第36話 動き始めた未来
一頻り笑い合った後、俺の希望通り仏壇に手を合わさせてもらう為に優香の実家へ向かった。
玄関先で俺の姿を見た優香の母親が泣き崩れてしまって、2人で宥めるのに凄く苦労したのはここだけの話。
なんとか宥め終えてリビングの隣にある和室に通された先に、俺が求めていた仏壇があった。
仏壇の前に正座した俺は、飾られてある優香の写真を見つめる。
写真の優香は当時のままで、パッと花を咲かせたような笑顔を見せてくれていた。
線香をあげて静かに手を合わせて目を閉じる。
ずっと諦めていた事が成された幸福感と、明日からこの場に出向く事が出来ない喪失感が交じりあった。
兎にも角にも、その感情を追いやって俺は心の中で優香と対話を始めた。
墓を参った時に色々と近況報告をしてきたけど、優香の死を乗り越える事が出来た経緯を改めて報告する。
あとで聞いた話だと、俺は手を合わせてから10分もの間、微動だにせずにずっと手を慌てて目を閉じていたらしい。
それだけ、優香に聞いて欲しい事があったんだと苦笑いを浮かべた。
「……ずっと我が家に欠けていた大切なピースが埋まったように思ったよ」
と優香の父親が手を合わせ終えた俺に言う。
詳しくは問わなかったのは、優香の父が何を言わんとしているか何となく分かったからだ。
「間宮君、明日は土曜日だから休みだよね? 一緒に軽く飲まないか?」
父親はそう言って、いそいそと冷蔵庫のドアを開けて缶ビールを2本取り出していた。
「あっ、実は今日会社の同僚達が僕の為に送別会を開いてくれて、もう結構お酒は入ってるので今日は遠慮させて下さい」
「送別会? え? 君、仕事辞めるのかい!?」
何年も顔を合わせていない相手から急にそんな事言われたら、驚くのも無理はないだろう。
俺は仕事を辞めるのではなく、昔から希望していた部署に異動になった事を簡潔に話して聞かせた。
「なるほど……ね。それは同じ働く男としては祝福するべきなんだろうけど、折角こうして話が出来るようになったのに、また会えなくなるのは正直残念だよ」
「……そう言って頂けて嬉しいです」
本当に残念といった感情がありありと見せる優香の父親の様子に、俺は少し思案してから「それなら」と話を持ち掛けた。
「もしお二人のお許しを頂けるのなら、優香さんの命日に一緒にお墓を参らせてもらえませんか?」
「おお、それはいい! 是非そうしようじゃないか! その時はウチに泊まっていけばいい。その時こそ一緒に飲もうじゃないか!」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
俺の提案に喜んでくれている2人の姿を見てホッと胸を撫で下ろしていると、「そういう事なら今日は飲むのを止めて、お茶にしようか」と挨拶に訪れた以来のお茶を御馳走になる事になった。
暫くするとキッチンの方からコポコポと子気味の良い音が聞こえてきた。
「あの時と同じ豆で淹れてるからね」と懐かしそうに言う優香の父親を見て、あの日の事を思い出した。
そうだ。あの時と同じブルーマウンテンの香りだ。
この独特の深い香りを嗅いだ時、あの日ガチガチに緊張していた気持ちを解かしてくれた事を思い出す。
「懐かしい香りです」
あの時の記憶を巡らせていると、ふと気になった事があった。
そういえばあの時もそうだったけど、この家に優希がいるのを見た事がなかった。
優希から昔の話を少し聞いた時に、両親とあまりうまくいっていない感じを受けたんだ。
(――もしかしたら、あるかもしれない。俺が優希にしてやれる事)
「あの、優香さんの妹さんとは……」
「優希の事を言ってるのか? あの子は優香が死んでしまって暫くして、勝手に家を出て行ってしまったきりだよ」
表情を歪めながら話す父親だったが、目の奥には寂しさみたいなものが感じられた。
「そんな言い方はないじゃない! こんな事になってしまったのは私達のせいなよ!?」
母親が俺への説明が気にくわないと、会話に割って入って抗議した。
「どういう事ですか?」
俺は優希が家を出て行った経緯を詳しく訊かせて欲しいと頼んだ。
当時、優香が亡くなってから暫く夫婦間がかなり荒れたらしい。
