第34話 岸田の思惑と、瑞樹の怒り

 送別会が盛り上がる中、幹事&司会進行役である松崎が頃合いを見計らい、惜しまれつつも1本締めで間宮を盛大に送り出した。


 若い連中と中堅クラスの社員達は当然のように2次会はカラオケという流れになり、松崎が2次会の参加者を募り始めと、その流れから逃げるように間宮は天谷達の元へ駆け寄った。


「それじゃ、向こうでも体には気を付けて頑張ってね」

「はい、社長もお元気で。色々とお世話になりました」


 間宮は天谷と両手でしっかりと握手を交わして、秘書が回した車に乗り込み走り去って行くのを最後まで見送った。


「私達も明日の講義の準備があるので、ここで失礼します」

「はい。藤崎先生達にも、本当にお世話になりました」

「お世話になったのは私達の方ですよ。くれぐれもお体には気を付けて――お元気で」

「藤崎先生も頑張って下さいね」

「本当にこっちに来る事あったら連絡下さいよ! その時はこのメンツでガッツリ飲みに行きましょうよ!」

「はは、それは是非。奥寺先生もお元気で」


 間宮は同期の講師達1人1人と握手と言葉を交わして、帰宅していく藤崎達に感謝の気持ちを込めて姿が見えなくなるまで見送った。


「よっ! 間宮も2次会行くだろ?」


 天谷達と別れるのを見計らって、松崎が2次会の誘いをかけてきた。


「いや、悪いんだけど、今日はこの辺で帰るよ」

「えーー!? 間宮主任来ないんですかぁ!? 行きましょうよぉ!」


 2次会を断わろうとする間宮に、女性社員達が待ったをかける。


「ホラッ! 女子社員さん達もこう仰ってるわけだし!」


 帰ろうとする間宮を逃がすまいと、松崎は間宮の肩を組んで食い下がる。


「明日出発だから、電車が動いている内に行きたい所があるんだ」


 言うと、松崎はあっさりと捕まえていた間宮の肩を解放した。


「……なるほどな。それじゃ仕方がないか」


 松崎には間宮がどこへ行きたがっているのか口調から読み取ったようで、どこか嬉しそうな笑みを浮かべる。


「折角誘ってくれたのに悪いな。皆にも宜しく伝えておいて」


 粘る松崎に期待していた女子社員達が、あっさりと引き下がった事にブーイングを浴びせたが、「まぁまぁ」と松崎は女子社員達の背中を押して2次会参加者達が集まっている場所に戻るように促した。


「――やっと行く気になったんだな。長い間待たせたんだから、しっかり叱られてこい」

「あぁ、そうするよ」


 背中を向けたまま顔だけ振り返り、嬉しそうな表情で送り出そうとする松崎を見て、間宮は苦笑いを浮かべた。


 やっぱり親友にはバレているようだと、松崎の詮索能力に感嘆の声を上げる。

 そんな戦友であり親友でもある松崎と別れるのは、正直間宮にだって寂しさはある。ずっと新人の頃から競い合ってずっと成長していくと思っていたのだから。


「今まで世話になった、元気でな。松崎」


 言って、握手を求めようと手を差し出す間宮。


「最後の別れみたいに言うなっての!」


 松崎は不満気に求められた握手を拒もうと、差し出された間宮の手を軽く叩く。


「またな! 落ち着いたら連絡しろよな!」


 手を上げて間宮に背を向けた松崎が2次会に参加するメンバーの元に歩き出す姿に、払われた手をギュッと握りしめながら離れていく親友に、間宮は独り言ちる。


「――ありがとう」


 ◇◆


「じゃあね、志乃! お互い大学が落ち着いたら遊びに行こうねぇ!」

「うん、またね! 麻美」


 卒業パーティーが無事に終わって、カラオケボックスの前で談笑していた瑞樹達がそれぞれ帰宅の途に就き始める。


「岸田君もまたねぇ! 志乃の事ちゃんと送ってくんだよ! 志乃が可愛すぎるからって襲っちゃ駄目だぞ!」

「そんな事するわけないでしょ! おつかれさま」


 麻美達と軽口を叩き合った岸田と2人で駅に向かう瑞樹。


「わざわざ送ってくれなくてもいいのに」

「こんな遅い時間にそんな事出来ないよ。瑞樹さんはいい加減自分の事をもっと理解した方がいいよ」

「…………」

「その証拠にカラオケしている間だけで、何人に告られた?」

「え? 何で知ってるの!?」

「バレてないと思ってた? スマホが鳴る度に部屋から出たり入ったりしてたら、誰でも気付くって!」


 岸田の指摘通り、カラオケが始まって少し経ってから瑞樹はよく部屋を出たり入ったりしていたのだ。勿論、お花を摘みに行った時もあっただろうが、それだけじゃないのは瑞樹を目で追っていれば誰にでも分かる事だった。

