第29話 卒業旅行 Last act 過去形

「2日間、本当にお世話になりました!」


 瑞樹達が玄関先まで見送りに出てきた雅紀達に礼を言って、頭を下げる。

 色々な事があった卒業旅行を終えて、東京に戻る時間になったのだ。


「かまへん! かまへん! またいつでもおいでや!」

「私も久しぶりに賑やかな家になって、ほんまに楽しかったわ」

「私達も本当に楽しい思い出が出来ました! ありがとうございました!」


 それから瑞樹達は雅紀達と少し談笑したあと、荷物を車に積み込み車に乗り込んだ。車内から楽しそうな笑い声が聞こえる。


「ほなっ、ありがとうな」

「おう! まあ向こうでも体には気を付けてしっかり仕事頑張れや!」

「さんきゅ! 落ち着いたら連絡するわ。康介にもよろしく言うといて」


 言って最後に車に乗り込んだ間宮は、ゆっくりと車を発進させた。


 最寄りの乗り口から高速に乗った間宮達を乗せたワンボックスが、快調に東京に向けて走る。


 運転手の交代制で間宮が2度目のステアリングを握って、東京まで残り3分の1の距離に差し掛かった頃、後部座席に座っている松崎から寝息が聞こえてきた。

 助手席に座っている瑞樹も、昨日の事でギクシャクした気疲れに加えて昨晩は遅くまで寝付けなかった為、こっくりこっくりと船を漕いでいる。


 そんな瑞樹を横目にクスっと笑みを零した間宮の耳に、大きなエキゾーストを響いてきたかと思うと、その車は間宮達の車を物凄いスピードで追い越して行った。


「ご、ごめんなさい。私寝てたよね」


 眠りに落ちかけていた瑞樹も、この大きな音で目を覚まし慌てて辺りをキョロキョロと見渡してから、しゅんと俯いて間宮に謝った。


「気にしなくていいから、瑞樹も寝てな」


 無理に起きている必要はないと言ったのだが、「大丈夫!」と瑞樹は自分の頬を数回ぺシぺシと叩いて、しっかりと目を覚まさせると、今朝の事を思い出した。


「そうだ。間宮さんお腹空かない?」

「ん? あぁ、そういえば少し減ったかな」


 そう答える間宮に、瑞樹は待ってましたと言わんばかりに早紀から貰った紙袋を取り出して「これ食べない?」と中身が間宮に見えるように紙袋を差し出した。


「これね、今朝早紀さんに貰った新作のメロンパンなんだ! まだ試作段階でお店に並んでないんだよ」

「早紀姉の新作メロンパン!?」


 間宮が目をキラキラと子供ように輝かせるのを見て、瑞樹の顔が綻んだ。


「食べる?」

「あったりまえじゃん!! よしっ! 次のパーキングで食べようぜ!」


 早紀が言った通りになった。

 ギクシャクしていた2人の空気が、早紀のメロンパンを出した途端に嘘のように変わったのだ。


(間宮さんの事……なんでもお見通しなんだな)


「え? なんか言ったか?」

「ううん! なんでもないよ」


 間宮は流行る気持ちを抑えつつも、一直線にパーキングを目指した。


 サービスエリアに到着した間宮達は、後ろで爆睡している松崎を起こさないように気を付けながら車を降りて、飲み物を買って綺麗な芝生に設置されていたベンチに腰を下ろした。


