第20話 卒業旅行 act 12 ~母と檜風呂~

 カラオケでも相変わらずの雅紀劇場で盛り上がった一行は、2時間程騒いだ後、再びタクシーで間宮の実家に戻った。


 戻った頃にはもう遅い時間になっていた為、休む事なく順次風呂に入る事にした。

 今日は大人数が入浴するからと、まず男連中が入った後に1度湯船のお湯を抜いて、沸かし直した風呂に女性陣が入る事になった。


 男連中の最後に入浴した間宮は、風呂を上がる際にお湯を抜いて浴槽を洗ってから雅紀達と談笑している女性陣がいるリビングへ向かい、風呂が空いた事を告げる。


 間宮が2階へ上がった後、早速加藤から入浴を始めて神山が風呂に向かった所で、雅紀が少し用があるからと書斎に姿を消して、リビングには涼子と瑞樹の2人きりになった。


「瑞樹さん。その後、良介と何か進展あった?」


 2人きりになってすぐに涼子が瑞樹に、息子との進展について問いかける。


「え? あ、い、いえ。あの、ま……り、良介さんとは、その……そんな関係じゃ」


 涼子の唐突な質問に、瑞樹はあからさまに挙動不審に陥る。


「あぁ、ごめんなさいね。いきなりそんな事訊かれたら、ビックリするやんねぇ」

「い、いえ! その……全然大丈夫……です」


 そんな瑞樹の様子を見て、涼子はテーブルに頬杖をついて軽く溜息をつく。


「そうなんやね。私は瑞樹さんとお好み焼きを食べた時に、瑞樹さんは良介の事が好きなんかと思ってたんやけど……」


 そう言った涼子の顔が寂しそうに瑞樹の目には映った。


「……えっと、嘘……です。ほ、本当は好きです。ま、良介さんの事……すみません」


 瑞樹はそんな涼子を見て自分の気持ちを隠すのを止めて、本心を口にした。


「なんで瑞樹さんが謝るの?」

「だって、こんな子供が好きになっていい人じゃないと……分かっていますから」

「そんな事気にしてたん? 昔から言うやないの。人を好きになるのに年齢は関係ないて」

「ですが、やっぱり良介さんは立場のある人で、そんな人の傍にこんな子供がいたら世間体的にも迷惑だと思うんです」


 まだ高校生である瑞樹に世間体なんて本当のところは分かっていないだろう。

 だが、成人が未成年と関わる際に色々と問題が取り出されているのは、テレビなどで知識として知ってはいるのだ。


 それを訊いた涼子は頬杖を解き、姿勢を正して真剣な眼差しを瑞樹に向けた。


「それはない。絶対にない。母親の私が保証する」


 そう言い切る涼子の目が、更に真剣なものに変わる。


「失礼ですけど、どうしてそう言い切れるんですか?」

「東京で会った時も思ったんやけど、今日だってあの子の瑞樹さんの見る目をみたら、親ならはっきりと分かるんよ」


 息子が瑞樹に対して恋愛感情を抱いているのかまでは本人にしか分からない事だと前置きした上で、迷惑に思っている事は絶対にないと、涼子は確信をもった目でそう説いた。

 目に見える根拠を提示されたわけではない。

 だが、自分に向けている涼子の真剣な目が間宮の目と被って見えた瑞樹は、素直にその言葉を信じようとコクリと頷くと、ずっと頭から離れなかった不安が静かに消えていき、肩の力が抜けて随分楽になった気がした。


「あ、涼子さんお風呂先に頂きました。次、志乃の番だよ」

「うん。わかった」

「疲れはとれた?」

「はい! 凄く気持ちのいいお風呂でした。志乃もきっとビックリするよ!」

「それはよかったわ。瑞樹さんもゆっくりと疲れをとってきなさい」

「はい。それじゃお先にお風呂頂きます」


 軽く会釈した瑞樹がソファーから立ち上がり、神山とリビングを出ようとした時、足を止めた瑞樹が涼子の方に振り返る。


「あの……お話ありがとうございました。おかげで気持ちが楽になりました」

「ふふ、ホンマの事言うただけなんやから、気にせんでええよ」


 もう1度涼子に会釈してリビングをでた瑞樹に、神山が首を傾げる。


「何の話?」

「んーん。なんでもないよ」


 不思議そうな顔をする神山にそれだけ告げると、瑞樹はそのまま脱衣所へ向かうのだった。


 脱衣所で服を脱いだ瑞樹がそっとドアを開くと、風呂場から木のいい香りが鼻孔を刺激する。


「うわぁ! もしかして、これって檜のお風呂!?」


 間宮の実家の風呂は、浴槽は勿論の事、床や壁そして天井に至るまで全て檜で作られた立派な檜風呂だった。

 瑞樹はその場で深呼吸して、檜の香りを肺一杯に詰め込んでゆっくりと息を吐きだすと、それだけで旅の疲れや飲んだアルコールが抜けていく気がした。


 まずはと掛湯をした後、軽く塗っていたナチュラルメイクを丁寧に洗い落として、枝毛が一本もない綺麗なダークブラウンの髪を優しく洗う。そして最後に絹の様な白い肌の体を入念に洗い終えた瑞樹は、わくわくした様子で立派な檜の湯船に体をゆっくりと浸けた。

