第21話 卒業旅行 act 13 アルバム攻防戦

 翌朝、雅紀が言っていた通り前日の雨はすっかり止んで、見上げる空には雲もなく突き抜けるような青空が広がっていた。


 そんな気持ちの良い早朝に、神山と佐竹が間宮家にある鮮やかな芝が敷き詰められた庭に立っていた。


「うわぁ! 芝生ふかふかで気持ちいいねぇ」

「うん。何かプロが手入れしてるみたいな芝だな」


 日課になっている朝稽古を何日も休むのは気持ちが悪いからと、事前に涼子に許可を貰って庭を使わせてもらう事になっていた。


「でも、あまり煩くすると近所迷惑になっちゃうから、声は出さないようにしないとだね」

「そうだな。まぁ軽くやるだけだから、声が出たりはしないだろ」


 言って、早速ストレッチを始めようとする2人の前に3人目の足が芝生の上に乗った。


「……なぁ、目を閉じて2人の会話を聞いてると、エロい話をしてるように聞こえるのは俺だけか?」

「――うわっ! 松崎さん!?」


 神山達の会話を盗み聞きしていた松崎が妙な捉え方をして、ニヤニヤと笑みを浮かべて現れた。


「おはよう!  若者達よ!」

「……おはようございます。気持ちのいい朝を台無しにする登場ですね」


 ニッシッシと笑う松崎に神山が呆れ顔で溜息をついていると、引き戸になっている玄関がカラカラと音を立てる。


「さぁ、いくで! 良兄!」

「……ほんまにするんかぁ? 俺まだ寝てたいねんけど……」


 玄関から姿を現したのは嬉しそうに右手にバスケットボールを持った康介と、左手をガッシリと掴まれた眠い目を擦る間宮だった。


「おはようございます、康介さん。お二人でどこか行くんですか?」

「おお、おはよ! もう起きてたんやなぁ。今から良兄と決着つけようと思ってな!」

「決着?」

「前に東京に行った時に決着がつかんかった、ストバスの1on1のな!」

「え!? 間宮さんってバスケするんですか!?」


 近所に昔からよく自主練に使っているフープがあるからと、眠そうな間宮を無理矢理引き連れて意気揚々と向おうとする康介に、面白そうだからと神山達も着いて行く事にした。


 到着したコートは、3on3等を楽しむ為に設置されたバスケットのハーフコートで、間宮の実家から歩いて数分の場所にある為、康介だけでなく間宮も高校まではよく使っていたらしい。

 コートは大きな公園になっている敷地の中にある為、ここなら早朝でも近所への気遣いの必要が無く、思い切り楽しむ事が出来る。


「へぇ、近所にこんないい場所があるなんて、いいですね!」

「せやろ! ここはガキの頃からよう通っててん!」


 康介が得意気にそう言いながら早速コートに入りウオーミングアップを始めると、神山達がワクワクした様子で康介を見ていた。


 ストレッチを終えた康介は自前のバスケットボールを手に取り、軽くボールをついて感触を確かめる。木で出来ているフロアと違い、コンクリートで出来ているフロア特有の軽いバウンドの音が響くと、康介は徐々にボールをつくリズムを早めた。

