第43話 逝くか、戻るか
「――その話は聞いたけど……」
「……けど?」
「今回の事は、ホントにそれだけなのかな?」
優香は少し寂しそうな笑みを浮かべて、俺にそう問いかける。
それが何を指しているかなんて、俺にだって理解できる。
「それで? 俺はこれからどうなるんだ?」
「あー!? 白々しく話逸らしたなぁ!」
「あ、いや……その……だな」
「……ふふ、まぁいいけどね」
言って苦笑いを浮かべる優香は炬燵から出て立ち上がり、部屋の天井を指差した。
「上に上がれば、完全に向こう側へ行っちゃうんだよ」
優香が言ってる『向こう側』というのは、恐らくあの世というやつなのだろう。
本当にそんなのがあるのかと問いたかったけど、そういう世界でなければ今この場に優香と2人でいれるはずがないのだからと、訊きたい気持ちを飲み込んで優香が指さしている天井を見上げた。
「――良ちゃんはさ、どうしたい?」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。私と一緒に向こう側に行くか、それとも戻るか」
「――え!? 戻れるのか!?」
「うん。私の時と違って、良ちゃんの体は無事だからね」
(戻れるなんて、考えた事もなかったな)
「なぁ、1つ訊いていいか?」
「ん? なに?」
「優香は俺の事どこまで知ってるんだ?」
「ちょっと前までは何も知らなかったよ。ずっとあの場所で良ちゃんが来るのを待ってただけだから」
「……そうか」
「でもね! 突然色々見れるようになったんだ」
言って、優香は俺の右手を指差した。
指差された手の中から、あのキーホルダーを握り締めている感触がある。
指摘されるまで気付かなかったけど、何故かずっと眠っている間このキーホルダーを握り締めていたようだ。
「これがどうかしたのか?」
「良ちゃんが持ってるそれと、瑞樹ちゃんでいいのかな? 彼女が持ってるキーホルダーからの世界が見えるようになったんだよね! 何でかは分かんないんだけど」
優香とキーホルダーが繋がっている事を知った俺は、平田に刺されるまでの不思議な出来事に合点がいって、なんだかスッキリした気分になった。
「そうか! 俺達を助けてくれてたのは、優香だったんだな!」
「大した事してないよ。実際に行動を起こしたのは、良ちゃん達なんだしね」
(――どっちが正義の味方なんだか)
「わるい、もう1つだけ教えてくれ」
「ん?」
「彼女は……瑞樹は無事だったのか!?」
「そうだね。颯爽と助けに入ったのにあっさりと刺されちゃったから、後日談は気になる所だよねぇ」
「――耳が痛いな」
「ふふ、大丈夫だよ。掠り傷程度で、ちゃんと無事だよ」
瑞樹が無事だと確認がとれて、俺は心底ホッと胸を撫で下ろした。
「……そろそろお迎えがくる頃なんだけど、結論は出たかな?」
「……そう……だな。優香のおかげで瑞樹も助けられて無事だったわけだし、ずっと疎遠になっていた人間関係も修復することが出来た――それなら」
「――それなら?」
「向こうで、優香とずっと一緒に居ても構わない……よな?」
「…………そうだね」
俺も炬燵から立ち上がって、天井を見上げてから優香の前に立った。
「……でも」
優香がいなくなってずっと独りぼっちだった。
あの夜から絶望の淵に迷い込んで、動けなくなっていた。いや、動く気が起きなかったんだ。
そんな俺に手を差し伸べてくれて、言葉をくれた人がいる。
今まで色んな人達から似たような台詞を言われても、心に響く事もなくただ聞き流したってのに、その人がくれた言葉には力があった。
多分、原因は全く違うけど、同じ様に自分の心を閉ざしていた人が日を追うごとに変っていくのが悔しかったのかもしれない。
――だから、今の俺がいるんだと思うから……。
「少し前だったら迷う事なく優香と一緒に逝ったんだろうな――でも、今は……」
「――うん」
手を胸元に当てて微笑む優香だったけど、その瞳の奥には覚悟の色が滲み出ている。
「優香の事は今でも愛してる。この気持ちはずっと変わらない」
「……うん、ありがと」
「でも……今は逝けない。俺の事を必要としてくれている人達が……いるから」
「……ここまで話しておいて、変な気を使われても困るんですけど?」
優香のジト目が背に変な汗をかかせた。
優香が何を言いたいのかは、勿論分かっている。
だけど、その事をこの場で言葉にしなかったのは、決して優香に気を使ったわけじゃなく、ただ口にする勇気がなかっただけだ。
何も告げずに東京を離れようとしている事だって、事故現場で格好いい事を言ったが、結局怖がっていただけだったと俺は生死の境目にまでやってきて、ようやく気が付いた。
人を本気で想う素晴らしさと怖さを味わった俺にとって、トラウマを克服する為に乗り越えないといけない壁が、想像以上に高かったのだと思い知らされた。
(だけど、こんな場だからこそ、超えられる気がする)
――今度こそ卒業するんだ!
