第40話 責められたくて
泊まり込みの支度を整えた瑞樹は再びタクシーを使って病院に向かった。
間宮のマンションに停めっぱなしの自転車を回収して、そのまま病院に向かうつもりだったのだが、両親にまだ犯人が捕まっていないのだから不用意に出歩くなと叱られて、またタクシーを使う事になったのだ。
間宮が眠っている病室へ戻る前に、加藤達にこの事を知らせようとスマホを手に取る。
今後の仕事の事もあって、真っ先に間宮の同僚である松崎に連絡するところなのだが、加藤にだけ連絡をとり事情を簡潔に話す事にした。
何故そんな回りくどい方法をとってのかといえば、間宮を刺した犯人に原因がある。
最初の事情聴取で警察には伝えているのだが、フードを深被りしてマスクも着用していた為、瑞樹が襲われた時は誰に襲われたのか分からなかった。
だが、間宮が駆けつけて犯人を地面に叩きつけた時、フードが脱げて目元から上が見えたのだ。
暗闇でハッキリと見えたわけではないが、特徴的な髪型だけは見逃さなかった瑞樹には犯人が誰なのか分かったのだ。
分かってしまったから、直接松崎に知らせるのは気が進まなかった。
瑞樹は加藤に間宮の身に何が起こったのかと、そして犯人が誰なのかを教えて、今後の事は2人に任せる事にしたのだ。
加藤との電話を切って病室のドアをノックしたが、中から何も反応がない。
瑞樹がドアを開けると、医療器材の電子音と呼吸器が作動している音だけの空間に、間宮が横たわって眠っていた。
間宮の母である涼子も一旦茜のマンションに向かって、準備を整えて戻ってくる事になっているのだが、どうやら思っていた以上に茜のマンションはここから距離があるようで涼子の姿はまだここにはなかった。
少し安堵した顔を見せた瑞樹は、病室に入り静かにドアを閉める。持ち込んだ荷物をドレッサーに仕舞って、間宮が眠っているすぐ側までパイプ椅子を移動させて腰を下ろした。
他の病室にいる患者の検温や、食事介助に走り回る看護師達の声が遠くから聞こえて、瑞樹にはまるでここだけがこの病院から切り離されているように感じた。
そっと間宮の顔に近付いてみると、呼吸器を付けた間宮から小さな息使いが聞こえてくる。
その音で間宮が生きている事を実感出来るが、一向に目を覚ます気配は見せない。
更に近づくと、あの時に付いた汚れは拭き取られていて綺麗な顔だったが、よく見ると倒れた時についた傷が顔だけでも数か所ある事に気付いた。
その傷にそっと優しく触れると、あのとき刺された痛みに耐えている間宮の顔が鮮明に脳裏に浮かんでくる。
シーツから間宮の手を取り出して両手で包み込むように握り、その手を頬に当てて目を閉じる。
(……私が間宮さんのマンションにいたばかりに、こんな事に巻き込んでしまって……ごめんなさい。私なんかと知り合わなければ……こんな事にならなかったのに……。目を覚ましてくれるなら、私はどうなってもいい――だからお願い! 戻ってきて……)
優希に叱られてもう泣かないと決めていた涙が、間宮の手を濡らした。
――初めて間宮の気持ちを理解出来た気がした。
大切な人がこの世から突然いなくなって、残された者の気持ちが……。この喪失感は当人にしか絶対に解らないものだった。
結婚したいと思えるほど愛した人を失った苦しみの片鱗に擦れた気がして、涙が止まらなくなったのだ。
◇◆
午後になって愛菜から連絡を受けた人達が、次々と見舞いに訪れた。
愛菜達ゼミ仲間が先陣を切るように現れて、藤崎先生経由でこの事を知った天谷社長や他の講師達。そして松崎さんや間宮さんの会社の同僚達と、様々な人達がこの病室を出入りした。
その全てを見届けた私は、改めて間宮さんの人望の厚さを実感したのと同時に、自分のせいでこんなに大勢の人達を悲しませたのだと、己の愚かさを呪った。
だけど、訪れた人達は誰一人として私を責めなかった。
それどころか、心配されてしまった事に苛立ちさえ覚えた。
何で皆は私を責めないんだろう。
間宮さんの家族でさえ、私を責めようとしない。
優しさがこんなに辛く感じる事があるなんて、初めて知った。
私のせいで刺されたんだと、何度も説明してるのに。
(――誰か、私を責めてよ!)
