第22話 卒業旅行 act 14 間宮とメロンパン
「あらあら、どうしたん? 皆そんなに汗だくになって」
汗だくになって間宮達が帰宅すると、涼子が目を丸くして驚いた。
「……わるい、オカン。飯の前に順番にシャワー浴びさせてくれ」
「まったくもう! ちょっと待っときや! ってアンタなんか暗ない?」
「気にせんといて」
そう言う間宮だったが、確かに間宮だけ疲れ切った顔をしていて、他のメンバーはそんな間宮にニヤニヤと笑みを向けていた。
その中で一際明るく振舞っていた瑞樹に手の中に、あのアルバムがあったのだ。
「あら? そのアルバム」
「え? これですか?」
瑞樹が大事そうに持っていたアルバムを見て、涼子が首を傾げた。
「そのアルバム、瑞樹さんにあげようと思って昨夜作った物なんやけど、今朝起きたら見当たらんかったから探してたんよ」
涼子が言うが早いか、康介は慌ててドタドタと階段を駆け上っていく。
「康介! おまえ!」
「え、ええやんけ! 盛り上がったやろ!?」
康介はそれだけ言い残すと、勢いよく自室へ逃げ込んでしまった。
「あ、あはは、最初からこれ貰えてたんだね」
「だねぇ。まぁ康介さんの言う通り盛り上がって楽しかったからいいけど!」
初めから瑞樹にプレゼントされるはずだったアルバムを、康介は商品と言い張ってゲームを盛り上げた。
確かに狙い通り盛り上がったのだが、康介と激しいゲームをしてヘロヘロになってたとはいえ、元気の塊の女子高生達に負かされてアルバムを強奪された間宮の心境を考えると、割に合わないと思うのは仕方がないだろう。
「兎に角、アンタら順番にシャワー浴びておいでや」
そんな間宮達を楽しそうに見ていた涼子がそう言って、パタパタとシャワーの準備に取り掛かった。
そんな光景を見て瑞樹達はこう思うのだ。
何だかこの家は居心地がいいと。
それは間宮の両親の人柄のせいなのだろうと、瑞樹達はまるでこの家の子供になった気分で、すっかり甘え癖がついてしまったようだった。
全員がシャワーで汗を流し終えて朝食を摂ろうと食卓を囲んだ時、何も乗っていない皿が1枚づつ置かれている事に首を傾げて涼子に皿の使い道を間宮が訊こうとした時だった。
「おっはよー! ほんまに帰ってきてるやんかぁ!」
背後から元気な声と共に、ふわりと懐かしい匂いに包まれた。
その匂いは遠い子供の頃の記憶を呼び覚ます。
昔から慣れ親しんだパンの匂い。
「早紀姉!?」
「あっはは! 正解! 久しぶりやなぁ、良ちゃん!」
パンのいい匂いに包まれた正体。それは幼馴染で昔から間宮家が通っているパン屋で職人をしている
早紀の両親がパン屋を営んでおり、娘である早紀は高校卒業と同時に伝手を使ってパンの本場であるフランスで修行を積んで、帰国した娘に店を譲る形で両親が引退。現在は早紀が山崎ベーカリ―の主人を務めている。
間宮一家とは幼稚園の頃からの付き合いで、今では家族のような関係を築いていた。
「おぉ! やっと来たか、早紀ちゃん」
「おはよ! おっちゃん。急に電話くれるから何事かと思ったやんか!」
「せやかて連絡せんかったら、絶対に怒ってやろ?」
「良ちゃんが帰ってきたんやで? そんなん当たり前やんか!」
雅紀とそんな事を言い合っている間も、早紀は間宮を後ろから抱きしめる事をやめない。
「……ちょっと、志乃さん? 顔が怖すぎるんですけど……」
間宮の背中にこれ見よがしに体を密着させている早紀に、ブスくれた顔でジッと鋭い視線を送る瑞樹に加藤が恐る恐る声をかけたが、状況が全く吞み込めない瑞樹は無言のままだった。
