第28話 卒業旅行 act 18 お姉ちゃん

「……間宮さん新潟に行っちゃうんだ。貴彦さん一言もそんな事言ってなかったよ」

「うん……。前々から決まってたらしいんだけど、私達には言い出し辛かったんだって」



 卒業旅行の最後の夜。早紀を見送った瑞樹は寝室で加藤達に間宮がもうすぐいなくなる事を話した。

 神楽優希の事だけでも大事件が勃発しているというのに、更に当の本人である間宮が東京からいなくなる事実を突きつけられて、加藤と神山は言葉を見いだせなくなった。


 外野の立場の加藤達でさえこの有様なのだ。

 中心人物の1人である瑞樹の胸の内を考えれば、かける言葉を見失うのも無理もないだろう。


 瑞樹が上っ面だけの言葉を求めているわけではない事は、加藤は十分に理解している。

 だから、敢えて動揺した素振りをみせずに、冷静に努めようと意識する。


「それで? 志乃はこれからどうしたいの? 間宮さんの事諦めるの?」

「ちょっと、愛菜! そんな言い方ってないじゃん!」


 神山が加藤の対応の物申すが、加藤は首を小さく振って『わかってる』と目で訴えかけた。


「正直、分からなくなっちゃったかな」

「そう……まぁ、そうだよね」


 瑞樹はさっきまで一緒にいた早紀に、間宮がいなくなる事を相談していた詳細を加藤達に打ち明けた。


「そっか。早紀さん大人だなぁ」

「私も、そう思う」


 瑞樹と加藤が話しているのを聞いていた神山が徐に立ち上がる。


「どうした? 結衣」

「……うん。私ってさ、まだ夢とか目標なんて大袈裟なものなんてないんだけど……さ」


 言いながら部屋のカーテンを開けて、スポット状のライトに当てられた綺麗な芝生の庭に視線を落とす。


「早紀さんの話を聞いて思ったんだけど、私の目標を遂げる為に佐竹君から離れなくちゃいけなくなった時、私はどっちを選ぶんだろうなって思って」


 今の瑞樹の悩みは決して他人事でないと言う神山に、加藤も賛同する。

 松崎だってずっと本社にいるという保証はない。それに自分自身が大学で何かを見つける事ができて、それに向かって行く事で松崎と離れる選択を迫られる事だって十分にあり得る話だからだ。


