第32話 愛情とは?

「……ごめんなさい」


 間宮が東京を離れて新潟に引っ越しをする前日、瑞樹が通う英城学園では卒業式が執り行われていた。


 無事に式を終えると、卒業生達は各々に別れを惜しんで涙を流す者達や、この後の予定で盛り上がる者達で賑わっている中、瑞樹は校舎の中庭で下級生の告白を受けて、丁寧に頭を下げて断っていた。


「……やっぱり年下の俺なんて無理……ですか?」


 告白したのは1年の間で入学当初からイケメンだと騒がれて、やがて最上級生の3年の間にまで名前が届いた事がある学園で有名な男だった。

 彼は文化祭の模擬店で猫耳姿で奮闘していた瑞樹に一目惚れして、それからずっと瑞樹の姿を追いかけていたという。


 猫娘姿を披露したこと関係なく、文化祭後から瑞樹にアタックする男達が一気に増えたのだ。

 それはあの平田が起こした事件をクラスメイト達が体を張って瑞樹を守ったのをきっかけに、一定の距離を保っていた瑞樹が歩み寄りを見せ始めたからだ。

 それ以来、本来の瑞樹を見せ始めた事で存在を身近に感じるようになり、高嶺の花と諦めていた男達が次々とアタックする流れが出来てしまった。

 やがてその流れが下級生の2年生に伝染して、とうとう最下級生である1年生まで動く事態となってしまったのだ。


 勿論瑞樹はそんな事を望んでなどいない。

 ただ、心を凍らせて自分を見せずに過ごしてきた皆との時間を、少しでも取り戻そうとしただけなのだ。


「えっと、違うの。君が年下だからとかじゃなくて……その、ね。好きな人が……いるの」

「え!? 付き合ってる奴がいたんですか!?」

「ううん。付き合ってたりしてないんだけど……片思いなんだ」

「なんすかそいつ! 俺だったら絶対先輩にそんな顔させませんよ!」

「……うん、ありがとう。でも――ごめんね」


 瑞樹に片思いなんてさせるなんてと腹を立てて食い下がる後輩男子であったが、瑞樹は寂しそうな笑みを浮かべて改めて告白を断わって、その場を離れた。


「志乃! 終わった?」


 トボトボと校門に向かっている瑞樹に、ずっと待っていた麻美達が声をかけてきた。


「待ってなくてよかったのに」

「何言ってんの! こうして制服着て一緒にいれるの、今日が最後なんだよ?」

「そうそう! もし誰かの告白をOKしたとしても、今日だけは私達を優先してもらわないと困るって!」


 麻美に続いて絵里奈も瑞樹に詰め寄って、そう言い切る。


「それは分かってるよ。ちゃんと今日は最後まで皆と一緒にいるよ」


 今日はこの後、元々繋がりが強くなった瑞樹達のクラスと絵里奈や摩耶達のクラス合同で、卒業パーティーを題してカラオケで騒ぐ予定になっていた。

 この集まりは流石にと遠慮しようとした瑞樹だったが、麻美達の猛プッシュに負けて参加する事になったのだ。


「一旦帰ってから現地集合だから、遅れないでよ! っていうか絶対に逃げないでよ、志乃!」

「さ、流石に逃げないってば!」


 麻美が張り切って音頭をとりながら、並んで最寄り駅に向かう。

 この道を歩くにも最後かと思うと、麻美ではないが瑞樹も感慨深くなる。

 初めてこの制服を来てこの道を通った時、こうして皆で笑って卒業出来るとは思っていなかった。

 色々あったが、その都度あの男の姿が瑞稀の傍にあった。

 間宮が前に立ち進むべき道を照らしてくれていたから、こうして明るい未来を期待して、この通い慣れた道を歩けるのだと瑞樹はこの場にいない男に想いを寄せる。


 確かに別れる道を回避する事はもう敵わないのかもしれない。

 だが、これが最後の別れと決まったわけではないのだ。

 可能性がゼロではないのなら、己を磨きいつか追いかけたいと心から望む未来に目を輝かせた。


「摩耶っ!!」

「…………春樹」


 そんな時だ。突然一緒にいた摩耶を呼び止める声がした。

 摩耶を呼び止めたのは、付き合っていた元カレの大山春樹という男だった。


 大学生の大山と付き合っていた摩耶は、受験勉強が佳境に差し掛かった時期でも、以前と変わらない頻度で摩耶を拘束しようとする大山に腹を立て、別れ話を切り出して2人の関係は終わったと瑞樹達は聞いていた。