「良ちゃんが中々お嫁に貰ってくれんから、三十路になってもうたやんかぁ! 責任とってやぁ!」
「あほか! 何言うてんねん!? 早紀姉は3年前に結婚したやろうが!」
「いやー。それが去年離婚してもうてなぁ」
「え!? マジで!?」
仕事に夢中になってたら、何時の間にか旦那が出て行ったのだと、早紀は暗い過去を笑い飛ばして「そんな事よりも」と手に持っていた紙袋を間宮に差し出した。
「やっと良ちゃんにジャッジしてもらえるわ!」
山崎ベーカリーと印刷されていた紙袋から懐かしい香りがする。
その香りで早紀が言っているジャッジの意味と、何も乗っていない皿の意味を理解した。
「メロンパンか!?」
「正解や!」
目をキラキラさせて袋の中を覗き込むと、期待していた以上の大量のメロンパンと他にもサンドイッチ等の美味しそうなパンがギッシリ詰まっていた。
「早紀ちゃんお店は大丈夫なん?」
間宮が覗き込んでいる袋を横から取り上げて、手早く早紀が焼いたパンを並べてあった皿に均等に乗せていきながら涼子がそう問う。
「うん! パンは十分に焼いてきたし、店番はバイトの子に任せてきたから!」
「それやったら、早紀ちゃんも一緒に食べていき」
「さすがおばちゃん! ありがとう!」
未だに状況が呑み込めず引きつった顔が解けない瑞樹だったが、そんな様子を気にする素振り見せずに、涼子は瑞樹達に席に着くように促した。
「良ちゃん、とりあえずウチの事、皆に紹介してくれたら嬉しいんやけど」
瑞樹達来客者から不思議そうな視線を向けられている事に気付いた早紀は、間宮に紹介しろと促す。
「あ、あぁ、そうだな。こちらは山崎 早紀さん。近所のパン屋の娘さんで、俺や康介、それに茜の幼馴染なんだ」
「うわ! 良ちゃんが標準語はなしとる! きっしょ!」
「うるせえよ!」
瑞樹達に紹介された早紀は、間宮の口調が気持ち悪いと批判して皆の笑いを誘った。
「はじめまして、間宮の同僚の松崎です」
早紀の底なしの明るさで、すぐにぎこちない空気をぶち壊した所で一番年長の松崎が挨拶すると、加藤が続けとばかりに元気に手を上げて席を立った。
「はじめまして! 加藤愛菜って言います!」
「あッはは! 元気ええなぁ! ウチ元気な子大好きや! よろしくやで、愛菜ちゃん」
「はい! よろしくです、早紀さん!」
加藤の懐にスッと入ってくるキャラはここでも健在で、すぐに早紀も加藤の事を気に入ったようだった。
それから神山と佐竹が当たり障りのない挨拶を済ませると、最後に間宮との近過ぎる距離に終始顔を引きつらせていた瑞樹が口を開く。
「はじめまして、瑞樹志乃と言います。間宮さんとはゼミで講師をしてもらってから、仲良くして頂いています」
わざわざ間宮との関係を混ぜて挨拶する辺り、瑞樹は相当早紀を警戒しているのだろう。
だが、瑞樹のそんな警戒を吹き飛ばすような、弾けた早紀の声が食卓に響くのだった。
「うわっ! なにこの子! 滅茶苦茶ベッピンさんやん! 下手なアイドルとか裸足で逃げていくで! ほんま!」
「へ!? あ、ありがとうございます?」
「あっはは! なんで疑問形なん?」
屈託のない笑顔で褒められてしまった瑞樹は警戒心を抱くどころか、早紀の裏表のなさそうな人柄に一発でやられてしまった」
早紀は早紀で、まるで美術品をマジマジと眺めるように瑞樹の外見の美しさに溜息をもらす。
「おっと、最後はウチの番やね! 皆はじめましてぇ! 山崎早紀って言います。良ちゃんとは幼稚園からの付き合いやねん! 急にお邪魔してもうてごめんやで」
早紀が自己紹介を終える頃には、もう瑞樹達と打ち解けていた。
