第27話 卒業旅行 act 17 選択肢
帰宅した2人が大きなビニール袋を抱えてダイニングへ入ると、すでに準備万端と言わんばかりに、お好みソースが焼ける香りが充満していた。
「お! おかえりぃ、瑞樹ちゃん。重かったやろ? おおきにな!」
「いえ、お役に立ててよかったです」
「ちょっとおっちゃん! ウチには礼ないん!?」
賑やかな笑い声が揃ったところで、お待ちかねの間宮家のお好みパーティーが始まった。
「うそ!? ホントに美味しいんだけど!!」
「これは美味い! 金とっていいレベルですよ!」
「そうか? じゃあ1000円でええで!」
あはははは!
賑やかな食卓はやっぱり楽しいと、瑞樹の顔が綻ぶ。
両親が共働きであるため、一年の大半が希と2人での食事だった瑞樹にとって、間宮家の賑やかな食卓は眩しいものにみえた。
いつまでもこんな時間が続けばいい。USJでショックな事を告げられた沈んだ心を、この楽しい時間が癒してくれる気がするから。
明日になれば東京に帰らなくはならない。
こういう言い方をすると帰りたくないと聞こえるかもしれないが、正確には東京が嫌で帰りたくないわけではない。
東京へ帰ってしまうと、すぐに間宮がいなくなる事を知ってしまったから、子供みたいに時間が止まればいいと願っているだけなのだ。
間宮家特製お好み焼きを堪能して皆で後片付けを済ませた後、順に入浴を済ませて瑞樹達高校生組は部屋へ戻り、残った間宮と松崎は雅紀達と酒盛りを始めた。
「親父、正月に帰った時に話すつもりやったんやけど、実は来週末に東京を離れて新潟に引っ越す事になったんや」
昔からやりたかった仕事に就ける事になり、東京から新潟に移り住む事になった経緯を雅紀に話して聞かせた。
「そうかぁ。まあ、好きな事を仕事に出来るってのは幸せな事なんやから、しっかりと頑張ってこいや」
「あぁ、ありがとう」
その話を聞いていた早紀が思う所があったのか、首を傾げながら話に割って入る。
「なぁ、良ちゃん。その異動の話なんやけど、今日USJで瑞樹ちゃんに話さんかった?」
「え? あぁ、うん」
「ふーん……なるほどなぁ」
合点がいったと、早紀は自分で作った濃いめのハイボールを煽った。
「そっか、やっと瑞樹ちゃんに話したのか。どうりで元気がなかったわけだ」
松崎も納得した様子で、芋焼酎が入ったグラスを口に運んだ。
やはり皆気付いてたんだなと、間宮は無用な気を遣わせてしまった事を申し訳なく思う。
酒に頼るのは違うとは分かっていても、今夜は飲まないと眠れそうにないとグラスを煽る間宮を横目に、早紀が「よいしょっ」と立ち上がった。
「ウチは明日の仕込みがあるから、そろそろ帰るわ」
「そうかぁ。気を付けて帰るんやで」
「うん! 御馳走さん! また店にも来てや」
帰ろうとする早紀に続いて立ち上がろうとした間宮だったが「見送りはええよ。ちょっと瑞樹ちゃん達に挨拶してから帰るから」
「そっか。色々とありがとうな、早紀姉」
「こっちこそや! 久しぶりに良ちゃんに会えて楽しかったわ。今度は何年も空けんと、年に一回は帰ってくるんやで!」
「はは、そうやな。気を付けるわ」
「またね」とリビングの前で間宮と別れた早紀は、瑞樹達がいる2階に向かうフリをして、こっそりと芝生が広がる縁側に向かって瑞樹にメッセージを送った。
「――おまたせしました」
早紀が暫く縁側で煙草を吹かしていると、パジャマ姿の瑞樹が現れた。
「おぉ! パジャマ姿も可愛いなぁ!」
「は、恥ずかしいのでやめてください」
「あっはは! 褒めてるんやから、恥ずかしがる事ないやん」
縁側から少し肌寒い風にのって、この家にはない匂いが瑞樹の鼻に届く。
「早紀さんって煙草吸うんですね」
「あ、臭かった? ごめんな」
早紀は燻らせていた煙草を携帯灰皿で消化して、そのまま吸い殻ごとポケットに突っ込んだ。
「あ、いえ、大丈夫ですよ」
気にしないと告げた瑞樹だったが、副流煙を吸わせるのは悪いからと、煙草の箱を鞄の中に仕舞い込んだ。
瑞樹が早紀の隣に座り空を見上げると、日中の天気と同様に良く晴れた空が広がっていて、綺麗な月が2人を照れしてくれていた。
「瑞樹ちゃんが悩んでた原因、ウチにもわかったわ。良ちゃんが仕事で新潟に引っ越すんやってな。さっき聞いたわ」
「……はい」
「それで?」
「USJで初めてその事を知って、やっと大学にも受かってこれからって時だったから、どうしていいのか分からなくなってしまって……」
「なるほどなぁ。そら最悪のタイミングってやつやったなぁ」
「……はい」
どういていいか分からないと言ったが、正確にはどうしようもなくなったと言う事だ。
間宮がそれを選択したという事は、もしかしてと淡い期待を抱いてきた気持ちを完全に否定するものだったから。
「それで買い出しに行くって訊かんかったんやなあ」
「え!?」
「手伝いたいって気持ちもあったやろうけど、一番の理由は良ちゃんから離れたかったんやろ?」
早紀が指摘した事は、見事に図星だった。
あのまま間宮の姿が見える場所にいたら、必死に隠そうとしていた感情が表に出てしまう恐れがあったから。
確かにお好みパーティーは楽しいと感じた瑞樹であったが、どれだけ笑っていても間宮と目を合わせる事は1度も出来なかった。
「……どうして分かったんですか?」