――――――――――――――――――――――――
面会時間が終わろとした頃、手続きや荷物の運び出しを終えた雅紀さんと康介さんが病室に現れた。間宮さんの家族3人が揃って今後の話を始めたタイミングで、自分がいたら邪魔だろうと席を外す事にした。
「お疲れ、志乃」
暫く休憩スペースで時間を潰していると、仕事を終えた優希さんが現れた。
「優希さんこそ、お仕事お疲れ様です」
「少しは眠った?」
「……いえ、全然眠くならなくて」
「気持ちは分かるけど、無理にでも寝ないと患者が増えるだけだよ」と冗談交じりに話す優希さんの姿が、私には何故だか眩しく見えたんだ。昨日というか明け方に、あんなに取り乱した人には見えなかったからだ。
「ホントに優希さんは凄いね。あんな事があったのに、ちゃんと仕事をこなして……私にまで気を使ってくれて」
思った事を口にすると、益々気持ちが沈んだ。
そんな私に溜息をついた優希さんが、側にあった自販機で缶珈琲を買って私に投げ渡してくれた。
「私がいつも通りに過ごせてるのは、志乃のおかげじゃん」
「私? 何言ってるの? 私なんてただの疫病神だよ」
「ははっ! 疫病神かぁ。こんな可愛い疫病神なら憑りつかれてもいいかもね」
「……私は真面目に言ってるんだけど」
「私も真面目に言ってるってば。志乃が引っ叩いてくれたおかげで、いつも通りに……ううん! いつも以上に頑張れたんだからね」
……ほら。優希さんも私の事を責めない。
大切な人が私のせいで生死を彷徨ってるんだよ!?
普通、怒りとか通り越して憎んだりするもんじゃないの!?
「何で優希さんも、私の事責めないんですか?」
「ん? 責められたいの?」
「……責められたいっていうか」
「他の人は知らないけど、私は怒ってるよ。良ちゃんとあんな目に合わせてってね! だから責めない」
「怒ってるのに……責めないってどういう――」
「――志乃が責められたいのは、楽になりたいから! 違う?」
「…………」
図星だった。
辛くあたられた方が、精神的に楽になれると思ってたから。
「……どうして分かったの?」
「昔の良ちゃん。つまりお姉ちゃんが死んじゃった時の良ちゃんと同じだと思ったから……かな」
以前に間宮さんから当時の心境を話して貰った事があると、優希さんは次から次へと走り去って行く車の光を、窓から見下ろしながらそう話した。
あの時の間宮さんも起こった事すべてが自分のせいだと思い込んで、殻に閉じこもった時期があったそうだ。
当時はこれが自分への罰だと思い込んでいたけど、今思えばあれはただの逃避だったと言っていたらしい。
しっかりと前を向いていれば出来る事があったはずなのに、それから逃げていた事を今でも悔いていると、間宮さんは辛そうに話してくれたと聞いた。
でも、優希さんは当時の間宮さんと似ている状況に私がいるかもしれないけど、決定的に違うところがあると言う。
「……違うところって?」
「良ちゃんは自分を責めてたけど、本当に責任なんて感じる必要はなかった。でも、今回の場合は多かれ少なかれ志乃にも責任があるって事だよ」
「…………はい」
「だからどんな結果になったとしても、志乃は周りの反応に流されないで、すべて真正面から受け入れなさい――でないと私は許さない!」
「――――」
何も言えなかった。
返事すら出来なかった。
自分があまりにも愚か過ぎて……。
「優希。そろそろ帰ろうか」
茜さんが雅紀さん達を連れてきて面会時間が終わるからと、優希さんを迎えに来た。
どうやら面会時間に間に合わないから優希さんを送る途中に、病院に寄ったみたいだ。
「あ、うん。わかった」
優希さんは私に「じゃあね」と言い残して背を向けた。
「間宮さんに会っていかないんですか?」
「……顔見ちゃうと離れたくなくなるから……」
そうだよね。
本当は今でも間宮さんの傍にいたいのを我慢してるんだよね。
優希さんは私に背を向けたまま私に振り返る事なく、茜さん達と病院を出て行った。
優希さんがどんな顔をしているのか想像すると、チクリと胸が痛んだ。
空き缶をゴミ箱に捨てて病室に戻ると、相変わらず心電図の作動音だけが響いている。
静かに眠る間宮さんの顔をジッと見つめると、優希さんに言われた台詞を思い出す。
『だからどんな結果になったとしても、志乃は周りの反応に流されないで、すべて真正面から受け入れなさい――でないと私は許さない!』
その言葉は覚悟がないのなら、初めから関わるなと言われてる気がした。
「――間宮さん。私、全然駄目だね……ごめんね」
――あとがき
これで2021年の最後の更新とさせていただきます。
本年もここまでお付き合い下さった皆様、ありがとうございました。
確か、年頭に今年中にこの作品を終わらせると息巻いていたような気がしますが、見事に終わりませんでしたw
さて、もうすぐ年が明けると言う事でちょっと頑張りまして、元旦から3日まで1話づつ連続投稿させて頂こうかと思っています。
のんびりをお正月を過ごされている方々に読んでもらえると嬉しいです。
まだ続く『29』~結び~共々、来年も宜しくお願い致します。
良いお年を。
葵 しずく
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