大阪の人間は東京の人間とは距離感が違うと言われているが、早紀は更に特化している人間なのだ。
「さぁ、お互い挨拶も済んだみたいやし、朝飯にしようや。腹蹴ったわぁ!」
自己紹介を終えたタイミングで、朝食を目の前にしてお預けを喰らっていた雅紀がそわそわと皆にそう促した。
「「「「「「「「「「いただきます」」」」」」」」」」
皆同時に手を合わせた先には、ハムエッグにサラダとポタージュスープ、そして間宮家自慢の珈琲が並べられていた。
そこに、さっきまで皿だけだった上に早紀が持ち込んできた各3種類のパンが置かれた。
「さて! 早速ジャッジ頼むで! 良ちゃん」
「さっきも言ってたけど、なんのジャッジ?」
「そんなん決まってるやん! オトンのメロンパンを超えたかどうかのジャッジやんか!」
修行から帰ってきた早紀は真っ先にメロンパンの改良に取り組んだという。
先代から山崎ベーカリーの名物はメロンパンであり、このパンを食べれば店に通うようになると、絶対の自信を持っているパンでもあった。
だから、この店を継ぐのは父親が焼いたメロンパンを超える事が正式に主を名乗る絶対条件として、自分に課せているのだと言うのだ。
馴染みの客達には超えたと言って貰えてはいたが、先代のメロンパンを子供の頃から愛していた間宮にジャッジしてもらえないと、早紀としては納得出来なかったのだと話した。
ケタケタと底なしに明るかった早紀の目が真剣なものに変わった。その目がどれだけ本気で自分の感想を望んでいるのか分かった間宮は、黙って頷いて目の前にあるメロンパンを手に取った。
焼き立てを持ってきてくれたようで、手に取ったパンにはまだ温もりが残っていた。
間宮はメロンパンの甘い香りに吸い寄せられるようにパンを一口噛みちぎって咀嚼する。ビスケット生地のサクッとした食感からしっとりとしたパンの食感へ繋がる。メロンパン特有の香りは嫌味の無い程度に主張して、パンの底に少し染み込ませているバターのコクとジュワっとした舌ざわりが間宮の口の中を幸せにした。
パンを飲み込んだ時に喉を通る感覚、そして最後に鼻から抜ける香り。基本的に先代のメロンパンの特徴と同じであったのだが、明らかに香りと食感、そして後味がそれを上回っていた。
どこがどうというのは、間宮には説明が出来ない。
だが、間違いなく今まで食べて来た間宮の中でのメロンパンランキングの1位にいた先代の山崎ベーカリーのメロンパンを上回ったのだ。
「――美味い。本当に美味い。正直、俺の中でおっちゃんのより美味いメロンパンって想像した事すらなかったんやけど、これは超えてる……。うん! 超えてるで!」
「ほ、ほんまに!? ウチに気使こうてへん!?」
「俺にとっておっちゃんのメロンパンがどんなもんか知ってるやろ? そのメロンパンに気なんか使う訳ないやんか!」
「んふふ……。よっしゃ! これで自信もって店に並べれるわ!」
「いやいや! もう並んでるやんか!」
「気持ちの問題やん! こういう職人の気持ちは分からんやろうなぁ」
早紀は顔をクシャクシャにして喜んだ。
間宮にとって早紀の父親が焼いたメロンパンには、特別な思いがある。
小学生の時、間宮は時折周りに揶揄われたり、軽い虐めを受けた事があったのだが、雅紀が会社を起業して間もない時期だった為、両親は今より遥かに忙しく子供ながらに遠慮してその事を隠していた。
そんなある日。泣きながら学校から帰っている途中に、早紀の父親とバッタリ会ってしまい、店に連れて来られてしつこく事情を訊かれた。最初は何もないと言い張っていた間宮であったが、早紀の父親の優しさに思わず学校であった事を話した。