俺は軽く深呼吸して気持ちを落ち着かせてから、また優香を真っ直ぐに見つめた。
「わかった。俺の本音を聞いてくれ」
「うん。ちゃんと聞かせてよ、良ちゃん」
「俺は――――」
◇◆
「――俺……は、瑞樹……志乃が……す……き……なん……だ」
深い暗闇の中で間宮さんの声を聞いた気がした。
フッと瞼を開けて、初めてベッドに突っ伏したまま眠ってしまった事に気付く。
だけど、私は慌てて顔を上げずにさっきの夢を思い出そうとした時、右手に温かくて大きな物を握っている感覚があった。
「……握ったまま寝っちゃってたんだ」
病棟が消灯時間になると、私はいつも戻ってきてと願いながら間宮さんの手を握るのが習慣になっていたんだけど、どうやら昨日は握ったまま私も寝ちゃったみたいだ。
それにしても、とうとう間宮さんに告白される夢をみるようになった……か。
間宮さんが大変な時だっていうのに、自分の事ばっかりで都合のいい夢なんて見て……ホント私ってどうしようもないな。
自分に心底呆れて突っ伏したまま盛大な溜息をついた時、何だか触れている部分に違和感を感じた。
違和感は2つあった。
1つは私の手の中でピクリと何かが動いた気がした事。
そしてもう1つは、ずっと一定のリズムで聞こえていたはずの間宮さんの呼吸をする音がゆっくりとリズムを崩しだしたかと思うと、やがてまるで深呼吸するような息使いに変わった気がした事だった。
「――――え?」
気のせいじゃない? 間宮さんがゆっくりと長く息を吐きだしてる……?
私は突っ伏している顔を間宮さんの胸が見える位置に向きを変えて目線を少し上げると、やっぱり呼吸する胸の動きが変わって……る?
私は落ち着け落ち着けと、自分に言い聞かせながら喉をゴクリと鳴らして静かに頭を上げて、間宮さんの顔を祈るような気持ちで覗き込むと――間宮さんの瞼がうっすらとだけど開いていた!
「――ま、間宮……さん?」
私はまるで壊れ物を扱うように握っていた手を両手で包み込み直して静かに間宮さんに呼びかけると、僅かに開いた瞼の奥の黒目がゆっくりと私の目を見た。
「……おす」
掠れた声だったけど、今にも消えそうな小さな声だったけど――私がこの人の声を聞き逃すわけがない。
あの夜以来に聞いた間宮さんの声。
私がこの世で一番聞きたかった声が鼓膜を震わせた時、もう泣かないと決めていた涙腺が急激に緩みだした。
――でも……まだだ。まだ泣き崩れる前にやる事があるでしょ、私!
私は弱々しい目を向ける間宮さんから一切目を離す事なく、手探りでベッドの頭の方に置いてあったはずのナースコールのボタンを探す。
一刻も早くとは思っていても、一瞬でも目を離したらまた瞼が閉じてしまうような気がしたから。
少し手間取った後、私はナースコールのボタンを震える指で力いっぱい押したあと、何とか震えを抑えようと間宮さんの手を握っていた手にギュッと力を込めて、恐る恐る間宮さんに声をかけた。
「間宮さん……私が分かる?」
「…………分かる……よ。怖い思いさせて……ごめん……な」
もう無理だ。
これ以上我慢なんて出来るわけがない。
すぐに看護師さんが来るだろうけど、かまうもんか。
泣き虫とか弱虫とか……なんとでも言えばいい。
涙腺の最後の壁を取り払ってやると、溜まりに溜まった想いが涙となって一気に溢れ出した。
私は手を口元に当てる事も忘れて、ジッと私を見てくれている間宮さんの顔が一瞬で歪む程の涙を、握っている間宮さんの手に落とした。
話したい事、伝えたい事が沢山あったはずなのに、全然言葉になってくれない。
人は心の底から安堵した時、何も発する事が出来なくなるのだと、私は初めて知った。
思えばこんなにずっと間宮さんを見つめていたのなんて、今までなかった。まだ力のない目だったけど、その奥にあるいつもの優しい光を見た私はようやく言葉を紡ぐ為に口を開いた。
「な……なんで間宮さんが謝るかなぁ……もう」
「そっか……じゃあ――おはよ、瑞樹」
ずっと意識がなくて点滴だけで栄養を摂取していただけだったから頬が少しこけてたけど、それでも見せてくれた笑顔はいつもの私が大好きな柔らかいものだった。
すぐにでも抱きしめたかった。
間宮さんの体温を体で感じたかった。
でも、呼吸器や体のあちこちから伸びている管を見ると、とてもじゃないけど、今はそんな事をしている場合じゃない。
だから、今は言葉が中々出てこない状態だけど、これだけはちゃんと言おうと思った。
「おはよう……間宮さん。助けてくれて……ありがとう」
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