 事実、瑞樹は何度も店の外や、客が入っていない空き室に呼び出されては告白を受けていて、その人数は計8人にもなりその中には瑞樹のクラス委員長の姿もあった。


 やはり文化祭以降の瑞樹に心を奪われた男達が今日までにかなりの人数が想いを伝えてきたのだが、相変わらず瑞樹が首を縦に振る事はなかった。

 もう間宮の事は諦めないといけないと頭では解っている瑞樹だったが、どうしても心が間宮を求めるのを止めてくれなかったのだ。

 こんな気持ちのままで他の男の気持ちを受け入れる程、瑞樹は器用ではない。


「そ、それで……さ。その……返事ってどうしたの?」

「え? う、うん。悪いとは思ったけど、断った」

「そ、そっか! それは良かったよ!」

「何が良かったの!? 皆真剣に気持ちを伝えてくれたのに、全く応えられなかったんだよ!?」


 ホッと胸を撫で下ろす岸田に、瑞樹が抗議の声をあげた。


「はは、俺も応えてもらえなかった1人なんだから、いいじゃんか」

「……あ、そっか……ごめん」


 途端に駅のホームに着いて電車を待っている間も、瑞樹は何も話そうとしなかった。

 そんな瑞樹の横顔を見た今の岸田には、瑞樹が何を考えているのか手に取る様に分かる。


「前に言ってた、好きな人の事考えてるんだろ?」

「え!? そ、そんなんじゃないよ」

「好きな人って……さ。間宮さんの事なんでしょ?」

「――――え?」


 俯き加減だった瑞樹の顔が勢いよく、隣にいる岸田を見上げた。


「……どうして」


 その一言で瑞樹が何を問うているのか、岸田には十二分に理解した。


「んー、何から話せばいいかな」


 岸田は少し思案してから、瑞樹に間宮に対してのこれまでの経緯を話し始めた。

 まず瑞樹が無意識に間宮の名を口にした事。それからO駅のホームで電車を待っている男女の姿を目撃してから瑞樹の様子で豹変した事で、誰が間宮なのか知れた事。

 そして、その間宮と偶然出会った事を瑞樹に話して聞かせた。


「い、いつ!? どこで!?」

「えっと、バレンタインの日だったかな。出張で名古屋に来てたみたいで偶然駅前で見かけてさ。俺が声をかけて時間貰ったんだ」

「ど、どんな事話したの!? へ、変な事言ってないよね!?」


 瑞樹は岸田に詰め寄り、岸田が着ているパーカーの袖をギュッと握りしめて問いただす。


「やっぱりあの人は凄いな。瑞樹さんをここまで必死にさせるんだから」

「べ、別に必死になんてなってないよ!」

「じゃあ、俺と顔がこんなに近い事に気付いてる? 俺的には役得でドキドキするけどね」


 瑞樹は思わず身を乗り出すように詰め寄った結果、完全にパーソナルスペースをぶち破り、自分の顔が岸田の目の前にまで近づいていた事を言われて初めて気が付いた。

「ご、ごめん!」と慌てて岸田から離れ、顔を真っ赤に染めて目を逸らした瑞樹に、岸田は胸をギュッと締めつめられる痛みを感じた。


「……色々と話をしてるうちに、瑞樹さんが何であれだけ年の離れた人を好きになったのか、少し分かった気がしたよ」


 苦笑いを浮かべてそう話す岸田に、横髪を指で恥ずかしそうにクルクルと捲く瑞樹だったが、岸田の次の言葉に一連の動作を止める事になる。


「それでも、俺は瑞樹さんが好きだって間宮さんに言ったんだ」

「! そ、そんな事……本当に間宮さんに言った……の?」

「あぁ、ハッキリと言ってやった」

「どうして……。その話は――」

「――それと、間宮さんは瑞樹さんの事どう思ってるのかも訊いた」


 言われた瞬間、話を遮られた事などなかったかのように、「なっ!?」と言葉を詰まらせる瑞樹に岸田が話を続ける。


「間宮さんがなんて答えたのか、気になる?」


(気になる……。滅茶苦茶気になるに決まってる!)