 だが、どうやら大山は納得していなかったようで、こうして頻繁に現れる様になったらしいのだが、その度に突き放してきた摩耶であった。

 だが、大山は全く付きまとうのを止めるどころか強引な手段に出るようになってきたと、本当に悩んでいた摩耶から相談を受けていたのだ。


「なぁ、もう1度話し合おう! 摩耶」

「しつこいって! もう無理だって何度も言ってるじゃん!」


 摩耶は大山にキツイ口調でそう返すと「しつこいってなんだよ!」と大山は摩耶の手首を力いっぱい握りしめる。


「痛っ! は、離せよ!」

「うるせえ! いいからこっち来い!」


 摩耶の口調に逆上した大山は掴んだ手首を手元に引いて、まるで引きずるように駅から離れようとする。


「ちょっと、何やってんのよ! 嫌がってるじゃない!」


 嫌がる摩耶の姿に頭に血が上った瑞樹が、大山に対して声を荒げた。


「うるせえ! お前には関係ないだろうが!!」


 大山は剣幕に詰め寄る瑞樹の肩を強く突き飛ばす。


「きゃっ!」


 男の力で突き飛ばされて成す術なく後方によろめき体のバランスを崩して倒れ込もうとする瑞樹の背中が、誰かに力強く支えられ尻餅をつくのを回避した。


「大丈夫? 瑞樹さん」

「え?――岸田君!?」


 倒れそうな瑞樹を支えたのは、岸田だった。

 岸田は支えていた瑞樹の態勢を元に戻すと、今度は手首を掴まれている摩耶の元へ向かう。


「グッ!? いてぇ! 痛てえよ!!」

「女の子になにやってんですか!」


 大山の姿が岸田の背中で見えなくなったかと思うと、すぐさま大山の痛みを訴える声が響く。絵里奈達が瑞樹に駆け寄って摩耶達の方に顔を向けると、岸田は大山の手首の関節をとり捕まえていた摩耶の手首を解放させていた。

 摩耶から離れたのを確認した岸田はそのまま手首を逆手に捻り、ギリギリと力を込める。


「――――!!」

「このまま折られて警察に突き出されるか、彼女から完全に手を引くか選べ」


 岸田は関節を曲がらない方向に力をさらに込めながら、大山に二択を迫る。

 以前何かのテレビ番組で観た護身術を咄嗟に見様見真似でやったのだが、どうやら上手くいったと内心安堵しながらも表情には微塵もそんな素振りを見せない岸田。

 大山は苦悶の表情を晒して掠れるような声で「……手を引く」と観念した様子で行き場を失った左手を岸田の腰辺りをトントンと当てて、右腕の解放を訴えた。


 それを受けて固めていた右腕を解放した岸田は、膝をついて右手首を庇うように苦悶の表情を見せている大山に一言だけ告げる。


「もし次があったら……今度はへし折るぞ」


 そう告げられた大山は無言でコクコクと頷いて、ヨロヨロと立ち上がって岸田の前から立ち去った。


「志乃! 大丈夫!?」

「あ、うん、平気。摩耶も大丈夫だった?」

「私は平気。私のせいで志乃まで巻き込んで……ホントにごめん」

「いいよ、気にしないで。摩耶」


 立ち去る大山の背中が完全に見えなくなるまで睨みつけていた岸田も、瑞樹達も元へ戻る。

 大山が大声を上げてから足だけ止めてずっと瑞樹達を見ていた通行人達が、何事もなかったように動き出した。

 相変わらずここの人間はトラブルに関わろうとしない。

 だが、瑞樹が信頼している人間は違う。

 瑞樹もこの場にいたとはいえ、襲われていたのは初見の女の子だ。でも、岸田は迷う事なく助けにはいってくれたのだから。


「あ、あの! 助けてくれてホントにありがとうございました!」


 危ない所を助けてくれた岸田にガバッと深く頭を下げて、お礼を言った摩耶の体が小刻みに震えていた。


「ううん。偶々通りかかっただけだし、気にしないで」


 言って、岸田は摩耶に頭を上げるように促すと、2人の側に瑞樹と絵里奈が近寄る。


「岸田君、助けてくれてありがとう」

「瑞樹さんも無事でよかったよ」


 そんな2人のやりとりを麻美と絵里奈と摩耶の3人が口をパクパク動かして、フルフルと大袈裟に震える指をさしながら驚愕と言わんばかりの表情で眺めていた。


「どうしたの? 3人とも」

「え? え? ど、どうしたじゃないでしょ! え? なに? 志乃ってこの人と知り合いなの!?」

「ん? あぁ、そっか。うん、そうだよ。同中の友達で岸田君っていうの」

「あ、はじめまして。岸田っていいます」


 瑞樹が男と親しそうに話すのを初めて見た麻美達にとって、目の前にある光景が衝撃的だったのは、普段の瑞樹を知っている者ならば当然だったかもしれない。


 岸田を含めて少し雑談しながら駅に向かう事になったところで、瑞樹は気になっていた事を岸田に問う。


「ところで、岸田君はこんな所でなにしてたの?」

「ん? 俺は昨日から入寮しててさ。それで瑞樹さんが今日卒業式だって聞いてたからお祝いしたいなって思って学校に向かってたんだ。ってトークアプリにメッセージ送ってたはずなんだけど……」