 だからこそ、瑞樹にかける言葉は慎重に選ばなくてはならないと、加藤は唇をキュッと噛んだ。


 先の事なんて誰にも分からない。

 だから、皆それぞれ選択に迫られる度に、後悔を積み重ねていくのだろう。


『どっちを選んでも、後悔はついてくる』


 早紀の言葉が3人の胸に刻まれていく。


 ◇◆


「……瑞樹ちゃんに話したのか」

「……あぁ」


 雅紀と涼子が先に休むと寝室に向かった後も、間宮と松崎は2人で酒を酌み交わしていた。

 USJのパレードを抜け出した時の詳細を話し終えた間宮は、何かを振り払うようにロックで割った芋焼酎を一気に飲み干す。


「瑞樹ちゃんはなんて?」

「わかった。頑張ってねって」


 あの時の影をおとした瑞樹の顔が思い出されて、思わず握る力を強めたグラスに、松崎が無言で焼酎を継ぎ足す。

 焼酎の瓶を傾ける松崎の顔は、『まったく、しかたのない奴だな』と言っているように見えた。


「……何も言わないのか?」


 不安気な顔でそう問う間宮に、何を訊かれているのか理解している松崎だったが、敢えて「なにを?」と訊き返す。


「何って……黙って新潟行きを決めた事だよ」

「まぁ思う所はあるけど、お前がエンジニアをどれだけやりたがっていたのか知ってるしな。それに古いって言われるかもだけど、男はやっぱり仕事だと思うからさ」


 松崎の男は仕事というのは間宮も同感だった。

 だが、とても大切な事から逃げたと言われても仕方がない選択をした事も自覚している。


「……それにさ」と話を続ける松崎の顔が綻んだ。


「新潟行きを決めて辛そうにしてるのは、瑞樹ちゃんや神楽優希と別れる事であって、優香ちゃんと離れる事じゃないんだろ?」


 そう言われた間宮は目を大きく見開き、思考を止めた。

 ゆっくりと右手を口元に当てて黙り込む姿が、平均より背が高くて大きな体の間宮の姿が、この時は妙に小さく感じさせる。


 少し前まで間宮の中心にいたのは、確かに香坂優香だった。


(……いつから……だ?)


 自分の心の中を覗いてみる。

 中には松崎や加藤達、それに東や関夫妻が円を描く様に立ち、こちらに笑顔を向けている。

 そして、その円の中心にいるのは優香ではなく、2人の女性の姿があった。


 2人はお互いの背中を合わせて、こちらを見上げている。


 1人は優香の妹で、ずっと間宮を探していた香坂優希。


 もう1人は、過去に大きなトラウマを植え付けられて、心を閉ざして生きてきた瑞樹志乃だった。


 2人はそっとこちらに手を差し伸べて、優しく微笑んだ。


 胸をギュッと締め付けられる感覚と同時に、目頭が熱くなった。


「……松崎……頼みがある」

「なんだ?」

「少しの間でいいから、目と耳を塞いで俺を見ないでくれ」

「――あぁ」


 松崎は両手で耳を塞いて、間宮に背を向けた。


 松崎の様子を確認した直後、間宮の目から堪えていた大粒の涙がポトポトと音を立てて落ちていく。


「……うっ……うぐっ、あ、あ……ぐぅ……ああぁぁ」


 声を必死に殺そうとした間宮だったが、今までの想いが強すぎた反動でどうしても殺しきれない。

 だが、これは決して悲しくて泣いているわけではない。

 ずっと立ち止まり後ろを向いて時間を止めて生きてきた間宮にとって、この涙は瑞樹達より一足早い卒業式のようなものだ。

 寂しさと嬉しさが複雑に入れ交じるその涙は、今までの淀みを洗い落としたように白く濁っていた。


「……よかったな。2人に感謝しろよ」


 耳を塞いでと頼んでいたはずなのに、松崎は何時の間にか耳から両手を降ろして声をかけた。


「塞いでくれって言っただろ! はぁ――まぁ、お前にも感謝してるよ」

「おう!」


 決して優香の存在は呪いなどではない。

 ただ、自分のせいで婚約者を死なせてしまったという罪の意識と、自分の傍からいなくなってしまったという喪失感を乗り越える事が出来なかった弱さが原因で、優香は何も悪くない。