特に父親の方は俺の後悔もあって周囲に当たり散らしていて、その度に夫婦喧嘩が絶えなかったそうだ。
その一番のとばっちりを食ったのが、妹の優希だった。
その頃、インディーズ契約を交わしていた優希は精力的に活動を行って、目標であった武道館のライブを開催するまでになっていた。
すでに家を出ていた優希だったが、バイト生活で生計を立てていた為、生活が苦しくて度々実家に戻ってきていたらしい。
そういえば、優香が事故にあった時が武道館のライブの日だったと言ってたな。
武道館ライブの成功を収めた優希は、茜の強い勧めもあってメジャーにあがる決意をした。
だが、まだ未成年だった優希が独断で始められる事ではなく、どうしても保護者の了解を得る必要があったのだ。
だが、優香の死後家の空気は最悪なもので、元々あまり父親との関係が良好ではないのも手伝い、完全に成人するまで待つという選択肢も考えた優希であったが、少しでも早く自分の音楽を広げたい気持ちが勝って、今回の事を話す選択を選んだ。
だが、ある意味予想していた事が現実に起こる。
元々音楽活動にいい顔をしていなかった父親が、優希の契約話に猛反対したのだ。
でも、優希もカッとなるのではなく、粘り強く説得を続けたそうだ。
そんなある日。実家に顔をだした優希がまた話をしようとした時、元々優香の死と俺との後悔で荒んでいたのに加えて仕事で大きなミスをしてしまってどうしても感情を抑える事が出来なくなって、気が付けば優希を力いっぱい引っ叩いてしまっていたという。
優希は憎悪に満ちた目で睨みつけたかと思うと「……もういい」とだけ言い残して家を出て行ってしまい、それっき帰ってくるどころか連絡すら付かなくなったのだという。
「……そうでしたか。それで?」
「……え?」
俺の質問の意図が分からなかったのだろう。2人ともキョトンと見合って首を傾げていた。
「今でも優希さんのしている事に反対されているんですか?」
「……正直、ずっと心配しているの……。だってプロのミュージシャンになれるって言ってたのに、テレビを見てても1度も出演しているのを見た事もないし、うまい話にのせられて騙されたんじゃないかって……」
優香の母親が少し涙ぐんで俺に心境を話してくれた。
騙された……か。この話を茜に聞かせたら顔を真っ赤にして怒り狂うんだろうな。
「フンッ! 勝手に出て行った手前、失敗したからって帰って来辛いんだろう! だから俺は反対したんだ!」
「違うでしょ! 私達はただあの子に八つ当たりしただけじゃない! あの子の話をちゃんと聞いてあげていれば――こんな事には……」
「うるさい!」
2人は当時の優希との事を。そして当時の夫婦間の事を思い出したのだろう。ついさっきまであった優しい空気が一瞬で壊れてしまった。
だけど……そんな事はどうでもいい。
「待って下さい。僕はそんな事を訊いているわけではありません」
俺はエキサイトしている2人に釣られないように、努めて冷静なトーンで否定して、2人の視線を請け負った。
「僕が訊いているのは、お二人が優希さんとの関係をどうしたいのかって事です。もっと平たく言えば会いたいか会いたくないを訊いているんです」
「勿論会ってちゃんと話がしたいわ! でも、あの子ここを出て行ってから携帯を番号ごと変えてしまったみたいで、連絡のとりようがなくて……」
「あぁ、だからスカウトの挨拶に来た事務所の人間に渡された名刺を頼りに事務所に問い合わせたんだが、タレントの個人情報だから一切答えられないと言われてね。父親だと言ったんだが、信じてもらえなかった」
それはそうだろうと思う。
そんな道理が通れば、タレントがストーキングされるのは間違いないだろうからな。
「なるほど、そうでしたか。では、僕からお二人が心配されている事を説明させて頂きます」
俺は優香の両親にそう告げて、香坂優希ではなく神楽優希の現状を話して聞かせた。
「あ、あの子……そんなに凄いミュージシャンになってるの!?」
「えぇ、間違いなくカリスマと呼ばれるに相応しい活躍をされていますよ」
