第38話 絶望
背中の持ち主が間宮だと分かった瞬間、異常な程全身にいれていた力が抜け落ちていく。
最悪、自分の死をも覚悟した瑞樹にとっては当然の事で、それも助けに来てくれたのが間宮なのだから安心しきって力が抜け落ちるのも無理はなかった。
だが、その直後の事だった。
見上げる間宮の背中に異変を感じた。
何時もなら後ろにいる瑞樹にいつもの柔らかい笑顔を見せてくれるのに、今はその素振りを見せるどころか大きな背中が小さく震えているように見えたのだ。
「……ま、間宮……さん?」
間宮の異変に再び体を硬直させた瑞樹が慌てて立ち上がろうと視線を地面に向けた時、間宮の異変の原因を目撃する。
小刻みに震える間宮の足元に、ポタポタと黒い液体が落ちていたのだ。
(――え!? こ、これって……血!?)
間宮の真後ろに座り込んでいた瑞樹が恐る恐る少し体をずらして、滴り落ちてくる液体の出所を目で追うように見上げた先に、間宮の横腹にギラリと光る物が見えた。
一瞬で青ざめた顔の瑞樹がみたもの、それはナイフで脇腹を刺されている間宮の姿だった。
だが、ナイフは完全に根本まで突き刺さり切っていない。
間宮が男のナイフを持った手首とナイフの刃を鷲掴みして、突き切られるのを阻止していたのだ。
ナイフの刃を掴んでいる間宮の手から血が零れ落ちている。
足元にポタポタと零れ落ちていたのは、間宮の手から出血したものだった。
男はナイフを刺し切ろうと力を込めるが、間宮の執念にも似た押し戻そうとする力が勝り、じわじわとナイフが間宮の脇腹から抜けていく。
間宮の怒りに満ちた殺気立った目に僅かに動揺した男の隙をついて、間宮は一気にナイフを完全に抜き切る事に成功する。
ナイフを抜き切った時「ぐわあぁっ!!」と悲鳴のような声が間宮の口から洩れたが、男の手首を掴んだ手を緩める事なく高く突き上げるように持ち上げて、握っていた手に力を込めると、ゴキッと鈍い音と共に握っていたナイフが地面に落ちた。
ナイフが地面に落ちる金属音と同時に「ギャアァァッ!」と今度は男が崩れ落ちながら大きな悲鳴をあげる。
男は潰された手首を庇うように逆手で掴むようすから察するに、間宮は男の手首を完全に折ったのだろう。
大きな負傷を負った今の間宮には力を加減をするという余裕がないようだ。
間宮は苦しむ男に構わず大きく振りかぶった拳を迷いなく男のテンプルに叩き込み、そのまま男の顔を地面に叩き付けるように真下に拳を振り切ると、男の顔が激しい鈍い音と共に地面に叩き付けられた。
動かなくなった男を確認した間宮は、自分の血がベットリと付着した転がっているナイフを遠くへ蹴り飛ばすと、乾いた金属音が響きやがてナイフが暗闇で見えなくなった。
これで決着したと思われたが、間宮の鋭い目が倒れ込んでいる男から離れる事はなかった。
やがて男が苦しそうに小さい呻き声をあげながら、立ち上がろうとしだしたからだ。
男を睨みつけていた間宮が止めをさそうと、脳震盪を起こしている男の方にフラフラと詰め寄り再び拳に力を込めた時、今度は間宮が膝から崩れ落ちるように両手を地面についた。
出血が酷く眼が霞み、意識が遠のいていく間宮だったが、男が動ける状態である以上、まだ倒れるわけにはいかないと間宮は地面に振り上げた拳を叩きつけた。
「ごっふっ! があぁぁ……」
激痛で一瞬意識が戻ったのを機に、勢いよく立ち上がった間宮だったが、傷口が更に開いてしまったようで激しい痛みと共に出血が更に酷くなった。
傷口を手で覆い、再び男を殺気の籠った目で射抜く間宮に、男は不敵な笑みを浮かべて利き手とは逆手の拳に力を込めて、一気に間宮との間合いを詰めた。
「……まみ……まみ……や……」
間宮の血塗れになった姿に気を失いそうになっている瑞樹は、言葉にならない言葉を呟く事しか出来ない。
これは夢で現実じゃないと、瑞樹の心が全力で否定するものの、リアルは優しくはない。
だが、間宮の決死の死闘が思わぬ形で決着がつくのだった。
「おい!! なにやってんだ!! おまえぇぇ!!!」
間宮を完全に潰そうと詰め寄った男の後方から大きな叫び声が聞こえた。男は拳を振り上げたまま後方に向けた視線の先に、鬼の様な形相でこちらに全力で走ってくる男の姿があった。
意識が朦朧としている間宮も震える眼球を走り込んでくる男に向けて男の正体を確認すると、フッと微かに笑みを浮かべて再び膝から崩れ落ち始めた。