 だから、この流れる涙は卒業式に流す涙に似ていると思えた。


「約束破った罰として、今夜は徹底的に付き合ってもらうからな」

「はは、おう! 今夜は間宮の卒業祝いだな!」


 2人は笑い合って再びグラスを突き合わせて、深夜遅くまでリビングの照明が落ちる事はなかった。


 ◇◆


 翌朝早朝。


 瑞樹達JK3人組は早紀が切り盛りしている、山崎ベーカリーに向かっていた。

 早紀が焼いたパンが物凄く美味しくて、食べ収めを兼ねて間宮家の食卓に並べる為だ。


 店の前に到着すると、まだ早い時間だというのに外からでも分かる程に店内には沢山の客の姿があり活気に溢れていて、山崎ベーカリーの人気が伺えた。


 瑞樹達も早速店内に入って陳列されている様々なパンを、目をキラキラさせて眺める。


「あれ? 瑞樹ちゃん達やんか!」


 焼きあがったパンをスタッフと共に工房から店に並べる為に出てきた早紀が瑞樹達を見かけて、相変わらず元気でよく通る声で声をかけた。


「あ! 早紀さん。おはようございます」

「おはよ! え? ウチのパン買いに来てくれたん!?」

「はい! 今日を逃したら、今度いつ食べられるか分かりませんから」

「あっはは! 嬉しい事言うてくれるやんか!」


 パンを並べながら瑞樹達と話をしているそばから、陳列したパンがどんどん他の客達のトレイの乗せられていく。

 陳列させたのが、山崎ベーカリーの看板商品であるメロンパンだった為だ。


 トレイとトングを持っていた神山が負けじと鍛えられた正確なトングさばきと、卓越したスピードで焼き立てのメロンパンを次々とトレイに乗せていく。

 その卓越した動きは芸術の域で、美味い物大好きな今の神山の体のキレは通常の1.5割増しだ。


「ふう、これで人数分確保出来たね」

「おぉ! キレッキレだったね、結衣」

「何食べたら、そんな動き出来るの?」


 いい仕事をしたと満足顔の神山に、加藤と瑞樹が感心して思わず拍手を送る。

 その後は、ゆっくりと他のパンを選んでレジで会計を済ませた。

 購入したパンは全て瑞樹達の支払いだ。

 なにせ、殆どお金を支払わずにこんなに素敵な旅行をさせて貰っているのだから、せめてこれくらいのお礼はしたいと思うのは自然な事だろう。


「おーい! そこのJK3人組!」


 ホクホク顔で店を出た瑞樹達に、店の裏から声がかかる。


「おっ! いっぱい買ってくれたんやねぇ。ありがとね」


 もうすぐ東京に帰る3人組に挨拶しようと、忙しい工房を抜け出して声をかけたのは早紀だった。


「お世話になりました。とっても楽しかったです、早紀さん」

「ウチも楽しかったわ! また大阪に来たらパン食べに来てなぁ」

「はい! ありがとうございました!」


 加藤と神山が早紀と挨拶を交わしたが、瑞樹は昨晩本心を早紀に話した為、何となく気恥しくて会釈しか出来なかった。


「あ、瑞樹ちゃん! ごめん、ちょっとええかな」

「……はい」


 早紀は立ち去ろうとする加藤達から瑞樹だけを呼び止めて、こっそりと紙袋を持たせた。


「これまだ試作品なんやけど、ウチのメロンパンをベースにした新商品やねん。これも持っていってや」

「え? でも、これ以上お世話になるのは悪いですから」

「そんなんええから! 帰りの車の中で良ちゃんにこれ渡して、話すきっかけに使い!」


 瑞樹は長女で妹の2人姉妹だ。

 いつも妹の希を愛でている瑞樹であったが、昔から姉がいたらなと思う事があった。

 そんな瑞樹の目の前で白い歯を見せる早紀は、まさに想像していたお姉ちゃん像そのものだった。

 だから、だから仕方がないのだ。

 思わず零れてしまった言葉なのだから……。


「ありがとう、早紀お姉ちゃん!」

「!! あっはは! ウチの事そう呼んでくれるの茜だけやったから、もう1人妹分が出来たみたいで嬉しいなぁ」

「ふふ、私もお姉ちゃんが欲しかったから、嬉しいです」

「じゃあ、姉ちゃんが発破かけたるわ!」

「ん?」

「――頑張れ、志乃!」

「!! う、うん!」


 何を頑張るかなんて確認しなくても、分かり切っている。

 早紀はかつて好きだった男を、妹分の瑞樹に託したのだ。


 店の前でそんなやりとりをしてると、裏口から早紀の名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 どうやらこっそりと工房を抜け出したのがバレてしまったようだ。

 ギクリと肩を跳ねさせた早紀は苦笑いを浮かべて「絶対にまた会おう!」とだけ言い残して、慌てて工房へ戻って行った。


 正直、間宮との事はまだ答えが出ていない。

 だが2人の関係がどんな風になっても、早紀にはまた会いたいと受け取ったパンが入った紙袋をギュッと抱きしめる瑞樹だった。

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