 その音が耳に届いた間宮は眠そうな顔からギラギラした顔つきに変わったかと思うと、サンダルを履いていた足に康介の予備のバッシュを通し始めた。

 バッシュの紐を入念に通し終えてベンチから立ち上がった間宮は、上半身を左右に捻りアップを始める。


「ははっ! やっぱなんだかんだ言うても、この音聞いたら血が騒いだなぁ!」

「朝飯前に運動しようってだけや。最近体動かしてなかったからな」

「ふーん。あ、そー」

「んだよ!」


 軽く体を解した間宮もコートに入ると、康介からボールを受け取って手に馴染む感触を確かめる。


「あ、そうや! ただの勝負やとギャラリーが退屈やろうから、商品だすわ!」

「は? 商品?」

「せや! なんか知らんけど、昨日の晩オカンがいそいそと作ってた……これや!」


 言って、得意気に見せたのは、写真を保管する薄いプラチック製のミニアルバムだった。


「なんやそれ。アルバムか?」

「せや! 俺もさっき見つけたんやけど、中身は良兄のガキの頃の写真や!」

「なっ!?」


 これ以上ないって程の悪魔の様な笑みを浮かべる康介に、戦慄を覚える間宮だった。


「そ、そんなもん商品になるかいな……需要がないやろ、需要が!」

「それはギャラリーが決める事やで、良兄」


 言って、康介が高々にミニアルバムを掲げて「この中に良兄のちっちゃい頃から高校生くらいまでの、オカンがチョイスした写真が入ってるんやけど、いるかぁ!?」と叫ぶ。


「だから、そんなもん誰も欲しがらへ――」

「いります!!」

「――は?」


 間宮良介ヒストリーが詰まったアルバムを即答で『いる』と答えたのは、神山だった。


「というわけで、私は康介さんの応援にまわるからね!」と康介に負けず劣らずに笑みを向ける神山に、一体何の目的でアルバムを欲しているか検討もつかない間宮が困惑していると「よっしゃ! 益々やる気でたで!」と康介が勢いよくボールをついた。


「いや、でもな、こうす――」

「――ほら! 始めんで!」


 何とか抗おうとする間宮の意思をガン無視する康介は、3ポイントラインからフリースローラインにいる間宮に、ワンバウンドパスを送った。


「だからな、康介」

「おら! どうしたんやぁ!? ビビッてんかぁ!?」

「――ッ!」


 煽る康介の言葉にカチンときたのか、間宮の目つきが変わった。


「――まぁええわ。なんやかんや言うても、俺が負けんかったらええだけなんやしなぁ!」

「そういうこっちゃ! 気合い入ったやろ!」

「上等や! 絶対凹ませたるからなぁ!」


 言って、パスを受け取ったボールを同じ軌道で康介に返した事で、東京で勝敗が流れてしまった1on1の兄弟対決が康介が先行で始まった。


 試合が始まった直後から、いきなり全開の2人。

 その攻防は東京での勝負を再現するような、ハイレベルな展開に発展する。

 2人共ストバスのコートとは思えない程のクイックネスと、あらゆるテクニックを駆使してストバス用の鉄で出来た網を揺らし合う。シーソーゲームが続いているにも関わらず、2人のスピード感に見ている者を飽きさせない。


 白熱の試合展開と目をギラつかせる2人に、神山と佐竹が言葉を失ったように釘付けになっている横で、松崎が驚きの声を漏らす。


「……間宮のあんな顔は、初めて見るな」

「ふっふーん! 私達は見た事あるもんね!」


 松崎が今まで見た事がない顔を見せている間宮を眺めている背後から、勝ち誇った口調で話しかけられた。


「お! 愛菜に瑞樹ちゃん、おはよ!」

「おはよ! 貴彦さん」

「おはようございます。松崎さん」


 松崎の背後にいたのは、一番遅れて起きた加藤と瑞樹だった。

 2人は起きてすぐに皆がいない事を涼子に知らせると、恐らくここだろうと教えてくれたらしい。


「何だか懐かしいね。そういえばあの時も康介さんと勝負してたんだっけ」

「そうだったね。ただあの時より、間宮さんの目がガチな気がするけど」


 懐かしそうに話す2人に、この勝負にかかっている商品の詳細を松崎が教えると、瑞樹の目の色が変わった。


「イケーー―ッ!! 康介さん!! 絶対勝ってくださーーーーい!!」


 普段では考えられない大声で康介を応援する瑞樹に、「ニッシッシ」と笑みを向ける神山。そんな神山に気付いた瑞樹は親指を立ててサムズアップで応える。


「はぁ!? 瑞樹まで何言って――」

「――しゃっ! 隙ありってやつやで、良兄!」


 突然康介に向けた瑞樹からの声援に思わず意識を外野に向けた瞬間、オフェンスの康介がその一瞬の隙を逃さずにキレのいいドライブで間宮を完全に抜き去って、そのままふわりとジャンプしてレイアップでゴールを奪った。