 早速2人は紙袋からメロンパンを取り出して、新作のメロンパンを頬張る。


「うん! 美味い! めっちゃ美味い!」

「だね! これで試作品とか、完成したらどんなパンになるんだろ」

 2人はいい具合に小腹が空いていたせいで、夢中でメロンパンを食べ切った。


「ふふ、誰かさんのせいで、私もすっかりメロンパン好きになっちゃったよ」


 そう言われた間宮は、照れ臭そうに笑う。


「やっと分かったよ。間宮さんのメロンパン好きは、山崎ベーカリーがあったからなんだね」

「あぁ、ガキの頃に色々あってさ。凹んだ時に必ず山崎のおっちゃんがメロンパンを食べさせてくれたんだよ。それがホッとする味でさ」

「分かる気がする。早紀さんが焼いたメロンパンも凄く美味しくて優しい甘さだったから」


 言って、隣にいる間宮を見ると、今まで見せた事がない表情だった。その顔はとても柔らかく、でもどこか寂し気で見ている瑞樹の心をギュッと締め付けた。


 きっと当時の事を……いや、もしかしたら早紀の事を思い出しているのかもしれない。だが、不思議と嫉妬心が湧いてこない。

 それは恐らく、瑞樹も姉のように慕っているからなのかもしれない。


 その早紀からもらったアドバイス。


『どちらを選んでも、不正解はない』


 あの時の言葉が、今もずっと瑞樹の心に残っていた。


 再び車を走らせて、予定していたサービスエリアで夕食を摂り、予定より少し早めに東京に到着した。


 地元周辺に入ると、行きとは逆の順番でメンバーを降ろしていく。


「んじゃお疲れさん! 楽しかったよ。悪いけど車の返却頼むな、間宮」

「お疲れ様でした! ホントにありがとうございました」


 まずは松崎と佐竹を最寄り駅で降ろして別れた。


「お疲れ様でした! 間宮さん運転とか色々ありがとう。志乃、、愛菜、またね」


 次に神山を道場の前で降ろした。


「これで全部だよな? 忘れ物はないな?」

「うん、大丈夫だよ! 私の無茶なお願いに付き合ってくれてありがとね、間宮さん。本当に楽しかった」

「こちらこそだ。加藤のおかげで最後に言い思い出ができたよ。ありがとう」

「……やっぱり行っちゃうんだね。あ、そうだ! お別れ会的なものやろうよ!」

「いや、もう本当に日にちが無くてな。無理矢理に都合つけてもらうのも悪いから、気持ちだけもらっとく。ありがとうな」

「……でも――志乃は本当にそれでいいの!?」

「――うん。間宮さんがそう言うのなら、それでいいと思うよ」


 車を降りて間宮の隣に立つ瑞樹は、横目で間宮を見ながら元気のない声で加藤の提案を却下する。


「……わかった。それじゃ元気でね、間宮さん!」

「あぁ、加藤も松崎と仲良くな」

「それは言われなくても大丈夫! おやすみなさい!」


 加藤の背中が見えなくなるまで見送った2人は、再び車の乗り込んで最後に瑞樹をピックアップしたコンビニを目指す。


 コンビニに着いて、間宮は車から瑞樹の荷物を手渡して軽く息をつくと、無言で荷物を受け取った瑞樹との間に何とも言えない間が生まれた。


「……えっと、旅行に付き合ってくれてありがとう。間宮さんじゃないけど、本当にいい思い出ができたよ。私はこの旅行の事ずっと忘れないから」

「うん、俺も楽しかった。もうすぐ東京を離れるけど、この旅行の事だけじゃなくて、瑞樹達と出会ってからの事絶対に忘れない――今日までありがとう」

「それは私の台詞だよ。間宮さんと出会ってなかったら、こんなに旅行を楽しんだ私は絶対にいなかったから――今まで色々と助けてくれて本当にありがとうございました」


 そう言って深く頭を下げる瑞樹に、間宮はワタワタと慌てた様子で頭を上げるように促した。


「それじゃあ、そろそろ行くね。おやすみなさい、間宮さん。お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様――あ、そうだ! これ渡すの忘れるとこだった」


 瑞樹が自宅に向けて足を向けた時、間宮は思いだしたように背中を見せた瑞を樹呼び止めて、丁寧に包装された小箱を差し出した。


「これは?」

「バレンタインのお返しだよ。本当はホワイトデーに渡すつもりだったんだけど、あの日って俺達微妙な感じだっただろ? だから渡し辛くて……さ。遅くなってごめんな」

「……そっか。ありがとう。開けていい?」

「――どうぞ」


 瑞樹が包装を丁寧に取り除いて小箱を開けると、中身は腕時計用のバンドが入っていた。

 以前、間宮が誕生日プレゼントで渡した腕時計用のバンドで、手軽の交換出来るタイプだった為、間宮は気分で交換できる物として用意していたのだ。


「一応、俺なりに選んでみたんだけど、どうかな」

「お洒落で可愛いね。ありがとう、時計と一緒に大事にするね」

「そっか。気に入ってもらえてよかったよ」


 そっと小箱を大切に手持ちの鞄に仕舞うと、改めて間宮と向き合う瑞樹。


「それじゃあ……帰るね」

「あぁ……元気でな。瑞樹」

「うん。間宮さんも元気でね」


 間宮と握手を交わした瑞樹が再び背中を向けた。

 スーツケースのキャスターの駒がコロコロと回転する音が、小さく響く。

 すると、暫く歩いた所で駒の音が止んだかと思うと、瑞樹は再び間宮に振り返る。


「あのね! 間宮さんに渡したチョコって……さ。私が生まれて初めて作った本命チョコだったんだからね!」


 瑞樹から突然告白ともとれる言葉に目を見開く間宮だったが、口からは何も言葉が出てこなかった。


「ふふっ……ばいばい」


 瑞樹は何も言ってこない間宮に少し寂しそうな笑みを見せて、手を小さく振って間宮の元を離れていく。


 瑞樹の背中を見た間宮の足と手が前に出たが、出した手を力いっぱい握りしめて追いかけたい衝動を堪えた。


 本命チョコだった。

(……過去形)


 フッと強く息を吐き顔を上げた間宮は、小さくなっていく瑞樹の背中を見送った。


(――これでいい。そうだ、これでいいんだ)


 瑞樹の気持ちを離れた場所から縛る事なんて出来ない。

 そんな事をしたら、瑞樹のこれからの大きな可能性を奪う事になりかねないと危惧したから。


(……だから、これでいいんだ)


 間宮は握りしめた拳をポケットに仕舞い込んで、瑞樹の背中が見えなくなってから車に乗り込んだ。


 ◇◆


(――もう、間宮さんに顔を見せるわけにはいかない)


 瑞樹の足元にだけ、小さな雫が零れ落ちる。

 間宮との距離が離れていく度に、瑞樹の目から涙が溢れて止まらなくなった。


 こんな顔を見せてしまったら、何のために強がったのか分からなくなる。

 こうすれば、あの人は何も気にする事なく自分の元から離れていく事が出来るはずだと、瑞樹は何とか感情を押し殺そうとギュッと唇を噛んだ。


(――私はやっぱり、好きな人の邪魔をしたくない。今の間宮さんには、私は必要ないんだから……)


 あれだけ先輩呼びに拘っていたのに、『さん』に戻していた事を瑞樹本人は気付いていなかった。

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