「テレビにも出演していないみたいだったから、私はてっきり、その……芸能人って売れなくなったら……その、あまり良くないものに出演するって聞いた事があったから……」
母親が言い辛そうにしていたのは、恐らく売れない女性タレントが選択を迫られる事があるという、所謂AV出演の類の事を言いたいのだろう。
一般人目線で観れば芸能界とは不透明な事も多く、親としては心配のタネでしかないのだろう。
自分の娘がそんな世界に飛び込もうとすれば、心配で反対するのは親として当然の事だと思う。
ただ、反対の仕方が最悪だったんだ。
ちゃんと向き合って彼女の気持ちに耳を傾けてさえいれば、茜の事務所と本契約をするしないは別にしても、ここまで親子の関係が拗れる事はなかったはずなんだ。
だって、2人は優香と同様に優希の事も心から愛しているんだから。
「心配されるのは解ります。ですが、一方的に優希さんの気持ちを跳ねのけて、しかも暴力を振るったのはマズかったですね」
「……そう……だな。君の言う通りだよ。あの頃の私達はまともな状態ではなかったとはいえ、優希だって悲しいはずだったのに前に進もうとして私達と向き合ったはずなんだ……。それなのに……私は」
「えぇ、本当に。元気にしている事が分かったのは嬉しいけど、やっぱり顔が見れないどころか声さえ聞けないなんて……」
優希の両親は本当にあの時の事を悔やんでいるのだろう。両手を力いっぱいに握って肩を震わせている2人を見て、俺は以前優希の夢の中に優香が現れて『ごめんね』と謝っていたという話を思い出した。
自分が突然死んでしまって、家庭内の雰囲気を壊してしまった事で、妹の将来に関わる大事な話を一方的に潰されて家族の縁を切らせてしまった事を謝りたかったんじゃないだろうか。
であれば――俺が優希にしてやれる事はこれしかない。
「お義父さんとお義母さんの行動次第で、声を聞くだけじゃなく直接会って話が出来ますよ」
「「――え!?」」
俺がそう進言すると、俯いて肩を震わせていた2人が咄嗟に顔をあげてわなわなと唇を震わせた。
「ほ、本当なのか!? 優希と……娘と会えるのか!?」
お義父さんは俺の方に身を乗り出して、お義母さんは涙を堪えきれずに両手を顔に当てていた。
「えぇ、本当です。ただ、優希さんは来月から全国ツアーにでる事になっていて、そのツアーが終わったら全米デビューする事が決まっているんです」
「ぜ、全米デビュー!? そ、それは優希がアメリカへ行ってしまうって事なのかい!?」
「そうです。彼女は今度アメリカに活動拠点を移す決意をしています」
優希の近未来の天望を話すと、リビングにピンと張り詰めた空気が漂った。
「ち、ちょっと待って! さっきから気になってたんだけど、どうして貴方が優希の事をそんなに詳しく知っているの?」
そうなのだ。この話をするという事は当然この疑問を持たせるという事なんだ。
「まぁ……そうなりますよね」
俺は優希との関係を話す覚悟を決めて「実は」と話し始めた。
優希が俺に好意をもってくれて、彼女の気持ちに応えられなかった事も含めて、これまでの経緯を2人に話して聞かせた。
「……それじゃあの子は今、失恋したばかりって事なのか?」
「……はい。申し訳ありません」
「貴方が謝る事ではないわ。こればかりは仕方がない事だもの……」
まさか優希の事を話しているのに、その中に俺との恋愛事情が盛り込まれているなんて思いもしなかったのだろう。
頭を下げる俺に対して優しい言葉をかけてくれるお義母さんではあったが、表情はどこか困惑の色を隠せていなかった。
俺はワザとらしくコホンと咳をして仕切り直す。
「話しを戻しますが、優希さんが渡米してしまったら、それこそ簡単には会えなくなります。お会いになるのなら急を要します」
言うと、2人は互いの目を見合った後、俺に向かって力強く頷いた。
そもそもの話、優希の渡米もあまり時間がない事ではあるのだが、優希と家族との橋渡しをする役目の俺は明日には東京を離れてしまうのだ。なんとしても今日中に3人を繋いでやらないとと、ポケットに手を突っ込んでスマホを取り出そうとした時、顔から血の気が引いた。
(……そうだった。社用に配布された携帯だったから、今朝データを消去して返却したんだった!)
