はあまり重さを感じなかった荷物が、今は鉛の塊みたいに重い。

 間宮さんの意識が戻った事は、心の底から嬉しい。

 だけど、大学が始まる直前まで一緒にいてお世話をしたり、色々と話がしたかったのに、あそこまではっきりと拒絶されるとは思ってなかった。

 やっぱり……ううん、分かってた事だ。


 私は間宮さんにとって、疫病神でしかないんだって……。

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