「え!? ご、ごめん! 今日は朝からスマホのチェックも碌に出来ないくらいバタバタしてて気付かなかったみたい。でも、まだ名古屋にいると思ってたからビックリしたよ」


 そんな話をしていると、ふと気づけば麻美達が微妙に距離を空けている事に気付いた。


「……なに?」

「いや! その……ね。もしかして志乃って岸田君と付き合ってたりする!?」

「へ!? ち、違うよ! 私達は中学の時のともだ――」

「――付き合ってはないけど、俺は瑞樹さんの彼氏になりたいって思ってる奴だよ」


 麻美達に岸田との関係を否定しようとした瑞樹だったが、途中で岸田がわざとそれを遮るように自分は瑞樹の彼氏候補だと名乗ってしまった。

 瑞樹はすぐさまその話は断ったと説明しようとしたのだが、タッチの差で摩耶が率先して2人の関係に騒ぎ出す。


「きゃーっ!! マジで!? 片っ端から告白断ってたのって、こういう事だったんだ!?」

「えっ!? いや、だから、ちが……」


 ついさっきまでのピンチがなかったかのように、摩耶達が異様な盛り上がりを見せたかと思うと、いつも4人の中で企画立案をする立場にある麻美がとんでもない事を言い出す。


「ねっ、岸田君! 志乃のお祝いに来たんならさ。この後に卒業記念のクラス会があるんだけど、岸田君も来なよ!」

「――へ? ち、ちょっと、麻美!?」

「いやいや、そんな所に部外者の俺が行くわけにはいかないよ。お祝いは日を改めるから気にしないで」

「大丈夫だって! クラス会っていってもカラオケで騒ぐだけだしさ!」


 困惑する瑞樹を余所に麻美の誘いと断ろうとした岸田であったが、元々押しの強い麻美に圧倒されてドンドンとおかしな方向に話が進んでいく。

 続いて摩耶や絵里奈の猛プッシュに逃げ腰だった岸田もついに折れてしまった。


「1度帰って荷物置いてくるつもりだったけど、このままカフェにでも入って集合時間まで話そうよ!」

「え? 俺は別に1人で待ってるからって――ちょっと!」

「いいじゃん、いいじゃん! じゃあ志乃、またあとでねぇ!」


 自分の事を助けてくれた摩耶が率先してそう誘って、断ろうとしていた岸田の腕をグイグイと引っ張る。


「い、いや、だから」

「いいから! いいから!」


 岸田の抵抗もむなしく、問答無用と言わんばかりに駅に着いたというのに踵を返して、いつも瑞樹達が集まっているカフェに連行されてしまった。


 強引な誘いに戸惑っている岸田に助け船を出さずに見送った瑞樹であったが、それは摩耶達の迫力に圧倒されたからではない。


(……やっぱり、いたか)


 瑞樹は気付いていたのだ。

 駅の改札前の柱の影から、さっき岸田が追い払った大山が殺気だった視線を摩耶に向けていた事に。

 このままでは危険かもしれないと、強引に引っ張られていった岸田が摩耶の側にいてくれる方が安心だと判断したのだ。


 瑞樹は大山に気付かないふりをして改札を潜ろうとした時、摩耶に向けられていた視線が自分に向けられた事に気付く。

 嫉妬と殺気が混じった悍ましい視線に晒された瑞樹の背中にゾッとする悪寒が走る。

 恋人を自分の所有物のように扱って逃げられたのだから完全に逆恨みだというのに、その目は自分が悪いわけではなく裏切られた被害者のような視線に、瑞樹は昔の事を思い出した。


 ずっと男を近付けさせない為に、かなりキツイ言動を取り続けていた結果、もしかしたら今でも自分の事を逆恨みしている男がいるかもしれない。最悪の場合、その言動を逆恨みしてあの大山のような殺気だった目で恐ろしい目にあわされたかもしれない。

 いや、実際に平田に逆恨みされて襲われたのだ。

 しかも、平田に対しては誠意をもって応えたつもりだったというのにだ。


 それではどうすればよかったのだろうと、瑞樹は思案を巡らせる。


 それに何もこういう事は男側に限った話ではないのだ。

 女性も逆上して酷い復讐を果たそうとする場合だってあると、テレビで観た事がある。


 大山の視線を最後まで気付かぬふりを通してホームへ上がるエスカレーターの乗った所で、摩耶達と一緒にいるであろう岸田に大山がまだ駅にいるとだけトークアプリでメッセージを送ってスマホを閉じた。

 様子を見る限り岸田の警告が効いているようで凄い形相をしてはいたが、行動を起こす可能性は低いと判断した瑞樹であったが、念には念をと岸田に大切な友達の護衛を頼んだのだ。


(……人間って我儘で愚かな生き物だな)


 そんな人間が他人の事を心から思い、行動に移す事が思い遣りや愛情という感情なのだろう。


(――じゃあ、私は本当に間宮さんの事が好きなのだろうか。自分の気持ちを一方的に押し付けるばかりで、間宮さんの事を想って行動した事なんてなかったかもしれない)


 そんな事を考えると、大山達と変わらない人種なのではないかと、瑞樹の悩みは更に深まってしまったのだった。

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