俺がずっと使っていたスマホは営業部隊に配布される物で、他の連中はプライベート用と使い分けてたみたいだけど、俺はアレだけだったのに営業部隊から離れるからって何も考えずに返却してしまったんだった!
アドレスのデータはアプリに転送しているから優希の番号は消えてはいないけど、まだ新しいスマホを用意していないからデータを引き出す事が出来ない。
2人は期待に満ちた目を輝かせて、俺の次の行動を待っている。
俺は凍り付きそうな思考をフル回転させて打開策を模索した結果「そうだ!」と脇に置いてあった自分の鞄を漁った。
「あった! これだ!」
鞄の中にある財布を開いて取り出したのは、以前茜から受け取った名刺だ。
普段からあまり財布を整理しない大雑把な性格が功を奏した。
名刺の裏に手書きで書いてある番号を確認した俺は、自分が携帯を今持っていない事を説明して、借りたスマホに茜の番号を打ち込んで耳に当てた。
『……はい。もしもし』
未登録の番号で電話に出てくれるかという心配があったが、かなり長いコール音の後に茜が電話にでた。
「茜か? 俺だ! 良介だ」
『は? 良兄!? お別れの挨拶して間もないのに、もう妹の事が恋しくなった? てか番号変えたん?』
電話の出方が親父に似ている気がしたけど、言うと色々と面倒臭そうだったからツッコまずに話を進める。
「茜! 理由は端折るけど、今すぐ優希の番号を教えてくれ!」
『は? そんなの知ってるでしょ?』
「拠所ない事情があって、今自分の携帯がなくてさ! でも、今すぐに連絡とりたいんだよ!」
『良兄なら教えるのはいいけど、まだ優希とは話さない方がいいんじゃない?』
「そんな事は分かってる! でも、今しかない事情があるんだよ、頼む!」
腑に落ちない声色の茜だったけど、真剣に頼み込む俺に押されるように優希の番号を口頭で教えてくれた。
「携帯ありがとうございます。これが今の優希さんの番号です」
言って、書き留めた優希の番号が書いてあるメモを手渡すと、受け取った父親の手が震えていた。
すぐ優希に電話すると思っていたら、不意にお義父さんに問われる。
「間宮君、さっき電話していた相手だけど、優希の友達なのかい?」
「いえ、優希さんのマネージャーですよ」
「え? 君は優希のマネージャーとも面識があるのかい?」
ふと思い出す。
確か、茜は1度優希の両親に会ってるんだったよな。
「昔、優希さんが事務所の人間とここへ挨拶に来ませんでしたか?」
「あ、あぁ。確かに優希をスカウトした女性がウチにき……え?」
気付いたかな?
「え? ちょっと待ってくれ……。確かその女性の名前って――」
「――そうです。優希さんのマネージメントをしているのは間宮茜といって、僕の妹なんですよ」
「「――えっ? ええぇぇぇぇぇ!!??」」
まぁ驚くよな。俺も知った時は驚いたもんだ。
「そ、そんな事ってあるのか!? 世間は狭いとかいうレベルじゃないぞ!?」
「はは、ですよね。僕も知った時は驚きました。優希さんなんてひっくり返る勢いでしたよ」
一応2人に茜との経緯を話しておいた。
ずっと離れて暮らしていて、同じ東京で生活している事も知らずに、再会した時は優希のマネージャーだったのだという事を。
「そう……か。いや、驚いたけど、それ以上に安心したよ」
「安心……ですか?」
「あぁ、優希の側にいる人が君の妹なら、何も心配する事なんかないなってね」
どういう理屈なんだ?
俺の妹なら安心って、茜の事なんて何も知らないのにか?