「クッソ!」

「はは! どうやら瑞樹ちゃんも俺の味方みたいやでぇ」

「んだよ! 何でだよ」

「そんなん決まってるやんけ」


 言って、康介はコートの端にあるベンチの上に置いてあるアルバムを指差した。


「はぁ!? 瑞樹もあんなもんが欲しいってか!?」

「というか、神山ちゃんは瑞樹ちゃんの為に欲しがったってのが正解やろうなぁ」

「益々、訳わからんわ……」

「はいはい、そういう事にしといたるわ。えーと、これで何セット目やったっけ?」


 首を傾げながらオフェンスの間宮にボールを返す康介。


「さあな、覚えてないわ。でも、腹減ったしアルバム譲渡を阻止する為にも、ここで勝負決めさしてもらうで」

「そうやなぁ! ここでビシッと良兄止めて勝たせてもらうで」


 康介がそう言った瞬間の事だ。


 両手でボールを持った間宮がフェイクをかけてくるのか、それともドライブで仕掛けてくるのかに意識を集中していた康介の頭の片隅にもない動きを見せた。


「ッ!!」


 その瞬間に間宮がやろうとした事に気付いた康介だったが、あまりにも予想外の動きに構えている肩がピクっと跳ねただけで、全く動く事が出来なかった。


 康介は失念していたのだ。いや、間宮もこの勝負所の為に隠していたのかもしれない。

 それは間宮の手にボールが戻った直後に起こった。

 攻撃に移る為に下半身をグッと踏ん張らせる場面だというのに、間宮はそれをせず流れるように受け取ったボールを高々と構えたのだ。

 これまで両者ともフェイクを入れながらドライブで切り込み、ゴール下での攻防を繰り返してきた。それをあまりに繰り返していた為、康介は勝手にドライブで切り込んでくると決め込んでしまっていた。

 だが、康介にはなくて間宮にはあるものを、間宮の動きを見て思い出したのだ。


「――しもたっ!」


 完全に頭の中にない動きをされたせいで、言葉は出ても体は全く反応出来ずに、間宮に向かって一歩も足が出ない康介を嘲笑うかのように、流れるようなフォームで下から上に力を伝達させながら間宮の体が宙に浮いた。


 瑞樹はそのフォームに見覚えがあった。

 あの夏祭りの露店で見せたあのシュートだ。


 ボールが間宮の手から放たれる瞬間、瑞樹だけが知っている癖が出た。入ると確信した時に出るあの表情だ。


 顔を歪めた康介の頭上を放たれたボールが美しい放物線を描いて飛んでいくのを全員の目が追うのだが、瑞樹だけはまだ結果が出ていないうちから小さくガッツポーズを作る。


 知っているのだ。間宮があのシュートを放つ時、入ると確信した時にだけ口角が上がる事を。


 だが、瑞樹は分かっているのだろうか。

 このシュートが入ってしまったら、アルバムが手に入らなくなる事を。


 吸い込まれるように飛んでいくボールが、ストバス用の鉄で編まれたネットをガシャンという音と共に揺らして、間宮の放ったシュートが見事に決まった事を知らせた。


「しゃっ!」


 してやったりとガッツポーズを作る間宮に、康介が両手を腰に当てて苦笑いを浮かべる。


「良兄がロングもっとるの忘れてたわ」

「思い出させんように、散々インサイドばかり攻めてたからなぁ」

「ずっとロング打つタイミング計ってたんか!? あぁ! 負けや! 負けや!」


 素直に負けを認めた康介は、ベンチに置いてあるアルバムを欲しがっていた神山ではなく、間宮に手渡した。

 ホッと安堵の息を漏らす間宮に、外野から「空気よめ! 間宮ぁ!」と神山から罵倒が飛んできたが、間宮は勿論無視を決め込んだ。

 すると、コートを囲む金網で出来た出入口のドアがガシャンと音を立てて開いたかと思うと、加藤がのっしのっしと間宮に向かってきた。


「こうなったら、そのアルバム賭けて第2ラウンドだよ! 間宮さん!」

「は? 第2ラウンド?」

「そう! 私と志乃と結衣の3人と間宮さんの3on1で勝負しよ!」

「…………」


 どうやら、間宮の羞恥の塊をまだ死守できたわけではないようだ。

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