 だが、答えを岸田に訊くのは駄目だと、開かれた口をすぐさま閉じた瑞樹。すでに自分の気持ちを伝えているとはいえ、私情で岸田の傷口に塩を塗るような真似は出来ないと思ったからだ。


「……ううん。いい」

「やっぱり瑞樹さんは優しいね」


 言って、岸田は瑞樹の正面に回り込み、コホンと咳払いをしてから口を開く。


「大切な友人だと思ってるってさ」


『今はこう答えるしか出来ないんだ』

 その後に続いた言葉を岸田は瑞樹に話さなかった。

 その言葉はこの先、どうなるか分からないという意味を含んでいるから。


「そっか……。そうなんだ……そっか」


(友人……か。私は何を期待してたんだろ)


 あからさまに落胆する瑞樹の姿に、岸田は小さく口角を上げる。

 嘘はついていない。ただ、全部を話さなかっただけだ。

 岸田はそう自分に強く言い聞かせて、更に瑞樹の心を揺さぶりにかかる。

 だが、最後のとっておきを伝えた後の瑞樹の反応が岸田の予想を大きく外す結果となる。


「それでさ。別れ際に間宮さんにこう言われたんだ。『瑞樹の事を頼むな』って」


 ◇◆


 岸田君から告げられた間宮さんの言葉が耳に入った直後からの事は、よく覚えていない。気が付いたら電車に乗ってA駅のホームに立っていたんだ。


「ねえ! ねえってば! 瑞樹さん!」


 我に返ったところで岸田君に呼ばれている事に気付いた。


「なに?」

「いや、なにってさ。突然怖い顔して黙って電車に乗るんだもん、ビックリしたよ」

「……ごめん」

「そんなに間宮さんが言ってた事が気にくわなかった?」


 違う、そうじゃない。

 確かにその一言は私にとって『とどめ』の言葉で、正直ショックだったのは認める。

 だけど……ね。今はショックというよりムカムカと腹がたって仕方がない。

 それは『とどめ』の言葉を間宮さん本人からじゃなくて、岸田君の口から聞かされた事にだ。


「――あんにゃろう!」

「え? なに!?」

「別になんでもない。それじゃここで別れよう。今日はありがとう、気を付けて帰ってね」


 何が何だかという感じがありありな岸田君に説明もなく、私は改札口に向かった。


「いや! こんな時間だし、ちゃんと家まで送るよ」

「いい。それに寄りたい所があるんだよ」

「それでもさ! やっぱしんぱ――」

「――もう帰って……おねがい」


 送ろうと食い下がる岸田君に、私は睨むような目とキツイ言葉でそれを制止させて、止めた足を再び改札口に向けた。

 別に岸田君は何も悪くないって分かってる。だけど、聞いた表面の言葉だけを伝えてきたのが気にくわなかった。

 間宮さんがどういうつもりで、私じゃなくて岸田君にそんな事を言ったのか。きっと彼は考えようともしなかったんじゃないかと思う。

 そして、一番腹が立ったのは、どんな経緯があろうと部外者経由で自分の気持ちを伝えようとした間宮さんの行動だ。

 だから、私はこれから間宮さんに会おうと思った。


 絶対に、このまま東京を離れさせないと強く思ったからだ。


 例えそれで更に傷付く事になったとしても……。


 いつもの駐輪所に着いて自転車の鍵を開錠した後、いつも見渡す場所に目を向けると、その場所にはいつもの古さが目立つ何の変哲もない自転車が停めてある。

 明日出発すると聞いていたから、この自転車がここに停められているのを見るのもこれで最後だろう。


 間宮さんがまだ帰宅していない事を確認した私は、自転車のサドルに跨って間宮さんのマンションを目指して、ペダルに乗せている足に力を込めた。

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