第41話 明確な殺意

「――よう! まさかまだこの辺りにいるとは思わなかったぜ」


 松崎は間宮の病室を訪れた後、方々に手を回してある人物がいるであろう場所を突き止め、その人物に背後から不意に声をかけた。


 男は待っている人物ではない声を聞いて焦った様子で振り向き松崎の姿を確認すると、焦った顔から絶望の色が滲んだ。


「あ、兄貴がな、なんでここに――」

「――お仲間じゃなくて、残念だったな」


 松崎が探していたのは義理の弟である平田浩二だった。

 平田は以前からたまり場に使っていた廃墟になっている雑居ビルの中で身を隠して、仲間が来るのを待っていた。


 不敵な笑みを浮かべたままじりじりと、平田との距離を詰める松崎。


「お待ちかねのお仲間からの伝言だ。殺人犯なんかを匿うわけないだろ、てよ!」

「あ、あいつ!!」


 瑞樹をナイフで襲い掛かったのは、間宮と松崎に潰されたはずの平田だった。

 あの一件以来、仲間達に見限られて家族からも見切られて、挙句に松崎の命令で中学の同級生全員に謝罪に走りまわされて、終わり次第に姿を消せと命じられていた。


 平田は仲間達に再び取り入ろうとしたのだが、あれ以来誰も寄り付かなくなり完全に孤立した。その現実を受け止められずに瑞樹を逆恨み、一連の事件を起こしたのだ。


「んで! 俺が代わりに来てやったわけだ」

「……今度は俺をどうするつもりだよ!」


 そう問う平田に、松崎は笑みを消し去り鋭い眼光で睨みつける。


「――言わねえと分かんねえか?」

「ヒッ!!」


 松崎はネクタイを緩めながら、警戒する様子もなく平田に詰め寄る。

 近付いてくる度に松崎の目から放たれる殺気が増していき、その恐ろしさに平田は思わず悲鳴をあげた瞬間――自己防衛の本能が働いたのか、意識が飛んだ。


 気が付くと声がまともに出す事が出来なくなる程に口が動かず、目を腫れあがり視界が悪くなっていた。

 体中に激痛が走り、指を動かすのがやっとの状態だった。


 意識が朦朧とする平田に、松崎は手を緩める事なく首を鷲掴みにして、釣り上げるように持ち上げた。


「お前は絶対にやっちゃいけない事を――やったんだ」

「ガッ……カッカカッ……ウガアァァ……」


 そう言うと松崎の目に黒目が殆どなくなる。それはまるで悪魔のような形相で鷲掴みした首に自分の爪がめり込ませ、メキメキと気味の悪い音と共に力を込める。

 急激に平田の顔から血の気が引いていき、次第に眼球が上擦りはじめ、口から泡が溢れてきた。


 もう駄目だと平田が死を覚悟した時、釣り上げられていた体が地面に放り投げられた。


 寸前のところで首が解放されてゲホゲホと嘔吐しながらのたうち回る平田の視界の隅に、自分を釣り上げていた松崎が地面に横たわっているのが見えた。その上に誰かが倒れ込んでいる事が霞む視線の先で確認する。


 息の根を止めようとした時、突然真横から激しく体当たりする衝撃を感じて倒れ込んだ松崎の体の上に、誰かが覆い被さる者がいたのだ。

 体当たりされて倒れ込んだ痛みに顔を歪めた松崎がその目を開くと、自分に覆い被さって眉間に皺を寄せ激しく息を切らせた加藤がいた。


「――愛菜!?」

「はぁはぁはぁ……」


 自分のしようとした事を邪魔をしたのが加藤だと知った松崎は、一瞬思考を巡らせる仕草を見せたが、すぐさま加藤を力ずくで退けて、再び苦しんでいる平田に襲い掛かろうと立ち上がった。