 天井から雫がピチョンといい音をさせてお湯を弾く。

 その音が心地よく耳に響き、檜の癒される香りを吸い込み「はぁっ」と文字通りリラックスしてゆっくりと息を吐いた。


「ホントに気持ちいい」


 神山が絶賛してた通り、いやそれ以上に間宮家の風呂に感動して思わずそう独り言ちる。


 ゆらゆらと揺れるお湯の表面を眺めながら、さっきの涼子との会話を思い出す。


 瑞樹にある間宮に対しての不安材料は世間体だけではない。

 ライバルである神楽優希の存在に、具体的になにかあったわけではないのだが、何故だか遠くに感じる間宮との距離感。

 受験という枷も外れたというのに、瑞樹の気持ちが晴れる事はない。

 だが、今日涼子に自分の正直な気持ちを聞いて貰ったおかげで、そして間宮が自分の事を迷惑だと絶対に思っていないと言い切った涼子の言葉が、温かなお湯と共に気持ちが軽くなったのは事実だった。


 こうして一緒に旅行に来る事が出来て本当に良かったと思う。

 そして、この旅行を通じて間宮との関係がどう変わるのか、楽しみに感じた瑞樹の口角があがる。


(間宮さんの家族に凄く勇気を貰った。ここに来る事が出来て本当に良かった)


 瞳を閉じて今日1日あった事を思いだしながら「はぁ……」と完全に体の力を抜いて、まるで自宅の風呂に入っているようにリラックスした表情を浮かべるのだった。


 浴室から出て脱衣所でパジャマに着替えた瑞樹は軽く髪を乾かした後にリビングへ戻ると、涼子が姿勢正しく本を読んでいた。


「お風呂お先に頂きました」


 瑞樹がそう告げると、本に落としていた視線を瑞樹の方に上げた涼子が微笑んだ。

 その表情が瑞樹の大好きな間宮の柔らかい笑顔と被り、心臓が大きく跳ねる。


「どうだった? 我が家のお風呂は」

「え、えぇ。とても素敵なお風呂でした。思わず長湯してしまってすみません」

「ええんよ。そうしてくれた方が、私も嬉しいから」


 それからあの風呂は涼子が立案して改築した物なんだと話し始めた。

 それは決して自分が贅沢な風呂に浸かりたいからと言うものではなく、毎日の激務に耐えている風呂好きの雅紀に少しでも疲れをとってもらおうとしたと言う。


「あの人には内緒なんやけどね」


 言って小さく舌を出す涼子が、瑞樹にはやたらとあどけなく見えて、間宮は完全に涼子似なんだと実感した。


 涼子が浴室へ向かうのを見送った後、瑞樹は加藤達と同じ部屋へ向かおうと階段を登る。

 すると丁度2階の廊下に差し掛かった時、部屋のドアが閉まる音がしたかと思うと、そこには間宮の姿があった。


「ん? 風呂あがったのか」

「え、う、うん」

「明日もガンガン遊ぶんだろ? あんまり夜更かししないで寝ておけよ」

「う、うん」

「んじゃ、おやすみ」


 言って間宮が階段を降りようと瑞樹とすれ違った時「ま、間宮先輩」と不意に瑞樹が呼び止めた。


「ん?」

「あ、あのね……あ、明日のUSJの事なんだけど」

「うん? 大丈夫! ちゃんと連れて行ってやるよ」

「ち、違くて!」


 ワタワタと慌てている瑞樹に振り返って首を傾げる間宮。


「え、えっとね。明日のUSJ……でさ。も、もしよかったら私と2人――」

「――――ダーッ! 小便漏れるー! ってあれ?」


 顔を真っ赤にした瑞樹が何かを言おうとしたのを途中で遮るように、自室から康介が飛び出してきた。


「…………」

「…………」

「…………あ、ごめん。俺、余計な事してもうたか?」


 僅かにであるが、3人のいる廊下に重い空気が流れた。


「い、いえ! お、おやすみなさい!」


 この重苦しい空気を真っ先に嫌った瑞樹が一方的にそう告げて、間宮と康介の反応を待つことなく部屋に入って行った。


 ◇◆


(はぁ……ビックリした)


 部屋に駆け込んだ瑞樹はドアに凭れて盛大な溜息をつくと、視界の端に部屋に敷かれていた布団の上で悶えている加藤と神山の姿があった。


「え? ちょ、どうしたの?」

「……ど、どうしたのってアンタ……。惜しかったじゃん、さっき!」

「もう! 康介さんタイミング悪すぎだよー」


 言われて瑞樹は加藤達が何を言っているのか察して、みるみる顔を赤く染める。


「き、聞いてたの!?」

「聞こえたの!」


 どうやらさっきの間宮とのやりとりが筒抜けていたようで、途中で邪魔がはいってしまったとはいえ、自分が間宮に何を言おうとしていたのかバレていると知った瑞樹は、思わず頭を抱えた。


「……恥ずかしい」

「別に恥ずかしがる事ないじゃん。それに安心してよ志乃! 明日は絶対に2人きりの時間を作ってあげるからさ!」

「!――ホント!?」

「あっはは! 私達にまかせなさいって!」


 得意気にそう宣言する加藤に縋る瑞樹に、神山がまかせろと胸を叩く。


 嬉しいと思った瑞樹であったが、2人の笑顔が微妙に違和感を感じて思考を巡らせた結果、キラキラしていた目がジト目に変わった。


「とかいって、愛菜と結衣の目的って松崎さんと佐竹君と2人っきりになりたいだけじゃないの?」


 瑞樹がジト目を向けてそう問うと、2人の肩が解り易く跳ねるのだった。

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