「ふふ、貴方はもっと自分の人間性に自信を持った方がいいわね」
すると、ついさっきまで驚いた様子で固まっていたお義母さんが、柔らかい笑みを向けてそんな事を言う。
俺の人間性に自信を持てだって? いつまでも優香のいない現実から逃げ続けていた情けない俺を……か? そんなの無理だ。
「はは、今はそれでいいさ。兎に角、間宮君の妹さんがマネージャーだったって知れて肩の力が抜けたよ。あいつがどんな反応をするのか分からないけれど、もう怖さはなくなった」
何でそうなったのか理解出来なかったが、震えていたお義父さんの手が何時の間にか止まっていた。
そして、お義父さんは渡した番号を入念に確認しながら、スマホに番号を入力して耳に当てた。
「も、もしもし……俺だ。父さんだ。うん……うん……そうか」
優希と電話が繋がってたどたどしくはあるけれど、一生懸命に優希の言葉に耳を傾けているのが分かる。
「嬉しかったわ。間宮……ううん、良介君」
「――え?」
お義父さんを眺めていると、不意にお義母さんがそう声をかけてきたが、一体何がそんなに嬉しいのか分からない。
「まだ私達の事をお義父さん、お義母さんと呼んでくれた事が嬉しかった」
「……あっ」
言われて初めて気が付いた。
確かに何時の間にか2人の事をそう呼んでしまっていたんだ。
「あ、あの! 馴れ馴れしくしてしまって……すみません」
「ふふ、何で謝るのよ。それに謝らなくてはいけないのは私達なんだからね」
婚約者の優香がこの世からいなくなって、婚約は破棄された。
僅かな時間でも籍を入れていたら、今でも2人の事をそう呼ぶのは変ではないと思う。
だけど、俺達は籍を入れる前に婚約が破棄されたのだから、もっと距離感を考えるべきだったのに、お義母さんは嬉しかったと言ってくれた。
(……そうか。俺は2人を親と呼んでいいのか)
お義母さんの言葉に心が温かくなるのを感じる。
「はっはっは! そうだったのか」
すると、優希と話しているお義父さんの明るい笑い声が聞こえてきた。
どうやら会話が弾みだしたようだ。
楽しそうに話しているお義父さんにお義母さんが嬉しそうに微笑んだ。かと思うと、我慢出来なくなったのかお義父さんから電話を奪い取ると、負けるものかと奪い返されるという優希争奪戦が始まったようだ。
もうこの家族は大丈夫だ。
そう判断した俺は楽しそうに話をするお義父さん達を邪魔するのは忍びないから、メモ用紙に『電車がなくなってしまうのでこれで帰ります。失ったこれまでの時間を3人で取り戻して下さいね。 良介』と書置きを残して静かに玄関を閉めて優希の実家を出た。
何だか自分事のように嬉しくて、心がポカポカと温かくなった。
優希との和解もそうだけど、なによりお義父さんとお義母さんと和解出来た事が俺にとって一番の喜びだった。
(――今思えば、優香はこの為に……)
やがて優香が事故にあった国道まで戻ってきた。
ガードレールに端に添えた花を見つめて思う。
あの鈴の音は咄嗟な動きをしたから鳴ったんじゃなくて、鞄が誰かに引っ張られた拍子に鳴ったんじゃないか。
であれば……誰がって話になるんだろうけど。
考える必要なんてないよな。
走っている車が停止線で止まって、横断側の信号が青に変わった事を知らせる。
「――またな、優香」
独り言ちて視線を正面に向けた時、視界の端に誰もいないはずの場所に人が立っているのが見えた。
俺は咄嗟に顔を事故現場に向け直した一瞬だけ、本当に瞬き程の瞬間の間だけ、でも確かに優香がそこに立っていたんだ。
優香は嬉しそうに微笑んだかと思うと、フッと俺の前から文字通り姿を消した。
俺はその場に立ち尽くしていると、信号が赤に変り止まっていた車が一斉に走り出した。
車の走行風で供えていた花びらが真っ暗な空に舞い上がるさまが、俺には優香を天に送り出すように見えた。
(まったく……お節介なのは死んでも変わらないんだな。まぁ、それは俺も同じか)
再び信号が青に変わった時、ここへ来る前と比べて信じられないくらいに歩き出そうとする足が軽かった。
「ありがとう。いってきます――優香」
止まった車に挟まれた横断歩道を歩きだした。
もう後ろは見ない。まっすぐに前だけを未来だけを見て、歩いていくんだと決めたから。
「――いってらっしゃい」
優香が送り出してくれる声が聞こえたのは、幻聴や気のせいじゃないと信じたい。
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