事情を訊き終えた早紀の父親は間宮の気持ちを察したのか、その事について多くは触れずに「これでも食って元気だせ」とメロンパンを食べさせてくれた。
そのパンの甘さがとても優しくて、また涙が溢れて甘いはずのメロンパンが少し塩辛い味が混ざってしまった。
その日から学校帰りに山崎ベーカリーに通うようになり、その度にメロンパンを御馳走になっていると、日に日に塩味が薄れていき、このメロンパンの本来の美味さを実感する度に間宮はメロンパンが大好物になったのだ。
この店には間宮の1つ上の娘がいて名を早紀といった。
間宮が店に通うようになって、偶に店の手伝いをしている早紀と仲良くなり、何時の間にか1人で食べていたメロンパンを2人並んで食べるようになっていた。
勿論、格好悪いからと虐めにあっていた事は黙っていて、またその気持ちを酌んでくれたのか、早紀の父親も黙ってくれていた。
そんな早紀に好意を抱くようになるまで、そんなに時間はかからず、間宮の初恋の相手となった。
こうして間宮にとって、メロンパンと早紀は特別な存在になったのだ。
◆◇
喜ぶ早紀を横目に、瑞樹もメロンパンを食べてみる。
サクサクのビスケット生地が良い音をたてて崩れていくと、メロンパン独特の甘みと香りが口一杯に広がって、パンを噛み切ると今まで食べた事がないしっとりした食感が、瑞樹の口と歯を喜ばせた。
美味しい……。正直、早紀の存在が面白くない瑞樹にとって、以前お世話になった大谷のメロンパンをひいきする気持ちでいた。
だが、そんなひいき目を吹き飛ばしてしまう程の美味さがあり、思わず本音が口から洩れる。
「……美味しい。なにこれ……。こんなメロンパン食べた事ないです」
「ほんとそれ! メロンパンもだけど、他のパンもメッチャ美味しいんですけど!」
瑞樹がパンの感想を述べると、加藤達も早紀のパンを絶賛した。
夢中でパンを頬張る瑞樹達を見て、早紀は「おおきに!」と嬉しそうにはにかむと、そんな早紀を見ていた間宮も自分事のように喜んだ。
間宮の嬉しそうな顔を見て益々面白くない気持ちが大きくなった瑞樹であったが、このパンの前では嘘は付けないと、間宮をこんなに喜ばせる事が出来る早紀を羨んだ。
「良ちゃん達は明日帰るんやろ?」
「うん。これからUSJに遊びに行くけど、夜にはここに帰ってくるからな」
「よっし! そんなら店閉めたらまた来るから、一緒に飲もうや! 話したい事腐る程あるしな! ええやろ? おっちゃん」
「おう! とっておきの酒用意しとくわ」
「それは楽しみやなぁ! んじゃそろそろ仕事に戻るから、また後でなぁ!」
早紀は間宮の返答も聞かずに一方的に今晩の予定を決めて、急いで店に戻っていった。
「え? ちょっと」
弾丸のように話を決め込んで、更に弾丸のように走り去っていく早紀の背中を何も言えずに見送る間宮は、瑞樹から痛い視線が突き刺さるのを感じた。
「……いいんじゃないですかぁ? 何年も会ってない幼馴染ですもんねぇ……」
ジト目の瑞樹が、言葉と裏腹に不機嫌な声色でそう言うと、雅紀の愉快そうな笑い声が食卓に響いた。
「わっはっは! なんや瑞樹ちゃん! やきもち焼いてるんかぁ?」
「ち、違います!」
雅紀と瑞樹のやりとりに、間宮以外から笑い声が起こる。
本当に砕けた雰囲気で居心地のよい家であったが、ここはもう少し気を使って欲しいと、瑞樹は笑い飛ばす雅紀に心の中で叫ぶのだった。
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