「……早く帰れって言ったのに――馬鹿野郎が」
倒れる間際に間宮がそう言い残した相手は、駅のホームで別れたはずの岸田だった。
相変わらずフードを深被りしている男は岸田の姿を見て「チッ」と舌打ちを打ち、ナイフや乗ってきた自転車を放棄して間宮達の前から暗闇に姿を消した。
「おいっ!! まてよ!!!」
岸田が逃げる男を追おうとしたが、後ろから瑞樹の震える叫び声が耳に入り足を止めて振り向いた先に、目を見開き大粒の涙を流す瑞樹と、脇腹を中心に血まみれになった間宮が倒れていた。
◇◆
「――いや……ダメ……ダメだよ!! 間宮さん!!」
意識を完全に失った間宮に震える瑞樹の声は届かない。
「ま、間宮……さん……ねぇ」
瑞樹は傷口から溢れ出る出血を止めようと、ポケットに入っていたハンカチを傷口に当てて懸命に間宮に声をかけ続ける。
大した声なんて出せていないというのに、瑞樹の喉はカラカラに乾き切っている。
「きゅ、救急車!! すぐに救急車を呼んで!! お願い! はやく!!」
瑞樹は間宮に押されて尻餅を着いた拍子にスマホが落ちてしまい、止血を試みて動けないからと岸田に必死に叫ぶ。
「わ、わかった……あっ!」
瑞樹の迫力に押されたのか、咄嗟に取り出したスマホが手から滑り落としてしまった岸田に「なにやってるの! 早くって言ってるじゃない!!」と瑞樹が怒鳴る。
岸田から間宮に視線を戻すと、傷口に当てていたハンカチが元々何色だったのか分からない程に、間宮の血で真っ赤に染まっていた。
「止まってぇ! お願い止まってぇ! ち、血が止まらないよ!! いやだ、いやだよ! 間宮さんっ!!」
瑞樹は声を必死に絞りだしながら着ていた制服のブレザーを脱いで傷口を抑えているハンカチの上に被せるが、そのブレザーも被せた瞬間から凄い勢いで真っ赤に染まりだしていく。
「いや、いやぁ……。戻ってきてよ……。お願い! もう我儘言って困らせないから! もう間宮さんの邪魔しないから!」
やがて制服が完全に真っ赤に染まると、瑞樹はなんの躊躇もなくブレザーの下に着ていたブラウスのボタンを引きちぎるように外すと、救急車を呼び終えた岸田が慌ててブラウスを脱ごうとしている瑞樹の手を掴んで制止した。
「ち、ちょっと! なにやってんの!」
「何って止血するに決まってるでしょ! いいから邪魔しないで!」
ブラウスを二の腕の部分まで脱いで異性には触れるどころか見せた事もない、形よく膨らんだ透き通るような白くて綺麗な谷間を視界に入れてしまった岸田は、不謹慎なのは重々承知していても思わず目が釘付けになった。
そうなる事すら考えられない程、今の瑞樹に微塵の余裕がないのだ。
男を全く寄せ付けなかった瑞樹がここまでするのは、倒れているのが間宮だったからに他ならない。
「と、とにかく! こんな言い方は違うのは分かってるけど、そのブラウスを使っても役に立たないって! このまま救急車を待とうよ!」
岸田が必死に肌を見せるのを止めようとした時、懸命に助けようとしている瑞樹の思いが通じたのか、一瞬であるが間宮の目が薄っすらと開いたのだ。
「!! ま、間宮さん! わかる!? すぐに救急車が来るから頑張って! もう眠っちゃ駄目だよ! お願いだから頑張って!」
これまで誰にも見せた事がない程に目を大きく見開いて大粒の涙を流しながら、心の底からのお願いだと間宮に意識を保てと必死に訴える瑞樹に、血の気が引き青くなった顔色の間宮が口角を僅かにあげてみせた。
そこから瑞樹は必死の限界を超えてしまったのだろう。
本人も何を言っているのか分からない言葉を一方的に投げかけた。
恐らく内容などどうでもよくて、とにかく間宮の意識を繋げようとしたのだろう。
「そ、それでね! 摩耶が言うんだよ! 志乃はいつだって――」
「……………………」
「ね、ねえ……聞いてる……よね?」
「……………………」
「間宮……さん? 間宮さん! 間宮さん! ダメだよ! 眠らないで! 私を置いて行かないで!!」
「……………………」
「い……や。いや、いや、いやだ……。いやあぁぁぁぁーーーー!!! りょうすけーーーーーーーーーー!!!!!!!」
瑞樹の懸命な呼びかけも虚しく、間宮は僅かに口角をあげたまま、再び意識を深い海の底に沈めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます