第33話 殆どプロポーズ
「みなさん! お忙しい中、間宮の送別会にお集まりくださりありがとうございます! 同期で戦友でもあった間宮が売る側から作る側へ移ってしまうのは正直寂しい限りです。ですが我々営業部が自信をもってお客様に売り込みが出来る商品を必ず作ってくれると信じて、気持ちよく送り出したいと考えています。それでは、間宮の前途を祝して――乾杯っ!!」
間宮が本社での勤務の最終日、本社からすぐ近くにあり間宮だけでなく、この場に参加している殆どの者達が馴染みのある店『scene』を貸し切って、間宮の送別会が行われていた。
幹事を買って出た松崎が盛大に間宮を持ち上げる乾杯の音頭と共に、賑やかな送別会が始まった。
参加者達は乾杯の音頭と共に、手に持っていたそれぞれのグラスを飲み干した後、間宮に盛大な拍手を送る。
各営業部の人間だけでなく、総務部や下請けの人間まで駆けつけて盛大な送別会になったのは、一重に間宮の人望によるものだろう。
立食形式の宴会が始まり、次々と本日の主役である間宮の元へ人が集まり、それぞれの思い出話に花を咲かせた。
その輪の中に以前から研究所から届いていたオファーを揉み消していた、部長達の姿もあった。
社長直々に関わった幹部達を罰しようとしたのだが、開発所の所長を介して間宮が穏便に済ませたいとの意向を伝えた事で、厳重注意に止める結果となった。
部長達はその場で謝罪をしたのだが、揉み消した理由が悪意のあるものでなく、必要な戦力を失いたくない為にやった事なのだと知らされていた間宮は、改めて気持ちよく彼らがやった事を水に流して和解したのだ。
だが、誰にも言うつもりもない幹部達を責めなかった理由が間宮の中でもう1つある。
もしオファーが揉み消されていなければ、瑞樹や優希に出会う事がなかった事だ。
2人に出会わなければ、今も優香の存在を過去に出来ずに前を向けていなかったはずだからだ。
だからこうして長年の目標であった転向も、決して遠回りさせられたとは思っていない。
寧ろ結果論であるが、彼らに感謝しているほどなのだから。
間宮の元へ訪れる流れが一巡した所で、最後に送別会の会場にこの場を提供してくれたsceneのオーナーである関と杏が訪れた。
「長い間お疲れ様。間宮君の夢が叶って本当に良かったわ……。でも、今日でここに来てくれるのが最後だと思うと、凄く寂しくなるわね」
「またこっちに来る事もあるんだろう? その時は是非顔を見せて欲しいね」
「関さん、杏さん……。本当にお世話になりました」
東京の第2の親だと慕っていた2人に、優しくそう言われた間宮の目に涙が浮かび上がり、咄嗟に関達に身を寄せて周囲に身を隠した間宮の肩が小さく震えた。
「……ありがとう。また絶対オムライス食べに行くから」
「ええ。いつでも待ってるわ」
「関さんのカクテルも必ず飲みに行くよ」
「あぁ、それまでに間宮君好みの新しいカクテルを開発して待ってる」
「……うん」
関と杏はまるで本当の息子を見る様な慈悲に溢れた顔で、2人の間に顔を埋めている間宮を優しく抱きしめた。
そんな3人の姿を見ていた周りの参加者達から涙を拭う者もあらわれて、会場は間宮との別れを惜しむ空気に包まれる。
そんな会場の所々で「やっぱり遠距離になってもいいから、付き合って!」とか「なんなら私もついていくから!」等、妙な台詞が聞こえた気がした間宮だったが、それに対して反応するのを遮るように、再びマイクを通して松崎の声が会場に響いた。
「さぁ! 席も温まってきた所で、本日の主役である間宮から一言挨拶を頂きたいと思います!」
事前に挨拶の事は聞かされていた間宮だったが、関達に涙を流したこのタイミングで振られると思っていなかった。慌てて袖でゴシゴシと乱暴に涙を拭いながら参加者全員が見渡せる位置に立って、隣にいる松崎を恨めしそうに見ながらマイクを受け取った。
