第31話 ターミナル
スタジオに戻った優希は部屋の隅の両膝を抱き込んで蹲っていた。
堪えていた涙が止めどなく溢れて来る。
「……これでいいよね……よく頑張ったよ、私」
声を殺して涙を流していた優希であったが、恐らく自分がここへ呼ばない限り仲間であるスタッフ達は戻ってこないだろうと、殺していた鳴き声を解放しようとした時だった。今、聞こえてはいけない重厚なドアが開く音が優希の耳に届いたのだ。
「……なんで戻ってきたりするかなぁ。マナー違反だって……言ったじゃん」
「――ごめん、やっぱり放っとくのは無理だった」
再びこの空間を訪れたのは、立ち去ったはずの間宮だった。
蹲って泣いている優希を目の当たりにして立ち尽くす間宮に、立ち上がった優希がゆっくりと近づいて胸に額を押し当てた。
「……罰として少しだけ胸貸してよね」
そう呟いた優希が小さな肩を震わせたかと思うと、ギュゥッと両手で力いっぱい間宮の胸元の服を握りしめた。
「――なんで! なんで私じゃ駄目なの!? 私だって……わ、たしだって……う、うぐっ! あああぁぁぁぁ!!!」
間宮の胸に顔を押しつけて思いの丈を全て吐き出そうとした優希だったが、途中で言葉にならなくなり――大声で泣きだした。
その鳴き声だけで最後まで聞き届けなくてもどれだけの想いを寄せてくれていたのか、間宮には痛いほどに伝わっていた。
10分……いや、もう少し長かっただろうか。
間宮の腕の中で泣いていた優希の鳴き声が、やがて聞こえなくなった代わりに、小さく深呼吸する息使いが聞こえたかと思うと、静かに間宮の腕の中から離れていく。
「……ありがと、もう大丈夫」
「……優希」
間宮の背後に回った優希は、トンッと間宮の背中を押した。
「もう行って……今度こそ、お願い」
「……わかった」
そう言い残して、間宮は今度こそスタジオを後にする。
スタジオがある雑居ビルの一階のフロアに休憩スペースが設けられており、そこに姿を消していたスタッフ達が集まっていた。
間宮はスタッフ達に「優希をお願いします」とだけ伝えて、ビルを出ていく背中を黙って見送ったスタッフ達がスタジオへ足を向けた。
今の優希を見たら優香はどう思うだろう。
いつだったか、優希の夢に優香が出てきた言っていた話を思い出した。
◇◆
スタジオに戻った私はギターを構えて弦を弾く。
そういえば志乃ちゃんとの事訊けなかったな。
まぁ私と志乃ちゃんの事は内緒だから、仕方がないんだけど。
弦を弾き、さっき良ちゃんに聞かせた曲を歌う。
寝る間も惜しんで作ってきた曲が完成した。
ずっと作れなかったラブソング。実体験からくる曲は歌っていて私の心を掻き毟るようだ。
それでもあの人の事を想いながら最後まで歌い終えると、重厚なドアが開いて拍手がスタジオ内に響き渡った。
「スゲーいいじゃん!」
「この曲を引っ提げて全米デビューか!? 英訳しないとだけど絶対にイケるって!」
「悔しいのは、この曲を向こうでレコーディングする事だけだなぁ」
(……皆)
入って来た仲間達に曲を絶賛された。
それはお世辞や気を使って言っているわけじゃないのは、私が一番分かっている。
「何言ってんの!? この曲だけは絶対にここで作っていくよ!」
私がそう宣言すると、皆の顔つきがプロのものへと変わった。
「また連日寝不足になるだろうけど、最後までよろしく!」
「おう! まかせとけ!」
ついさっきまでの空気が嘘のように、活気に満ちた声が響き渡った。
泣いている場合じゃない。
失恋はしたけど、それと目標は別問題だと割り切れないのならプロなんかじゃないんだから!