「ん? まぁ、瑞樹ちゃんより10年以上長く女やってるからなぁ」
そう話す早紀は、自分の元から離れていく間宮に対して気持ちがブレてしまっている瑞樹を責めるでもなく、ただ懐かしそうに隣にいる瑞樹を見ていた。
「良ちゃんの事、好きなんやんな?」
「…………はい」
改めて瑞樹の気持ちを確認した早紀は、縁側から立ち上がって庭の隅に移動して、鞄に仕舞っていたはずの煙草に火をつけた。
大きくフィルターから空気を吸い込みゆっくりと煙を吐くと、風にのった煙が四方に拡散していく。
その煙の行方をぼんやりと眺めていた瑞樹に、笑みを浮かべた早紀が話し出す。
「で! 良ちゃんが遠くに行ってまうから、気持ちにブレーキがかかったって?」
「…………そうかもしれません」
「そうかぁ。まぁ別にええんちゃうかな」
「……え?」
「瑞樹ちゃんはまだ高校生なんやし、大学行ってからでも楽しい恋愛してるのが普通やと思うしなぁ。わざわざしんどい恋愛せんでええと思うよ」
大学で新しい恋をするなんて考えてもいなかった瑞樹は、早紀の間宮ではない誰かと恋愛をしたらいいと言われた未来を想像してみた。
まだ見ぬ新しい出会いを経て、お互いの気持ちを受け入れて恋人として共に歩く未来。
圧倒的な自由な時間を恋人と謳歌する。
楽しいだろうなという事は分かる。……分かるが、結局隣にいて欲しいと思うのは彼だけだった事に思い知らされた事がある。
それは自分が思っていた以上に、自分は彼の事が好きである事。それと、自分が思っていた以上に寂しがり屋だったという事。
「もし、仮の話ですけど、私の気持ちを受け入れてくれたとしても、我儘を言ってばかりで困らせてしまうと思うんです」
「あーあ! いい! そんなんいらんから! そんなお飾りな優等生な綺麗ごとが訊きたいんとちゃうねん!」
「え!?」
「良ちゃんの事はいらん! 瑞樹ちゃんだけの本心ってやつを聞かせてや」
吸い終わった煙草の火種を消した早紀は、瑞樹の胸に指さしてそう問う。
「――――離れたくありません。諦めたく……ありません」
キュッと唇を噛む。
間宮がどれだけやりがっていた仕事か理解している。
勿論、それが実現すればいいなと思っていた。
だが、そのチャンスが訪れたというのに、一緒に喜ばないといけないというのに……。
現実はそのチャンスを捨てて、傍にいて欲しいと思っている自分が、どれだけ傲慢な女なのか思い知らされた。
「実はウチもな、高校の時、良ちゃんが好きやってん」
「ええっ!?」
「あっはは! そんな驚かんでも」
「あ、ですよね。ごめんなさい」
早紀が高校生だった当時、1つ下の幼馴染である間宮の事が好きだった。
何度も気持ちを伝えようとしたのだが、ギリギリのところで思い止まっていたいたと話す。
止まっていたいた理由は、パン職人になる為に海外で修行がしたいという気持ちを抱いていたからだ。
「でも、ウチは目標を選んだ」
「後悔しなかったんですか?」
「後悔かぁ……。した事はあったけど、多分目標を捨てて良ちゃんの彼女になってたとしても、後悔してたと思うわ」
どちらを選んでも後悔はする。
以前誰かに同じような事を言った気がする瑞樹。
(……でも、あの時とは気持ちが真逆だ)
「まぁこれは瑞樹ちゃんにとって大事な分岐やから無責任な事言われへんけど、この分岐ってどっちが正解でどっちが不正解って選択じゃないと思うで。だから、そんな顔しなさんな」
(……どちらを選んでも、不正解はない……か)
早紀は自分の気持ちを楽にしようと気遣ってくれている事は瑞樹にも分かっていたが、そもそも瑞樹は最初から正しい選択肢を求めていたわけではない。
ただ、間宮から東京を離れると聞かされた時、確かにあったはずの自分の足元が見えなくなってしまっただけなのだ。
それに瑞樹は早紀との会話で気付いた事がある。
早紀も間宮と同じように、夢を目標に置き換えていた事だ。恐らく、この目標という使い方は早紀の受け売りだったのだろう。
それに気付いた瑞樹は、もう1つの真実にも気が付いた。
(多分、間宮さんも早紀さんの事……好きだったんだろうな)
昔の間宮と早紀の関係は、何だか自分と間宮との関係に似ている気がした瑞樹。違う所といえば、当時の早紀が間宮で、当時の間宮が瑞樹だという事だろう。
(そして、間宮さんは当時の早紀さんと同じ選択をした……それなら、私は?)
間宮は早紀が旅立っていなくなった後に、好きな人が出来て結婚まで考える事が出来た。
自分も同じように、他の誰かを好きになったりするのだろうかと、全くピンとこない未来に意識を巡らせた。
「まぁショックやったのは分かるけど、元気だしていこや!」
そう言う早紀の言葉は、他の誰よりも説得力があった。
「ほんじゃ、ウチ朝早いからボチボチ帰るな」
「え? あ、はい。ありがとうございました」
「大したアドバイス出来んでごめんやで。仕事があるから見送られへんけど、元気でな」
「はい! 早紀さんもお元気で。おやすみなさい」
元気に手を振って瑞樹に別れを告げた早紀は、自宅である山崎ベーカリーに向かって歩き出した。
ゆっくりと瑞樹と早紀の距離が離れていく。
その離れていく距離が、瑞樹には自分と間宮との距離のように思えた。
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