「えっと、今日は僕の為にこうしてお時間をとって頂きありがとうございます。関係各所の皆さんに対しては、半ば強引な異動になってしまいご迷惑をお掛けしたした事をお詫びします」
それから間宮は入社当時に希望した部署に配置されずに腐っていた事や、それでも頑張っていくうちに営業職に愛着が湧いて離れる事になって寂しさを感じている事等を、簡潔にまとめて話した。
「――そういうわけでやりたかった仕事が出来る喜びと、今の仕事から離れる寂しさで正直複雑な思いなのですが、最前線から後方支援に移るだけで退職するわけではありません。これからは皆さんが自信をもってお客様にご紹介出来る商品開発に精一杯尽力しますので、仕事をする場所は離れてしまいますがこれからも宜しくお願いします」
パチパチパチパチと参加者から惜しみない拍手が送られる。
拍手を送ってくれている参加者を一通り見渡してから、間宮は感謝の気持ちを込めて深く頭を下げるのだった。
「――遅れてごめんなさい」
大きな拍手が鳴りやみマイクを松崎に手渡した時、聞き覚えのある女性の声が聞こえた。
聞き覚えがある声だが、この場所で聞こえるはずのない声に首を傾げる間宮の前に、2人の女性の姿があった。
「社長! それに藤崎先生達も!」
間宮の社内で執り行われた送別会に部外者である天谷に藤崎、それに夏期合宿で正規社員を目指して競い合った奥寺達の姿が天谷の後ろに並んでいたのだ。
「こんばんは! 間宮さん」
藤崎が手を小さく振って笑顔を向けると、奥寺がニカッと白い歯を見せた。
詳細な経緯を間宮が問うと、どうやら松崎が事前に天谷に声をかけたらしく、その話を聞きつけた藤崎達も一緒に同行したいと言い出したのだという。
「退職するわけじゃないから、大袈裟かもしれないけど私から」
言って、天谷は間宮に花束を手渡した。
「ありがとうございます、天谷社長。それに皆さんもわざわざありがとうございます」
そう言って頭を下げて感謝する間宮に、藤崎を先頭に奥寺達も各々に用意していた贈り物を手渡していき、間宮も1人1人にお礼を言って握手を交わした。
「こっちに来る事があったら、連絡下さいね!」
奥寺が力強く間宮の手を握ってそう言うと、間宮はニッコリと微笑んだ。
「こっちに来る時は、奥寺先生と藤崎先生の結婚式に招待された時ですかね」
「へ!? な、何言ってるんですか! わ、私達は別にまだそんな事まで考えてなんて……」
突然降ってきた結婚というワードに顔を真っ赤にした藤崎が、それは間宮の勝ってな未来予想図だと力いっぱい否定した。
「はは! 僕は初めからその事を前提に、お付き合いさせてもらってるつもりなんですけどね」
「は!? え!? な、何言ってるの!? そんな事1度も言われた事ないよ!」
「うん。そんな事言ったりしたら重いかなって思って」
突然の半プロポーズ劇に、間宮の同僚達も2人の同行に注目し始める。
「で、でも……。私はようやく定職に着けたばかりで、まだ仕事だけで精一杯だから……その」
「僕だってそうだよ。だからすぐにとはいかないけど、これからは結婚を前提に付き合ってくれないかな」
ずっと奥底にしまっていた気持ちを藤崎に告げて、奥寺は藤崎に手を差し伸べる。
「ば、ばっかじゃないの!? 間宮さんの送別会の席で言う事じゃないでしょ!?」
「――いや、間宮さんが話すきっかけをくれた気がしたんだ」
言って奥寺は間宮を見ると、2人は笑みを浮かべ合った。
思えば合宿の朝に中庭で鉢合わせてから奥寺は間宮に劣等感を抱いていたはずが、そんな2人がこうして笑い合える日が来るとは藤崎本人が一番思いもしなかったのではないだろうか。
「……何だか私だけハブられてる気がするんですけど!」
口を尖らせて拗ねる素振りを見せる藤崎に、間宮と奥寺は苦笑いを浮かべた。
「そんな事あるわけないじゃないですか。僕達はただ藤崎先生の返事を待っているだけですよ」