彼のおかげで成長できた私を、世界に見せつける為に。
◇◆
スタジオが入っている雑居ビルを出ると、正面に見覚えのある黒いミニバンに凭れるように立っている女性が目に入った。
「送ってくから、乗って」
ドライブ用の眼鏡をジャケットから取り出して間宮にそう声をかけたのは、間宮の妹であり神楽優希のマネージャーでもある茜だった。
「悪いな。助かる」
言って間宮は迷う事なく車に乗り込むと、茜も運転席に乗り込んで何も言わずに車を間宮のマンションに向けてゆっくりと走らせ始めた。
近くのランプから首都高に乗ってアクセルを更に踏み込んで車を走らせていると、そこまで無言だった茜の口が開く。
「その様子だと、優希に止め刺したみたいね」
「……嫌な言い方するなよ」
「やっぱりアメリカ行きが原因?」
「……まぁ、そうだな」
「その変な間は他にも理由がありそうね。まあ無理に訊き出すつもりはないけど」
「……悪いな」
平日の終電間際の時間になると、都心といえども車の台数は疎らで茜の車は快調に目的地に向かって行く。
カーオーディオから神楽優希の曲が流れている。
今、正直優希の声を聴くと思うところがある間宮であったのだが、曲を聞き流していると不思議と何時の間にか歌詞を口ずさむ自分がいた。
「そういえば、優希のラブソングって聴いたか?」
「メロディーラインだけね。でも、良兄が止め刺してくれたおかげで、絶対にいい曲になるって確信してる」
茜は優希がフラれた事を何故か嬉しそうに話す。
茜は優希がもう1人の姉と慕っている存在だ。そんな茜に失恋した事を喜ばれていると知ったら、きっとショックを受けるだろう。フッた張本人が言える立場ではないのは百も承知の事であったが、それであっても間宮は茜の態度に苛立ちを覚えた。
「お前……さ。そんな言い方ないんじゃねえか!?」
「フッた張本人に言われたくないんだけど」
そう言われる事は想定内だった間宮はお構いなしにさっき吐いた台詞を取り消させようとしたのだが、茜はそんな間宮を黙らせるようにキッと横目で睨みつけた。
「ミュージシャンだけじゃないけど、何かを生み出すってのは幸福な事からよりも、不幸な状況の方が凄いものを生み出せるんだよ!」
そう言い切る茜の顔はまさしくプロのそれで、鋭い目でそう告げられた間宮は完全に言葉を失った。
「優希はこの事をきっかけに大きな壁を乗り越えるわ。そうなればあの子にとって、もう日本は狭い場所になる」
「……まさかお前、そうなる事を見越して俺達の事を泳がせてたのか!?」
「まさか! でも、あの子の才能を発掘したのは私だって事よ」
茜は優希の恋心に気付いた時から、この可能性を考えていた。
もしこれを上手く乗り越える事が出来れば、アーティストとして超えられなかった壁を超える事が出来るかもしれないという思いは確かにあった。
だが、それを望んでいたわけではなく、優希がそうであるように優希を妹のように可愛がっている茜個人としては、この恋が成就する事を願っていたのだ。
だからこそ、茜は優希にアメリカで使う最初の一曲目にラブソングを提案したのだ。
人を好きになるのは、手軽そうにみえて本当は簡単な事ではない。楽しい事や幸せと感じる事より、悩んだり苦しんで傷を負っていくからこそ、人は人を好きになる度に成長するものだからと茜は誇らし気にそう話す。
「なんかドヤ顔で言ってるけど、そういう茜はどうなんだ?」
「何がよ」
「いや、好きな奴とかいんの? 成長できてんのか?」
「は? 何言ってんの!? 私は大恋愛真っ最中じゃん」
「え? ……それって」
「勿論、優希に決まってるじゃん! あの子と同じ方向を見てると、本当に成長してるって実感が湧くのよね!」
ドヤ顔はそのままに更に得意気に鼻をヒクヒクさせながらそう言い切る茜の姿に、間宮は不安を抱かずにはいられない。
だが、1人の人間の人生をこうも変えてしまう魅力をもった優希に、間宮は自分の中に抱いていた気持ちにハッキリと名前が付いたのだ。
自分は優希に憧れていたのだと。
優希の生き方があまりにも格好が良く、彼女の人生そのものに強く憧れを抱いていたのだと。
だから、間宮はそんな優希の隣にいるのではなく、自分も格好いい男でありたいと強く思ったのだ。
「なぁ、優希に伝えて欲しい事があるんだけど」
「ん? なに?」
「いつか必ず会おうって。その時までに少しはカッコいい男になってるからって……。それまでお互い頑張ろうってさ」
「良兄に言われなくても頑張るっての! ま、伝えといてあげる」
優希への気持ちを茜に伝えた時、間宮の自宅であるマンションに到着した。もう時計に針は深夜を指しており、辺りは静まり返っている。
間宮が車から降りると、茜が続くように降りて間宮が住んでいるマンションを見上げた。
次に日本に戻ってきた時は、もう良兄はここに住んでないんだね」
「そうなるな……。送ってくれてありがとな。向こうに行っても体には十分に気を付けるんだぞ」
「あっはは! まるでお父さんみたいじゃん」
「親父から茜の事を気にしててくれって頼まれてんだよ」
「……そっか。ツアーで大阪に行った時、実家に顔をだして渡米の件をゆっくり話すつもり」
「ん、電話で話すよりそう方がいい」
「それじゃ」と茜が車に戻っていく。
「元気でな」と声をかけると「良兄も!」と返す茜が窓越しに手を伸ばしてきた。
「またここで会おう」と差し出してきた手を握って握手を交わすと、茜は小さく手を振って間宮のマンションから走り去って行く。
茜の運転する車を見送りながら間宮は思う。
大阪から東京に移り住んだ兄妹が、それぞれの道に進む為に東京を離れていく。
2人にとって東京は第二の故郷であり、目標に向かう為のターミナルのような場所なのだろうと。
「さて、俺もぼちぼち準備を始めないとな」
言って、間宮はまた妹とこの地で再会するのを楽しみに、自宅へ戻っていくのであった。
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