 だが、加藤もすぐさま起き上がり倒れ込む平田と松崎に間に両手を大きく広げて立ちはだかる。


「もうやめて!」

「邪魔するなぁ!」


 平田は加藤を挟んだ向こう側にいる松崎の形相に、心の底から恐怖を抱きガタガタと体を震わせて縮こまった。


 松崎は割って入った加藤を強引に押しのけて、鬼気迫る顔で平田に詰め寄る。


「俺のせいなんだ! 瑞樹ちゃんを危険に晒したのも、間宮が刺されたのも全部! 全て俺のせいなんだ!!」


 松崎は心の底から怒っていた。

 それは2人を襲った平田に対してだけではなく、平田を庇ってしまった自分自身にも腸が煮えくり返る思いだった。


「それで!? こいつを殺して自分も死ぬって!?」


 震えあがる平田に指を指して松崎を睨みつける加藤は、今まで誰も見た事がない顔をしていた。


「そうだ! どの面下げて、あいつに会えってんだよ!!」


 自分の甘さが、親友の生死を彷徨わせている。

 どんな言い訳をしても、この事実だけは変わらない。


 自分がそんな被害にあった時の事を想像するだけで、吐き気がするほどにイラついて、到底許されるものではないと瞬時に判断出来た。


「逃げんな! ヘタレ!」

「!!っ」


 加藤の怒鳴り声がボロボロになったビルのフロアに響き渡る。

 言葉を失って目を見開く事しか出来ない松崎に近付いた加藤は、その小さな拳を松崎の胸に押し当てて口を開く。


「私に――私に間宮さんと同じ思いをさせるつもり!?」


 鈍器で頭を殴られたような衝撃が、松崎の中を走る。


 加藤から瑞樹や間宮の事を訊いた時、犯人の名前は伏せられていたにも関わらず、松崎の頭の中にはすぐに平田の顔が浮かんだ。

 病室に駆けつけてベッドで呼吸器や色々な管が通された間宮の姿を見て、完全にキレた。

 この時点で平田をどうやって見つけるか、その事だけしか考える事が出来なくなり、加藤の事は全くと言って程、考えていなかった事に気付かされたのだ。


「大丈夫! 絶対に間宮さんは目を覚ますから! だから、起きたら精一杯謝ろう? 私も一緒に謝るから!」

「…………でも!」

「私を置いていかないで! お願いだから馬鹿な事はやめてよ!」


 加藤の心からの叫びを聞いた松崎はガクッと膝をつき「……わかった」と掠れる声を絞りだした。

 崩れ落ちた松崎を優しく包み込むように抱きしめた加藤は「ありがとう」と、さっきまでの形相が嘘のように涙を流して優しい声を届けた。


「アンタもだよ! 平田!」


 崩れ落ちた松崎を抱きしめながら、ビルの壁に凭れかかるように崩れている平田に、語尾を荒げてそう叫ぶ加藤。

 放心状態の平田が加藤の叫びに応じるように、松崎と加藤に生気を感じない目を向けた。


「自首して罪を償え! 償い終わったら、間宮さんと志乃に謝りにいけ!」

「あ、謝れって……今更俺がそんな事しても……」

「大丈夫! その時はきっとお兄ちゃんも一緒に謝ってくれるから!」


 加藤が本人の確認も取らずにそう言い切ると、崩れていた松崎が息を吹き返したように、しっかりと地面に足をつけて力強く立ち上がる。


「……ほ、ホントか? あ、兄貴……」

「あぁ、約束してやるよ。それまでずっと待っててやる」


 松崎は加藤の抱擁を解いて、壁に凭れて崩れ落ちている平田に手を差し伸べると、その手を握りしめた平田が震える足に喝を入れて立ち上がった。

 文化祭のあの一件以来に向き合った2人の間にある空気が以前のものとは違うものに変り、平田の目から後悔の涙が零れ落ちた。


「……あ、ありがとう。ごめんなさい――兄ちゃん」

「謝る相手が違うだろ、バカ。まぁ、先にお前の分も俺が謝っておいてやるから、浩二はしっかりと罪を償ってこい」

「……はい」


 こうして廃墟ビルを出た3人は最寄りの交番に向かい、平田だけがそのまま交番に入って潔く自首を宣告した。


「それじゃ、これから間宮さんと志乃に謝りにいこっか」

「ああ、そうだな」


 平田の自首を見届けた2人は、その足で間宮が眠る病院に向かって歩き出した。


「あ、そうだ。何で俺がこんな事をするって知ってたんだ?」

「付き合いが浅いからって舐めないでよ。そんなの貴彦さんを見てたら分かるよ」


 間宮を初めてゼミ仲間達と見舞いに訪れた時、皆は一斉に間宮のベッドを取り囲んで瑞樹から詳しい経緯に耳を傾けていたのだが、松崎だけは呆然と傷付いて眠る間宮から視線を外して立ち尽くしていた。

 その様子にいち早く気が付いた加藤は、それ以来松崎の行動に目を光らせていたんだと話して聞かせた。


 平田を本気で殺そうとした時の松崎はまさに鬼の形相で、いくら恋人であっても2人を止めるのに躊躇してもおかしくない場面だった。

 だが、加藤は迷わず松崎を止めにかかったのだ。


 こんな華奢な体でそんな事をしたら、怪我をしてしまう恐れが多分にあったにも関わらず、恐れずに飛び込んできてくれたのが松崎には本当に嬉しかったのだ。


(まったく、なにやってんだ……俺は)


「ん? 何か言った?」

「いいや、何でもない」

「そう? ならいいけど」


 ふふっと笑みを零した加藤の横顔に、思わず松崎は足を止めた。


「なぁ、愛菜」

「うん?」

「――ありがとう」

「えっへへ! どういたしまして!」


 いつもの向日葵のような笑顔を向けられた松崎は、もうこんな思いは絶対にさせないと、心に強く誓いを立てたのだった。

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