「それはそれで困りますけど」と呟いた藤崎は、目の前にいる間宮から隣にいる奥寺に目を移すと、藤崎と目があった奥寺が改めて右手を差し出す。
OKなら握手という事なのだろう。
差し出された手と奥寺の目を交互に見た藤崎は、意を決したように奥寺の目をまっすぐに見据えた。
「わかったわよ! この際だから本音を言わせてもらうけど、どんな返事が返ってくるか覚悟はできてる!?」
「改めてそう言われると怖くなるけど……うん! どんな結果でも覚悟は出来てるよ」
奥寺がそう宣言すると、藤崎は黙って俯き大きく息を吐いた。
3人の様子をギャラリーと化した同僚達も固唾を呑んで見守る中、顔をあげた藤崎は奥寺ではなく間宮の方に向き直ったのだ。
「本当は――本当は間宮さんの口からその言葉が聞きたかったです!」
「「「――え?」」」
奥寺への返答を待っていた周囲の空気が凍り付き、当の本人である間宮も呆気のとられて固まった。
だが、奥寺だけは真剣な表情を崩さない。
まるで、藤崎の返答にまだ続きがあるのが分かっているかのように。
「……でも! それ以上に奥寺先生から言って貰えた事の方が嬉しかったです!」
言って藤崎は奥寺の手を握り握手を交わした――と見せかけて、掴んだ手を手元に引き寄せて体が前かがみになった時、奥寺の口が柔らかい感触のものに塞がれた。
驚きのあまりに目を見開いた奥寺の眼前に、目を閉じた藤崎の顔があった。
あまりの突然の出来事で間宮を含む全員が言葉を失うどころか、僅かな声すら発する事が出来ない。
「ふ、不束者ですが、今後とも宜しくお願いします」
奥寺の口を塞いだ藤崎の唇が少し離れたかと思うと、頬を赤くして視線を逸らしつつ奥寺の申し込みにそう答えた。
奥寺が嬉しい悲鳴を上げようとした瞬間、周りの大歓声が一瞬早く店内の隅々まで響き渡たり、いつの間にか間宮を慕った者達が大勢集まった席での奥寺達の恋路というサプライズイベントの影響で、しんみりした空気などどこへやらと送別会は大いに盛り上がった。
そんな盛り上がりの中、間宮は松崎を交えて藤崎達と談笑していると、天谷が思いだしたように間宮に声をかける。
「そうそう! 最後に間宮君にお願いしたい事があったのよ」
「……え? な、なんですか?」
「そんな嫌そうな顔する事ないじゃない」
「いや、だって社長のお願いって、いつもとんでもない事ばかりだったもので……」
「あら、失礼ね! まぁ否定はしないけど」
「……否定してくれないと不安しかないんですけど……」
言って笑う天谷の目は決して笑っていない事に、間宮は覚悟を決めて身構えた。
天谷は「実はね……」と切り出して、間宮に最後のお願い告げる。
「……え? それって無理だと思いますよ? だって――」
「――だから、もしそうなればって言ってるじゃない。そうならなかったら、この話は忘れてくれていいわ。どう? 頼まれてくれるかしら?」
「……分かりました。そういう状況になったら――いいですよ」
「えぇ、それでいいわ。ありがとう」
天谷は満足そうに秘書を連れてカウンター席に移って、関と話を始めた。
天谷と入れ替わりで2人の会話に聴き耳を立てていた藤崎が、ぼんやりとカウンターに座っている天谷を眺めていた間宮に首を傾げながら問う。
「どうして、あんな曖昧な返事をしたんですか?」
「盗み聞きとは感心しませんよ、藤崎先生」
「まぁ、まぁ。で? どうしてですか?」
「どうしてって……そんな状況になるわけがないからですよ」
「えー!? どうしてならないんですか!?」
「……どうしてもです」
そう言い捨てて手に持っていたグラスを一気に飲み干して、深く息をつく。
(……なるわけがない――そんな事を望むのは、俺の我儘でしかないんだから)
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